「「支えであり、呪縛ではない」家族の関係性について考えさせられる」兄を持ち運べるサイズに tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「支えであり、呪縛ではない」家族の関係性について考えさせられる
ちゃらんぽらんでだらしがないのに、どこか憎めない兄のキャラクターが強烈で、オダギリジョーの個性が、ピタリとそれにはまっている。
エッセイストである主人公が、その時々に思ったり、感じたりしたことが、画面のあちこちに、ワープロで入力された文章となって表示されるという手法も、分かりやすくて面白い。
兄のことをダメ人間だと思っていた妹が、兄の元妻や娘と一緒に、突然死した兄のアパートを片付ける中で、彼のことを見直していくという物語だが、同一人物でも、妹と妻では捉え方が違うということには、「確かにそうだろうな」と納得することができた。
実際、妹は、嘘ばかりついて金の無心をしてくる兄のことを疎ましく思い、はっきりと嫌っていたのだが、元妻は、必ずしも彼のことを嫌いになって別れたのではなく、借金癖のある彼から家庭を守るために、やむなく離婚したのだということが分かってくる。妻と暮らしている娘も、父親のことを嫌っていないし、父(主人公の兄)と暮していた息子の方も、貧乏暮らしはしていたものの、虐待を受けていた訳ではなく、父親のことを「好きか?」という質問には、はっきりそうだと頷くのである。
妹と元妻では、兄の「嘘」についての見解も異なっていて、「彼には人を騙すつもりはなく、結果的に嘘になってしまっただけだ」という元妻の指摘からは、兄の人間性が垣間見えるし、妹が嘘だと思っていた息子のピアノのレッスンや給湯器の爆発が、本当のことだったと分かる展開には、兄の正体が明らかになる面白さが感じられた。
そうした兄に対する認識の違いからは、生まれながらに血のつながっている親子や兄弟という関係性と、血のつながりはないものの愛情で結ばれている夫婦という関係性の違いのようなものも感じられるのだが、どちらの関係性にしても「家族」であるということには違いがない。
それは、切っても切れない「腐れ縁」のようなものなのかもしれないが、オープニングとエンディングで示される「支えであり、呪縛てはない」という関係性こそが望ましいということには疑いの余地はないだろう。
その点、死してなお、幻覚(脳内現象)となって家族の前に姿を現す、兄のとぼけた様子を見るにつけ、確かに、この男は、妹や、元妻や、息子にとって、「支えにはなるかもしれないが、呪縛にはならないだろう」と思われる。
その一方で、終盤の、新幹線の車内での分骨というギャグのようなシーンでは、兄が「突っ込み」を入れに出て来てもよさそうなのに、ここでも、あるいは、それ以降も、彼が姿を現さないところを見ると、妹たちは、空っぽになったアパートで、兄としっかり「お別れ」することができたのだろう。
おそらく、それこそが、呪縛からの開放ということなのだろうし、そのことが窺われるエンディングからは、後味の良さを感じ取ることができた。
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