ルノワールのレビュー・感想・評価
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「ナミビアの砂漠」と「かぞかぞ」を足して水で割ったような
冒頭にゴミに出す為に紐で梱包された「FOCUS」と「FRIDAY」が登場して終わりの方で鵜飼いを映したシーンがあるので「FRIDAY」で刊行された昭和59年以降の岐阜が舞台なのは分かる。当時の小道具を集めるのは大変だったろうな、とは思った。登場したビデオがVHSだったので「ふてほど」で昭和61年の小川家にあるデッキみたい。ベータを使うのはSONYがスポンサーでないとダメなのだろうか?「カムカム」のように「ノストラダムスの大予言」を登場しなかったが主人公はオカルト番組のファンなのが当時らしい。それと郵便受けに入った伝言ダイアルのチラシを使うシーン。いいと思ったところはここだけ。
しかし内容は主人公の小5の女の子と両親(主に母親役の石田ひかり)との間で作品内の視点が何回も変わる上に抽象的で分かりにくいシーンが多過ぎる。これで河合優実との共演が8回目という中島歩の役どころが「ナミビアの砂漠」と同じ精神科のカウンセラーだ。石田ひかりの夫の訓覇圭プロデューサーが制作統括の1人だった「かぞかぞ」ではマルチの福地桃子と七実の亡父役の錦戸亮が登場するシーンも見ていて楽しいのに「かぞかぞ」くさいシーンが非常に陰気臭い。事務所が売り出したい女の子を「RoOT」の2人に加えて河合優実が出演した「17才の帝国」と「かぞかぞ」のプロデューサーの奥さんを組ませた映画に見える。
鈍牛倶楽部が制作に関わった映画でも河合優実が主演の「ナミビアの砂漠」は分かりにくいが許容範囲に入っても金子大地が所属するアミューズが制作して堀田真由が主人公の「バカ塗りの娘」のような鑑賞出来る映画を制作してほしい。
内容を知らずに見ると寝る羽目になります
”PLAN 75”の監督だから、なにか問題提起した作品だろうくらいの予備知識で観たら・・・あれれ
小六の女の子の日常と家庭の話がずーっと続いて終わった
ただの、思春期前の女の子が少しだけ成長しただけの作品でした
観客席からは、かなりの寝息が聞こえる
多分、同じように内容を知らずに来た人が多数だったんでしょう
日曜日の昼下がりの映画館、かなり人が入ってたんですがね
はい、知らずに入った自分も悪い
でも、この手の映画は数あれど、こんなにつまらないのは珍しい
理由を考えてみました
①女の子が子供すぎる
もう少し大人になりかけの色気がないと、思春期へのムンムンとしたオーラが出ない
足が長くて、これから肉が付いて女性になっていくんだろうけれど、この子はまだ子供
顔にも色気がない
カッパみたい
この体型なら、同じ子役出身の夏帆が子供だったらなあなんて、思いました
②子供が意外に残酷で合理的なのは、人生経験の無さから来るイメージの欠如です
実際、娘に聞いたら、お父さんより飼い猫が死ぬ方が悲しいんだと(笑)
今回は父親の死をきっかけに、布団の中で少し涙が出た
普段からいるはずの人が居なくなった寂しさくらい
つまり、ものすごく初歩的な感情の動き
とても、映画で語るような話しではありません
演技も下手なら、テーマもつまらなすぎる
演出も感動とは程遠い
だから、とーてもつまらない
③ご都合主義
監督が女性だから、残酷な結果を避けたんだろうけどね
都合よく危険をすり抜けて、めでたしめでたしでは、文科省の教育ドラマかっつーの
もっと傷付いてこその映画です
やってはいけない事をすれば、それなりの危険が伴い、フィクションだからこそ、その残酷さを見せる事ができるんです
それに、変態ロリコン男が坂東龍太って
ファンが怒りますよ
ついでにいうと、朝の連ドラで好感度を上げた中島歩が女癖の悪い男役ででてます
それに、なんなん?
何かと言うと不倫不倫
不倫出しときゃ、問題提起してるとおもってるのかな
同じパターン、2回出してるしね
監督の頭の中が単純すぎる
④今の日本状況を知らなさすぎる
日本は安全で、ほとんどの人がいい人だと思ってるんかな
甘々な人だ
問題提起するなら、そこなんだよ
外国人を悪くいうつもりは無いけど、今の日本は古き良き日本では無い
外国と思った方がいい
お父さんは女子トイレに入れないから、女の子をトイレにひとりで行かせれば、待ち構えた人さらいにトランクに放り込まれて誘拐される
学校にひとりで行かせられる時代ではなくなっている
家に鍵をかけないでもドロボウに入られない時代は終わりました
実際、そういう田舎の新興住宅地に住んでいるんですが、人を信用していてか、オープン外構ばかりです
心配なので、うちだけ柵をつけて門を付けましたが、そんな我が家で車のイモビライザーが鳴りました
盗難防止対策は必須ですが
5人組の強盗に押し込まれたら、日本家屋なんて、どこも対処出来ない
香港みたいに、ドアの前に鉄格子をつけないとくらせない時代がやってくる
外国人が法を犯しても、なぜか不起訴になるのは何故?
沖縄の米軍だけじゃないんですよ
なんて、理不尽な事がおこりまくっている
もちろん、父親が死んだ事に同調して、女の子を抱きしめる英語教師のような、いい影響もあるにはある
でも、日本にとって害のある風習だらけです
女の子が夜にフラフラ出回って何も無いのがおかしい時代です
ということで、この映画、なんなん?
となるのは当然ではないでしょうか
寝んかっただけマシでしょ
あ、エンディングの歌だけ良かった
あれ、誰のなんて歌かな
人生は一度きり
先を見るだけじゃなくて、今を楽しみましょうみたいな歌詞
この歌だけで、0.5ポイントアップです
かなりふわっとした映画
ちょっと期待し過ぎたのはカンヌコンペ作品だからだろう。予告編から相米慎二の『お引越し』味があちこちにみえたが、『こちらあみ子』の森井監督もそうだけどこの世代への圧倒的な影響力を感じつつ、早川監督としては前作『PLAN75』からまた大きく舵を切ってきたなあとある意味期待もあった。
『こちらあみ子』に比べても思ったよりスケッチ映画で、そのスケッチの一部分の、特に浦田秀穂の被写体に迫っていくところのカメラやロケ地の抜けの景色の良さがかなり魅力的ではあるものの、それが一向に連続性を持ったカタルシスに向かっていかない。どう繋がるかと思って前半観ていたら、ああこれはスケッチで終わらせるんだな、と思い、淡さの良さは感じつつ、映画としては物足りない。かつ描かれているエピソードのひとつひとつがかなり弱い。弱いのでスケッチにするしかなかったのではという気もしてくる。
おそらく監督の幼年期を彩る超能力番組、キャンプとYMO、テレクラ、両親の関係、すべてがゆらゆらとして不安で心をどこに置いていいかわからない感覚のエピソードがほぼ単発。そしてそれらがだいたい淡いというより薄い。そして面白みがない。主人公もいい子でも悪童でもない。主要登場人物はみんな両面がある。それはいいのだけどだからどうなんだ、というところに向かないふわっとした映画だった。が、『PLAN75』よりはいい。
実験してみる世代
2025年。早川千絵監督。小学校5年生の感受性鋭い少女が、末期がんを患う父、キャリア志向の母、できたりできなかったりする友人、などと触れながら、表面的ではない彼らの本心を見抜いたり挑発したりして大人になっていく、奇跡のようなひと夏の話。
少女は催眠術や透視術にはまり、父親が新興宗教的なものにはまっているあたりに時代感覚が現れている。80年代後半の時代設定は見ているうちになんとなくわかってくるが、監督自身の世代と同じようだ。笠松競馬場が出てくるから岐阜県なのだろうが、だとするとあの印象的な川は長良川か木曽川か。
しかし、重要なことは時代や地域ではなく、少女が催眠術や透視術のテレビや本にはまったときに、自分でやらずにいられないことの方だ。伝言ダイヤルの番号を知ったら電話をかけずにいられないし、同年代の少女の三つ編みが気になったらその髪に触らずにはいられないし、友人の父の浮気写真を見つけたらそれを友人に見つけさせずにはいられない。そして、その危険と隣り合わせの好奇心によって、少女は人間の奥深さを知り、あやうく少女趣味の浪人生の餌食になりかけ、友人ができ、その友人が遠くに引っ越していくきかっけをつくることになる。死期が近い父親に向ける視線も、悲しみよりも好奇心の方が強く、その視線によって、表面的な情緒的関係とは別の関係(透視術の成功)を父親との間に築いている。そしてどうやら母親とはそうした関係にはならないらしい。好奇心旺盛な実験精神によって世界と触れ合っていく少女のあやういひと夏を見事に形象化している作品。
ルノワールは画家の父親の方を指すと作品内で言及されているが、息子の映画監督の方を意識していないわけがないと思わせる広々とした端正な画面と落ち着いた展開。
どこか曖昧な掴みどころのなさが残る
あの時代の空気 The Air of That Era
映画の背景に妙な既視感があった。
観賞後、パンフレットを確認したら
主人公の女の子、設定上は同い年。
1980年に11歳。
2025年には56歳。
映画で描かれた、
あの時代は限りなくリアルだった。
人と人の間には、
距離の長さと
時間の長さがあり、
一人になる時間があった。
遠く離れて繋がる術は
固定電話だけだったので、
離れる時間は
文字通り離れていた。
その間に、
誰かと会い、経験を積んでいく。
その間にあったことは、
本人が言わない限り誰も知らない。
自分にとっても昔にあたる映像を観て、
確かにそうだったなあと思ったのだ。
本人しか知らないこがあるのは
実はとても大切なのかもしれない。
それゆえに、その時間経過で、
主人公の女の子の変化して行く様が
自然に映った。
もちろん彼女の周りの親たちなどの
大人の変化も。
逆に今の時代は良くも悪くも
こんなふうにゆっくり変化することを
許容しないし、
それが出来ないなと思ってしまった。
だから監督は、この時代を選んだろうか?
距離を超えて瞬時に繋がれる
今のこの時代、本当に幸せなのか
改めて考えてしまった。
There was a strange sense of déjà vu in the film’s backdrop.
After the screening, I looked at the pamphlet and found that the girl in the story was, by setting, the same age as me—
11 years old in 1980.
She would be 56 in 2025.
The era depicted in the film felt uncannily real.
Back then, between people,
there was both physical distance
and the passage of time.
There was time to be alone.
The only way to stay in touch over long distances
was by landline,
so being apart
truly meant being apart.
During that time apart,
you would meet others, gain experiences.
And what happened in that time—
no one would ever know unless you chose to tell.
Watching images of what is now my own past,
I realized—yes, that’s exactly how it was.
Having things known only to yourself
might actually be something very important.
That’s why the girl's gradual changes over time
felt so natural.
So did the changes in the adults around her—
like her parents.
In contrast, today’s world, for better or worse,
doesn’t seem to allow for that kind of slow transformation.
Or maybe we’re no longer capable of it.
Perhaps that’s why the director chose this era.
In today’s world, where we can connect instantly across any distance—
are we truly happier?
The film made me stop and think again.
日常的なテーマと大胆な筆致
夢に見た情景を作文にしクラスで発表する。
達者なモチーフと表現力は教師も激賞するほどだが、
鑑賞者には現実なのか夢想なのかもわからない。
冒頭のシークエンスで数回繰り返され、
以降は、はてこれは本当に起きたことだろうかと
観ている側は疑心暗鬼に陥る。
突然喀血した父は末期癌と診断され
余命いくばくもない。
母親は怪しげな療法に頼り、
奇跡的な回復を願いつつも
諦念にも似た思いが一方に有る。
父親に懐く娘は、
母親の態度が受け入れられない。
少女のひと夏の成長譚。
綺麗なものには触れたくなるし、
好奇心は旺盛で、
初めて訪れた場所でも
あら捜しをするのを欠かさない。
見つけたものと起こした行動が、
結果後々の禍の種になっても、
彼女は後悔しているのかいないのか。
表情からは何ら読み取ることはできない。
無邪気さは併存する。
オカルトや超常現象に興味を持ち、
キャンプファイヤーでは『YMO』の〔ライディーン(1980年)〕で踊りまくる。
ああ、自分たちの頃にも
こうしたことはあったなと、懐かしさはある反面、
囲む社会には不穏さも。
世間知らずと無謀さが窮地を招くことはある。
それでも最悪の事態にならぬのは、
脚本/監督の『早川千絵』の主人公に対しての優しい眼差し。
それぞれのエピソードは
自身の体験を膨らませたものだからだろう。
本作のタイトルは、
最初は父親の病室に、
やがては
少女の部屋に飾られた『ルノワール』による
〔イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)〕の複製画から。
描かれた八歳の少女の肖像画は、
今では世界中で愛される一枚と言われている。
が、依頼した両親は、
この画を気に入らなかったと聞く。
それは今までの画家の描き方と
相当に異なっていたから。
{印象派}の特徴は(AIの纏めによると)、
光と色彩、そして一瞬の印象を捉えることを重視した画風。
風景や日常生活を明るい色彩と大胆な筆致で描いた、と
書かれている。
それはこの映画にも当てはまる。
色彩は鮮やかで、エピソードの一つ一つは静かに流れるもののいずれも印象的、
加えて記憶に残る。
各々は独立していても、
総覧した時に一人の少女のキャラクターが立ち上がる。
ただ、幾つもの素行から、
彼女を好きになるかどうかが、
評価の分かれ目なのだが。
『スーラ』の{点描}が
ある程度の距離を置かないと
何が描かれているのかも判然としないのと同様、
本作でも個人に寄り添い過ぎて
もやっとした作品に感じることは否めない。
ハートの5
海外ではウケるのだろうが刺さらない
無垢で無邪気な好奇心
夏休み前の大荷物小学生の様な雑多さ
少女時代の最後の一瞬を捉えたような傑作
80年代半ば、超能力やおまじないに夢中な小五女子の夏休み。子供のような、大人になりつつあるような、そんな中途半端な時期の日常を色鮮やかに切り撮る。
しかしそこには死と暴力と性の予感がある。死の予感に慣れ、死が生のすぐ横にあることを理解しつつあるいっぽう、性についてはまだ意識していない。
そんな少女の戸惑いと無自覚、危うさと残酷。少女時代の最後の一瞬を捉えたような傑作。
前作の「PLAN75」は社会派の傑作だったが、本作は叙情に振り切っており、こちらもまた素晴らしい作品になっている。
演者は本作でも皆素晴らしいが、父親役のリリー・フランキーと、主役の鈴木唯は出色!唯一無二の存在感だった。
観客を選ぶとは思うが、我々の年代(50代)なら分かるでしょう。必見。
不思議だが引き込まれた
1980年代後半の夏、小学5年生の少女フキは、闘病中の父と管理職になったばかりで仕事に追われてた母の3人で郊外の家に暮らしていた。先生を戸惑わせるほどの豊かな感受性を持つ彼女は、得意の想像力を膨らませながら、気ままに過ごしていた。そんなフキにとっての大人の世界は、複雑な感情が絡み合い、どこか滑稽で刺激的だった。しかし、父と母の間に大きな溝が生まれ、フキも・・・そんな話。
想像力豊かなフキという設定で、空想と現実が交錯するから、少しわかりにくかったが、それも狙いなんだろう。
1980年代の後半の年の夏、という設定だから、バブル真っ只中、賃金も年々急増、ジャパンアズナンバーワン、の頃だからパワハラ、セクハラの概念もなかったはずだし、お母さんのあれくらいの指導で上司が何か言うと言うことはなかった様に思うが。
周囲の大人たちに触れて色々と経験していくフキが不思議な子だけどなぜか引き込まれた。
演じた鈴木唯が素晴らしかった。
母役の石田ひかり、父役のリリー・フランキーもまぁ的役、という感じ。
本作でも河合優実を観れたのは良かった。
それと、ルノワールのイレーヌ嬢の絵は美しかった。
繋がらない名場面、、、
大人の振る舞いと子供の視線。
フキが直面する現実の大人の世界にとっては、フキの存在は傍観者であり、救いでもあり、癒しにも。フキは表情を過度に変えることなく、眼前の現実をしっかりインプットするかのよう。その態度は全編を通して通底する人の死に対しても。
淡々と進む映画時間の中で、フキの持ち前の好奇心や豊かな想像力による無邪気な危なっかしさが、作品の結論的なものに収束されるのかと思いきや、そんなドラマチックな展開は裏切られることになる。
大人の振る舞いと子供の視線が混ざり合う。懐かしさと自らの当時の体験の記憶を呼び起こす。
子供の頃を思い出す
人生の後半戦にいる私に、遠い昔、子供のころ持っていた感覚を思い出させてくれた。最近は忘れていた。夕焼けの風景、トンネルの反響、オカルト、大人世界への無知と反発、思い出の競馬場、馬の鳴き真似への馬の返事、イレーヌ、少女のありのままの視点が美しい映像で表現されていて何か懐かしかった。あういう鮮やかな感性は大人になると数百分の一になっているだろう。仕事やしなくてはならないこと、社会の規範に合わせなくてはならないこと、同調圧力、人間関係などでエネルギーを使ってしまって失われていってしまう。でも、あの時、あの場所、あのシテュエーションを心のどこかにしまっておいて、大事な時に引っ張り出すことができるといい。誰にでもそういった体験価値があるはずでその大切さをあらためて思い起こさせる作品だった。フキはきっと長い人生を強く楽しく輝いて歩むと思う。監督早川千絵の子供時代へのオマージュなのかなこの作品は。エンディングソングの歌詞がこの作品のテーマなのだろう。あの歌詞をもう一度見たい。
11才少女の、現実と想像が混在する、映画でなければ描けない世界。主人公フキから目が離せない。
シーン一つ一つが印象的でした。ロケ地岐阜だったんですね
リリー・フランキーさんの静かな熱演に絶句!
少女というより監督の死生観が色濃く出ている作品でした。
主人公の少女が、監督の演出通りに動いて台詞を言っているので子供らしい演技は殆どなく、監督の色がはっきりと伝わってきます。
時代背景を意識した小道具や衣装、音楽が矢鱈と印象に残ったのも監督の成せる技なんですかね。
整髪料の「GM5」がちらりと映ったり、キャンプファイヤーで「ライディーン」が流れ出したりと細かな部分に監督の拘りを感じました。
特にファミレスの「万華鏡」には笑ってしまいました。
当時、何処のファミレスにも必ず置いてあった事を思い出しましたよ。
作品の細部をしっかりと支えていたのは、やはりリリー・フランキーさんの演技でした。
叫んだり、暴れたりする事なく、必死になって死に抗う病人を静かに演じておりました。
リリーさんの細やかな表情や動きだけで「生きる」という事への執着心が伝わる為、娘である主人公が受け身の演技だけでいられたのだと思います。
やはり彼も日本の宝といえる方ですね。
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