ブルーボーイ事件のレビュー・感想・評価
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幸福を追求できることの重み
メイ(中村中)の諦観の裏にある苦しみ、アー子(イズミ・セクシー)の絶望と悔しさ、サチ(中川未悠)の悲しみと決意。それらを見るたびに泣いて泣いて涙が止まらなかった。
あまりに理不尽な扱い、人を人として扱わず、面白がってさえいる周囲の人間に反吐が出そう。トランスジェンダー問題とは少し異なるが、映画を見る直前、同性婚を合憲としてしまった高裁判決が、この事件から60年近く経っても出てしまう日本の司法や世の中に抗議したい。
被告人である医師の手術を「治療行為」で合法であるとの法律構成をするために、トランスジェンダーは精神疾患と主張する狩野(錦戸亮)は、彼女たちのことを全く理解していない。悪意はないのかもしれないが、「え?何がダメなの?」的感覚である。レクシスネクシス(海外の判例や法律を調べる検索システム)はおろかネットもないあの時代、アメリカの手術症例や裁判記録を探すだけでも気の遠くなる作業(チラッとそこを描写して欲しかった)。狩野はとんでもない労力と時間を費やして法律論として必死に構成したのは頭が下がるが、当事者である証人たちのことは、全く分かっていない。そんな彼が、サチの証言に涙し、幸福追求権を述べるシーンは彼が成長し、本気で彼女たちの幸せを願う人になったのだということが見て取れて、涙した。
そして、サチの全てを賭した証言に心を揺さぶられる。自分のことだけを考えれば証言台になど立たないほうが良いのだ。でも、アー子のため、他のトランスジェンダーのため、そして、自分の心のために修羅場に立つ彼女の言葉の重さ。皆が思うのとは違う幸せは、そこまで踏み切れた自分の中に信念と「これが自分なのだ」という確固とした自我を見つけた、ということなのだろうか?
ラスト、幸せそうに笑うサチを見ることができ、心から嬉しかった。
また、演技が初めてという中川未悠さんは、静かな中に感情が、込められており、その演技に心を打たれました。他の作品でも是非その演技を見てみたいです。
悲しくて切なくてやりきれない
身体は男性でも心は女性。
偏見の目で見られながも懸命に支え合って生きるブルーボーイ達。
性転換手術で告訴された医師の弁護を依頼させた錦戸亮もまた世の中の人達と同じように彼女達を偏見を持った質問をし、折角証人に立ってくれたあー子(?)が傷つき喧嘩で死んでしまう。
錦戸亮 本当に無神経で腹が立った。
どんなに後悔しても自分で言った言葉は取り消せない。あー子に絡んだたちの悪い酔っぱらいは逮捕されたのかな…。
あー子の「あの子たちが少しでも生きやすい世界にしたい」と言う思いを受け継いで自分の幸せを捨てて証人に立ったサチ。
切なくて涙が出た。
裁判の結果が出たあとおよそ30年、国内では性転換手術がされなかった事を初めて知った。
そういえば手術は海外でって聞いていたな。
今 性同一性障害の方は世の中で当たり前に認知されるようになったけど、日本で彼女や彼達が生きにくいのは何も変わっていないような気がする。そういう部分 日本って本当にダメだね…
時代の空気が不足。
1969年の松本俊夫監督によるatg作品『薔薇の葬列』。ピーターの主役デビュー作で、オイディプスをモチーフにした、新宿2丁目舞台の実験映画だった。スクリーンに映し出された、性倒錯が混沌した終末世界は、まさにワンダーランドだった。そんな1969年に、本作の『ブルーボーイ事件』の医師が有罪判決を受けていたのだ。
団塊の世代が青年(アオハル)で、造反有理の叫び声で、ガラガラと戦後の価値観を破壊していた時代でもある。この年、中学2年の映画ファンの小生は、10.21の騒動の中、日活名画座(現在は新宿丸井)で洒落たフランス映画に身を委ねていたことを思い出す。スクリーンのある5階から、余韻に浸って地上まで階段を下りると、肩を組み放歌する若い人々が目についた。高円寺の自宅へ戻ると、テレビでは新宿の燃える騒乱を伝えていた。
本作は、そんなアノコロの空気を纏った様々なエピソードのひとつだろう。とはいえ、昨今のLGBTポリコレ主張の、声高な理屈の悪臭がプンプンしてしまう。そりゃテーマは正義なのだろうが、類型的な二元論に仕上げているあたりが、気に食わない。
昭和の重くて閉鎖的な雰囲気を味わえました
知り合いがお勧め映画で紹介していたので観に行ぃました。昭和の高度成長期、これから経済も上向きになり皆が希望溢れ、希望や光がある反面、偏見や差別が『普通』の闇深い時代でもあり、その部分が上手く表現されていました。
正直、重く観ていて辛くなる、嫌な気持ちになるシーンも多かったです。それでも、サチ役の中川未悠さんが清楚で可愛らしく、凛とした演技をされていたので、最後まで観ることが出来ました。
後、サチさんの最後の言葉は考えされられました。
トランスジェンダーで無くても、職場や家庭で何かの役割を演じている所もあり、枠にとらわれすぎて苦しくなるって部分ある気がします。本当に、私は私、それだけなのですが、それが難しい。
素晴らしい
知らない俳優さん?ばかりだったが、特にサチさんの落ち着いた雰囲気、台詞回し、素晴らしかった。
まだまだ男性優位、女性の立場なんて低いあの時代。
手術を受けても女性になりたい気持ちは理解されなかっただろう。
彼の田舎のお母さんが頭を下げるシーン。
切なかったな。
最後の「私は私」。
きっぱりと言い切ったシーンは泣けた。
そして、最後の最後のシーン。
よかったよ〜泣
心から安堵した。
ブルーボーイ事件。
全く知らなかったが、観て良かったと思える作品だった。
わたしはわたし
映画の情報サイトを見て、気になって見に行きました。
自分の両親ですら子供の頃のお話で、LGBTQなんて言葉ももちろん無い時代。
トランスジェンダーの方が生きていくのは、今より更に大変だったことは想像ができます。
私個人は性別も性自認も一致しています。
男なのか女なのかなんてあまり、意識せずに日々生きています。問われることがないからです。
わたしはわたし、です。
劇中、サチが
「わたしはわたしです」
と言った時、そうだよ、そうなんだよね!と心の底から思いました。
ただ、自分を偽ることなく生きて、
それを誰にも咎められることなく生きたいだけ。
飯塚監督、主演の中川未悠さんはじめ、トランスジェンダーの方々が演じ、制作されたことで言葉の説得力がありました。
トランスジェンダーに限らず、
生きずらさを抱えている人には、胸に迫るものがあると思います。
華のある役者がほぼいないがとても良い作品
実際にあったことを基に作られた作品のようで今の価値観だからこそできる作品なのかなと思いました。
私が子供の頃はまだジェンダーなどという言葉はなくオカマ、ホモなどと言われてバカにされる対象でしたね。今でも私もオカマと普通に使ってしまいます。ま、そういう時代と価値観で育ってきたのでこの作品は見る年代によって捉え方は違うかもです。この作品の時代背景は私が生まれるよりもさらに昔の話なので錦戸くんが最初えらい酷い正論ぶちかまして当事者たちを傷つけて結果的に死人が出てしまうのですが、あの頃の価値観で考えたら異常者として見てしまうのが普通だったかと思います。なんならここ10年くらい前まではそういった価値観はまだ残っていたと思います。おねえキャラをバカにして面白がる風潮がありましたもんね。
やはりそういった意味では今の時代はそういう方々には生きやすい時代になったかと思います。
ストーリー自体もとてもよくできており、演者さんたちの演技も素晴らしいです。
特に主演の方や塚地風のオカマの男性、あとはお店で働く3人のうちのボーイッシュじゃない2人のオカマの方々もめっちゃ上手でした。
あと、見終えるまで誰かわかりませんでしたが中村中さん。あのキャラもめっちゃ良かったですね。ハマり役でした。最初嫌なやつなのかと思ってたら本当はちゃんと思ってくれていたからこそあの感じだったんだなーと。
あとは渋川さんは最近は夜明けのすべてやミーツザ・ワールドなどで優しいおじさんの役で出ていたイメージがあったので、今回も心優しいマスターかと思いきや終盤で「えー今回そっち系なの?」と残念でした(笑)
正直、錦戸くんと主役の方の夫役、渋川さん以外は知らない人ばかりで正直、華のある今をときめく役者さんが出ていないけれどこういった事実があったことを知るには必要な作品かなと思いますし、より多くの方に見てほしい素晴らしい作品だなと思います。オススメです!
あなたは今、幸せですか?
性別違和を抱える人達を救うべく適合手術を施した医師、その不当逮捕を救おうと闘う弁護士、そして当事者達と主人公。
幼い頃からその違和感に葛藤し、周囲には好奇の目で囃し立てられ、それでも生きるために必死で抗う彼女達。
クライマックスの法廷シーンでの主人公の熱弁に涙。
それにしてもあの弁護士の前半までの言動、あー子さんが亡くなるまで不躾けで不勉強過ぎるやろうと腹が立ち、胸が痛くなりました。
人に心がある限り、自分を規定する基準は変化していくものなのだと思った
2025.11.20 MOVIX京都
2025年の日本映画(106分、G)
1960年代を舞台にした、性別適合手術の是非を問う裁判の証言者たちを描いたヒューマンドラマ
監督は飯塚花笑
脚本は三浦毎生&加藤結子&飯塚花笑
物語の舞台は、1965年の日本・銀座周辺
警察当局は売春婦の一斉摘発に踏み切り、数十人の売春婦を逮捕するに至った
だが、その中には男娼と呼ばれる戸籍上は男性の女性たちが含まれており、当時の法律では罰を与えることはできなかった
そのうちの一人であるメイ(中村中)は刑事の取り調べで開き直り、それが当局を刺激することになった
警察幹部の神崎(岩谷健司)が検事の時田(安井順平)に事態の打開を相談すると、彼は「優生保護法違反」として医師を摘発すれば良いとして行動を起こしていく
メイをはじめとした複数人の性別適合手術を行なった赤城医師(山中崇)は逮捕され、その弁護人として狩野(錦戸亮)が抜擢される
狩野は手術を受けた当事者の証言が必要として、メイを含めた3名に声を掛ける
その中に、今は普通の生活を送っているサチ(中川未悠)という女性がいた
だが、彼女は表に出ることによって今の生活が壊れると考え、証言を拒否していく
狩野は「赤城が有罪になれば、控えている手術もできなくなる」と言うもの、サチは頑なに拒み続けるのである
映画は、メイの証言によって、「仕事上で有利に働くから」という悪い印象を与えていく様子が描かれていく
さらに次の証言に立ったアー子(イズミ・セクシー)の際には、精神的な安定を求めるために手術が必要だったという趣旨の発言が飛び出してくる
狩野は裁判に勝てば良いとスタンスで臨んでいて、それが当事者の心を蝕んでいく
そして、アー子は飲み屋でのサラリーマンの暴言におけるトラブルにて、帰らぬ人となってしまう
当時は生前なので詳細を知ることもないのだが、この裁判にて「合法」となった後も日本では手術が行われていなかったことが告げられる
裁判所は「手続き不足」という理由で赤城医師を有罪にするものの、リスクを取ってまで手術を行う医者はいないとされていた
結審から29年後にようやく日本でも行われることになったのだが、この時間を経て変わったのは、いわゆる世論というものなのだと思う
性自認問題に関しては当事者しかわからない部分があって、誰かが規定してきた「男性観・女性観」というものがベースになって、現在の性自認を決定づけているところがある
そうした中でギャップを感じているものはどうすれば良いのか、という問いかけがあって、本来ならば「適合手術を必要としなくても認められる社会になること」が望まれるのだと思う
映画は、かなり踏み込んだ内容になっていて、映倫区分Gで良いのかはわからない
裁判のラストでは、裁判長も弁護士も検事の暴言に異議を申し立て、証言を最後まで聞かせるように仕向けていく
これは、あの場において、サチを含めた当事者の気持ちが少しだけわかるような気がした瞬間であり、彼女たちの未来を奪う権利は誰にもないことを示している
日本国憲法第13条「幸福追求権」というものが裁判の決め手になっていて、そもそも男性における売春摘発が法的に整備が整っていなかったから吊し上げられたという背景があった
なので、本来ならば、「男女を問わずに売春は売り買い両方が犯罪である」と法整備をすることのほうが先であると言える
映画はそこまでは言及しないものの、そこに至ってしまうと、物語の根幹が壊れてしまうので排除したのかな、と感じた
いずれにせよ、法廷劇と言うよりは当時の価値観を引き摺り出して、現代の価値観との相違と変遷を見るような構成になっていて、人の気持ちは今も昔も変わらないものなんだと思った
軍国主義の教育で生きてきて、戦地にも向かった検事と、そう言った世界から切り離された弁護士では見解も変わってくる
それでも、国家の犠牲になるのが国民であると言う考えは違うと思うし、国民の生活の幸福の上で国家というものが国家たる形を維持できるようにも思える
また、この裁判では検事の個人的な感情というものがかなり反映されている部分があったと思うので、有罪ながらも合法と結ぶことになった司法はまだ生きていたのだな、と感じた
カルーセル麻紀さんがモロッコだったのはこういった背景があったから?
偏見や固定観念がより強かった社会では人と違う生き方がつらくなる。
50年以上前に比べれば個性を尊重する成熟した社会へと向かっているのだろうが、言い方を変えれば他人に干渉しなくなっているだけかも知れないなんて思ったりして。
現代では趣味や性的嗜好ではなく性同一障害という立派な病気であることが世に認知されているが、自分たちを病気扱いするなと半ギレするシーンは興味深かった。
当時はそっとしておいて欲しい程度のささやかな幸せを望む彼女たちだったが、法律上で認められ戸籍変更さえ可能になった現状を見たらビックリするに違いない。
映画として見ると脚本、演出、ストーリーは一切意外性がなく想像の域から全く出なかったが、配役においては他と一線を画すと言ってもいいくらいリアルで良かった。
知らない人ばっかだったしw
肯定される時代はくるから。
1965年、「ブルーボーイ」と呼ばれる性転換手術をした戸籍は男で女として売春する彼女達、当時の売春防止法では摘発対象外の為、性転換手術をした医師・赤城を逮捕し裁判にかけた話。(実話)
医師・赤城に手術された彼女達を証人喚問し赤城への判決と、男として生まれたが心は女の彼女達の心情と苦悩、彼女達なりの幸せの形を見せてく…。
当時は大変だったんですね。
周りの目は否定的で侮辱的、証人喚問で言われた“精神障害”とただただ作品を観てるこっちは悲しさと、彼女達の気持ちを理解しようともしない検察官、雑誌記事を見て否定する人間に苛立ちしか出てこない。
作品としては面白くもなく、つまらなくもなく、ただこういった事実があったってだけ。
まぁ、こういった過去があるから今現代自由が認められてるんですよね。
彼女達をちゃんと理解出来てない弁護士・狩野が徐々に彼女達を肯定していく姿は良かった!あと情がある様にも見えた裁判長も!
特に目立ったところはないけれど面白かった
ネタバレですか、ブルーボーイの親友が亡くなってしまうんですが、殺人になると思うので裁判だと思います。普通ならコチラに注力しそうです。全く描かれてません。
結果としては、手術自体を罪とは認められませんでしたけど、国内で手術は行えない風潮となった。
ある意味、検察の思い通りということです。
該当医師自身も執刀しなかったってことです。
前半、タバコのシーンがやたらと多い。
昭和ってそーだったなーと思い出しました。
タバコを吸わせておけば昭和に見えるでことか?
男 女 おかま じゃなく 人として
昭和40年頃の性転換手術の裁判からの映画。まだまだ性同一性障害など認識もされてない時代、検察官の言葉や回りの無理解な場面に非常に腹が立ったが、証言台に立つ主人公の言葉が胸に刺さる。男が、女が、オカマが、などは関係なく、一人の人間として、個人として如何に尊重され、如何に生きるか?を突きつけられた。心に響く作品でした。
人が人ときちんと向き合い生きてゆくなら避けてはいけないこと。
色々と考えさせられるのかと思って覚悟して観ましたが。
直球勝負のがっぷり四つ相撲の真っ向勝負でした。
正直昨今はLGB……なんちゃらかんちゃらありすぎてよくわからないし流行り廃りがあるのか本質よりも皮ばかりのような気がして好きではないんですが。
今作品では真正面から向き合い各々の気持ちや考え方やらを描いてくれています。
事件と言えば事件なんだろうけど問題点の改善が成されたのかと言えばそれほど改善に修正に訂正にとしていないように見えるほど進歩がないように思えるな。
裁判自体は医師側の敗訴になってしまい30年以上空白の時を生んでしまった。
臭いものには蓋するのが大好きな日本人らしい優雅な時間を過ごしてまったりとしてきたわけだ。
私自身はこの事件の起きた後に生まれ、至ってノーマルで身近にもこのような方々と接する事も考えることもなく生きてきた訳ですが………。
本質である『私らしさ』を真剣に考える、そしてどうしてゆくべきかを向き合いませんでした。
LGBTQ+に限った事ではなく一人一人の個人として、人間としての『私らしさ』の探究心。
環境がとか関係がないからとか一般的にとか男だから女だからとか………理由も自分の意思も言葉も持たずに考えずに流し流されていました。
ですか色々と知り見て聞いて考える時間が増えてゆくうちに疑問や視えない答えを探して渇いた気持ちをどうにかしたくなり映画という作品を通して考えや気持ちの在り方をまとめる様になりました。
いま自分自身が立っている世界線上には沢山の多種多様な他者がいることを認識し………そうただ単純に認識するだけで良いのです。
ルールも思惑も外観や価値観も余計な事は何もせずその人をキチンと認識すればいいのです。
つまらない感情は結局何も生みません。
そんなのを持っているから自分達自身で生きづらい世界を創り上げているのです。
理想論は実現に近づける事が、そして達成出来ると思えるから湧き立つのです。
妄想ではありません。
この作品はけっして特殊な問題提議ではなく誰もが行き着く人としての生き方を諭しているのです。
最後のシーンは泣けました
もっと裁判のシーンが多いと思ったのですが、時代背景、小物、服装、メイクなどとてもよく作られ、シーンも多く描かれている事で、より深みが増していきました。そして、性的マイノリティの方々が生きづらい世の中であった事が、クライマックスへとどんどん強くなっていきます。しかし最後の一言で、それが覆されました。心に響く一言でした。
60年前のこの事件をもう一度取り上げなくてはならないことが恐ろしい
1965年が舞台だが、
1964年の東京オリンピックの翌年
数年後に迎える(1970)大阪万国博覧会
汚いものは排除すべし、という空気の中で娼婦が過剰に排除される。
そこで取り切れなかった汚れがブルーボーイというわけだ。
劇中では男娼と語られる。
男性は性的搾取の対象とされず、男が身体を売ることを取り締まることができなかった
そこで優生保護法!
なんというこじつけ!
検察、国家の意地が恐ろしい。
国家観のために、逸脱を許せない人たち。
「あいつらの軽率、軽薄さが許せないんだ。」
「戦友たちに顔向け出来ない。」
「子を成す事ができる健全な身体でありながら、それを放棄するというのは無責任ではありませんか?」
彼女らは誰に迷惑をかけているわけではない。
にも関わらず、存在の不快さだけを理由に、嗤われ、優生保護法違反という難癖をつけてでも、排除される。
その憎しみの深さが恐ろしい。
軽く避けられるのではない。
憎しみをもって滅ぼしにかかるのだ。
そして一人殺されてしまう。
弁護士が自然に「彼女たち」と言ってくれているのが救いだった。
メイ(中村中)の、セリフが辛い。
「オカマだって死ねば焼くのよ。」
「バカかブスがどっちかに決めなさいよ。」
「こんなに不細工じゃ三途の川も、渡れないじゃないの。」
「そりゃ腹は立つわよ。でも何を言われても…」
強くなければ生きていけないのは、それはそれで何かが間違っている気がする。
それにしても中村中さん、最高!
60年前の話だが、今、何か大きく変わったのだろうか。
また60年前に戻りつつあるようにさえ思える。
今、この時代の空気感の中でまた、この問題が取り上げられなくてはならなかった不幸を思うと苦しい。
弁護士に善意がありながら、彼女たちを苦しめる前半が苦しい。
「今。私は幸せです。
でも皆さんが思っていらっしゃる幸せではありません。」
この溝が埋まる時代は来るのだろうか。
彼女たちの苦しみの複雑さが丁寧に描かれていて素晴らしい。
トランスジェンダーの人たちは身体の変更の問題があり、他のLGBの人たち以上に政治的に振る舞ってきた。
いち早く市議会議員に代表者を送ったのも彼等、彼女等であった。
むしろ一番政治的に成功していたはずの人たちであった。
それが今一番攻撃されている。
根深い。
タバコにべったり付く口紅
アーケードの商店街
ブラウン管のテレビ
巨大な、ステレオセット
昭和の空気観を出す演出は大変だったと思います。
ありがとうございました。
裁判は本当にあった事
来週から見たいやつが公開多いので、興味あるやつから見とかなきゃっと鑑賞‼️当たり作品でした😄。
今みたいにLGBTに配慮のない時代の事だから差別してる態度やセリフが刺さりました😥売春してたのはそりゃいけないが買う方も買う方だけど、そこより性転換手術が割と近年まで違法扱いに近い形だった事に驚きもありましたが裁判にまでなるとはこの作品見るまでしらなかった💧。
でもこの事があったからいずれですが緩和されて性別の自由(言えるかまだわからんが)が近年認められてるので、近い将来に(少しずつ認められつつあるが)正式に同性婚も認められると良いかなっと思います。
一番悲しかったのはイズミ・セクシーさん扮するアー子が亡くなって遺体が店にある時に、歪みあってた中村中さん演じるメイが来た時に死化粧をしてあげる所にさっきのシーンの事が見えて一緒に悲しくなりました😭。
アー子はサチをすごくよくしてくれたのになんでしばらくサチは連絡とってなかったんだろう❓の疑問は書いてて思いましたがこのシーンがすごい良かった。
これからOpenする店ってのもシチュエーション的にヤバかった。
サチは可愛かったですね、キャラ的に私的ですが安めぐみさんみたいな雰囲気とキャラだな〜って思ってました、シリアスな映画だから天然さはないけど終始見てて可愛かったですね、メイはすごく良かったですけどね☺️
この作品に錦戸亮さんが出てる事にも驚きでしたが内容と錦戸亮さんが出てるから足を運びたくなったので、素晴らしい作品に出てくれてありがとうですね😊。
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