ルノワールのレビュー・感想・評価
全209件中、81~100件目を表示
純粋さと危うさの共存
鑑賞後、これは小5の女の子ととある日常を切り取った話だと思った。小5は20歳の半分、つまり子供から大人に変わりろうとする始まりの時期だと思う。中高生よりも幼く、なんでも興味も持つが、善悪の判断がなく、良くも悪くも汚れがなく純粋。だからこそ主人公はあらゆることに興味を持つ。周りから知ればなんでそれに興味を持つかわからないことでさえ、彼女にとっては新鮮で面白く、未知が故に狂気的。そういう子供ながらの純粋さに焦点を当てているのかなと思った。
時々、まるで疲れ果てた大人のように冷めた、全てを見通すような目に見えたのは、母親のヒステリックさと、父の病気によって子供ながらに大人として振る舞うようになったからなのか、そういう日常を過ごす中で日々をフラットにとらえるようになったからなのかなと思った
描写の力
エグい始まり方だなと思ったら、「こんな夢を見た」の作文なんだよね。
それで、主人公が不思議ちゃんというか、独特の感性を持つことが分かんのね。
それで、作文の内容が不穏なので、お母さん(石田ひかり)呼び出されちゃうんだけど、石田ひかりも「先生って暇ね」って良いキャラなの。
石田ひかりは勤めてて管理職なんだよね。そしてどうも部下を激詰めする。ここも描写でやるんだよね。書類を廊下にぶちまけてしまった部下を手伝いながら「すいませんじゃなくて、具体策出して」って。それで、どうも、もう一人の部下が休みがちだと思うと、パワハラ認定されてしまうという。もちろん描写。
現代の話なのかなと思って観てて、なんか超能力ブームみたいなの起きてておかしいなとか思うんだけど、主人公がウォークマン聞いてて気付いた。1980年代が舞台だね。最初の《FRIDAY》やビデオテープで気づけって話だけど。ここも描写。
石田ひかりは研修受けさせられて、そこの講師が中島歩なんだけど、怪しいね。ここは描写もあるけど、中島歩が出てきたら、もう怪しい。
休憩時間にベンチに座る石田ひかりに中島歩が近寄って、石田ひかりが顔を上げると『不倫するんだ』って分かるのすごい。
とにかく何から何まで、くどく説明しないんだよね。描写で人物を分からせてくるの。
これができるのって、登場人物を完全に掴んでるからだなって思った。その完全に掴んだ人物を表すのに、どんなシーンが効果的か考えてやるんだろうな。
ストーリーはあると言えばあって、主人公のお父さんのリリー・フランキーが癌で亡くなるところを描いてるんだけど、まあ、そこは、どうでもいい。石田ひかりは怪しい健康食品買っちゃうし、リリー・フランキーは怪しい気功に金払っちゃうしで、弱ってるやつに寄ってくる奴らひでえなとも思うし、人間って、そういうもんなんだと思うけど、まあ、ストーリーはいい。
その状況で、登場人物がどう動くかを、丹念に描写で描いてくんの。そこがすごいな。
文句なしの作品なんだけど、ちょっとだけ引っ掛かったことがあって。
石田ひかりはパワハラ認定されてるけど、この時代だと「メンタルで休むなんて根性なしめ」って感じで部下の方が詰められると思うんだよね。
あとリリー・フランキーの見舞いにきた部下が「(あの人)空気が読めないだけなんだよ」って言うんだけど、「空気読めない」は1980年代だと言わないんじゃ。どうなんだろう。
逆に言えば、そんな細かいことが気になるくらい、他のところは素晴らしかったよ。
徒然なるままに‼️❓よじれた心のちびまる子ちゃん‼️❓
ただ一人、いつまでも生きていてほしいと願う人
オープニングから衝撃的な展開で始まるのは、早川千絵監督の前作『PLAN 75』と同様。
映画全体を通して説明は最小限に抑えられているが、観客がその意味を想像できるよう巧みに作られており、個人的には好みの作り。
舞台は昭和末期だが、女子たちが黒魔術に夢中になる様子を観ていて、かつて流行した「こっくりさん」を思い出した。
予告編を見た際、「“哀しみ”を知り、少女は大人になる」というメッセージから、2015年のピクサーアニメ『インサイド・ヘッド』と類似したメッセージを感じた。
しかし、実際に鑑賞してみると、その印象は異なっていた。
『インサイド・ヘッド』が「哀しみ」の必要性を描く一方で、本作は少女が「哀しみ」を初めて知るまでの過程を描いていた。
本作には、大きく分けて二つのテーマがあると感じた。
一つ目は、『PLAN 75』でも描かれた「年寄りは早く世の中から消えてほしい」という世間の風潮について。
リリー・フランキー演じる主人公フキの父親は、末期癌を患いながらも生きることを決して諦めない。
あらゆる治療法を試し、闘病中でありながらも仕事に励み、社会復帰を諦めていない。
しかし、映画が進むにつれて、周囲の人々の思惑が異なることが明らかになる。
妻や仕事の同僚からは表面上は励まされているものの、その内心では見捨てられていることが見て取れる。
この事実が判明してからは、父親の必死に抗う姿がより一層切なく胸に迫る。
そのような周囲の人々の思惑とは裏腹に、フキだけは言葉にはせずとも、父親にいつまでも生きていてほしいと心から願っていることが伝わってくる。
暇を見つけては病室へ赴き、父親に寄り添うフキ。
ある時、父親が急遽自宅に立ち寄ることになり、部屋の明かりをつけた際に壁に吊るされた喪服を見て愕然とする。
その様子に気づいたフキが、そっと部屋の明かりを消す場面では、思わず胸が締め付けられた。
フキと父親が遊園地で過ごす場面で、父親が一人ベンチでぐったりしていると、数名の若者が父親をからかい始める。
この光景は、2021年の西川美和監督作『すばらしき世界』に登場する、介護職員が患者を陰で嘲笑する戦慄の場面を彷彿とさせた。
その時、フキが取った行動には「いいぞ、もっとやれ!」と心の中で喝采を送ってしまった。
もう一つのテーマは「小児性愛」について。
河合優実は『PLAN 75』でも印象的な脇役を演じていたが、本作でも前作とは全く異なる雰囲気で登場。
彼女の登場シーンは短いながらも、この映画では珍しく長台詞があり、彼女の台詞を要約すると「どんなに愛する夫であっても、小児性愛者と判明したら、気持ち悪くて無理」というもの。
今年公開の『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』でも河合優実の長台詞は出てくるが、社会的メッセージとしてはこちらの方が強烈。
舞台が昭和末期のため、出会い系アプリの代わりに伝言ダイヤルが登場。
フキが興味本位で吹き込んだ「小5…」という短いメッセージに男が食らいついてくる様子は、2021年にチェコで制作された衝撃的なドキュメンタリー『SNS 少女たちの10日間』を想起した。
近年、未成年の少女を自宅に連れ込み逮捕される男のニュースを頻繁に目にするが、本作の後半の展開はまさにそれを映像化。
そうしたニュースが報じられた際のヤフコメを閲覧すると、男側に言及する意見は少なく、大半が少女やその親を非難する内容ばかりであることに、毎回驚きを禁じ得ない。
そのたびに、「本来ならば男側が大問題であるはずなのに、なぜこれほどまでに男側に甘いのか」と感じてしまう。
「おそらく、ヤフコメに書き込む層の中には、少女を自宅に連れ込みたいと考える人々が多いのだろう」と勝手に推察。
被害女性やその親を非難する人々は、この映画の後半の展開を観ても、被害者側を叩こうとするのだろうか?
タイトル通り
『ルノワール』を観ていると、2022年公開の『こちらあみ子』がふと頭に浮かんだ。
どちらも、普通とは少し違う感覚を持った少女の視点から世界を見つめている。
言葉や感情を大げさに説明することはなく、映像や音の中に少女の内面を静かに映し出している。
この2作品に共通しているのは、少女たちの「世界の見え方の違い」を欠点や悲しみとしてではなく、もう一つの大切な視点として描いていることだ。
普通とは違うからといって劣っているわけではなく、その違いこそが彼女たちの世界を豊かにしている。
その静かな優しさや誠実さが、観た後に心にじんわりと残り、軽くなるような感覚をもたらしてくれる。
『ルノワール』には派手な展開や劇的な出来事はほとんどない。
しかし少女の視線を通して、世界の輪郭が揺らぎ、観ているこちらの心の中にある何かと静かに出会わせてくれる。
それはまるで、澱んでいた水が少しずつ澄んでいくように、自然と心が癒されていく感覚だ。
この映画は、誰かと感想を語り合うためのものではなく、ひとり静かに見つめて、自分の中にあるもやもや、よごれにそっと触れる時間をくれる。
だからこそ、個人的には一人で鑑賞されることを勧めたい。
フランス映画みたいな
本作の直後に見た映画とほぼ同じ感想に……
映画としてのルックは素晴らしいし、役者陣もみな好演。描かれているメッセージも濃厚で最後まで退屈することなく、しっかり鑑賞しました。
じゃあ、好きかと聞かれたらNoです。
知り合いに勧めるか?と聞かれてもNo。
すごく面白かったというわけではない。
上映中はそこそこ楽しんだけど、お話そのものには首を傾げるシーンも多く、極端な説明の省略によって、具体的な感想がほとんど出てこない、という稀有な作品です。
文字にしてみると本作の直後に見た「メガロポリス」と完全に同じになります。全然違う映画なのに。
断片的な場面場面の表現がすごく印象的
50年近くも埋もれていた記憶を刺激されました
積極的に観ようとした理由は河合優実さんの出演作だから。短い時間でもいつものように、しっかりと存在感を発揮してくれていました。
河合さんからどんな台詞がどんな表情と声色とテンポで産み落とされるのかを観るのが、ここのところの大きな楽しみの一つです(今期の朝ドラも蘭子の登場をいつも心待ちにしています)
で、「ルノアール」。
フキちゃんを演じた主演の鈴木唯さんの演技の素晴らしさは言わずもがな。こういう子をオーディションでしっかり射止めた制作サイドにも拍手です。
でも物語に関しては、刺さらない人にはまったく刺さらないんだろうな、とは思いました。
自分にとっては…課題の作文には嘘の物語。聞こえてくる会話を聞こえていない、関心がない、理解できないかのように振る舞いながら実はしっかり聴いていて覗き見る大人の世界。思いがけず家から遠く離れた場所に行き、一人で長い時間をかけて家に帰り着く…など、自分の子ども時代の記憶と重なるシーンが多くあって、50年近くも埋もれていた記憶をぐぐぐっと刺激される映画でした。
ただ、この手の物語にたくさん刺されすぎてしまって、不感症気味になっている身には、もう少し何かが足りない気がしました。フキちゃんと両親それぞれとの関係がとても健全な感じがして、もう少し歪みがほしかったとか?(両親との距離感はまさに昭和だとも思うし、健全な関係だからこそ怖いもの知らずの伸びやかな想像力が発揮されている気もするけど…)
好きな人目当ての夢いっぱいの恋物語もいいけど、まだ感性が鋭い若い子にこそこういう映画を観てほしいと思うのです。中高生が観たら5人に1人、少なくとも10人に1人くらいは心の隅にずっと残る映画なんじゃないかと思います。(河合優実さん目当てで観に行ったお前が言うな)
相米慎二の「お引越し」の影響は大で、ある意味臆面もなく「お引越し」の構成を踏襲している。
「PLAN 75」の早川千絵監督の新作。
とても繊細な映画で、彼女自身の体験を自伝的にではなく、当時の思いや感じたことを素直に映像化した映画。
それが見る側にどう響くか。個々に違うだろう。その意味では万人受けする映画ではなかったかもしれない。
私は、共鳴する部分の多い映画ではあった。
特に「死」に対する態度。身内が死んでもTVドラマのような展開なんてあり得ないし、身内の死は特に寝たきりだと、それほどの悲しみがなかったりする。
また病院で知らない老婆が泣き崩れるシーンは、私も経験したことがある(私の場合は母だった)急に死を知らされると泣き崩れるものだと思った。
そう、死はコチラの都合とは関係なく訪れる。
相米慎二の「お引越し」の影響は大で、ある意味臆面もなく「お引越し」の構成を踏襲している。
それは、11歳の少女の子供から大人に変わる時期を描くには、「お引越し」と同様の設定は監督にとっては、最適な方法だったのかもしれない。その上で、必ずオリジナルとしての面白さが出ると踏んでいたのだろう。それはかなり成功している。
少女が少しずつ大人の世界に近づいてゆく過程を瑞々しくしく描くということでは方向性は同じであるが、相米のダイナミックさとは違い、かなり繊細で近視的に描いていてそれはそれで面白かったし、まさしくそこに早川監督の感性を感じさせる表現が詰まっている。
ラストは、「お引越し」のラストと同じ電車の中での母子の交流シーンで終わる(これも意図的)。どちらも暖かいシーンになっているが、違いが当然現れる。それが映画であり、面白さなんだろう。
何から何まで作り込まなくて、見る側に委ねることで、見る側の中に見る側それぞれの映画が完成する。結構確信的に映画の力を最大限生かした映画だと思う。そしてそれが映画の醍醐味だと早川監督は言っているよう。
今回の映画は、早川監督の個人的な部分を素直に映画化した、いわば私小説的な趣があり、万人受けはしない映画だったが、映像作家としての飛躍の一歩となる映画になったのではと思う。自らの少女時代から映像化したい部分を素直に映画化した点で。
次回作はまた別のアプローチの映画になるに違いない。次回作が楽しみです。
女の子ばかり見詰めていた
一粒の涙
一寸したタイミングで物事は全然違う結果を生むものだけど、それは偶然と言うよりも強い力、本人のものか肉親の強い愛情から来るものなのか分からないけれど守られるべくして守られるものだと感じた。好奇心と感受性のバランスみたいなものも、主人公を成長させるには必要不可欠だった様に思えた。一度きりの涙のシーンはそれを証明するべく見事だったと思う。
そして、鈴木唯ちゃん本人の物語かと錯覚するくらい自然体だった。
万人が理解出来る題材ではないけれど
同監督のPLAN75が私にはとても良かったので、この作品も観たいと思った。
女の子が主人公、ということ以外あまり内容を調べずに鑑賞。映像のテイストや流れる空気感、台詞で説明をするのではなく空気を撮影している感じが前作と共通していて、色々考えながら観られて面白かった。こう言っては何だが、この作品男性には理解難しいのでは。好奇心旺盛で感覚が鋭い女の子は大人が思う以上に色々見えているものだ。しかも昭和の小学生ならではの設定もあり、万人が理解出来る題材ではないかもしれない。空想と現実と夢のシーンを繋いで描いていて最初はあれ?と思うが徐々に慣れてくる、フキの思考が映像化され、いくつかのエピソードが流れていて徐々に話が紡がれる形、この描き方の力量は見事。少なくても私はこの映像に共感し小学生の頃の感覚を思い出して苦笑いした。
一つだけ、昭和〜平成頃の話ならパワハラを会社に指摘されそのための研修を受けるってまだ無い時代かと。お母さんのキャラクターは理解出来るので、集団カウンセリングの理由はもうちょっと違うものでも良かったかも。
全編通してノスタルジックな風景がとても印象的だった。
“哀しい”のは誰か?
リリーフランキーが冴えない父親役だったので観に行った。結論としてはそんなに面白くない
「“哀しい”を知り少女は大人になる」っていう惹句が付いてるけど、主人公が泣いているシーンは全くない。感情を表に出さないのか泰然自若な感じだ。挿話(子供たちの泣いているシーンばかりが執拗に収められたビデオを奥さんに暴かれて飛び降り自殺した夫の話)からは、『ファニーゲーム』における暴力のような感じで、ジュブナイル映画で少年少女が感情を揺さぶられる現象、自体を客体化?ー揶揄しているように解釈した。あの映画も、暴力シーンそのものは映してなかったしな……
全体としては主人公の底意地が悪いところはイライラしつつも笑えたけども、リリーフランキーが末期癌なのに奥さん寝取られたりしてて居た堪れない気持ちになったのと、話が断片的すぎてテーマというか「結局何が言いたかったん? あのシーンいる?」っていう釈然としない所感だったので結局そこまで面白くなかった
別に女の子が泣いてるシーンが見たい訳では無いが、悼まれない文脈で死んだリリーフランキーが気の毒な感じだったなあ……
概ね全員どことなく性格が悪くうっすらギスギスしていて、ジュブナイル映画(風)としてはジャンルエラーだろう。占い師のババアとか清掃員とか細々とした人間の悪意が不快だった
『お引越し』と引き合いに出してるレビューもあるが、あの映画は(中盤難解だったが)少なくともカタルシスがあったし、この映画よりは圧倒的に自分の好みだ
悲しみの側面だけじゃない「死」を考えさせられる作品。
無垢と闇とノスタルジー
カンヌもの、ということで期待半分で見たものの、なかなか評価が難しい作品だった。
時代設定が80年代後半の地方都市ということで、自分と同年代かやや上。キャンプファイアーでライディーンを踊っちゃうあたり異質さよりも懐かしさが上回ってしまった。終始それが発生してしまい痛々しさや恥ずかしさが漂う。
これがまったく違う国の違う時代の世相を表現しているものならば、より人々の無意識に滲み出る闇の部分や、子どもの無垢さが際立ったのではないかなと思われる。
つまり、ごく少数の人々を除けば、1980年後半の小学生から見た世界は異質で奇妙だったわけだ。
光の捉え方や映像美・空気感の表現は独特なものがあって良かったと思う。整音も良かったと思う。生活音とセリフのバランスが良く、メリハリがあった。
役者陣はさすがなもので、主人公の女の子の存在感はすばらしかった。
強いて言えばもう少し詩的な演出や構成があっても良かったのでは、とも思う。
LIFE
ポスター的には一夏の成長を描いた作品かな〜くらいに思っていたんですが、カンヌにノミネートといったところでちょっとだけ悪い予感がしていたので心して鑑賞。
悪い予感は間違っていなかったです。相性もあるかもですが、本当に合わなかったです。
年代が昭和というところもあって、今よりもコンプラもモラルも緩い時代、そういう大らかな時代があったのは良い事だよなーとは思いつつも、どうしても負の部分を全面的に押し出していて、尚且つストーリーが繋ぎ繋ぎなのもあってまとまりが感じられずで乗り切れなかったです。
複雑な環境下で過ごしているフキが様々な場面を巡るといった感じで様々な物事を知っていくという物語なのですが、大人たちが自分のせい他人のせいで苦しみながらの様子を見て色んな感情を知っていくという感じのはずなのに、その大人たちの行動が受け入れられず…といった感じで。
母親は旦那の病気にヤキモキし不倫、父親は病気に苦しみながらも宗教に引っかかったり財布を無くしたりするといったボヤッとしたものしか描かれず、かといってそれが繋がるわけでもないので、この親にしてこの子ありと言わんばかりといった感じでした。
死についての変化というところも最小限に抑えられており、それによって人生観が変わったともならないのが残念でした。
肝心のフキも好奇心旺盛といったら聞こえがいいんですが、子供だからこその残酷な行動をやってしまったりはまだ許容範囲内にしても、伝言ダイヤルの話や競馬場周りの話はどう考えてもキツい…となりました。
伝言ダイヤルで見知らぬ人に会うっていうのは今考えるとあまりにも恐怖すぎるだろうと思いましたが、当時は別におかしくないことなんだろうなという温度差は確かに感じました。
坂東さんがめちゃくちゃナチュラルな狂気を帯びているからこそ、あのシーンの気持ち悪さはエゲつなかったです。
歯磨きのシーンとか歯磨いてないのに思わず嗚咽。
超絶戯言でファンタジーである事を承知での文句になってしまうのですが、今作を観ようと思ったきっかけの一つが作中に競馬場が出てくるやん!しかも笠松だ!といったところで見逃してたんですが、フキがよく見たらダートに勝手に侵入してるんですよね…。
時代背景を鑑みたとしても、開催中、もしくは調教中の馬場に入るのはてんで迷惑ですし、そもそも不法侵入なんで年齢だろうがなんだろうがアウトです。
あとお馬の近くで鳴き声のモノマネをやるところがあったのですが、ホンマにやめろ…と心の底から思いました。
お馬さんは音に敏感なのに、あんなに近くで叫びでもしたら大暴れするからファンタジーだとしても本当にその描写はやめて欲しかったです…。
ラストシーンも風呂敷を雑に畳んだかのような終わり方でしたし、思わせぶりな終わり方は何かを空想する事すら拒んでしまうレベルなので嫌でした。
今作を観る動機の一つであった中島歩さんと河合優実さんの出演も1エピソードのみの登場だったので、そこんとこも肩透かしですし、悪い意味で役者の贅沢すぎる使い方では?と思ってしまいました。
あと音楽とセリフが丸かぶりしているシーンが何箇所もあり、セリフが届いてこねぇ!とモヤモヤするところがあったのも残念でした。
この手の作品はもうカンヌ他外国の賞を獲るためだけに作ってんじゃないのかな?と邪推してしまうくらいには日本人ウケガン無視だなぁってなりました。
前作もまだ見てなかったのでそちらも観て色々と比較したいなと思いました。
鑑賞日 6/26
鑑賞時間 16:00〜18:05
全209件中、81~100件目を表示






