「エンドロールまで観て完成する作品」火喰鳥を、喰う ソラさんの映画レビュー(感想・評価)
エンドロールまで観て完成する作品
原作既読。4回鑑賞しました。
鑑賞者によってかなり賛否両論になる作品だと思います。
1回目は、ラストの展開や悪夢の内容、千弥子と雄司との会話、北斗が久喜夫妻の味方だと思わせる過程のシーンがカットされていることなど、原作との違いが気になりモヤモヤしたまま終えました。原作既読でこの状態なので、未読の方はかなり厳しいのではないかと思いました。
キャストのみなさんの演技は素晴らしく、だからこそ尚更ストーリー展開が気になりました。
2回目は舞台挨拶中継回で鑑賞。全体の流れが分かっているので、自分の疑問に関する細やかなところまで観ることができ、理解度が深まりました。1度目は少しわざとらしすぎるのではないか…と思っていた宮舘涼太さんの演技も、あれだけ浮くような佇まいだからこそ北斗の強烈な異物感を最後まで感じたままでストーリーが進んでいくためのスパイスだったのだと分かりました。自分の狙いに乗せるため、饒舌に語る北斗を見事に演じ切っていて怪演かと思います。ただ普段テレビで見ている“舘様”の姿と重なるところがあるので、演技と思われないのは少し残念ですね。これからに期待したいです。
舞台挨拶での監督の「今までにない映画にしたかった」とのお話をお聞きして、ホラーともミステリーともSFとも恋愛系ともハッキリと判別できない不思議さ・気持ち悪さは、監督が狙ったものだったのかと膝を打ちました。ジャンルのことでつべこべ言うべきではない作品なのだと悟り、そこに関してはスッキリしました。
その後、いろいろなレビューや考察を読み漁り、やはり気になって3回目。この時は主題歌「化け物」をしっかり聴き込んで臨みました。この主題歌が映画の世界観と合わない、とのレビューをたくさん見ましたが、私はこの曲があってこそ完成する作品だと強く思いました。歌詞を読み込むと、これは北斗のことを言っている曲なのか?と最初は思い、しかし聴けば聴くほどすべての登場人物に当てはまるものだとの想いに至りました。それは登場人物だけでなく、観ている私たちの中にもいる『化け物』へ目を向けさせる、その化け物と生きていく孤独は形は違えど誰の胸にもあるのではないか…と思うと、この曲が主題歌である意味が分かります。実際にエンドロールで流れる時、北斗役の宮舘涼太さんのお名前が表示されるタイミングの歌詞が
“I kiss me. I kiss me.… I kill me. ごめん…”
なのが、偶然なのか狙ってなのか…あまりにもよくできています。
北斗によるNTRという捉え方はあまりにも浅すぎる気がします。北斗にとって夕里子は自分を理解してくれる唯一の存在。きっと彼女を失うことは自分を失うこと。だから愛情など超えた純粋な(という言葉もおかしいが)執着。だからこそだれよりも純度が濃く強い執着になったのだと。
こういう発見ができるのは、複数回鑑賞したからこそかと。
4回目は副音声コメンタリーで。基本的に水上さん、山下さん、宮舘さんの楽しい会話が弾む副音声ですが、ラストあたりで水上さんが「時間軸という意識より、雄司の深層心理と捉えて演じた」というようなお話をされていて、時間軸と捉えると生じる矛盾や疑問がスッと腑に落ちた気がしてスッキリしました。時間軸や世界線などごちゃごちゃ考えるより、人物の気持ちにフォーカスして観る方がよっぽど分かりやすいのか、自分で難しい見方をしていたのか…観る視点も新しさが求められる映画なのだなと改めて思ったので、また近いうちに5回目の鑑賞に行くつもりです。
1度目で投げ出してしまいたくなるくらい“よく分からない”と思われてしまう作品なのが、本当にもったいないです。噛めば噛むほどビミナリな作品なので、ぜひ複数回観ることをお勧めしたいです。
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