「食べるシーンがとにかく多い」火喰鳥を、喰う トンまるさんの映画レビュー(感想・評価)
食べるシーンがとにかく多い
月に一度は映画館で映画を観る!!というノルマが(誰に言われたわけでもないけど)あって、今月もそろそろ終わるじゃん!!!?と、何か観ようと思ってたところ、そういえば気になっていたのがあった!!ということで、地元では上映場所が限られている中、レイトショーで観に行きました。
私、映画のお供は絶対バター醤油味のポップコーンなんです。
塩は後半塩味がきつく、キャラメル味も甘味がきついため、終始おいしく頂けるバター醤油を相方に、新作情報あたりからムシャムシャ食べ始めます。
飲み物はジュース系は氷が溶けると味が薄くなるので、溶けても気にならないウーロン茶にしてます(=゚ω゚)
なので、バター醤油味のない映画館では映画が観れない!!!(=゚A゚)塩かキャラメルしかない場所もあるので、全シアターに普及してくれと声を大にして言いたい!!!
というわけで、バター醤油(とウーロン茶)片手にスクリーンに足を運んだのだけど、劇場内の席を見ると、座っているのが何と女性ばかり。
宮舘涼太くん目当てかしら?と昔、女性専用車両に間違って入ってしまった時のトラウマが蘇りつつ、俺はバター醤油を食べに来たんだ!!否!映画を観に来たんだ!!と決して味と期待を裏切らないバターの風味と醤油の香りを噛みしめながら、じっくりと鑑賞しました。
一言でまとめるなら「パプワニューギニアで70年前に戦死した大伯父が生きていたら?」
という、ドラえもんのもしもボックスのような内容でした。
宮舘涼太くんのやけに芝居がかったセリフから推測すると「死んでる世界線」であるはずの現実が「生きてたら?」というもしもボックスへ語りかけたようなワードをトリガーに「生存ルートの世界線」に徐々に書き換えられていくという、それで生存ルートであれば本来生きていてはおかしい人間が整合性のために抹消されていくと。こんな感じなんかなぁ?
ブラックホールというワードが出てきたんだけど、ブラックホールの中っていうのが、全ての時間軸を行き来できる5次元空間なんだよね。
5次元空間からは重力のみなら干渉できるので、物を落とすとか、時計の針をちょっと戻すとか、そんなイタズラが出来るみたいですよ。
10年前にハミルトンのカーキフィールドという手巻きの腕時計を買った当時の自分にイタズラすることだって出来ると(=゚ω゚)いや、そんなことのためだけにブラックホール入りたくはないけども…
「喰う」というワードのためか、食事シーンがやたら多いなと感じました。
主人公の虫が苦手っていう設定が何か重要なのかなあとか、序盤の少女結局誰なんやろう?とか思いながら、中盤以降は、B級映画のような壮大なグダグダ感で進行しつつ、大丈夫かな…と不安を抱きながら結末まで観たのですが、結末を見て、お~なるほどと。
当初は貞市の執着によって変えられそうになってた世界と2者択一だったのが、ラストは登場人物たちの執着によって更に変化してしまうというか、宮館くんにまんまと乗せられて雄司がそうなるようにしちゃったというか、そんな捉え方でいいのかな?
それともラストで更に変化した貞市が生きていた世界が本来の世界で、家の戸にすがりつくカブトムシや墓の近くに少女の姿で立ってた貞市の孫にあたる千弥子の存在が「こっちが正解」とでも言うように思念を向けていたのか。
しかし、生存ルートの世界線で結ばれるためとはいえ、寄りを戻したいと考えている元カノを殺害してしまうとは、生きている人間の執着が恐ろしいとはよく言ったものですねぇ。
私も食うことに執着していたのか、映画の後半くらいにはポップコーンが空になってました。
バター醤油、美味なり。
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