フランケンシュタインのレビュー・感想・評価
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現代のプロメテウス
メアリー•シェリーの原作とは別物でした。なので、キャラクターを借りたスピンオフとして観れば面白いと思います!安心感とポップさ、画作りの丁寧さが好感でした。
原作からストーリーが大きく変更されていました。原作では子供の殺害があるので、そのままでは映画化にハードルがあったのでしょうか。女性への恋心の芽生えと殺害に至る心理的変遷は原作通りのほうが面白いと感じました。映画では船長が過度にマッスル化されておりそれも避けて欲しかったです。最も違和感があったのは、クリーチャー(怪物)の独白で「創造の責任とは何か」ということがあまり語られておらず、そこはこの原作の美しさの頂点だと思いますのでぜひ真正面から描いて欲しかったです。
何か惜しい
美しくも悍ましい装丁の文芸ゴシックホラー
B級ホラーの誉れ高いハマー・プロの『フランケンシュタインの復讐』、メル・ブルックスの爆笑コメディ『ヤング・フランケンシュタイン』、ケネス・ブラナーのシェイクスピア風『フランケンシュタイン』と、様々な切り口の映画を観てきたけど、構成、映像、美術、衣装、キャラクターの造形までガッチリ隙もなく作り上げたフランケンシュタインものの真打ちとも言える作品です。監督のギレルモ・デル・トロは、冒頭の北極海のスペクタルなシーンで作品世界に一気に観客を引き込みます。一転して、主人公のヴィクターの屈折した幼年期を丁寧に描き、さらに彼の歪んだ人格形成とその後の狂気に満ちた実験に邁進していく様子を、時折りグロテスクな描写をはさみながら見事に描いていきます。また、生み出された怪物が自我と知性、そして人間性に目覚める設定も素晴らしく、作品としては創造者と怪物、父と息子の関係に例えた、近親憎悪と赦しのドラマのように思いました。役者では、オスカー・アイザックが、傲慢で嫌悪感すら感じさせるヴィクター像を演じ切っています。怪物役のジェイコブ・エロルディの、ただの有機物から知性を備えるまでの繊細な演技に感心しました。次回作が、なんと『嵐ヶ丘』のヒースクリフとは、期待大ですね。怪物ヴィクターを生み出す父親役は、フランケンシュタイン博士役で有名なピーター・カッシングのような風貌だったけど、名優チャールズ・ダンスでした。
傑作フランケンシュタイン
メアリー女史の原作を元につくられた様々なフランケンシュタインを観てきたけど、これが最高傑作。
生命創造と言う神の領域を犯したヴィクターと、創り出された新しい生命。
新たな不死という設定をのせられてしまった事で永遠に苦しみから逃れる事のできない怪物のこの先の人生の悲しみと同情の思いが倍増して泣かさせる。
互いに父と子なんだと認めるラスト。
そして歪んだ命でも地上に産まれた立派な命なんだと、呪いから開放されて祝福されているかのような神々しい日の出の太陽。
こらからも沢山の苦しみを味わうだろう彼の長い人生で、この日の景色が永遠の救いになるだろうエンディング。
怪物だけでなく誰の人生にも苦しみと喜びがある。自らの人生に重ねられる景色がそこにあった。傑作をありがとう。
はぐれ者への優しいまなざし
知っている古典がモチーフなためか、めちゃくちゃ新しくてヤバイ!という印象はありませんでしたが、社会から受け入れられない怪物的なはぐれ者への優しいまなざしに、いつものデルトロみを感じました。生みの親であるフランケンシュタイン博士に殺されかけ、命からがら逃げ込んだとある農家で、おじいさんに頭を撫でてもらう孫をみて、自分で自分の頭を撫でてみる怪物が切ない。彼がおじいさんのもとで本を読み言葉を覚え成長していくところがよかった。
エリザベスは多分あの時代にあって生きづらい女性だったと思うんだけど、おそらく結婚にも消極的で、怪物のことはどのような目線で愛していたのだろうか。同じ異端としてのシンパシーを感じていたのだろうか。そのあたりはちょっと分からないままでした。
ヴィクターの母や天使に使われる象徴的な赤い色、怪物に命が宿る際に口から心臓を駆け抜ける視点などはゲーム「デスストランディング」を思い出しました。作者同志も交流があるようですが何かオマージュ的なものがあったのだろうか。
ギレルモ的フランケンシュタイン
Netflix製作と言うので観れないなぁーと思ってたら、イオンシネマで公開されてるので、無事、鑑賞出来ました!
フランケンシュタインと言えば、ケネス・ブラナー監督とデ・ニーロ主演の作品が印象に残ってますが、今回、ギレルモ・デル・トロ監督作と言うので、これは見逃せないなと。合うに決まってるよ。
さて、物語はフランケンシュタイン博士の子供の頃から入る。そこで、何故「死なない命」を生み出す事に拘るか、を観せる。唯一心の拠り所だった母、彼女への思いが研究に没頭する事へとなり、そして、天才らしく、研究以外かわ見えなくなっていく。
そして後半は、怪物の物語へとシフト。怪物(赤子)から人への成長。この構成が見事!
そして、原点へとオマージュも上手く散りばめられている。
また、異形の者とヒロインの女性が心を通わすのは、この手の映画の定番なんだけど、ギレルモ監督は、「シェイプ・オブ・ウォーター」といい、ちょっと普通とは違う。女性自体が何だか普通じゃない。けど、だからこそ、異形の者に惹かれる理由が分かる!
(ひょっとして、監督の好みなのかな?)
観れて良かった!ギレルモ的フランケンシュタイン!
#フランケンシュタイン
最も美しい人造生命
ネトフリ製作なので観れないかと諦めていたが、ありがたいことに上映してくれたのでウキウキで鑑賞。『パンズラビリンス』以降、ギレルモ・デル・トロ監督のファンであります。
近年のフランケンシュタインはあまり観ていないが31年版、続編の『花嫁』はセットで大好き。
感想としてはとにかく題材と監督が相性ばっちり。今日ではゴシック・ホラーのイメージが強い『フランケンシュタイン』だが、今作ではより哲学的な、生命の意義というか『死は乗り越えるべきものなのか』そして『乗り越えてしまったらどうなるのか』という問いが描かれる。衣装やセットといった世界観の作り方も、デル・トロらしい誇張された舞台っぽさ、と言っていいのか分からないが徹底されていて力の入れようを感じた。
もちろん、良いほうに作用している。
主人公には赤色、弟の許嫁には緑色の衣装が多く緑が生へのリスペクト、赤が死への執着のようなメタファーなのかなと思った。
衣装そのものもすごく格好良く印象的だったが、クレジットロールでティファニーが出てきて驚いた。私のような門外漢でも分かるもんだね。
ストーリーは怪物に追われるフランケンシュタイン博士が自身の人生を語る形式で進み、後半で怪物の視点になる。このスタイルは意外だった。
結構長いというか、『これ纏まりきるのか…?』と少し不安になったが、様々な要素を含みつつ綺麗に、すっきり纏まった。怪物がこれからどうするのか、という点はすこし気になるが、画作り、シナリオ、キャラクターどれをとっても美しい映画だった。
解剖シーン、組み立てシーンなどグロテスクなシーンも多いので苦手な人は注意かも!
少し期待外れ
ネトフリの配信メインの制作なので上映館自体が限られていて、地元ではそこそこ遠方に出掛けないと観れないのでどうしようかと思ってたが、予告編のビジュアルとエリザベス役をミア・ゴスが演じると言う事で期待して映画館で鑑賞する事にしたが、少し期待した内容とは違った。
ビクターの幼少時からの環境による性格の捻れっぷりや、新たに知った科学的真理に対する心酔っぷりは流石の演技だとは思ったし、そこへ至る前日譚部分も多少冗長感はあってもゴシックな風景描写が十分間を持たせてるとは思ったけど、わざわざ「弟の婚約者」に横恋慕すると設定しドロドロ感を伏線したのにエリザベスの興味の対象をあっさりモンスター側に切り替えて物切ったのは勿体無いと感じた、ましてやエリザベスを演じるのが天然プッツン美女を演じさせたら一級品のミア・ゴスなだけに、もっとメアリー・シェリーが執筆時の人間関係(メアリー、夫シェリー、バイロン、メアリーの従妹、バイロンの男の愛人の5角関係?)みたいな人間関係の奇妙さみたいなのを表現してもよかったのにとは感じた。
妄執に近い人造人間への固執(若しくは死の克服に対する)を、出来上がった人造人間が知性を持たないと言う一点だけで失敗と断じて、あっさり捨ててしまうとか、観てる観客的には「それを捨てたら、キミのこれまでの人生で何が残るの?」って感じてしまった。
全体的なビジュアルや主人公の演技等が奇譚を示しているのに、肝心の中身が少女漫画志向だったのには違和感を感じた。
多少趣は違うが、ケネス・ブラナー版の方がインパクトは強かったと感じました。
名もなき怪物に心を寄せて
フランケンシュタインといえば、モノクロ映像の、継ぎはぎ跡の目立つ四角い顔の大男が思い浮かび、怖がりの私はその映画を見ようと思わなかったし、原作小説も読んだことがなかったのだが、トロ監督によるピノキオ(モーションアニメ)がとても感動的だったので、本作も見てみようと思っていた。ハロウィンシーズンに合わせたのだろうか、配信前に映画館で公開されたので観てきた。
思わず目をふさいだ残虐なシーンもあったが、演技はもちろん造形(皆さんも書いておられるように今までで一番美形のフランケン)、美術、衣装(布地を染めるところから始めたそう‼︎)、音楽を始め、映画全体に心象を反映した重厚な世界観が漂っていて見応えがあった。そしてヴィクターとフランケン、二人の心理を追ったストーリーテリングがエモだった。
ヴィクターは、富と名声を優先し自分と母に辛くあたった父親に復讐するために前代未聞の人間創造の試みを始めた。だが、新しい命を創るということは、人間である自分はその命の生みの親になることだと分かっていなかったことが、神をも畏れぬ倫理の問題以上に問題であり、悲劇のもとだった。「ヴィクター」と名前を連呼して後追いをしてくる姿は、体こそ大きいが、何も知らない赤ん坊そのもの。言語に代表される知性は、エリザベスのように愛情をもって我慢強く接しなければ育たない。でも、憎しみだけで愛情を知らないヴィクターには思いが及ばずフランケンを知性のない怪物だと決めつけ地下に幽閉し、自分が父からされたように虐待し、フランケンの存在も自分がしたことも無かったことにしようとした。
フランケンのほうは痛い目に遭いながらも人間の情愛を知り言葉を覚え人並みに成長するが、自分の出生の経緯を知って絶望する。そして仲間が欲しい一心でヴィクターに会い行っただけなのにヴィクターは逆上し悲劇が始まる。
ヴィクターが逝く前に親子として分かり合えたのは救いだったが、残されたフランケンはこのままずっと一人ぼっちで、人間に見つかったら怪物扱いで攻撃されて痛めつけられて、でも再生してまた、…と神がプロメテウスに与えたような永遠の罰を、罪を犯したのは父親ヴィクターなのに、彼が代わりに受けて生きていくのかな、それとも人間の原罪を背負って生きるイエスのような存在なのかな、どちらにしても辛すぎるなTTと、映画を見終わって思った。でも、いつかまた、ヴィクターとのやり取りを見守ってくれた船長や、色んなことを教えてくれて友達扱いもしてくれたお爺さんのような人達に巡り会えるかもしれないと思って生きてこう!と監督は言っているような気がして、私もそう思うことにした^^
原作に近くアカデミー賞を獲った『シェイプ・オブ・ウォーター』以上に良かった
人造人間の生命の創造よりも不死の苦悩を、そして憎しみよりも赦しを。ミア・ゴスの新たな一面が魅力的。他の配信作品も劇場公開して!!
怪物は何なのか
死者の再生に執着する天才科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、禁断の実験によって怪物を創り出した。その哀しき宿命を背負った怪物は、どうなる、という話。
フランケンシュタインは自分で創った怪物に対し、言葉を教えようとしたが、ヴィクターしか覚えてくれず、すぐに諦めたところが、やはり身勝手だなぁ、と思った。
そして、弟の嫁・エリザベスに恋してた様だが、相手にしてもらえず、あんなんじゃモテないだろうな、とは思ったが。
いくら撃たれても再生する怪物のメカニズムの説明が欲しかった。まるでゾンビだなぁと思って観てた。
いつの間に字が読める様になったんだ?目の見えないじいさんが教えられる訳ないし。
死なないのは人間じゃ無い、としたら死人から創られた彼は何なんだ、という生物学的というか、倫理的な問いかけをしてたのかな?
それと、少し冗長に感じた。もう少し短く出来そうに思った。
怪物役のジェイコブ・エルロディはカッコよかった。
エリザベス役のミア・ゴスは美人じゃ無いのに相変わらず魅力的だった。
悲しい
アニメやUSJに出てくるフランケンシュタインとはだいぶ異なる。
かっこいい。愛おしい。悲しい。泣ける。
長いけど、展開が飽きさせない。
映像もとても精細で豪華。
解剖シーンは血とか臓器とかが苦手な人は嫌かも、臭いまでしそうで。
博士が何故怪物フランケンシュタインを創造したのか、幼い頃からの生い立ちから描かれている。
子供が成長してどんな大人になっていくかを左右する親の愛情って大切だな、もちろん他の大人達も。
愛を知り、人を大切にする気持ちや優しさがうまれる。
怪物フランケンシュタインが言葉を学び、愛を学んで行く様子が早い。怪物だから学習能力が優れているのか、過去の脳の記憶なのか?
ラストのシーンで、船長さんがこのままでは踏んだり蹴ったりだなぁ、その作業は怪物フランケンシュタインに頼んだらいいのにって思ったら、怪物フランケンシュタインが自らやってくれた展開で良かった良かった。
弟さんは気の毒。
名作、ただしモンスターの設定は...
人外を描かせたら当代一のデル・トロ監督の渾身の一作。今年下期の注目作の1つだったが期待を裏切らない作り上がりだった。
原作小説、ボリス・カーロフ版映画の「フランケンシュタイン」及び「フランケンシュタインの花嫁」の名場面のいいとこ取りして、それらをオリジナルストーリーで紡いでデル・トロの哀愁をまとった映像世界に巧妙に落とし込まれている。
画面に登場するだけでワクワクする2人の怪優、K.ヴァルツとM.ゴスの芝居も楽しい。
オリジナル映画の、有名な「少女を池ポチャ」シーンはポリコレ配慮でオミットしたのか、どう撮ってもコメディになってしまうからか?
ただ、モンスターをアンデッド設定にしたのはやり過ぎのような気もする。
フランケンものの傑作パロディ映画「ヤング・フランケンシュタイン」も見返したくなった。あれの盲老人(J.ハックマン)との対峙シーンは爆笑モノです。
「憎しみ合っている訳ではないのに、殺し合わなければならない」2人の関係性が実感できない
不死身の大男が北極探検船で大暴れするエピローグから、一気に物語に引き込まれる。
死体を継ぎ合わせて生き返らせてしまったフランケンシュタイン博士が、その怪物を、研究施設もろとも吹き飛ばそうとするまでを話す内容が第1章になっていて、船に乗り込んできた怪物が、博士に殺されそうになった後に経験したことを話す内容が第2章になっているという物語の構成も面白い。
この監督ならではの、ゴシック調のセットや衣装デザインと、それらを浮かび上がらせる陰影に富んだ美しい映像も、存分に堪能することができた。
ただし、人間関係を描くのに時間をかけている割には、博士が、人体蘇生の研究に打ち込んだ動機が今一つ理解できないし、怪物が、猟師の家に潜んでいるうちに急激に知性を身に付ける展開にも違和感を覚えざるを得なかった。
博士が、幼くして母親を亡くしたことや、父親との確執によって「命の再生」に取り憑かれたのであれば、そのことをもっと明確に描いてほしかったし、怪物が、書物を読めるまでに知能を発達させた過程では、盲目の老人が孫娘に文字を教える様子を覗き見ていた以上の説得力のある説明があってもよかったのではないだろうか?
それから、博士と怪物が北極圏までやってきたのは、てっきり、逃げる博士を怪物が追いかけてきたのだと思っていたのだが、終盤で、その逆だったことが分かって驚いてしまった。そうであるならば、どうして怪物が逃げて、博士がそれを追いかけたのかが、今一つ腑に落ちないのである。
怪物は、博士を殺そうと思えば、いつでも殺せたはずで、別に北極まで逃げる必要はなかっただろうし、そもそも、共に生きる伴侶が欲しかっただけで、博士に復讐しようとしていた訳ではないのである。博士の方も、確かに、怪物のせいで愛する人を殺してしまったという経緯があるし、怪物を創造した者の責任として、自ら終止符を打ちたかったのかもしれないが、それは、あくまでも「逆恨み」や「思い込み」であって、地の果てまでも怪物を追いかける理由にはならないだろう。むしろ、知性を身に付けた怪物は、彼にとって、もはや「失敗作」ではないはずなので、研究の成果として保護しようとしてもおかしくないのではないだろうか?
このように、「憎しみ合っている訳ではないのに、殺し合わなければならない」2人の関係性を実感することができなかったせいか、博士による謝罪と怪物による赦しのやり取りが素直に心に響かなかったのは、残念としか言いようがなかった。
こうしたラストにするのであれば、身勝手に命をもて遊ぶ博士に対する怪物の怒りや憤りがより強調されるべきだったと思うし、異形の者ゆえに、いわれのない差別や偏見を受ける怪物の悲しさや切なさが余り描かれなかったことにも、物足りなさを感じざるを得なかった。
『シェリー』に口づけ
物語り誕生の元になった「ディオダティ荘の怪奇談義」については、
〔ゴシック(1986年)〕に詳しい(笑)。
もっとも『ケン・ラッセル』による同作、
かなりエロティックではあるのだが。
本作は二部構成。
一部は「創造主/クリエーター」が
二部は「怪物/クリーチャー」が夫々主体。
尺は150分に近いかなりの長さも、
スペクタクルシーンに時間を使いすぎたためか、
登場人物の心情に分け入り切れない
何かと不満の残る一本になっている。
「Netflix」による、潤沢な製作費の保証が、
全体の構成を歪ませる要因かもしれない。
それでも、狼が羊を襲うシーンのVFXは、
動きがカクカクし、チープ感が漂うが・・・・。
『ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)』は
彼が幼い頃に不慮の事故で亡くなった母親への思慕の情がつのり、
いつしか生命の創造を試みるようになる。
が、それにより、愛する母親が甦るわけではなく、
主人公の発想の飛躍について行くのは、なかなかに難しい。
創造に熱中するあまり、
産み出した後の用意を何も考えていない迂闊さは、
子供が図体だけ大きくなった主人公の本性をうかがわせる。
「マッドサイエンティスト」らしいとの表現もあたるか。
「怪物」に対しての態度も、
自身が幼い頃に父親から受けた躾をそのまま再現しているようで、痛々しい。
産み出された方の「怪物」だが、
創造主の手を離れたのちに長足の進歩を遂げる。
言語を取得し、コミュニケーションも可能となるが、
人々は彼の外見を畏怖し、
心を開いてくれたのは盲目の老人と、
『ヴィクター』の弟の婚約者『エリザベス(ミア・ゴス)』のみ。
片や容姿に左右されないし、もう片方の審美眼は
世間的な物の見方を超越している。
彼の躰は一度死んでも再び蘇える不死。
度重なる迫害を受けたことに絶望し、
『ヴィクター』に対し(永遠の命を持つ)伴侶を造るよう要求する。
ここからの展開は相当に荒唐無稽。
追う者、追われる者の主客がくるくると逆転し、
ついには北極圏を股に掛けた追走劇に発展。
あまりの地域的な広がりに(もっとも原作通りではあるが)、
唖然とするばかりだ。
『ヴィクター』「怪物」『エリザベス』の
感情の深みや揺れが判るエピソードをもっと見たかった。
原作の表面を薄く剥ぎ取り、
映像に仕立ててしまった印象。
死ねない悲哀は、
『高橋留美子』の〔人魚シリーズ〕の通りだし、
パートナーの有無がモチベーションに直結するのも同様。
一種の気まぐれが生む混乱は
『芥川龍之介』の〔蜘蛛の糸〕でも描かれているが、
いずれも憤懣をぶつける相手はいないか、手の届かぬ場所に存在した。
翻って本作では、そのための追走劇であったハズなのに、
あっさりと怒りが氷解するのは簡単に過ぎる。
西洋的な神と人間の関係性を背景にしているのだろうが、
どうにも得心が行かぬ。
これなら原作通りに、最後には絶望と不毛を見せてくれた方が、
どれだけ良かったか。
全157件中、81~100件目を表示












