「私はあなたの「150人」に入りますか」親友かよ KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
私はあなたの「150人」に入りますか
人間が覚えていられる友達の数は150人まで。このセリフは人類学の成果「ダンバー数」に基づいているようだ。この言葉に象徴されるように、本作は“記憶することの美しさ”と“忘れることの残酷さ”をめぐる物語だ。
主人公は高校3年生のペー。彼は、事故で亡くなった同級生ジョーを弔う映画を作ることで無試験での大学進学を狙っている。ところが実際にはジョーのことをよく知らず、偶然見つけたジョーの短編小説データをもとに物語をでっちあげる。そこへ現れるのが、本当にジョーと親しかった女子高生ボーケーだ。彼女はペーの嘘を見抜き、容赦なく告発する。しかし次第に二人は映画作りに引き込まれるようになる。
このボーケーちゃんがとにかく魅力的。刑事のようにペーを追い詰め、制作が始まると今度は“鬼監督”として主導権を握る。日本でいえば今田美桜さんみたいな、真面目さと意地悪さを併せ持つキャラクター。ボーケーがジョーを弔う理由には苦い過去がある。中学時代、仲の良さをからかわれ、ジョーの片思いの相手をみんなに暴露してしまったのだ。
やがて映画が完成に近づく頃、衝撃の事実が明らかになる。ジョーの短編は、病弱な同級生オームからの盗作だったのだ。ペーとボーケーは、学校全体の期待や進学をかけた映画を完成すべきか葛藤する。2人がいったいどんな答えを出すのか…。
冒頭の言葉のように、人間の記憶に限界がある以上、誰かを覚えておくことは別の誰かを忘れることにつながる。映画は、この残酷な真理をよく表現している。平凡なジョーにクローズアップすることは美しい行為のようでいて、別の誰か(オーム)を陰に追いやることかもしれない。ジョーのありのままを偽ることかもしれない。
だとすれば、ペーたちが「もう一つの映画」でジョーの人生を描くことは、誠実ではあるけれど物語の軸をぼかしてしまったと思う。「ジョーと本当に親友だった人生」「ジョーの告白が成功した人生」ではなくて、あくまで「いい人だけど忘れられたジョー」と向き合うべきだったのではないか。
私にとってはボーケーが一人で眺めていた、中学時代のジョーとの思い出の写真が今作のハイライトになった(ボーケーちゃん、歯列矯正中なのが微笑ましい)。ペーとボーケーが映画の仕事を目指すのは、制作陣好みのハッピーエンドだろう。でも2人が、2人だけのジョーに出会えるようなラストだったらよかったのにと思う。