「ギャレス・エドワーズにしては落ち着き過ぎ?」ジュラシック・ワールド 復活の大地 Minaさんの映画レビュー(感想・評価)
ギャレス・エドワーズにしては落ち着き過ぎ?
散々こき下ろされた98年版「GODZILLA ゴジラ」を中々クセ強なギャレス・エドワーズ監督に託し、あのダークで不気味かつ、ゴジラを生き物としてリアルに描いた14年版、通称"ギャレゴジ"から早10年。モンスター映画の常識をぶち破ってきた彼が新章を手がける本シリーズは期待大以外の何物でもない。
本作は完全に"新章突入"であり、かなり世界観は異なるものとなる。人間の都合で作られ、人間の都合で捨てられ忘れ去られて行く恐竜達の気の毒な事である。時折"ブルー"の行く末が気になってしまうが、本作にはラプトルの登場は基本的には無し。そういう点でも新シリーズの風格が見て取れる様だ。恐竜のDNAから万能薬の開発を急ぐ製薬会社からの依頼で、6500万年前の地球環境に近く、恐竜達が死なずに生息している島にやって来た元傭兵等の先鋭たち。このスカーレット・ヨハンソン演じるゾーラの雰囲気がガチっぽくて良い。自らスピルバーグに「死に役でもいいから私を出して!」とラブコールを直接送り倒しただけあって、流石の気合である。
陸、海、空それぞれの巨大恐竜からDNAを取るという無理ゲー的な設定でも、本シリーズの真骨頂、エンタメに富んだ無理くりアドベンチャーで何とかこなしていく。海は前3作から続投のモササウルス。陸は巨大首長竜のティタノサウルス。空はケツァルコアトルス。ティタノサウルスは大人しい草食の為簡単だが、海と空では仲間が犠牲になる。このモササウルスの襲撃シーンや、ティラノサウルスの襲撃シーンがそれぞれ海だったり川だったりするのは、監督自身も絡んだ事のある、ゴジラの日本版最新作、「ゴジラ−1.0」で、ハリウッドの半分以下の製作費で緻密な"水"の表現をこなし、世界で賞賛された事に対する挑戦だろう。「ハリウッドはここまで出来るんだぞ」感がプンプンであり、製作者として血が騒いだスタッフの顔が目に浮かぶ。
それから、問題の後半。「こんなの"ジュラシック"じゃねえ!」と評価がイマイチな様だが、そもそもDNA操作で恐竜を蘇らせ(1作目)、最強の遺伝子組み換えで「インドミナス・レックス」という自然界の秩序をぶち壊し(4作目)、とうとう化けの皮が剥がれたかと個人的にはそれなりにしっくり来ている。また、ここは監督のこだわりなのだろうが、「GODZILLA ゴジラ」や「モンスターズ 地球外生命体」の様に、こちらからしたら怪物である存在の恐竜やクリーチャーの、"日常生活"を見せるシーンや、モヤがかかった空間からヌッと現れる演出、もったいぶって中々見せてくれないもどかしさ、照明弾や警告灯の赤い光を利用したクリーチャーの描き方。どれもこれもしっかりと怖く、"ギャレゴジ"を何度か思い出してしまう。だが、確かにこんなビックプロジェクトで好き勝手出来ないのは当然だが、本作は期待した"ギャレジュラ"的描写等は無く、いつもの「ジュラシック・パーク」のノリという感じが全体に漂い、彼らしさというのがさほど感じられなかったのが残念なところかも知れない。確かに15年公開のコリン・トレロボウ監督の「ジュラシック・ワールド」の方が印象強いものの、シリーズも7作目になるとこうなるのは必然的だろうかと思う。もちろんツッコミどころもいつもどうりであり、決して間延びする事の無い展開と迫力、間違いなくヒットするし、(現時点で世界興収600億円目前)夏を盛り上げてくれるポップコーン作品である事に違いはない。
