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まるで、都会から離れた島で生活しているかのようにゆったりと流れる時間の感覚や、ピアノを主体としたBGMが心地よい。
海と島と橋が織り成す瀬戸内の美しい風景にも、心が洗われるような気分になる。
その一方で、高校の同級生だった3人を巡る人間ドラマのはずなのに、彼らと彼女が、何を考えているのかがよく分からないし、何よりも、「心の機微」のようなものが伝わってこない。
特に、主人公については、父親が遺した畑を継ぐことを頑なに拒否し続けているので、余程深刻な理由があるのだろうと想像していると、畑で写真を撮ってあげた父親が、次の日にそこで急死してしまったからだと分かって、「えっ、そんなことで?」と、拍子抜けしてしまった。もともと寝坊癖がある上に、そんな理由で畑仕事を忌避している主人公の姿を見ていると、単に仕事をするのが嫌なだけで、怠けているようにしか思えないのである。
主人公が、ヒロインのアパートを訪れて、玄関先で、お互いに「頑張れ」と言い合うくだりは、居合わせたスナックの女の子も良い味を出していて、本作で最も面白いシーンであったのだが、無職で不甲斐のない主人公には、本当に「お前が頑張れ」と言いたくなってしまった。
そのヒロインと、幼なじみの映画監督にしても、お互いに、相手のことをどう思っているのかがはっきりしない。
高校時代に付き合っていたのだから、今でも、相手への想いを引きずっているのだろうと想像していると、せっかく近くにいるのに、お互いに、会いに行こうとする気配が一向にないし、ひょっとすると、「大嫌い」と言い合っていたのは本気だったのかとも勘繰ったが、だとしても、その理由が思い当たらない。仮に、「自分の存在が、相手の幸せや成功を妨げる」と思っているのだとしても、それを納得させるような描写が一切ないので、「悲劇の主人公」の自分に酔っているとしか思えない。
最後の最後に、ようやくと、3人が一堂に会することになるのだが、結局、ここでも「大嫌い」と言い合うヒロインと映画監督の姿には、高校時代に戻ったというよりも、その「成長のなさ」に残念な思いを抱いてしまった。
「現実は、すべて映画だ」という台詞も、この映画の大きなテーマになっていて、実際、雨の撮影現場から実際の雨が降り出すまでのワンカットで、映画監督とヒロインの別れを描いたシーンや、映画監督と、映画の主人公を演じる俳優とが同一人物になっているシーンなどでは、現実と映画の境界線が曖昧になったような感覚が味わえる。
そういう意味では、海辺でのクライマックスの撮影中に、3人が、いきなり告白合戦を始めて、水を掛けながらじゃれ合うシーンも、「映画のような現実」を描こうとしたのだろうが、その、余りの唐突ぶりに呆気に取られてしまったし、「映画の撮影中に、そんなことをやっている場合ではないだろう」と突っ込みたくなってしまった。ここは、この映画のクライマックスでもあっただけに、感動するどころか、どこか空回りした感じを覚えてしまったのは、前述の「大嫌い」の言い合いと合わせて、残念に思えてならなかった。
そらから、呉や江田島という地名を聞きて、真っ先に思い出すのが、「大和ミュージアム」や海上自衛隊の基地、あるいは旧海軍兵学校なのだが、それらの風景が、まったくと言ってよいほど出てこなかったのは、どうしてなのだろう?
別に、ご当地映画だから、名所旧跡や観光ポイントを登場させなければならないという決まりはないし、特に、思想的な意図がある訳でもないのだろうが、それでも、その土地を象徴するような景色が映し出されなかったことには、違和感を覚えざるを得なかった。