フォーチュンクッキーのレビュー・感想・評価
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世界がモノクロでしかないこともあるよね?
人間を丁寧に描いているというところに惹かれる。誰しもそんなにわかりやすいキャラではなく、超人も超悪人も超人も登場しない自然体で、でもドラマがそこに確かにあるっていうのがいい。こういう作品をみると、日々がモノクロで、砂を噛むようで、眠れなくてでも思い巡らしたくもないような、そんな時を思い出す。きっと誰しもそんな時があって、フルカラーとまではいえないにしてもささやかな彩りを大事にしたいなと思ったりできるわけで。モノクロで描かれるドニアのフリーモントの日々が少しでも色づけばいいなと願うような気持ちになる。
あまり前情報なしにみたので、ジェレミー・アレン・ホワイトが登場して見知らぬ街で懐かしい顔に会ったようにホッとする。彼の不器用な雰囲気がとてもいい。
なんとなくやなやつに見えた精神科医も彼なりにドニアの心を楽にしようとしているのだろうし、クッキー工場のオーナーの妻も、彼女なりに何か変化をもたらそうとしたのだろう(多分)。
個人的には『白い牙』よりも『荒野の呼び声』派なのだけど、ドニヤが白い牙と自分を重ねそれを口に出せたのならそれでいい。彼女の流した涙はとても美しくて、でも辛いものだった。
辛いことを忘れられないでいるのは悪いことじゃない、むしろそれも必要。ただ、幸運をさがしていけばいいんだよね?
寝てたのか? おれ
ちゃんとストーリーを把握していなかった。
あの「鹿」は奥さんのたくらみだったのか。そこがすっぽりと抜け落ちていた。
寝てたのか? おれ。
もう一度見なおす気力もないし、お金もない。やれやれ。
犬も歩けば棒に当たる 船も海に出れば鹿と幸運に当たる
原題は “Fremont” 。アメリカ カリフォルニア州のサンフランシスコ湾南東岸にあるフリーモント市のことです。私は映画の題名または原題が地名の場合には、地図とネット検索でその地を予習してから観に行くようにしています。今月は『ハルビン』を観る前にハルビン市の人口が約7百万と知り、中国ってやっぱり人が多いなあなんて思っておりましたが、こちらのフリーモント市は人口約23万、人口の半分くらいがアジア系で、全米で最もアフガニスタン系の人口が多いそうです。南に30kmほど走るとシリコンバレーの有名都市のサンノゼです。フリーモントはシリコンバレーの北の端といった感じなのでしょうか。テスラの工場があるそうです。この映画の終盤に主人公のドニヤ(演: アナイタ•ワリ•ザダ)がドライブして移動するシーンがあるのですが、予習のかいなく、どちらの方向にどれくらいの距離を走ったか、よくわかりませんでした。
さて、このドニヤ、アフガニスタンのカブールにいたときは米軍基地で通訳をしていたとのことで、2021年にタリバンが政権を奪取した際には、親きょうだいとも離れ離れになって、命からがら、アメリカに逃れてきたのでしょうね。アメリカの協力者であったこと、インテリ女性であることを考えると、タリバン政権下のアフガニスタンに戻って生活するのはほぼ絶望的で、このままアメリカのアフガン•コミュニティで暮らしてゆくほかはなさそうです。
で、彼女は中国深圳出身のちょっと人格者風のおじさん(演: エディ•タン)が経営するフォーチュンクッキーの製造工場で働いています。ひょんなことから、クッキーに入れるメッセージ制作の担当となりました。彼女は故国から逃れて来てから、かなり精神的に危なかったと思うのですが、彼女にとっては外国語である英語での一文を何種類もつづるというのは精神的な危機脱出に対して多少なりとも意味があったのかもしれません(まあでも、彼女はちょっとした「職権濫用」をしますが)。
ドニヤはアフガン•コミュニティでは浮いてる感じがあります。よく話をする友人の夫から疎まれたりもします。典型的なムスリム社会ではインテリ女性は疎まれる存在なのでしょうか。まあ米軍の協力者だったと思われているのもあるとは思いますが。
うまく眠れないという自覚症状があるドニヤは睡眠薬を処方してもらおうと精神科のドクター(演: グレッグ•ダーキントン)のところに行きます。ですが、このドクター、薬を処方せずに、ドニヤとの対話を試みます。あげくのはては、自分がお気に入りの本(ジャック•ロンドンの “White Fang”「白い牙」でした)をドニヤに読み聞かせて自分のほうが感極まったりもします。なんかこのドクターの診療ぶりはドニヤの回復にはちっとも効果がなかったみたいな描かれ方でしたが、私は少しは効果があったと信じたいです。
結局、ドニヤは上記の「職権濫用」のせいで、フォーチュンクッキー工場経営者の意地の悪い奥さんに罠を仕掛けられてしまいます。まあでも、そのおかげで、自分で車を運転してちょっとした旅行をすることになります。この旅行の準備あたりで彼女が精神的に自立してゆく様子が見てとれます。そして、目的地に向かう途中で自動車整備庫をひとりで切り盛りしている青年(演: ジェレミー•アレン•ホワイト)に出会います。で、目的地に行って、罰ゲームの景品のような陶磁器製の鹿の置物を手に入れ、帰り道にはまたあの青年のところへ……
こう言った話がモノクロの画面にのって淡々と語られてゆきます。まあ一言で言って「普通にいい映画」みたいな感じで私は好感を持ちました。この作品の監督はババク•ジャラリ、1978年イラン生まれの46歳。確かに、ジム•ジャームッシュ味だとか、アキ•カウリスマキ味だとかを感じるのですが、この映画を見る限りはそれらの単なる亜流にはならずにババク•ジャラリ調の語り口みたいなものを感じさせます。淡々としているが、素朴で率直な感じ。ユーモアも洗練されてはいないけど、素朴に押してきてクスッと笑いを取る感じ。次回作も楽しみです。
ともあれ、この物語の主人公ドニヤはとんでもない貧乏くじを引いてしまったような人生で、酷い状態で故国を離れ、アメリカにやってきても同胞のコミュニティにもうまく馴染めず、孤独を抱えて生きてきました。実は精神的にもけっこう危ない状態だったのかもしれません。でも、彼女は港に錨をおろしたままの船にはなりませんでした。勇気を出して海に出ました。あなたのほんのちょっとの勇気とほんのちょっとの偶然から、あなたに幸運が訪れますーーあなたが次に中華料理店に行ったとき、フォーチュンクッキーから、そんなメッセージが出てくるかもしれません。
こういう作品もいいですね
前半はとにかく動きが静かだよね。
主人公の置かれた状況が少しずつ分かってくるけど。
経営者の奥さんがちょっとイジワルなのいいね。
1ドル25セントのコーヒーを2ドル50セントで売りつけたり。
「ブラインドデートするわ」から一気に動くね。
途中でオイル交換で寄った整備上での台詞のやり取りも全部いい。
「コーヒーを飲みにこないか」に「I don't like coffee.」で返すのいいね。「そんなわけないじゃん」と観客だけは思う。
ラストの「鹿」を呼び出してからのスカッとする展開もいいよね。
フォーチュンクッキーはやめて、整備場で働くのかな。
主演女優は雰囲気があって、とても良かった。また観たいと思ったよ。
裏切り者と思われる苦しさを乗り越える方法を見つけた。
白土を集めて低予算で作った映画のように見えるが、この映画の意味することは大きい。ただ、アフガニスタンからで米国政府からの優先権のある移民(Special Immigrant Visas (SIVs)-永住権につながるヴィザ)の主人公ドンニャ(Anaita Wali Zada)に当てはまることだけではない。一般の移民や難民に当てはまることだけでもない。私達、人間、全部に応用できる生き方を示している。だから、とても興味深い映画である。
それに、米国が引き上げ、タリバンが侵入した時、引き上げ飛行機に乗れなかった、通訳もいたと。彼女だけ?が、乗れたようだ。これに対する罪の意識もあるようだ。また、家族の中で彼女だけが、米国機に乗り、逃げ出したことにより、家族の中に裏切り者がいるというように、カブールに残っている家族が思われていると思うこともトラマや罪の意識につながっているようだ。彼女はどこの国でも良かったアフガニスタンを抜け出したかったと言ってるが、彼女は米国に移民や難民として逃れたアフガニスタン人と楽しんでないのかというセラピストの質問に数人はいいけど数人は一緒にいて楽しめないと言っている。これも「裏切りもの」と思われることがついて回るようだ。近所に住んでいてよく話しているサリムに美しいことを考えることは罪の意識を感じるという。まだ恋をしたことがないのに、アフガンにはタリバン政権で人々が苦しんでいるのに、自分だけ恋をすることが後ろめたいと思っているようだ。1996年生まれで、若いのに、すでに背中に十字架を背負って生きているようだ。良心の呵責で不眠症になったのかもしれないし、PTSDの一歩手前なのである。
その彼女の生き方が、我々にも応用できるのである。それを説明したい。
彼女の周りの人々、同僚、深圳市出身で、サンフランシスコのフォーチュンクッキーの経営者リッキー、アパートの住人、サリム、ミラ(ミラの夫のスリマンは抜く)、レストランのウェーター、そして、セラピスト(無料で:Pro Bono:専門知識を活かした社会貢献活動)、アンソニーはドンニャにポシティブな影響を与え、彼女をサポートしてくれた。フォーチュンクッキーの経営者の女主人ですら、ブラインドデート相手だと思わせて、車でベーカーフィールドまで鹿の彫刻を取りに行かせたが、結果的には車修理工のダニエルに遭遇する機会をくれた。その中でも、セラピスト、アンソニーと経営者のリッキーのドンニャに対するアプローチはユニークで、ドンニャの心を少しずつ変えていった。このアプローチの仕方は助言をダイレクトに言葉(例:--した方がいい)でせず、遠回しに比喩を使ったり、哲学的で心理学的な方法のような気がする。例えば、アンソニーは『船は港に停まってれば安全だ。でも、船はそのために造られたものではない。』と、自分で書いたフォーチュンクッキーの言葉を読んだ。この意味を理解したドンニャは『Desperate for Dream......』をタイプして一歩前に進んだ。自分の思い悩んでいるマンネリ化した殻から一歩出た。リスクテイキングのようなものだ。
深圳市出身の経営者のリッキーは、ドンニャをフォーチュンクッキーライターに昇格?させた。彼女の才能を素早く見い抜いて、"virtue stands in the middle" と言って Aristotle(検索結果だと)の哲学をドンニャに延々と説明したのだ。彼女はこの深淵な意味をサッと理解したようでなかなか鋭い人だと思った。実を言うと私はこの意味に不可思議な反応を示しただけでなく、全く誤解していたのに気づいた。この意味はAI検索によると、
Courage: The mean between recklessness and cowardice.
Generosity: The mean between extravagance and stinginess.
Confidence: The mean between self-deprecation and arrogance.
Temperance: The mean between gluttony and abstemiousness.
でリッキーが延々と説明したのを"virtue stands in the middle" は一言にまとめたものである。ドンニャが新しいしことをするに対しての心構えをアリストテレスの哲学を使って要求したのだ。あっぱれ。そして、ニュー・アドヴェンチャーだと言ったし、ストレス解消用に頭皮をマッサージする道具をくれた。ただ「これしろ!あれしろ!』と言わず、に自分で考察する機会を与えて仕事をさせるのだ。ここで、自分で考えて、新しいことに挑戦することを生き方としてを学んでいる。
こういうシーンがいくつもあるのがこの映画の特徴である。ここで二つの例をあげたが、自分で考えて、一歩先を冒険することが新しい道を開き、人生を変えるだけでなく、自分の一生を左右すると言うことだ。それに、自分の話を聞いてくれるだけの人からはなんのアドバイスももらえないが、「話を聞いてくれて、間接的なアドバイスをくれる」のは人間を変えるね。社会共同体の言動行動にもすごいと思うが、ドンニャには感服する。
(蛇足)
もう一つ気になることがある。それはイスラムの国からきたドンニャの挑戦である。この挑戦はすでに、アフガニスタンにいたときにあったようだ。彼女は大学に行って通訳になり、自分でビザを申請して、自分一人で米国に入国したことはすでに膨大な挑戦である。アフガニスタンの世界からで、また米国占領時代で、タリバン侵入前だとはいえ、モスリム教であるわけだから、日本より、男女差、男女差別などがあると思う。ダリ語だろかパシュート語であっても、モスリムの世界は(シャリア法律)ミラとスレイマンの夫婦のように女は男のいうことをきく世界であるように思う。
しかし、ドンニャは独立している。一人で住んでいるだけでなく、ブラインドデートの準備をしているとき、ベッドの上で、持ち金をホテル代、食事代、ガソリン代と分けている。ホテル代(ダブルベッド)は明らかに自分は自分で払う意思があると視聴者の目には映る。アフガニスタンからきて、まだ、八ヶ月だというのに、自分でなんでもする姿勢は賞賛される。
ここで、アフガンの移民(多分難民)スレイマンに対して感情的になり暴言を吐くシーンがある。これについてちょっと触れる。スレイマンは妻のミラをドンニャと接触させるのを嫌う。スレイマンの見地からではドンニャは裏切リものなのだ。通訳として米軍に精通していたアフガニスタン人だから。挨拶もしないし、一言も口を聞けなかったスレイマンにドンニャが下から2階の彼の部屋に向かって、『I worked with the Enemy to ensure your security』と叫ぶシーンがある。この敵はアフガニスタンの駐留米軍のことであると思う。「セキュリティーを守った」は米軍とアフガンの仲介に入って通訳を務めたドンニャたちのことだと思う。だから、「これだけのことをしてやったのに、米国に来てまで裏切り者扱いするなんて、恥を知れ、このやろう!』と言ったのではないかと思う。助言を!
タイトルなし(ネタバレ)
カリフォルニア州フリーモント。
アフガン女性のドニヤ(アナイタ・ワリ・ザダ)は中国人が経営するフォーチュンクッキー製造工場で働いていた。
彼女は、母国アフガニスタンでは、米軍基地の通訳として働いていた。
戦闘が激しくなり亡命してきたのだが、PTSDか、原因不明の不眠症に悩まされている・・・
といったところからはじまる物語。
モノクロスタンダードで淡々と日常を描くあたりは、ジム・ジャームッシュ監督『パターソン』と並べられることだろう。
本作の原題も地名「フリーモント」だし。
が、主人公をアフガン女性にしたことで、物語に深みや痛みが出た。
日常レベルでない、なにか別のものを。
精神分析カウンセラーとのやり取りなど、くすくすと笑わせながら、ピリッとした痛みを感じさせる。
と同時に、散りばめられた名言が心に沁みる。
終盤は意外な展開となるのだけれど、オフビート感はここぐらい。
ジャームッシュよりはるかに少ない。
愛すべき小品。
最後にときめいたのはいつだ?
こないだ鑑賞してきました🎬
ドニアを演じるアナイタ・ワリ・ザダは、今作が初出演にして主演😳
実際にジャーナリストだったそうです。
まだ緊張してる感じはありますが、それはそれでこの役には合っている印象🤔
孤独な女性が勇気を出して一歩踏み出す…その辺りの揺れる感情は充分感じられました😀
旅先で会う整備士ダニエルにはジェレミー・アレン・ホワイト🙂
整備士の仕事は一人でやるには過酷らしく、ドニアにそれを話すくだりの構図は、微妙な距離感が現れていて良かったです。
この映画は現代には珍しくモノクロで、レトロな感触がどこか懐かしい🙂
くすっと笑えるシーンもあり、インディペンデント映画ならではの味があります😀
ドニアを診察する医師とのやり取りも、温かさが垣間見えるのがポイント👍
大作映画とは違った趣きがあり、コアな映画好きなら楽しめますよ🎬
凍り付いた心の若者にもゆっくり春が訪れる
アフガニスタンからカリフォルニアに亡命した女性の退屈な日常と、ちょっとした変化を描く映画。
フォーチュンクッキーの実態は中華料理屋で食後の口直しに食べるお煎餅みたいな商品で、その製造工場の仕事は単調だ。
主人公ドニヤは美しい女性だが、常に仏頂面。それは仕事がつまらないだけではなく、故郷アフガンの過酷な境遇を背負っているから。目の前で命を落とした同胞を思えば幸せになれないのだろう。不眠の症状も抱えている。
起伏の乏しい主人公の感情が、ジャームッシュを思わせるオフビートなテンポの物語と相まって、乾いた笑いに結びついていく。ドニヤが通う精神科医の男性は、要望どおり睡眠薬を出せばいいのに、身の上話をさせたりお気に入りの絵本を読み聞かせたり。「この場面、ドニアにとっても映画的にも不要ですよね?」と思いながら見ていると、案の定バッサリと次のシーンに転換してにんまりさせられる。
ドニヤの気持ちを代弁すれば、「あなたのために、私の感情のバランスを崩してまで喜怒哀楽を働かせる余裕はない」という感じだろうか。運命の過酷さだけでなく、なんだか思春期の普遍的な心理にも通じてくすぐったいような暖かいような気持ちになった。
その一方、クッキーを作る工場長や、客がドニヤしかいないレストランのオーナーの言葉かけには一瞬の笑顔を見せる。友人がカラオケで歌う美しいメロディには、表情一つ変えずに涙を流す。ドニヤの心の中でゆっくりと何かが変わっていくようだ。
クッキーにはさむ、おみくじのようなメッセージを書く仕事を任されたドニヤ。それがきっかけで運命は少し動き出す。しかし、意外にも大事なのは周りの人のささいなおせっかいのように思えた。「前に胸がときめいてからどのぐらいたったんだ?」「船は港にいれば安全だが、海に出なければ船ではない」。
実は数回眠くなってしまったが、それすらもこの映画の「愛すべき退屈さ」の証に思える。見ている最中よりも余韻によって評価が上がった。どうでもいいような、意味ありげなシーンの数々をもう一度見直したい。
好きなタイプだと思うんですが⋯
嫌いじゃないタイプの作品なのは確かなんです。
ラストの助手席の真っ白な陶器の鹿のシュールさも好みだと思うんです⋯。
なのに、不覚にも、ちょっとずつドニヤが動き始める微かな動の部分だと思われる中盤辺り?
睡魔に襲われて眠りに落ちていました⋯。
でも、テレビ番組の映画紹介でなんとなくあらすじは理解していたので、ついていけたと思っております。
アメリカとアフガン人の通訳との関係、その後の問題などを声高に訴えることはなく、
物語の中のエッセンスの一部として、きちんと観る側に意識させるところは、良い脚本だなと思いました。
ラストは、ドニヤの笑顔が増える明るい未来が感じられたので、気持ちがほんのり温かくなりました。
そして、お勤めしてるところの奥さんの性格が悪いことは、よく判りました。
あなたが今いる場所は、かつての自分の感情が積み上げてきた回廊
2025.7.3 字幕 アップリンク京都
2023年のアメリカ映画(91分、G)
アフガニスタン難民の新天地での生活を描いたヒューマンドラマ
監督はババク・ジャラリ
脚本はババク・ジャラリ&カロリーナ・カバリ
原題は『Fremont』で、映画に登場するカリフォルニア州の街の名前
物語は、フリーモントにあるフォーチュンクッキー工場に勤めるアフガニスタン移民のドニヤ(アナイタ・ワリ・ザダ)の日常が描かれて始まる
かつて米軍の通訳をしていたドニヤだったが、運よくアメリカに来ることができていた
同じような境遇の人々がフリーモントに集まってコミュニティを形成していて、隣人のサリム(シディク・アーメド)も同郷のカブール出身だった
クッキー工場は中国移民二世のリッキー(エディー・タン)とその妻リン(ジェニファー・マッケイ)が経営していて、ドニヤはそこで包装などの仕事に従事していた
同僚で友人のジョアンナ(ヒルダ・シュメリング)は彼氏を作ろうと躍起になっていて、ドニヤも色々と誘われていたが断り続けていた
ある日のこと、フォーチュンクッキーのメッセージ職人ファン(エイビス・シースー)が突然死してしまい、ドニヤはその後任を任されることになった
ファンとは違う方向でメッセージを書き始めたドニヤ
念願のセラピーに通うようになり、アンソニー医師(グレッグ・ターキンソン)との会話も増えてくる
当初は睡眠薬をもらうために通っていたドニヤだったが、やがて行動を変えていく
アンソニーはドニヤがフォーチュンクッキーのメッセージを書いていると聞き、自分自身でもメッセージを書き始めていく
そうしたやりとりをする中で、ドニヤはあることを思いついてしまった
それは、メッセージの中に「自分の連絡先を忍ばせる」というもので、見知らぬ誰かとの出会いが生まれることを考えるのであった
映画は、そのメッセージが意外な人に見つかってしまい、思わぬ人の元に届いていく様子が描かれていく
ドニヤに来た返信には「鹿を呼び出してください」という意味不明な言葉が踊っていた
どうするか迷っていたドニヤだったが、サリムやジョアンナの後押しもあって、指定された場所に向かうことになった
ベーカーズフィールドに到着したドニヤは、車の不調から、そこにあった整備工場にて車のオイル交換をする事になり、整備工のダニエル(ジェレミー・アレン・ホワイト)は親切に接してくれた
その後、レストランに入ったドニヤの隣のフロアに座ったダニエルとのぎこちない会話が進むものの、ドニヤの探している人物は現れそうにない
仕方なく陶器屋に入ったドニヤは、そこで「鹿のこと」を店主に告げると、彼は「リンさんの注文だ」と言って、鹿の置物を出してきた
彼女はメッセージがリンに見つかって嫌がらせをされたことに気づき途方に暮れる
だが、ここでドニヤはある決断をすることになった
それは本作のラストとなっている
物語は、人生の行く末はどのように決まるかを描いていて、アンソニーとの会話にエッセンスが凝縮されている
彼は「自分の未来を決めるのは感情である」と言い、数々の人生の岐路を導くものだと言う
それは心に従う行動とも言え、それが彼女の最後の行動に結びついている
映画では、はっきりとした結末は描かれないものの、きっと誰もが二人を応援したくなったのではないだろうか
いずれにせよ、フォーチュンクッキーのメッセージにも人生を変える力があるとリッキーが言うように、人の感情を動かすものは意図されぬ些細なものであることの方が多い
それをうまく自分の人生の中で見つけるかという事よりも、遭遇した時に沸き起こった感情にどのように向き合うかで未来が決まるとも言える
メッセージを見てどのように感じ、それを潜在意識がどのように刻むかという部分においても、初発の強烈な感情というものと向き合えるかどうかというのが人生の肝であると思う
そこで自分がどのような感情と心理に左右されるかはわからないものの、それらはやがて積み上がっていく事になる
そう言った意味において、どんなに些細なことであっても、起きた事に対する感情を大切にすることが、人生をより良く生きるための第一歩と言えるのかもしれません
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