兄を持ち運べるサイズにのレビュー・感想・評価
全160件中、121~140件目を表示
御骨の温かさが感じられた映画でした
うーん、オダギリジョーはハマり役・・って言うかダメ〇〇役はこの人でしょう〜どうしょうもない人だけどほっとけない 近くにいるよね~。人徳と言うか・・そういう人って根は優しいんだよね〜。【呪縛ではなく支え】かぁ~場合によっては確かに・・。死んで骨になってもどことなくどっかで適当に生きているかの存在感。あまり期待しないで観ましたが、ホット柚子茶を飲んでいる様な優しい気持ちになれる映画ですよ!
あらためて兄の存在を知る
ダラダラ3時間映画と違って
すみません。家族に嘘ついていますがなにか⁉︎
泣いた
長い、くどい。
本日から公開された邦画は、本作が124分、「ナイトフラワー」も124分、「佐藤さんと佐藤さん」が114分。いずれも少し長すぎる。最近の邦画は皆同じような傾向にあって、「国宝」や「宝島」のような文芸大作だとそれなりの尺は必要だと思うが、スライス・オブ・ライフの作品は精々100分くらいにまとめてもらいたい。そうでなければやはりテーマのブレが隠せなくなるから。
本作は、長く不仲だった兄が遠く東北の地で亡くなり、はるばる滋賀県からその後始末に行くことになる理子の話だが、役名が原作者の村井理子さんと同じであってベースは村井さんの実話である。ただ原作の「兄の終い」自体は読んでいないのだが、村井さんの他の文章から想像するに、映画化にあたりかなり脚色されている印象がある。まず違和感があるのは理子が始めから兄を家族の一員として考えているところ。ここは理子固有の家族観ではあるのだが、映画は母親の葬式における兄の無頼ぶりが描かれていて、このような人物に家族として親近感を覚えるというのは無理がある。この理子の意識と呼応するように映画の後半、しつこいほど兄の亡霊、幻影が現れる。あたかも彼が、理子からしても、加奈子からしても、子どもたちからしても実は大切な存在であるということを主張するように、つまりどんどん兄の人物像が「良い人」になっていくのである。
この流れは、結局は、監督(脚本家でもある)の無意識の思い込みで、家族というものは絶対的に良きものであるという思想のゴリ押しである。つまり我々は監督の思想を2時間以上にわたって拝聴させられている。もちろん映画は観客のものである以前に映画作家のものであるのだからそれは当然の態度であるとしても、もっと観客に考えさせるといった洗練されたやり方があるのではないか。
この映画の結論は、村井理子さんの架空の著者「兄を持ち運べるサイズで」の最後の言葉「家族は支えであり、呪縛ではない」なのだろう。それは確かにそうなのだけど、実は二者択一ではなく、家族のあり方はその家族によって「支え」と「呪縛」の間に何万通りの選択肢がある。その含みがない、ごくごく単純な絵空事としてこの映画をつくってしまったことに私は反発する。
家族っていいよねー。
兄がいる妹の立場でこの映画を見ると,かなりやばい。お兄ちゃんが持ち運べるサイズになるって想像するだけで,なんともいえない気持ちになってしまう。
自由奔放な兄と真面目な妹、迷惑かけられて嫌になっているけれど、飾られた子供の頃の写真を見て,いろんなことを思い出す。そう,お兄ちゃんて優しいのよ。子供の頃の自分にとっては可愛がられて羨ましくもあり、頼れる存在でもあった。嫌っていたはずなのに死んでしまったら見えちゃうんだね。心の中のお兄ちゃんは思ってたより大きな存在だったね。
彼を囲む妹と嫁の対象がより彼という人物の優しさや深さを感じさせてくれた。オダギリジョー、かっこよくてチャラくて繊細なこの役,はまり役でしたね。良い映画でした。
家族の数だけ、心に響くものが違う映画
1度目は11月12日の招待で。
私の姉がこの映画に出てくる兄ちゃんのような人で理子さんの気持ちすごくわかる!!と感情移入して鑑賞。
こういう家族を持った当事者でないとわからない、そんなきれい事ではないよな~と思いながら。
2度目は先行上映で。
1度目はあまりに自分に重ねて観てしまったのでひとつの家族の物語として。
疎遠になっている兄の突然の死。
その終いに集まった家族の話。
理子、加奈子、娘、息子、それぞれに見せる兄の顔。
どの角度で光をあてるか変わる影のよう。
同一人物なのに印象がガラリと変わる。
その人に感じるものは自分だけのもの。
わかり合えないこともある。
この映画は多くを語らず、ひとりひとりが胸に抱いて大事にしてるところが素敵。
理子、加奈子、良一が兄に会うシーンを観て、父が亡くなる前、残した言葉を思い出した。
「この身体はただの入れ物で死はもっと自由だ。目を閉じればいつでも会える。だから悲しむな」と。私が悲しみから立ち上がって歩み出すための父の優しさ。
人は亡くなった人を思い出すことで死を乗り越えると感じた。
このシーンがとても好き。
家族っているのが当たり前で疎かにしがち。伝えたいことも察してよって言葉にしないことも多い。
生きているうちにもっと話をしようよ、わかり合えることたくさんあるんじゃない?と問いかけられたような映画でした。
早速、この映画の兄ちゃんのような姉に私から電話をしてみた。 「姉ちゃん、元気?最近どうなん?」
真から出た嘘
エッセイという要素を上手く─
正直、寒い演出なんかが盛りだくさんで引いちゃうところはたくさんありましたが、そのおかげで笑えたり泣けたところも結構あったので、まぁ楽しく泣ける作品だと受け止めることができれば、面白い作品になるかと─。
決して幽霊ではない霊のようなものを存分に活用していたところが、何気に新鮮味があって面白かったです。
シンプルなビジュアルで感情の強弱で魅せるような作品だったという印象です。なので、演者の好演が光っていたかと─あくまで主要どころは、ですけど・・・。
とはいえ、ちょっとした仕草やセリフ、文章などの演出でも引き込まれたような─。
内容や雰囲気は何となく思っていたとおりだったのですが、出だしに持った印象が終いにはがらりと変わってしまった作品でした。
クスッと笑わせホッコリする作品😆
この兄貴はひどい
家族とは
親の顔色を伺う妹に対しマイペースで手のかかる兄の方が母受けが良く寂しい思いをした幼少期。
大人になっても仕事も家庭も上手くいかず作家になった妹に事あるごとに金をせびってくる兄とは疎遠になっていたが……。
家族とは何なのか、血の繋がりか、一緒に暮らすことか?育てることなのか。
泣いた。鼻が真っ赤になる程に泣いたので、すぐに映画館を出られなかったしこの映画を思い出せばいつでも泣けると思う。
満島ひかりに泣かされ子役に泣かされた。
結局さっさと死んで心に残り続けるんだからズルい兄だよなというのをオダギリジョーだからのバランスで好演。
笑わせる場面もありしみじみ良い映画だなという余韻に浸れる。
「呪縛ではなく支えである」
「支えであり、呪縛ではない」
中野量太監督による5年ぶりの新作。第38回東京国際映画祭に出品されていたことで興味を持っていましたが、今週、TOHOシネマズ日比谷で先行上映されることを知り早速の鑑賞です。
毎回“死生観”がテーマになる作品を作り続けている中野監督。そして今作もまた、突然、ゆかりがない土地の警察署から電話が入り、何の前触れもなく兄(オダギリジョー)の死を伝えられる妹・理子(柴咲コウ)が現地へ向かい、親族として兄の遺骨を持ち帰るまでの話。
冒頭にて、勉強机に向かう少年が、とあるきっかけに手に取る一冊の本。おもむろにその拍子をめくるとそこには「支えであり、呪縛ではない」とあります。この一言こそがまさに本作の全てであり、ひいては家族を喪ったことがあれば誰しもが何か感じるものがある“キラーフレーズ”。相変わらずの巧みな構成で、「やや緩すぎるかな」と思わせる前半の様子も、中盤以降はそれらがじわじわと効きだし、後半に至ればもう“波状攻撃”のように感情を揺さぶられて思わず嗚咽を漏らして抑えきれません。ただ、いわゆる劇場型な“カタルシス”とは違い、むしろそのシーンやセリフだけを切り取って見せられれば、「何とは無し」で「飾り気がない」ごく普通に見えるようなもの。だからこそ、それに「泣かされている」のではなく、あくまでそれを「自分を重ね、解るからこそ泣いている」と気づくのです。生きてるときは“呪縛”と諦めて遣り過ごしていたのに、喪って想うのはむしろ“自分への悔い、そして居なくなった寂しさ”。映画はそんな想いを浄化させるために“古典的なギミック”を思いっきり「有り」で展開する手法により、コミカル且つ羨ましいほどの幸福さで浸らせてくれます。
今作のキーパーソンである“兄の息子”・良一役の味元耀大さん。『ふつうの子ども』におけるやんちゃな陽斗役で記憶に新しいですが、今作も大変に印象深い演技で将来が楽しみな一人です。そして、何と言っても“私が一番泣かされた”のは元兄嫁・加奈子を演じる満島ひかりさん。元妻として、怒りはあっても愛が無くなったわけでない元夫への気持ち。そして母として、捨てられたと思われているのではと、すまない気持ちと不安に苛まれる息子への気持ち。普段のあっさり、さっぱりな態度と物言いの内に秘めた“深い情”が伝わって大変に感動しました。
実話ベースだけに共感できる人にとっては“わかりみ”が強くて深く刺さる作品。繰り返しになりますが「支えであり、呪縛ではない」、結局この一言に尽きます。参りました。
あゝ今夜は焼きそば、食べたいなぁ。。
全160件中、121~140件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。











