フランケンシュタインのレビュー・感想・評価
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知性と心
デル・トロ監督の新しい美学で描かれた
フランケンシュタイン。
親子の葛藤、知性、愛憎と愛情。
愛情の温もりが分からず乏しく
育ったヴィクター。
医者である父親を越えるにはと
創造と創作を繰り返し怪物を造りあげる。
ただ造りはしたが、どの様に接したら良いか
分からず。
思い出したのは父親からの暴力と知性の強要。
この辺りが人間の不完全さを感じる。
どれだけの凄い作品を造っても心持って
接するがどうかはその人次第。
ミア・ゴスのドレスは可憐で綺麗でお似合い。
怪物役のジェイコブ・エロルディ
196㎝もあるんだ、そりゃ迫力でるわ。
あの巨体でエリザベスと小声で思い出し
口にする姿は可愛い。
盲目のおじいさんとの優しい知性の学び方。
あそこが平和だった。
あの家に入った時『旅をしている』
と返答したのは良いなぁ。
人間の欲望で創作されたのは本当に
怪物なのか。弟にも怪物と言われた
創作主が怪物なのか。
与えられた環境と愛は其々の
心に引き継がれていき、息吹きが
芽生え本物の心になるのかもしれない。
どうにもならない深い哀しみ
英国の小説家メアリー・シェリー原作、ギレルモ・デル・トロ監督の本作。
エル・ファニング主演映画「 メアリーの総て 」を以前観ており、本作が気になり鑑賞。
科学者ヴィクター・フランケンシュタイン( オスカー・アイザック )は、亡骸を繋ぎ合わせ、生命を創造するという野心を抱く。
自身のルーツや存在意義に苦しむクリーチャーを身長196㎝のジェイコブ・エロルディが怪演。
クリーチャーと心を通わせる女性エリザベスをミア・ゴスが、北極探検隊の船長をマッツ・ミケルセンの兄、ラース・ミケルセンが演じる。
清らかな心、相手を許し認めるということ、人としての存在意義、突き進んで行ったその先に何が起き得るのか、生きていくということ。
クラシカルな色彩が美しい哲学的な作品。
映画館での鑑賞
名もなき不死身の怪物の孤独と苦悩
文字や知識を教えてくれた盲目の老人との別れを経験してから、怪物は自分が死な(ね)ないことに気付きます。痛みは感じるが再生してしまう。と同時に取り残される孤独を感じ始めるのです。
不老不死は過去から人間の夢ですが、一旦手に入ると実は辛いものなのです。バンパイアものでも時々でてきます。孤独を癒すため、怪物はヴィクターに伴侶を作るよう求めますが、叶いませんでした。
従来のフランケンシュタインもので云われる「神の領域の侵害」や「親子関係の業」に加え、今回新たなテーマとして描かれたのではないでしょうか。
ミア・ゴスは今回も魅力的です。二役とは言え79歳のチャールズ・ダンスと夫婦役とは!エリザベス役の方は登場シーンのミステリアスな感じが良かった。両役とも衣装が素晴らしかったです。
科学の落とし子に救いはあるか
フランケンシュタインの映画は、いっさい観たことがない。
なんたってホラーは苦手なので。
その代わりと言っちゃぁなんだが、
メアリ・シェリーによる原作小説は読んだ。
作者二十歳の時の作品なので、
完成度という点からは突っ込みどころはあるけれど、
メアリが北斎の娘お栄とほぼ同い年で、
書かれたのが「南総里見八犬伝」刊行開始とほぼ同時期、ということを考えると、
感嘆あるのみ。
* * *
で、久々のギルモア・デル・トロ監督。
かなり原作リスペクトらしい、と聞いていたんだが、
全体の構成――北極海+博士の回想+博士がつくった「それ(it)」の回想――と、
「それ」が、1931年の映画で確立したイメージとは違い、美しさを指向して作られたことは、
原作どおりと言っていい。
でも、それ以外は、
ヴィクター・フランケンシュタインの家族
――父も母も「きょうだい」エリザベスもウィリアムも、
まったく違う設定で戸惑った。
なぜあんなものを創り出したかという説明に必要だと、
監督は思ったんだろう。
同時に「それ」を創り出すまでの時間が、ちと迂遠。
だが「それ」の回想は、かなり原作のイメージに近かった。
とくに、隠れ家とした小屋の隣の農家の
盲目の老人から、言葉と心を教わった話は、
原作の核心でもあるけど、この映画でも、そのままだったのがよかった。
* * *
映画では、さらに踏み込んで、
「それ」に不死身の身体を与えた。
そして「死」もある意味救済であって、
死ねないということは救われないことだ
という主張がなされる。
それはたしかに、そうかもしれない。
死とは、救いなのかも。
だから、ヴィクターは最後、救われた。
だが、「それ」に、救いはあるのか?
「それ」は、
後先考えずにつくられた科学の落とし子である。
科学の落とし子に、救いはあるのか?
監督の問いかけは、そこにあるのかもしれない。
ゴシック小説の古典「フランケンシュタイン」を基にしたダーク•ファンタジー ギレルモ•デル•トロ風味たっぷりでそこそこ楽しめるが 新鮮味はない
場内が明るくなって劇場の椅子から立ち上がり、家路へと歩を進めかけたときに脳内に「訓詁学」という単語が浮かびました。半世紀ほど前、私がまだ大学生だったころ、ゼミでどんなテキストを使うかを議論していたときに、学友のひとりがある古典的テキストを評して「ゼミでこれを読み進めてゆくと訓詁学のゼミになってしまう」とか言っておりました。調べてみたら、訓詁学とは元々は儒教の経典にある難解な語句を解釈したり、説明したりする学問だそうです。この映画もメアリー•シェリーが今から200年以上前に書いたゴシック小説の古典「フランケンシュタイン」の古典的解釈に基づいているということで、私の脳内に訓詁学なんて言葉が浮かんできたのでしょうか。
この「フランケンシュタイン」、私、実は原作を読んだことがないのですが、未読なのに読んだ気になっている小説のひとつです(同様にして、観たことがないのに観た気になってる映画なんてのもありますが)。この作品が紹介されるたびに出てくる耳タコ話題ですが、フランケンシュタインというのはあの怪物を造った科学者の名前で、怪物自体は名無しなんですよね。「フランケンシュタイン•コンプレックス」という言葉があります。科学技術によって人工的な生命体を生み出すことへの憧れと、その生命体が自分たち人間を滅ぼすのではないかという恐怖、その二律背反するふたつの感情が混ざり合った複雑な心理状態を言います。この部分が、今でも AI の開発時に当てはまりそうな感があり、この小説が発表から200年以上もたった今もなかなか賞味期限が切れない要因だと思います。
上記のフランケンシュタイン•コンプレックスがいわば造物主側のキーポイントだとすると、造られた側の名もなき怪物のキーポイントは永遠かとも思われる生命を授かった者の悲哀と孤独ということになるのでしょうか。この映画内では「無慈悲な生」とかの言葉が出てきました。おまけにあの醜い姿です。出会った人々のほとんどがその姿に恐怖を感じ、逃げまどったり、攻撃をしてきたりします。でも、心を通い合わせることのできた人もいたんですよね。エリザベス、山小屋の爺さん…… 愛に飢えた怪物の究極の選択が永遠に続く孤独のように思われたのには涙を禁じ得ませんでした。
最果ての地、北極には今もあの人工生命の最果て、怪物の咆哮が轟いているのでしょうか。
時間と空間を超越するギリシャ悲劇のよう
ギリシャ悲劇は見たことないし知識もありません。それなのにそう思うほど、壮大な文学で、詩で、戯曲で、運命で、哲学でした。美しい映像と言葉と音楽に全身包まれ、客席が明るくなっても茫然としてました。シェリー原作の「フランケンシュタイン」、ケン・ラッセル監督の映画「ゴシック」、カンバーバッチがヴィクターとクリーチャーの両役を演じたナショナル・シアター・ライブ(映画2本)「フランケンシュタイン」のそれぞれが脳内に現れては消え、絵一枚一枚、言葉ひとつひとつに胸が躍りました。
自分も相手もただそのように生まれて存在しているだけで、双方が憎み合っている訳ではないことをクリーチャーは学ぶ。誰しも生まれたくて生まれた訳でないことも学ぶが、自分だけは死にたくても死ねないことを知ることになった彼は、共に生きて行ける伴侶を自分と同様のやり方で作って欲しかっただけだった。クリーチャー演じるジェイコブ・エロルディ、表情もセリフも体の動きも目の輝きも素晴らしかった。ミア・ゴス演じるエリザベートから、世界のどこにも居場所の無い疎外感と虚無が強烈に伝わってきた。
コスチューム、美術、ヘアメイク、セット、バックドラフト、厳しい優しい自然、地平線の映像が美しく迫力あった。映画館で見られる期間が長くなるといいなと思いました。
長いのには訳がある🤔
少し長いかな。
鬼才ギレルモ・デル・トロ監督作品でフランケンシュタインとなると見るしかないと。
序盤が睡魔に負けそうになりました。死体の山から怪物が誕生してからは面白く見れましたが上映時間2時間20分は長く感じました
見た目はモンスターでも心は純粋という設定もわかりにくく、彼の気持ちを理解するエリザべスの立ち位置も微妙な気がしました。
ヴィクター・フランケンシュタイン博士が名誉と金の欲の為だけにこの大掛かりな研究を続けたのも意味不明。さらに生命を誕生させただけでも凄い事なのに知性が伴わないだけで怪物を始末する行動はあまりに理不尽。
相変わらず凝り性のギレルモ・デル・トロ監督の映像は雰囲気があり、美術、小物等のデザインは見るべきものがありました。
おススメ度は普通のやや下。
【"死の克服の果て。”今作は父親譲りの傲慢な医者が生み出したクリーチャーが人間界で生きる様を通じ、本当の怪物は何か、赦しとは何かを描き出したヒューマンダークファンタジーの逸品である。】
ー 物語は、序章から始まり、父親譲りの傲慢な医者ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)の視点で、そしてクリーチャー(ジェイコブ・エロルディ)の視点で、”本当の怪物は何か、赦しとは何か”を描き出していくのである。-
<Caution!以下、内容の詳細に触れています。>
■1857年。氷に覆われた北極海で、足を怪我したヴィクターが、強引に北極点を目指しながら氷に閉じこめられていた船のアンダーソン船長(ラース・ミケルセン)達に救い出される。だが、そこに謎のクリーチャーが現れ、無数の銃弾を受けながら、船員を投げ飛ばしヴィクター・フランケンシュタインに迫って来るのである。
次に助けられたヴィクターが、自分の視点でクリーチャーが産まれた過程を語るのである。彼は傲慢な医者であった父の厳しい教えの元、医学を学んでいく。そして、父がなしえなかった死者を蘇させる実験に没頭していくのである。勿論、その根底には母を病で亡くした事があるのである。
ヴィクターは、絞首刑に処せられた罪人の死体を見分して使うのを止め、戦場で死んだ壮健な兵士の死体を使いながら、クリーチャーを生み出すのである。
その費用は、弟ウィリアム(フェリックス・カメラー)の心優しき婚約者エリザベス(ミア・ゴス)の叔父ハーランダー(クリストフ・ヴァルツ)が担っていたのである。
だが、ハーランダーは、自身が梅毒末期になっていたために、自分の身体をクリーチャーとして生きさせる事が、ねらいであったのである。だが、彼の目論み通りには行かずに彼は実験城内の廃棄物を捨てる穴から転落死するのである。
次にクリーチャーの視点で物語は紡がれるのである。
それは、彼は生まれてから”ヴィクター”としか声を出せなかったが、自分を人間として見てくれたエリザベスと出会い、”エリザベス”と声を発した事。だが、ヴィクターは自分を失敗作として、実験城を焼き払うが自分はギリギリ脱出し、ある猟師家族の盲目の老人と孫娘の会話から知を得、心優しき盲目の老人が勧めてくれた、ミルトンの”失楽園”などの書物を通し更に知を深め、猟師家族の為に羊の柵を作ったりして恩返しし”森の妖精”と呼ばれながらも、自分の姿を見た猟師家族たちに撃たれた事。
そして、蘇生した自分がウィリアムとエリザベスの結婚式の会場に行った際に、自分を庇ったエリザベスを、ヴィクターが誤って撃ち殺してしまい、自分はその為にヴィクターを、地の果てまで追って来た事を告げるのである。
◆感想
・今作は、従来のフランケンシュタインの物語を、ギレルモ・デル・トロ監督が見事にアレンジメントを施したヒューマンダークファンタジーになっている点が、素晴らしいのである。
・そこでは、父親譲りの傲慢な医者ヴィクター・フランケンシュタインが、母の死を防げなかった父を見返すために、死者を蘇らせる実験が生々しく描かれているのである。
そして最初は只のクリーチャーだったのが、心優しきエリザベスと出会い”人間の優しさ”を学び、猟師家族の盲目の老人からは、更に”知””と生きる価値”を学んでいく過程が描かれて行くのである。
■クリーチャーが地の果てまでヴィクターを追って来る姿を描いた序盤では、彼は怪物として描かれるが、クリーチャーが語るパートでは彼は優しさと知を得ており、顔付も優し気なのである。この構成とクリーチャーの成長過程の描き方が、実に上手いのである。
クリーチャーは、ヴィクターに”伴侶が欲しい。”と願いながら拒否され、エリザベスを誤射した彼を追って来る。だが、クリーチャーが彼を追って来た本当の理由が分かる再後半のシーンは、実に沁みるのである。
クリーチャーはアンダーソン船長の甲板から、ヴィクターが養生している船室に入って来て、上記の自身の物語を語るのである。
それを聞いたヴィクターは、涙しながら”私が間違っていた。許してくれ、息子よ。”と言い、クリーチャーはその言葉を聞き、優しい表情で”赦します。”と答えるのである。
その言葉を脇で聞いていたアンダーソン船長は、船員達に”彼を撃つな!”と指示し、クリーチャーは氷原に降りて、氷に閉じこめられていたアンダーソン船長の船を怪力で動かし、船長はそれまで、頑なに北極点を目指していた姿勢を翻し、船員達に”故郷に戻るぞ!”と告げ、船は氷のない洋上に出て行くのである。
<今作は父親譲りの傲慢な医者が生み出したクリーチャーが人間界で生きる様を通じ、”本当の怪物は何か、赦しとは何か”を描き出したヒューマンダークファンタジーの逸品なのである。>
Crazy Doctor
死体からつくられた不死の生物と、それを作り出したヴィクター・フランケンシュタインの話。
1857年北の果ての地で、氷に阻まれたデンマーク船のクルーが倒れている義足の男を助けたら、彼を執拗に追う巨人が現れ巻き起こって行く。
前半はヴィクターが如何にしてそれを作ったかを振り返る体の自分語りでみせていくけれど、要るのか要らんのか子供の頃のことからしっかりみせてくれて…親父も弟もエリザベスも何気にやばくね?
後半はクリーチャー視点から観せるけれど、これまたやっぱり丁寧で…猟師やばくね?
そして結局のところそんなオチ?
話し自体は面白かったけれど、丁寧過ぎる語りのおかげで、ちょいちょい弛んで勿体なかったし、終盤急に温くてちょっと物足りなかった。
ところで、頭潰したり焼き尽くしたら死ぬんじゃね?
人間こそ怪物
hateとfateでつながる2人
ピノキオの幸せ
まず驚いたのは 本作品のフランケンシュタインの怪物は紛う方なき 人間であること。
大柄で全身に無数の手術痕を刻むが 嫌悪どころか美しく感じる人影がスクリーンにあった。
もはやデザインが固定された彼の容姿を デルトロはどうリファインするかと楽しみにしていただけに 意外だった。
彼を怪物、創造物というレッテルのないピュアな命として提示してきた。
デルトロらしいアプローチだと思う。
これにより 彼が世界から受けるいわれなき不幸とささやかながら限りない優しさが より顕著に描写される。
彼の切なる願い想いが 観る側に痛いほど届く。
とりわけフランケンシュタインのクソっぷりたるや 救いがない。
終盤 散々不実であったフランケンシュタインがある言葉を彼に送る。
それは彼に主体性をあたえる。
デルトロの虐げられし異形のものへの愛情 ここに極まる。
しかし偏屈な小生は思うのです。
フランケンシュタインの言葉は パンドラの箱に残ったものと同じだ。弱き者への福音。
だが真逆の 人類にもたらされた最たる悪とする見方もある。
ピュアな命の彼に てらい無く父親を名乗る(如何なる方法であれ 彼を産みだしたのだから相違ないが)フランケンシュタインは実を持って この言葉を送っただろうか?
彼の行く末が 良しと切に願う。
どちらが怪物なのか?
正直、ファンタジー系はあまりみないジャンルなんやけど、ハウスオブダイナマイトの時に予告で心惹かれたので期待値高めで観に行った。
死者を生者にすることに取り憑かれた男。実験はうまくいくものの生み出した後のことを考えておらず…
タナトフォビア(死恐怖症)という言葉もあるが死ぬことに対して恐怖心を持っている人間は多い。というよりほとんどの人が少なからず恐怖心を持っているのでは?未知のことに対して恐怖心を抱くのは生存本能もあるんやろう。わからないことを知りたいと思い探究し続けるのは自然なことかもしれない。
様々な死体を組み合わされ出来上がった怪物は、心もリセットされ誰よりも純粋で思考する人間より人間らしい存在となった。一方のヴィクターは父が自分の一部であった母を殺した(疑惑ではあるが)という事実により人間という生き物に期待しなくなった。皮肉にも人間を信頼していない人間から純粋な怪物が生まれたのである。
伴侶がほしいと訴える彼の眼差しは胸が痛くなる。生きる意味とは?死からの復活は果たしてその人の尊厳を傷つけることにはならないだろうか?そんな倫理的な問題にまで踏み込んで描いた力作。ギレルモ監督の作品は異形のものはただ気持ち悪いものではなく、意思を持っている純粋で優しい存在として描かれることが多い。ルッキズムへの警鐘もあるのかな?
余談やけど、本作のミアゴス…眉毛があった!!パールからの振り幅!やっぱり好きな女優さんやわ〜
十数年ぶり...
すごく面白い
博士が「作った後のことなんて考えてなかった」とフランケンを持て余すのがひどい。でくの棒だったフランケンが盲目のおじいさんとの交流で次第に賢くなっていくと同時に、アイデンティティについて思い悩むのが悲しい。
そして死ねずに悩むのだけど、大量の爆弾で木っ端微塵にするか、ガソリンを被って燃やし尽くすなどして再生不能にすればいいのではないだろうか。
片足になった博士が俄然やる気を出して武器を買いそろえるのは、どうしたことかと思うし北極まで行くって、どうしたことか。
別にいろいろな死体を切り合わせる必要はあるだろうか。死人をよみがえらせるだけでも充分ではないか。せいぜい別の死体の心臓を移植するとか。
あんなに仲が悪かったヴィクターとフランケンが和解する場面は感動した。
耽美な怪物
150分あっても急ぎ足に感じた
美術や衣装がかなり凝っててゴシックホラーの雰囲気は良かった。
だだ、肝心の物語はあまり響いてこなかったかな...
描きたいことは伝わるんだけど、どのキャラクターも最初からセリフでお互いを語り尽くしちゃうから150分あっても感情が盛り上がらないまま終わってしまった。
直前まで対立してたのに最後が無理やり終わらせた感あってちょっと納得いかなかったなぁ。
はじめからヴィクターと怪物の絆が殆ど描かれないから最後も取って付けたような印象しかなかった。
これは映画じゃなくてじっくり8話ぐらいのドラマ形態でやったほうがもっと感情移入できただろうし、いい作品になったような気がする。
今回のフランケンの怪物は歴代でいちばんの美形。
全164件中、121~140件目を表示

















