劇場公開日 2025年11月28日

「普遍的で離れられない 自分だけの気持ち」兄を持ち運べるサイズに はたはたさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 普遍的で離れられない 自分だけの気持ち

2025年12月23日
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鑑賞方法:映画館

犬童一心監督のメゾン・ド・ヒミコが大好きなので、オダギリジョーと柴咲コウの作品というだけで観たくてしょうがなかった。
不機嫌そうな柴咲コウと色々ダメそうなオダギリジョーが並んでいるだけで画になって、回想を挟みながら淡々と進みながら静かに込み上げてくるような空気に私の好きな2000年代の邦画のようなものを感じて、それだけで幸せだった。これはアスミックエース出身の小川真司プロデューサーによるところも大きいのかもしれない。

ストーリーは絶縁状態にある兄の死を知るところから。主人公の動揺の少なさは大事な家庭を設け、大事な仕事をし、心の置き所が完全に変わってしまった妹のそれとしてとてもリアルで。
個人的に、柴咲コウの格好が 〇〇さんちの生活 というエッセイを書いていそうな人すぎて笑ってしまった(シャツワンピ、スニーカー、眼鏡、小さな黒い鞄という)

それでも自分の知らない兄を知る元妻や、その娘や、兄が確かに愛情を注いでいた息子と短い時間で関わり合う中で、遠くに置いていた自分の記憶が蘇ってくる。
自分の内側にいた兄の存在が、蘇ってくる。

自問自答はしても、後悔はしていない。
兄がダメな人であったことも変わらない。
子供の時の拗ねるような気持ちとも十分決別している。
兄を終う4日間を終えて、戻るべき場所に戻って、もしかしたらまたすぐ心は離れてしまうだろう。

それでも
あれだけ中心にあって、兄に「2人きりになっちゃったな」と言われ、今は自分1人になってしまった家族が 自分の知らないことも沢山ある家族が 残り続けている。
これを支えと言うのは気恥ずかしく、呪縛と言うには感傷の裏返しのようでこれはこれで恥ずかしい。
どちらでもなく、ただただ自分が在り続ける限りしつこい雑草のように根を張り続ける存在なのだと思う。
だから、草をむしり続ける生活の中で、時には存在を愛しんでみたくなる。

オダギリジョーには似ても似つかない兄に無性に会いたくなってしまった。

雑記
・中野量太監督らしい少し臭い演出はありつつも、これをできるところが好きなところだ。1人ずつオダギリジョーの幻影に会いにいくところがやや冗長なそれなのだけれど、なんだか舞台のようで面白かった。
・震災を示唆するところは映画にどのくらい必要だったのだろう。どうしても浅田家を彷彿とした。このあたりは原作のエッセイを読んだら答え合わせがあるのかもしれない。
・地元が宮城なので。多賀城も塩釜も良いところだよ!多賀城市立図書館にまた行きたくなった。

はたはた
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