「「家族は呪縛ではなく支えである」という言葉に囚われてしまった脚本•中野量太に監督•中野量太が振り回された感のある ちょっと残念な作品」兄を持ち運べるサイズに Freddie3vさんの映画レビュー(感想・評価)
「家族は呪縛ではなく支えである」という言葉に囚われてしまった脚本•中野量太に監督•中野量太が振り回された感のある ちょっと残念な作品
この映画では「家族は呪縛ではなく、支えである」(正確にこの文言だったかは定かだはありませんが、概ねこんなようなことでした)という断言口調のスローガンめいた文言が本の1ページの中央に縦書きで他の文言なしの余白たっぷりのレイアウトで示されます(それも最初と最後にご丁寧に2回も出てきます)。これ、実際にはそうでない場合が多いからそんな文言が生まれたとも思われます。多少の皮肉を込めて読み解くと「家族が呪縛ではなく、支えだったら、どんなに良いことだろう」でも、現実は呪縛にも支えにもなったりして、そもそもそんな二項対立で割り切って語れるほど簡単じゃないよ、といったところになるのでしょうか。
で、この映画、そんな愛憎が入り混じった家族関係を描こうとしており、なかなか秀逸なエピソードやシーンもそれなりにあります。ただ、いかんせん、不要なシーンが数多くあって流れが渋滞しており、せっかくいい素材を捕まえて佳作が生まれそうだったにもかかわらず、ちょっと惜しい作品になっているように思いました。
この作品では、愛知県生まれで現在は夫とふたりの息子と滋賀県に住む作家の理子(演: 柴咲コウ)が疎遠になっていた兄(演: オダギリジョー)の急死の報を受けて彼が何年か住んでいた宮城県に行って諸手続き、葬儀を行ない、遺骨を引き取って帰宅するまでの数日間が描かれます。葬儀には理子の他に理子の兄(実は役名がなくてただの「兄」なんですね)の元妻の加奈子(演: 満島ひかり)と兄と加奈子の上の女の子 満里奈(演: 青山姫乃)、下の男の子 良一(演: 味元耀大)の計4人が参列します。兄と加奈子の数年前の離婚時に、満里奈は加奈子が、良一は兄が引き取ることになったようで、加奈子と満里奈は愛知県からやってきますが、兄といっしょに暮らしていた良一は遺体の第一発言者で当面は施設に預かってもらっているようです。
で、この葬儀前後の数日間の間に兄の姿がやたらと理子には見えるのです。まあ映画の中でのことですので、ありと言えばありなのですが、回想シーンならともかく、何回も「見える」のはさすがにくどいと感じました。理子は兄とひとつ屋根の下に暮らしたのは子供の頃です。子供時代の兄が見えるならともかく、成長したオダジョーが何回も出てくるのはオダジョー•ファンへのサービスなのでしょうか。ここ数年の理子にとって兄はメールでカネの無心をしてくる厄介な存在でしかなかった。理子に兄が見えるのはスーパーで焼きそばを買ってる姿の1回だけにして、理子がホテルでノートPCを開けると、兄からのメールが見えるというのはどうでしょう。「俺はこれからも理子の書く本の読者だよ。俺のことも書いてくれよ。その本の印税での儲けについては相談しようぜ」とかなんとか……
理子が子供の頃の兄を回想する、兄妹が夜に自転車のふたり乗りをして両親がやってるお店に出かけるシーンは多少ベタだけど悪くないと思いました。いいシーンもあるのですが、なんかエピソードの取捨選択と整理がうまくできてない感じです。たぶん原作にあったであろう(当方、原作未読です)上述の呪縛と支えという言葉が皮肉なことにこの映画を作ってゆく上での呪縛や支えになっている感があります。
いいなと思ったシークエンスは、主要登場人物4人で兄の思い出の場所巡りをするのですが、その際の上の女の子の満里奈の疎外感がちゃんと描かれているところ。幼い頃に父と別れた彼女には他の3人のような濃いめの感情はわいてこないんだろうなと思いました。
また、終盤の理子、加奈子、満里奈の3人が新幹線で移動して帰宅する際に、車内で理子が兄の遺骨の一部を加奈子、満里奈に「分骨」するシーンもよかったです。理子にしてみれば、これまで厄介者としか思っていなかった兄のことを「持ち運べるサイズ」にするための旅行をすることにより、兄がそんなに悪いヤツではなく幸せな人生を精一杯生きたんだな、これからはそんな兄の存在を反面教師にすることも含めて、今の家族と暮らすにあたっての心の支えにしてゆこうかなと思った上での行動かなと思いました。加奈子には「てのひらサイズ」の元夫が、満里奈にも「てのひらサイズ」の父親が行き渡りました。良一も含めての3人での新生活には「てのひらサイズ」までになった理子の兄の存在が心の支えになってゆくことでしょう。満里奈が弟の良一に対して、『海街ダイアリー』で夏帆演じる三女が広瀬すず演じる異母妹にお願いしたように、「お父さんのこと、いっぱい聞かせてね」とお願いする未来も見えるような気がします。
思い返せば、けっこう優しくていい人だったんだな。どうしようもない嘘つきのように見えるけど、むしろ裏表のない自分に正直な人だったんだなといった感じの理子の兄なのですが、結局は生活人としての彼は、新幹線での別れ際に加奈子が理子に放った言葉に集約されるということなのでしょう。
ということで、鑑賞後感もそんなに悪くないし、原作とは違う『兄を持ち運べるサイズに』というタイトルもけっこうセンスがいいと思います。でも、やはり不要と思われるシーンの多さが気になるかな。こら、オダジョー、そう何遍も出てくるなよ、と言いたくなります。人生の一断面をスパッと切り取ってサクッと90分で観せてくれる佳作が理想形だったのではないでしょうか。長いのを批判している私のレビューが長くなっていますのでこのへんで……
「家族は呪縛ではなく支えである」―
確かにこのスローガンはゴツゴツしていて、映画のソフトタッチからは浮いていますね。劇中2回も出てきて確かに違和感ありでした。
僕も原作は未読ですが、これは作者の原作の中でもしっくり来ない浮いたフレーズだったのでは?と後から想像しました。まるで呪文です。
でも理子は自分のパソコンに打ち込んだこのワードに取りすがっていたのかも。中野量太もそこ、汲み取ってやったのかも・・
ぜんぶ想像ですが。
映画ドット・コムのこのレビュー欄が、最近フォームが変わって、タイトルを書かなくても「タイトルなし」と表示されなくなりましたね。つまり、いきなり本文で書き出せるようになった。
自分のレビューに付けるタイトルには、いつもいつも七転八倒で頭を悩ませていたもので、「タイトルなし」と敢えて表示させる事も不可能になった新フォームには残念さも感じますけど、
”浮いたタイトル“で引っ込みの付かなくなった原作者の、”心模様“を勝手に想像してしまいました。
思いもしなかったレビューに出逢えるこのサイトは、(御プロフィールにも書いておられるように)目からウロコの連続です、僕の宝物です。
共感ありがとうございました😊
PS
僕のもいつも長くって、ホントすいません(笑)
ではまた共感作でよろしくです。
共感ありがとうございました。私も、「家族は呪縛ではなく、支えである」とは言い切る事は出来ないと思います。「呪縛ではなく、支えだったら、どんなに良いことだろう」家族に悩まされている者は、そういう気持ちになりますよね。
満里奈が疎外感を感じているという御指摘も、その通りですね、忘れていました。それは、満里奈が大家さんに「父が迷惑をかけて本当にごめんなさい」と謝っていたからです。確かに良い子ですが、父親の記憶がほとんど無いのにあのセリフは出来過ぎに感じました。
共感ありがとうございます!
自分には何をしているのか分からない「クズ弟」がいるので、もしも警察から突然電話が掛かってきたら理子みたいに平静でいられるか心配になりました。と同時に、自分が死んだときに子供たちに迷惑が掛からないように、そろそろ準備を始めようかなとも思いました。
全くご指摘のとおりだと思います。兄の姿が見えるのはあのスーパーのシーンで終わりにするべきでした。(実際、彼自身も別れを告げているのですし)
だからあのアパートでそれぞれに姿が見えるのは明らかにやり過ぎです。オダギリジョーのダメ男振りも心なしか斬れ味が悪くなった気も。太り過ぎでしょうか?
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