旅と日々 : 映画評論・批評
2025年11月4日更新
2025年11月7日よりTOHOシネマズシャンテ、テアトル新宿ほかにてロードショー
三宅作品に息づく、つげ義春の精神
評論家とオーディエンスの双方から高い評価を得た「ケイコ 目を澄ませて」(2022)と「夜明けのすべて」(2024)を経て、三宅唱監督はいよいよキャリアの円熟期に差しかかってきた印象を受ける。そんな彼がここへきて、コミック原作の実写化に挑むというのだから静観していられない。しかもその原作者が、日本マンガ史を象徴するつげ義春ときた。これだけで、監督名よりも「つげ義春作品の映画化」という看板が先立つのは否めない。なにより、対象となるのが古典として評価の定まった名編だけに、「成功して当然、失敗すれば監督の責任」というリスキーな賭けに、今の三宅が本当に乗るのかどうか……。
そんな懸念は、先例のない原作調理術によって打ち消された。脚本も自ら手がけた三宅は、原作を忠実に再現するのではなく、「つげ義春を映画化した脚本家」が、つげマンガ的なドラマの韻を踏んでいくという、きわめて実験的でハイコンセプトな構成を打ち出している。

(C)2025「旅と日々」製作委員会
自身が脚本を手がけた映画「海辺の叙景」のティーチインで、創作の壁に直面する脚本家・李(シム・ウンギョン)。彼女はある日、世話になった大学教授(佐野史郎)の勧めで旅に出るが、飛び込みでホテルに泊まれず、やむなく偏屈な主人・べんさん(堤真一)が営む宿に身を寄せることになる。
このように、女性が自己を見つめ直し再生する物語は、先に挙げた三宅の二作の系譜に連なる「女性映画」としても位置づけられるだろう。いっぽうで本作は、つげ義春作品に特徴的な浮遊感や旅情性をしっかりと継承し、原作ものとしての均衡を保っている。とりわけ、李が答えを求めて異郷をさまよい、奇妙な人々との出会いを経て何かを掴んでいく展開は、「ほんやら洞のべんさん」を下敷きにしつつも、つげが同時期に手がけたシュールな異色作「ねじ式」の変奏ともいえる。主人公の名「李」は「李さん一家」からの引用と思われるなど、随所につげマンガへの目配せを覚える。
また、入れ子として機能する劇中作「海辺の叙景」そのものが、つげ義春原作の実写化としてきわめて理想的な完成度に達している。とりわけヒロインを演じた河合優実の存在感――主人公の内面を静かに映し出す鏡のような佇まいは、つげマンガの本質を見事に体現しており、じつに興味深い。彼女を通して「紅い花」の少女や「ゲンセンカン主人」の女中にも通じる気配が浮かぶのだから、その演技はただものではない。劇中で佐野史郎演じる教授も指摘していたが、河合の所作には、つげ作品に通底する官能と寂寞が静かににじむ。
(尾﨑一男)





