THE MONKEY ザ・モンキーのレビュー・感想・評価
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お猿のバナナを食べたら
オズグッド・パーキンス監督。
前作「ロング・レッグス」がとっても上手い映画だった。今回は原作スティーブン・キング、製作ジェームズ・ワン、という布陣。
予告と特報は、「死に過ぎちゃって『笑える』ホラー」ということなのだが、キングとワンにその要素はあまり感じられないが、「ロング・レックス」をこき下ろした面々がこぞって、「今年一番笑えた」「こっちのほうがセンスある!」とまあ、手のひら返しで大激賞。
いいのか?たかがホラーだぜ、お祭り気分じゃなくて、ちゃんと期待していいのか。
「THE MONKEY ザ・モンキー」
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少年期から大人へ物語が進行する、「IT」、「ドリームキャッチャー」(これは大好き)などのキングのお決まりのフォーマット。少年期のトラウマが大人になっても克服できず、どう対処するか。というもの。
パーキンス監督自身が話すように、彼の両親は紙面を飾るような死因で亡くなっている。本作を監督するにあたり、
「両親の、こんな非常識な死は誰にでも起こる。その考えにアプローチする最良の方法は、笑顔で取り組むことかもしれない」
とコメント。(映画では「踊る」と表現してたね)
前作でニコラス・ケイジも母の苦しむ死に際の姿を役作りにした、ということが思い出された。彼らのその生き方、そして「ホラー」という低俗な映画に捧げる姿勢に感服する。
ところが、残念なことに「お笑いシーン」が笑えるものになっていない。
本作のテーマがパーキンス監督自身が気負ってしまいそうなものだから、逆に力を抜きすぎた感もあるが。
「オーメン」、「ファイナルデスティネーション」シリーズに代表される「ピタゴラスイッチ」な葬り方は細かい描写があってこそ、笑える。「過程」があるから笑える。「あり得ない」で片づけるのは一緒だが、あれが転がって、ああなって、と製作陣は真剣に考えているのが分かるから、ドキドキし、笑えるのだ。「ファイナル」シリーズなんて、こっちが、と思ったら、あっちが昇天した、という外しもあるし。
双子の少年期からの仲たがいとか息子との関係とか、キングにはあるあるだが、全然要らない設定。前半はまだこの双子の関係が面白かったのだが、後半こっちに引っ張られ、お笑い要素をさらに引っ込めてしまう。
ちぎれた足を明らかにスタッフが投げている、という舞台裏が見えるのは面白かったりしたが。蜂のシーンとか、うまくやれるのって、サム・ライミぐらいじゃないか。また街の遠くで煙が立ち上がっているのも、急に世界を終わりっぽい感じ(この辺もキングっぽい)もいいんだけど、うまくエスカレートしていない。
ただし、一番マジで声に出して笑ったシーンがある。いじめっこの女子たちが大量のバナナを運んでくるところ。
バナナをsuckしたら、いつでも、どこにでも、どんな形でも「死」が見守っていることに気づく。
追記
主役ももう少しかな。ニコラスがもうちょい若かったらなあ。
音楽が楽しい、笑えるホラー🐵
ファイナル・モンキー・デスティネーション
双子の兄弟ハルとビルが父の所持品から見つけたゼンマイ仕掛けの猿のおもちゃは、背中のソレを巻くたびに周囲で惨劇を引き起こす呪物だった。家族や周囲の人々が次々犠牲となり、兄弟は猿を井戸に放り込んで平穏を取り戻すが、それから25年が経ったある日、恐怖が戻ってくる…という映画。
ホラーの帝王こと、スティーヴン・キング原作の本作品は王道的ホラー要素を押さえつつも、ブラック・ユーモアを感じさせるコメディへと大胆に舵を切っています。全体的には「ファイナル・デスティネーション」シリーズを彷彿とさせる「死のドミノ倒し」を楽しむタイプの作品で、「次は何が起こる?」と身構えつつも、あまりにもド派手でシュールな人々の死に様に思わずニヤケさせられます。
ホラー好きなら楽しめる一作です。シリアスに怖がるよりは、ポップコーン片手に“死のドミノ倒し”を眺めましょう。
スプラッター好きにはおすすめ
設定は魅力的
名作家による原作、鬼才による監督・脚本で紡ぎ出される“虚無”
【イントロダクション】
スティーヴン・キング原作。“太鼓を叩くと誰かが死ぬ”という曰く付きのサルの人形を巡るホラー・コメディ。主演は『ダイバージェント』シリーズ(2014.15.16)のテオ・ジェームズ。
監督・脚本は、『ロングレッグス』(2024)でスマッシュヒットを飛ばした鬼才、オズグッド・パーキンス。原作は、スティーヴン・キングの短編小説『猿とシンバル』。
【ストーリー】
1999年のある夜。骨董店をただならぬ様子で1人の男性、ピーティー・シェルバーンが尋ねた。彼はゼンマイ式のサルの人形を売却しようと店主に掛け合うが、突如サルが太鼓を叩くと、連鎖反応で店内で売られていた銛銃が店主の腹部を射抜き、内臓を引き摺り出した。
ピーティーは忌まわしい人形を処分すべく、店内にあった火炎放射器で人形を焼き払うが…。
ピーティーは失踪し、妻のロイス(タチアナ・マスラニー)が双子の兄弟、ハルとビル(クリスチャン・コンヴェリー)を育てる事になる。高圧的な兄のビルに対して、内気な弟のハルはいつも言うことを聞かされていた。
ある日、双子は父の遺品整理の際、蓋の表面に“Like Life(命が好き)”と書かれた青い箱を発見する。箱を開けると、そこにはゼンマイ式のサルの人形が入っていた。彼らが人形の背中のゼンマイを回すと、その日の夜にベビーシッターのアニーが鉄板焼きレストランで首を切られて死亡する。
ビルは学校でもハルを虐めており、ビルの話を聞いた彼の同級生達からも度々虐めを受ける。我慢の限界に来たハルは、人形のゼンマイを巻いて兄を殺すよう願う。しかし、代わりに倒れたのは母ロイスであった。彼女は天文学的確率で動脈瘤を発症しており、人形が殺す相手を選ぶ事は出来ないと悟ったハルは、人形をバラバラに切り刻んで捨てる。
双子は伯母のアイダと伯父のチップ(オズグッド・パーキンス)夫妻の元に引き取られる。しかし、処分したはずの人形が再び彼らの前に姿を現す。ビルは人形の呪いが本当なのかを確かめるべくゼンマイを巻き、後日チップが狩猟の際に暴走した馬に踏み殺され、無惨な遺体となって発見される。
双子は人形を封印すべく箱に閉じ込め、家の近くの井戸の底に葬った。
25年後、大人になったハル(テオ・ジェームズ)は人形の呪いを避けるべく、なるべく人と関わり合わないように生きてきた。しかし、それでも彼は結婚し、妻と息子のピーティー(コリン・オブライエン)とは距離を置いて生活していた。兄のビルは母の死後性格が変わってしまい、消息も分からなくなっていた。
妻は父子教育書のベストセラー作家、テッド(イライジャ・ウッド)と再婚を決意し、親権をハルから引き離そうとしていた。ハルは残り少ない時間をピーティーと共に過ごすべく、モーテルに宿泊する。すると、疎遠だったビルから連絡が入り、伯母のアイダが亡くなった事、原因がサルの人形が戻って来た事にあるのではないかと考え、ハルに伯母の家の遺品整理を命じる。直後、モーテルのプールにやって来た女性客が感電したプールに飛び込もうとして爆死した事で、ハルは人形が戻って来た事を確信する。
ハルはピーティーを連れ、伯母の自宅へと向かうが…。
【感想】
スティーヴン・キング原作、『ロングレッグス』の鬼才オズグッド・パーキンス監督・脚本とあり、密かに楽しみにしていた。
結果は、ひたすらに虚無。凪の状態だった。鑑賞中、幾度となく睡魔に襲われた。98分というコンパクトな尺であるにも拘らず、鑑賞中何度も「あとどのくらい(上映時間)残っているのだろう?」「早く終わってくれないかな」と思ってしまった。
目の前に座っていた大学生らしき3人組の男の子達は、物語が進むに連れてぐったりと座席に沈んでいき、その中の1人は眠ってしまってポップコーンとドリンク用のケースを落とす始末。
とにかく物語として盛り上がらず、メインとなるサルの人形の呪いによる荒唐無稽な惨殺描写もコメディとして楽しめたのは序盤まで。骨董店での店主の内臓引き摺り出し、チップの馬の大群に踏み潰されてベリーパイ状になる描写等は新鮮で楽しめたが、アニーの首斬りやプールの爆死は馬鹿馬鹿し過ぎて乗り切れず。というか、プールに入って感電死ならともかく、爆死はないだろう。
ホラー・コメディとして、この人形の呪いによる惨殺描写には期待していたのだが、思った程回数があるわけではなく、それを楽しみに鑑賞する事も難しかった。
「ハルがゼンマイを巻いた事により母が亡くなったのではないか?」と疑うビルが、25年間母の死から立ち直れない「時間が止まってしまった人」として描かれるのは分かるが、彼の理不尽な復讐心には共感出来ず。
かと言って、息子を守ろうとするハルとピーティーの、ハリウッド脚本の教科書通りな「親子愛」描写もイマイチ。
ビルに雇われ、父親を探す地元の男リッキーの存在は完全に意味不明であり、大量のスズメバチが口内に侵入して死ぬという最期も馬鹿馬鹿しく退屈だった。
結果、全ての登場人物に対して「どうでもいい」という感情しか抱かなかった。
人形の呪いに関しても、あくまで「偶然」という塩梅から出ないよう努めていたにも拘らず、終盤は明らかに人形の呪いによって街一つが崩壊するにまで至り、偶然の範囲からも逸脱してしまったのも残念。
ラストはヨハネの黙示録にある青白い馬“ペイルホース”と死神まで登場し、とことん下らなく幕を閉じる。この作品のテンションを象徴する存在ではあるが、この辺りでは「ようやく終わる」という感情しか芽生えなかった。
【総評】
ホラー・コメディとして楽しもうにも、共感出来ない登場人物や凡庸なストーリー展開が悉くノイズとなり、結果的に酷く退屈な1作であった。
よくある事故
ある日ふとベタな事や、いつもなら却下するようなアイデアが面白いと感じることがある。いわゆる一周回って面白いというやつだ。
本作にはそんな「一周回って面白いでしょ?」という製作陣の声がスクリーンからビンビンに伝わってくるのだが、いや面白くないから。
まあよくある事だし、作品自体も酷くはないので、もし今ホラー映画に対して一周回ってるなって感じてる人がいるなら、映画館に行くのもアリなのでは。
それと作品内でキーとなる猿のオモチャをめっちゃフェッテシュに撮っていて、ホラー描写よりもこちらの方が断然良くて、観終えたあと猿のオモチャが欲しくなる事必至であり、90分猿のオモチャだけ見ていたかった。
“サイアクだ”。
遠い昔、「キング原作の映画は間違いなく駄作」と言われていた時代があった。
(むちゃくちゃ昔ね)
その“伝説”を再び蘇らせたのが、この映画、、、と思わせるにふさわしい出来栄え。
コメデイホラーと書いてあったので、そう信じて見始めた。
だが、しかし・・・
予告編にあったヘアカラーを山盛り巻いたおばはんのように、
人々が滑稽に死ぬ=その不条理な死を
観客も傍観者的に安全地帯から笑い飛ばすものと思っていたが、
どの死に方も中途半端というか、パンチ(死語)がない。
なら、
主人公の男が何をしても周りの人たちが勝手に死んでいくのを
止められない諸行無常を、観客が「笑わなしゃーない」と思わせるのかと思ったが、
これも主人公その他に関わる設定が煩雑で中途半端。
人にゆっくりと死が迫るように(実は迫らなかったり予想外な展開したり)にしたら、
ファイナルデスティネーションのパクリだしな・・・と思ったり。
で、いちばん“サイアクだ”ったのが、ちっとも怖くなかったこと。
劇場は小さめのハコだったからかもしれないけど、そこそこ人が入っていた。
さてこの中で何人が、
自分と同じように「けっ、猿芝居かよ」と思って出ていったのだろうか。
キング原作(正確にはキングが別名で書いたパックマン名義作品)の映画が、
「死のロングウォーク」「ランニング・マン(日本での書籍名:バトルランナー)」と続く。
どうなんだろう?
キングは好きだから見るつもり(特に「死のロングウォーク」は期待)だが、
心配になってきた。
ジェームズ・ワンさん、ちゃんとプロデュースしてよ
バカバカしいのとテキトウなのとは違うので
蜂の襲撃、遅い!なかったら眠りの中。
原作はちょっと、オモシロイのかもしれない。
スプラッター描写も端的でわかりやすくショッキングでいいのかもしれない。
ただ、やはり、この監督の、
間やタイミング、チョイスする音楽、笑うに笑えない寒いコントみたいな感覚、センス、
前作もそうだったが、今ひとつハマれない。
(レッドフォード追悼中で、レビューを以前書いた数作品も毎日観ている。
レッドフォードの作品はしっとり感動系やシリアスなモノばかりなので、
『ヒックとドラゴンIMAX版』や『ミュート・ウィットネス デジタルリマスター版』等は刺激になった。
サッパリ爽快になるようにホラーならレッドフォードへの喪失感を忘れられるかと本作をチョイスした。
レッドフォードを僅か忘れたがアクビが3回出て、
いきなり睡魔に襲われ、蜂の襲撃で目が覚めた。
遅いよ〜。)
素晴らしいのは猿玩具のデザインだけ??。
あのお猿玩具のポスターに魅せられて思わず見に行ってしまいました。
脚本は終始、人間関係や太鼓猿に対する説明が中途半端で意味不明に感じました。
劇中、大勢の登場人物が次々と惨殺されていくという情報でしたので『13日の金曜日』の様な特殊効果を期待していましたが、余韻も味わいもないファイルデスティネーションの様な雑なCGによる瞬間芸ばかりだったのがとても残念に感じました。
その昔、劇場未公開のホラー作品をレンタルして散々時間を無駄にした経験から、映画会社の方が劇場公開に踏み切った作品ならある程度の水準はクリアしているはず・・・という淡い期待はもう抱かないことにしました。でもあのお猿さんのグッズが発売されたら絶対に買いに行ってしまうと思います(笑)。
続編を製作する余地は、いくらでもありそうな作品なので次回作に期待!?したいと思います。
全75件中、1~20件目を表示
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