ホランドのレビュー・感想・評価
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知らないほうが幸せなこともある
終始不思議な感じだったけど・・・
妄想で加点してみた
とても奇妙な作品
確かにサスペンススリラーではある。
しかし、その着地点と登場人物たちに残る違和感が拭いきれない。
違和感…
この作品から感じるのは、見終えても続く違和感だ。
冒頭、オランダ調の町ホランドの祭りと民族衣装の写真
そこに映る主人公ナンシーの笑顔は、少々不気味で怖い。
写っているのは本心ではなく、作られた笑顔。
この彼女の笑顔から感じる違和感。
物語では、それが暗示となってひとつのストーリーを形成しているが、「実は」という見方もできなくはない。
ここがこの作品の新しさかもしれない。
二重構造 隠し扉の向こう側
物語は、
夫フレッドの言動と持ち物との齟齬から、彼の浮気を疑い始めたナンシー
すべての出発点がここにある。
さて、
冒頭のシーンで、ナンシーの真珠のイヤリングのひとつがなくなったことで、息子ハリーの家庭教師キャンディを疑う。
これは客観的な視点を持つ視聴者を罠にハメたシーンだ。
しかも二重にハメている。
このシーンは、ナンシーという人物の人柄をこの物語の基本構造に置くことで、表面上の物語の大どんでん返しを演出している。
しかし同時に、こここそこの物語の真意が隠されているように思えてならない。
そして、ナンシーと同じ高校教師のデイヴ
彼は紳士的でその視点は視聴者に近い一般人だろう。
彼がナンシーに言った「君は理想の生活を手に入れた。そして何ひとつ犠牲にしていない。僕とのこともスリルを楽しんでいるだけだ」という言葉は、ナンシーという人物をうまく表現しているとしか思えない。
ナンシー
最初の写真のシーンからそうだが、彼女はいったい何者なのだろう?
キャンディへのレッテル
ハリーの言葉「いつもどうでもいいことで僕たちの生活をぶち壊しちゃう。本当にむかつく」
夫に対し浮気を疑う。
いつも何かに疑いの目を向けているのがナンシー
このホランドにいるということがナンシーにとって最高のステイタスなのだろう。
ナンシーは同じ高校教師のデイブと仲良くなっている。
相談事はすべて彼に話している。
なくなった真珠のイヤリングの相談
その話の最中に挟み込まれたスクールバスの運転手のこと 「酒臭いと密告された」という意味。
また、
フレッドはナンシーを愛している。
ハリーは母より父が好きなのかもしれない。
おそらく、
ナンシーがホランドへ来てからフレッドと出会って結婚したのだろう。
彼女は当時非常に精神的に不安定だったことをデイヴに話している。
それが一体どんなもので、どれだけ心の闇があったのかは明かされていない。
彼女の心がそれを封印しているのだろう。
物語は、夫の浮気調査から始まって連続殺人事件に発展してしまう。
ところがどうしても納得できない。
違和感が払拭できない。
では、
この作品を一風変わった視点で考えてみた。
「彼女がその名を知らない鳥たち」の型を使って想像、妄想して見た。
それ故、以下はすべて私の妄想で作品の中にそれらは基本的には描かれてない。
ナンシー
彼女はこの街の素晴らしさに惹かれるようにどこかから引っ越してきた。
しかしそこは旅行者であればよかったが、住むには問題があった。
よそ者は一切受け付けないのだろう。
この街の正体
ナンシーは嫌がらせを受けるようになったことで精神状態がおかしくなった。
しかし、彼女を好きになった男がいた。
それが眼科医のフレッドだった。
ナンシーはサイコパスになって、嫌がらせをする者たちを次々と襲って殺害したのではないのだろうか?
その後片付けをしながらすべてのことをクリーンに始末してきたのがフレッドだったのだろう。
だからいつも「リセット」できた。
そのおかげで彼女と結婚できたのだろう。
昔からそうだったのかどうかわからないが、サイコにスイッチするナンシーの視点をハリーは敏感になっていたのだろう。
そのナンシーの言動は息子ハリーにとっても辟易するほどだ。
フレッドの愛も異常ではあるが、どうしてもナンシーとハリーを守りたかったのだろう。
ここに「彼女がその名を知らない鳥たち」を見た。
何度も何度も「リセット」された出来事だったが、ナンシーの中では既にどうしようもなくなっていた。
それがデイヴと仲良くなったきっかけになったのではないだろうか?
そもそも街を出ることが「出口」だったわけだが、街を出られない理由こそ彼女の仕出かしたことと夫の後始末で、その夫が住むのを望んだ場所がホランドだった。
彼女がすでに犯した殺人を夫が証拠隠滅し続けた。
夫が好きなこの街を出ることはできない。
自分もこの街が好きだと思い込んで生きるしかない。
この絶望
悪夢のローテーション
彼女の世界はある意味悪魔とした契約のようで、ホランドに住む以外できなくなっていた。
ナンシーとは、自分がしたことをすべて忘れ去る特徴を持ったサイコパス。
夫も、非常に冷静かつ冷淡な殺人鬼で、現状の生活を守ることだけを考えて生きている。
そのために欠かせないのがナンシーとハリーの存在だろう。
物語は、
デイブが見たフレッドの死体解体現場をモーテルに逃げ込んだナンシーに打ち明ける。
当初デイブは見たことをそのままナンシーに言えず、フレッドが死んでいれば何も言わない方がいいと思っていた。
フレッドはデイブとナンシーの話をよそにハリーを外へ出した。
彼が必死に家族を守ろうとしていたことが伺える。
ナンシーにも「失望したよ」と言いながらも決して暴力や威圧的になどならない。
ナンシーのために、ハリーのために何でもする覚悟のあるサイコパス、フレッド。
彼らの生活を守ることを使命としている。
このような特徴のサイコパス。
しかし、
既に限界に達していたサイコパスのナンシーに必要だったのは、街を出ることだったのだろう。
自分がしたことすべてを忘れ去り、すべてフレッドがしたことに置き換えている。
普通の紳士的な男デイヴ
彼は好きになってしまった人妻ナンシーの要望に応えようと必死になってフレッドの浮気の証拠を写真に撮ろうとする。
そして見てしまったフレッドの所業。
エンディングでナンシーはデイブとデュエットするようにナレーションで「出口を見つけた」と語るが、同時に「あれは現実だったのか?」ともいう。
ナンシーはきっとあのジオラマの世界から抜け出すことなどできないだろう。
そしてデイヴは新しい街で、ナンシーの正体を知ることになるのだろう。
そして、
この二重構造こそこの作品の面白さであり新しさなのかなと思った。
でもすべては私の妄想です。
『ミセス・ダウト』シリアル・ママ
ちょっとズレてる周波数・・・
観客を常にズレた世界へ引き込む独特な作品だ。
ズレていると言っても、
それは単なる不協和音や混乱ではなく、
計算された美学と心理的な緊張感から生まれたものだ。
この「ズレ」がどのように現れるのかを探ると、
ストーリーの進行、
登場人物の言動、
さらには映像技術に至るまで、
すべてが微細なアンビバレントを内包しながら調和(とはいえない)していることがわかる。
映画全体に漂う異常さ、
そしてそれに対する驚きは、
シンプルな「理解できない」という感覚から生まれる。
しかし、感覚的にズレていると感じても、
ストーリーはしっかりと引き込む力を持っており、
観ている者を最後まで惹きつける。
その理由は、
映画のビジュアルと演出の絶妙なバランスにある。
ジオラマと現実世界を織り交ぜたカット、
車や風車を巧妙に繋げる映像、
さらにはジオラマ内の人形とニコール・キッドマンという対照的な存在を見せることで、観客に視覚的にズレた世界観を印象付ける。
そのズレを物語の中で解明する手法は、
ただの不安感を与えるだけではなく、
観客に深い意味を考えさせるものとなっている。
特にニコール・キッドマンの演技には注目したい。
彼女は、
まるで映画「ミセス・ダウト」を観ているかのような(実際に観ているシーン有り)、
ちょっとしたコメディー要素を感じさせるものもあれば、
シリアル・ママ風の不穏なカット(上記のロビン・ウイリアムスの女装がシリアル・ママ風)もあり、
まさに「ズレ」を具現化する存在として機能している。
その不安定さが、ストーリーの後半からさらに強調され、
物語の進行がますます予測できない方向へと進んでいく。
また、プロットが中盤以降に意図的にズレを見せる展開には賛否が分かれるだろう。
突如として物語が予想外の軌道を辿り始め、
登場人物の行動や感情が極端に変化する。
しかし、そのズレが映画全体の魅力を高め、
観客に強烈な印象を与えるのも事実だ。
シナリオ、撮影、照明、美術、演技、
すべての要素がこの「ズレ」を支えるために、
高い技術を駆使しており、
その結果として観る者に独特の世界観を植え付ける。
この「ズレ」が意図的であり、
映画のテーマやメッセージを、
さらに際立たせる手段として機能していることを考えると、
その大胆な選択は賞賛に値すると言わざるを得ない。
ホランドへようこそ
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