「愛すべき骨片。兄を持ち運べるサイズに」兄を持ち運べるサイズに きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
愛すべき骨片。兄を持ち運べるサイズに
僕は若い頃は
「夢」や「恋愛の映画」に惹かれていたけれど、
今やこの歳になってみると、チョイスする映画も、そして同僚たちとの話題も、すっかりと様変わりです。すなわち ―
老後の暮らしや、年金の額や、病院の口コミ。
そして延命治療の希望や、両親の看取り、自分の孤独死の光景も。
・・つまり「自分仕舞い」=「終活の話」ですね。
誰だって、そうです。
誰と一緒に暮らしていようともです。
誰しもが死ぬときは独りで死ぬんですよ。
それを直視できる季節になりました。
ところが中年の世代は何故だかひどく孤独死を恐怖する。
(たとえ乃木大将のように奥さんに付き添ってもらって、殉死をしてもらったとしても、死はそれぞれのもの。
個々のものなのですがねぇ)。
でも更にもっと歳を重ね、老年に差し掛かった僕や同僚の場合、お互いの会話はごく自然に
「大家さんに迷惑をかけないように部屋はこざっぱりとミニマムにしておこう。そしてベッドにはブルーシートを敷いておくべきだね」っと。
・・
年の瀬ですね。
僕は親戚縁者を次々とあの世に送りました。メールの返信がないなと気になり、こちらから改めて様子を伺ったけれど、ちょうどそのころ部屋で自死していた子もいますね。
僕の弟たちも順調に加齢しています
だから自分のエンディングに着手するこの頃になると、
「この手の映画」は本当に身に沁みて迫ってきます、とても具体的で身近な光景になるのです。
指を折って、一人、二人、三人と、亡き人を数える。拾ったお骨を思い出す。
今年も年賀状はどこにも出さない年の瀬です。
・・
「チチを撮りに」、
「湯を沸かすほどの熱い愛」、そしてこのたびの本作
「兄を持ち運べるサイズに」と、
中野量太監督は、死と家族にフォーカスします。
人の死の場面では、実は燃えるような人間の命がそこに伴って出現することを教えてくれます。
◆オダギリジョー扮する兄は、とことん情けなく、頼りなく、みんなを失望させる事しかしなかった。
まったく駄目オヤジの人生だったけれど、
それでも「家族」にとっては、あのヘタレであっても、それなりに存在の意義はあるのだと
監督は深い慰めと励ましを伝えてくれました。
ありがたいことです。
◆柴咲コウ =見立たない女の、滲み出す情感を演じたらピカ一。
◆真島ひかり =期待を裏切らない演者。とくにあの人の「後ろ姿」は他の追随を許さない。どの監督も彼女の後ろ姿を狙って撮る。
日本映画の底力を、改めて見せてもらいました。
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「触れられない ・ でも覚えている」とのタイトルで、この年末、娘が作品展を開きます。
ずっと生き物の生死を見つめ、彼女は「墓碑彫刻」に執心してその製作を続けてきた。
彼女も当然終わりの日は迎えるのだし、父親である僕のほうがおそらくは先に逝くだろう。
娘が僕を どう弔うのか、楽しみではある。オダギリジョーに負けないこの小男を。
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喪服畳む
思い出畳む 年の暮
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共感&コメントありがとうございます。
カメは汚れた水槽でもかなり生きられるらしいので、逆に可哀想ですね。
死をややユーモラスに描こうという意図は感じられましたね。息子はトラウマになりそうで、これまた可哀想。
コメントありがとうございました。
きりんさんのレビューは、いつも作品のスピンオフのように、もう一つの世界が立ち上がり、拝読するのがとても楽しみです。
ありがとうございます。
娘さんのグループ展のタイトル、この映画にピッタリで驚きますね。
安曇野市美術館、リニューアル後に今年の県展で行きましたが、娘さんの作品も、ぜひ鑑賞しに行きたいと思います。
以前、「おもかげ」や「最後の乗客」のレビューでも書きましたが、
僕はこの映画と同じに死んだ従兄妹とスーパーの棚の前で再会した事があるのです。
残された遺族のリアリティについては、これこそが文学の力なのだと思いました。
柴咲コウも真島ひかりも、そして遺児となった息子良一もあのアパートに戻りました。
「会いたい」と強く念じれば会える。これからも繰り返し、何度でも会えるのです。
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