「チャーミングなシム•ウンギョンに注目 これぞ映画 言葉について考えさせてくれる映画」旅と日々 Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
チャーミングなシム•ウンギョンに注目 これぞ映画 言葉について考えさせてくれる映画
ワタクシ、ちょっと反省しております。実は『おーい、応為』のレビューで文学の世界の「純文学」に倣って「純映画」という怪しげな概念を持ち出しているのですが、その概念の是非は置いておくとして、その概念を使うなら『おーい、応為』で安売りせずに、こっちの『旅と日々』のほうで使うべきだったと。本当にこれ、いい映画です。エラそうに聞こえてしまったら申し訳ないのですが、これぞ映画とも言うべき作品だと思います。
原作はつげ義春の漫画『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』の2篇。予告篇を見たときから、このふたつをどう繋げてくるのかと気になっていたのですが、主人公の李(演: シム•ウンギョン)を脚本家にして、彼女が脚本を書いた映画、いわば映画内映画として『海辺−−』のほうを使い、脚本を書くのに行き詰まってる感じの彼女が鄙びた雪国を旅するところで『ほんやら洞−−』を基に物語が進みます。
物語は東京のビル群を割と奥行きの浅い画面で見せた後、部屋で紙のノートにハングルの手書きで脚本を書こうと苦闘している李の姿から始まります。PCではなくノートに手書きというのがいいですね。あと、ハングルに関しては、私は大量のハングルを目にすると「ハングル酔い」みたいなものを起こしそうになるのですが、手書きの2−3行というのはなかなか可愛らしくていいです。何はともあれ、日本で活躍する日本語ノン•ネイティブの脚本家というのはかなり秀逸な設定だと思います。
で、ここから、李が脚本を書いた、夏の海辺を舞台にした映画に移ってゆきます。映画は余白たっぷりな感じでヒロインは河合優実。訳ありそうな感じで(私は彼女は海辺の村に拉致されてやって来て緩やかな幽閉状態にあるのではないかと想像したのですが)、中指に怪我なんかもしています。ここでの河合優実は、この映画内映画で「役を捕まえきれずに戸惑いながら演技している女優」を演じているのかとも思ったのですが、単に素で戸惑っていただけかもしれません(笑)。まあ、この戸惑いは映画内映画の監督の意図はともかくとして、この映画『旅と日々』の三宅唱監督の狙い通りだったのかもしれません。
そして、この夏の海辺を舞台にした映画が終わって場面は大学の大きな講義室みたいなところへ。この映画を教材にして、学生を前に登壇したこの映画の監督と脚本家の李と学生、識者でディスカッションが始まります。ここでコメントを求められた李のセリフが最高です。
「私にはあまり才能がないなと思いました」
私、この映画でシム•ウンギョンて本当にチャーミングな女優さんだなと思ったのですが、このセリフはまさに真骨頂です。大勢の前でなんの衒いもなく自分の心情を語ってしまう−−しかもノン•ネイティブのちょっとオフ•ビート(?)な日本語で。三宅監督は『きみの鳥はうたえる』での石橋静河、『ケイコ 目を澄ませて』での岸井ゆきの、『夜明けのすべて』での上白石萌音と女優を適材適所で使うのに長けている印象を持っていたのですが、本作でもそれが十二分に発揮されているようです。
さて、悩める脚本家の李は旅に出ます。そこでのセリフも秀逸です。
「旅とは言葉から離れようとすることかもしれない」
私は以前から「言葉」という観点から見ると脚本家というのはけっこう因果な商売なのではないか、と思っていました。というのも、小説家や詩人なら、自分の綴った言葉がそのまま「作品」になるのですが、脚本家の場合はそうではなく、映像作品を通じて評価されるからです。決してそれそのものが単独で評価されることはないのだけれど、自分の仕事を進めてゆくには極めて重要な言葉。ましてや李の場合は、周囲が彼女にとっての外国語を話している環境にいるわけですから、なおさら言葉に鋭敏になりますし、言葉の持つ意味の限界を意識したりもします。「はじめて日本に来た頃は何もかも新鮮だった。でも、やがて言葉がそれに追いついてきた」のです。そして、彼女は旅に出るのです。言葉から離れようとして。
映画内映画が夏の海辺だったのに対して、旅の行き先は冬の雪国です。宿の予約もせずに出かけた李は普通のホテルでインバウンド観光客に弾き出されることとなり、雪深い里の商人宿みたいなところに泊まるハメになります。べん造(演: 堤真一)があまり商売気もなくひとりでやってる宿です。ここでもシム•ウンギョンがとてもチャーミングでした。べん造の話に「左様でございますか」とオフ•ビートな日本語で古風な返しをしたりします。また、凍結したある物を見て「カチコチですね」と、日本語の特徴のひとつであるオノマトペ(擬態語/擬声語)で表現したりもします。
この映画が終盤にさしかかった頃、私はあることに気づきました。それは、この数ヶ月ぐらいの間に観た邦画の数々の日本語のセリフのなかで今回シム•ウンギョンの話したセリフの中身がいちばんすらすら(オノマトペ)と私の脳内に入ってきていると感じたことでした。え、ノン•ネイティブが話すちょっとオフ•ビートな日本語のセリフがいちばん聴き取りやすかったって? 確かに、ノン•ネイティブゆえの丁寧で緩やかな口調のおかげとも言えますが、ここはやはり、セリフひとつひとつを本当に大切にしている彼女の役者としての資質を賞賛しておいたほうがよさそうです。
三宅唱監督に関しては、去年『夜明けのすべて』のエンドロールの背景に流れる中小企業(栗田科学だったかな)の昼休みの構内の風景を眺めながら、やはり、この監督は自分とは相性が合うなと思いましたが、今回もそれを再確認しました。次回作が楽しみです。
私も、左様でございますか、笑いました。日本の役者が話す台詞よりもすっと入ってきました。
そして同じく栗田科学の日常の光景で終わるエンディングで三宅唱監督にハマってしまいました。
書いておられること全てにとてもとても共感します。良い映画でした。そしてシム・ウンギョンは日本の女優よりはるかに日本語のセリフを聞き取りやすい。それは「新聞記者」でも「ブルーアワーをぶっ飛ばす」でも感じていました。おそらく音感がとても良いのです。
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