フランケンシュタインのレビュー・感想・評価
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感想メモ
ビクター博士、フランケンシュタイン、それぞれの語りが状況や心情を丁寧に描写し、ラストの感動を作り上げた、お手本のように綺麗な構成だと思う
監督ギレルモ・デル・トロなのね!心優しいクリーチャーを作るのに定評あり
ミア・ゴス好き、見てる作品が偏っているのかもしれないが、この人が演じるキャラと関わったらロクなことがない
母を亡くし、父に執念を抱き、愛を拒絶され生への興味を失い、死を克服することに捕らわれたビクター
知識を得て、自分が何者でもないと知り、生死の選択さえ思い通りにいかない体を作ったビクターを恨むフランケンシュタイン
「神によって生を得たのだから、それを奪うのも神であり、従うべきだ」「死を操れないのなら神は無能だ!」審問会?のシーン好き、みんなが実験を見ようと前のめりになるの好き
つくる事だけ考えていて、できた後の事は考えていないの、愚か者が概念を語るとこうなるの典型だ
ビクターがドアを開けて熱風にぶっ飛ばされて足を折るシーンの勢いが好き
ダイナマイトを持って祈るようなフランケンシュタインの姿が印象的
勝手に与えられた命、死ぬことはできなくてもどう生きるかを選択することはできる
人を赦し、自分の存在を赦すことでフランケンシュタインは人間になれたのかな、「ビクター、お前を赦す」の時の顔が好き、優しさ、慈愛に満ちた微笑み
ビクターは初めて自分に素直になり、過ちを認めて謝罪する事で人間になれたかな、狂気的なまでに死に捕らわれた人生が死を迎える時初めて死を受け入れることができたのかな
選択には魂が宿る
ビーナスとの一夜でマーキュリー
あまりの美しさに空いた口が塞がらない
神に背く堕落天使のごとく生命の輪廻から逸脱することを達成してしまった怪物と、
自然の摂理を知り、自身の存在の歪さを呪い許しを乞う聡明で美しい怪物。
この二者が人に成るまでの過程を美しく描き切った傑作だった。
劇中幾度となく繰り広げられる概念や死、命などについての哲学的な議論がどれもすごく新しくて聞き甲斐のあるものになっていて面白い。
美術がとてつもない。
人間と探究心が向かう先、AIの怖さ
📚境界線に立つ人間の探求心
ヒトの探求心は「正」と「過」の狭間にあり、進歩と破滅の境界線上で揺らめく。現代の「強いAI」を考えさせる内容でもあった。人間の脳を模したAIの人工知能は探究という名の意思なき連続運動になりさがり、人間のそれとは別物。崩壊したその意志なき探究運動の向かう先を考えてしまった。
🧠曖昧なる脳とAI
人間の脳が生み出す意思や感情は曖昧そのもの。フランケンシュタインの脳やAIのニューラルネットワークは、「人工の感情」の先に山積する課題を示している。
永遠に答えなき疑問
『フランケンシュタイン』は、人間が永遠に答えを出せない問いを突きつける。
愚者と電気信号の問い
①💣『オッペンハイマー』
理想を追う愚者。追求した先に見えたモノが誰にとって、何にとって良かったのか悪かったのか。対象によって見え方が変わるそのもどかしさと答えなき問い
②🧜♀️『人魚の眠る家』
脳の活動が意思か電気信号かを問いかける。人間は何があれば人間で何がなくなったら人間ではなくなるのか。そこが実は曖昧になっている。
テセウスの船のパラドックス的な。。。
🧌真の怪物は人間だ
怪物は制御不能なテクノロジーの象徴。だがそれを生み出すのは人間自身。進歩と破滅の狭間に立つ探求心は、現代のAIへの向き合い方にも通じる。「弱いAI」を使うというルールは絶対に守らなければならないと思う。
📖原作の影を映す怪物
1931年版よりも原作に近い。1931年おそらく最も有名であろうこの作品の怪物は、殺人者の脳みそが元になった怪物だったため、怪物のそこそこ醜かった。
原作の怪物は「制御不能なテクノロジー」「母なき子」という隠喩を背負う。今回の作品は1931年版よりも原作に沿った怪物の描き方を強く感じた。
📽️映像
圧巻だった。制作期間が分かりませんが、しっかりコンセプトに沿った不自然さのない一貫性のあるデザイン。衣装にもこだわっていることが本当にわかった。とても美しい。
怪物のデザインも1931年に比べるととても人間的なデザイン。親しみやすさが違った。過去作と比べるとどちらもしっかり差別化され、とても良い作品だなと思う。
映画館で観ようよ
何度も映像化されたメアリー・シェリーのホラー小説に独自の解釈を交えて挑んだギエルモ・デル・トロ監督の新作。
医学者の父から後継者として厳格に育てられたヴィクター・フランケンシュタイン。
優しかった母を亡くした幼少期のショックがトラウマとなり、不死の生命を創り出すという妄執に捕らわれたまま成長していくが…。
本作は概ね原作の筋書きを踏襲しているが、1931年に製作されたユニヴァーサル・ホラーの同名作品(以下『1931年版』)からもいくつかのアイデアを引き継いでいる。
ついでに言及すると、ボリス・カーロフの特殊メイクばかり話題になることが多い1931年版は完成度の高いれっきとした名作。ビクトル・エリセが『ミツバチのささやき』(1973)に引用したのもダテや酔狂からではない。
以後の派生作品に大きな影響を与えているが、主人公が科学者(もしくは博士)という設定も同作が編み出した新基軸で、原作のヴィクターは単なる学生(留学生)に過ぎない。
そのぶんオリジナルの弟ウィリアムの設定年齢も低くて婚約どころか年端もいかない少年だが、こいつが紛う事なきクソガキで、要らんこと言って怪物を挑発したせいでイチコロに縊り殺される。
創造物のあまりの醜さからただちに放棄する原作と異なり、当初は主人公が怪物の面倒をみる点も1931年版と同じ。
だが、怪物が自分の名前だけでなく弟の婚約者エリザベスの名前を口にしたために、自分だけの秘匿物と禁断の想いを寄せる彼女に対する二重のジェラシーと羞恥に苛まれたヴィクターは創作物の消却を決意する。
神の領域を侵す罪を厭わないヴィクターと昆虫好きのエリザベスとの噛み合わない会話は、初めのうちは進化論を巡るダーウィンとファーブルのように他愛のないやりとりに過ぎなかったが、やがて二人は怪物を挟んでユダと慈悲深き聖母ほどの乖離を見せヴィクターの未熟さを露呈していく。
本作がヴィクターのモノローグと怪物のそれとの二部構成になっているのは原作のプロットに沿っているからだが、ヴィクターのセリフが身勝手で自己弁護に終始した幼稚な主張ばかりなのに対して、怪物の独白は格調高く詩的ですらある。
彼が盲目の老人のもとで読み耽る書物は、おそらく聖書とほかは『プルターク英雄伝』にミルトンの『失楽園』(状況は異なるが原作では聖書の代わりにゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読むことになる)。
環境が後天的な人格形成に与える影響は原作、1931年版、ともに重要なテーマとなっている。その点は本作も同じだが、外見の醜さゆえの迫害に曝され造物主ヴィクターへの復讐心を凝縮させる原作や、防衛本能から攻撃性を剥き出しにすることになる1931年版と較べると、本作の怪物は内省的な存在にも思えてくる。
作者が女性なので母性の介在を主唱する論評もあるようだが、原作には母性を体現する人物は出てこない(原作のエリザベスは弟ではなくヴィクター自身の婚約者だが、男性に追従する旧い価値観の存在に過ぎない)。
監督のデル・トロは本作のエリザベスを完璧な母性の象徴として描くことでヴィクターの幼稚さを強調するとともに、彼と怪物の歪んだ父子関係(父性)を際立たせようとしているのではという気もする。
デル・トロ監督の『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)はオスカー等、幾つもの賞を獲得したものの、個人的にはグロテスクなだけで後味の悪い印象しか残らなかったし、メッセージ性も未熟で未消化に感じた。
監督の作品をそんなに多くは観ていないが、『パンズ・ラビリンス』(2006)はスペイン内戦を背景にしているし、アニメーション作品『ピノッキオ』(2022)は第二次大戦が舞台。
本作も直接の戦闘シーンこそ登場しないものの、己れの願望と名誉欲を満たすために食屍鬼のように戦場で死体をあさるヴィクターの姿を通して戦争の愚かさを訴えかけている。
怪物が今後関わりを持たないことを交換条件に伴侶(つまり女の怪物)を創るようヴィクターに迫る設定は原作どおり。
ただし、原作のヴィクターは増殖した怪物の子供がやがて人類に取って代わるのではという現代の移民排斥問題を先取りしたような根拠のない妄想に駆られ、完成間近の「伴侶」を破壊し、激怒した怪物をさらなる凶行に奔らせる。
グロテスクな残酷趣味の映画を撮りたいだけなら、こんなもってこいの場面を避ける必要はなかっただろう。にも関わらずデル・トロはこのエピソードの映像化を回避している。
敢えて描かなかったのは、もっと大切な主題がほかにあったからだろう。
原作の怪物は安易に自分を生み出し無責任に遺棄したヴィクターをとことん追い詰めた結果、彼の死によって己れの存在意義までも失い、いずこともなく消えていくが、本作の怪物はヴィクターの請いを受け容れて彼を赦し和解を遂げる。
創造主(父親)であるヴィクターが原作ではクソガキだった弟からさえ“You are the monster(兄さんこそ怪物).”と吐き捨てられるほど精神的に未熟で身勝手な人物に描かれるのと対称的に、賢者のごとき老盲人と出会い名著に触れて以降の怪物(息子)を思索的な存在と捉えているからか、彼らの和解は両者の父子関係の逆転とも受け取れ不思議な印象を残す。
怪物が朝日に向って晴れやかな表情で両手を拡げるラストシーンも、1931年版へのオマージュ。
神の領域を侵犯したヴィクターは結局ただの人間として息を引き取るが、不死の生命と無限の力を手に入れ、神にも悪魔にもなれる存在と化した怪物は果たして――。
本作を見終えて彼が後者を選ぶと想定する人なんておそらくいないだろう。
今後デル・トロ監督の代表作とも、フランケンシュタイン映画の金字塔とも賞されて然るべき傑作。
Netflixが配信用に製作したそうだが映像は緻密で完成度も高く、ラストシーンは神々しいまでに美しい。
映画館で観ないのはもったいない。
観る人が何を求めるか
やっぱデルトロ天才
怪物は創造物ではなく創造主だった。
デルトロにかかればフランケンシュタインもただのホラー映画じゃなくて壮大なテーマに。
いや、原作に忠実なんよな。
不気味で気味悪くてもどこか美しいデルトロ映画!
1番怖いのは...
これ1番怖いのは、怪物が全然怪物ではなく、むしろ美しかったこと。
おそらく原作通り本当に醜かったら誰も見なかっただろう...
原作改変は叩かれるが、美しく改変する分には誰も文句言わない...
人間って残酷ですよね。誰しもが美しいものを見たがり、醜いものを排除、差別する。
これを映画自体が証明してしまった。
そして皮肉にも映画全体としてはかなり美しかった、、、
自分含め、愛らしいものは保護し、醜いものは問答無用で処分する。彼らも生きており、感情があるということを顧みず、そんな姿に産まれたのが悪い!と言い聞かせ...
怪物役の俳優さんは、アイドルみたいな役はもうやりたくない、作家性のある作品に出たいって言って頑張ってらっしゃる方なんですよね。
顔に障害がある子を、大きくなった時にこの子が外に出られるよう小さいうちからメディアに出させようと考えた親御さんが、「うちの子供が見てトラウマになったらどうする!メディアに出させるな!」と酷い暴言を浴びせている...
作品自体に罪はないが、人間の嫌な部分を突きつけられた気がして辛くなってしまったのでこの評価で。
作品自体の感想としては最後に、それでも前を向いて生き続けるというところにメッセージ性はあるのかもしれない...
哀しい
想像以上に美しくて哀しい物語だった。
前半はヴィクター(オスカー・アイザック)の語りで死体を繋ぎ合わせて命を生み出す男の狂気を描いて、後半は怪物(ジェイコブ・エロルディ)の語りで自らの存在に苦悩し孤独に苛まれる悲しみを描いている感じかな。前半と後半でだいぶトーンが違う。私は後半が好き。
怪物が生まれた瞬間のヴィクターの喜びは確かに真実で、初めて名前を呼ばれた時の表情はまるで子を見守る親のようにも思えたのに、結果を求めるがあまり彼が怪物を失敗作だと認定してしまうのが切なかった。子供の頃の父親との関係性の悪さがしっかり受け継がれていて、愛することもできず創造の責任を放棄する。自分のエゴで命を生み出したのに、生まれた後は何もできないとか無責任にも程がある。
エリザベス(ミア・ゴス)の登場シーンが素晴らしい。青いドレスに身を包み、頭蓋骨を手にして立つ姿。どこか不穏でありながら一瞬で虜になる美しさ。彼女は怪物に寄り添い愛を与える存在。
怪物は盲目の老人との関わりで知性を手にし、そして孤独と向き合い自らを創造したヴィクターに復讐心を抱くんだけど、最終的には彼に赦しを与えるんですね。死ぬこともできずに永遠の孤独を受け入れる怪物。切なかった。そして、ちょっと長かった。
映像美
Owner of a Lonely Heart
ありきたりの域を越えない
個人的には?
まず美術は一級品。モルドールかよ!?とツッコミたくなるほど「悪...
まず美術は一級品。モルドールかよ!?とツッコミたくなるほど「悪の居城」な研究所も、のちの派手派手しい爆破炎上ぶりと合わせて最高だ。役者陣もハマっている。だが、ストーリーはいろいろ工夫はあるものの、結局は原作をなぞることに汲々としている印象を受ける。「父と子」のテーマを強調するのはまとまりは良いが、原作の神学的、SF的な側面からは矮小化ともいえるし、せっかく昆虫好きの才女として肉付けしたヒロイン・エリザベスが脇に追いやられてしまう格好なのも残念だった。永遠性の問題はなにも解決していないものの、「父」との和解を果たしたラストシーンの「怪物」の姿はそれまでと打って変わって荘厳美さえ感じられ、むしろ「この後」のオリジナルストーリーを同スタッフで作ってほしいと思わされる。
私が求めるデル・トロではなかった
これまでのデル・トロ作品は、さりげなく、ジワッと情感を伝えていた。異形のモンスターを描きながら、観る側がメッセージを読み取る作風に大人の味わいがあった。
その点、本作は説明が過剰だった。
「そこはセリフで語らず、演技や映像で表現してほしい」と思える場面が多かった。
オスカー・アイザックはこれまで寡黙ながら凄みのある役が多かったが、本作では感情的で浅はかなマッドサイエンティストを演じた。演技の幅を広げていたと思うが、私のイメージではなかった。
そしてミア・ゴス。彼女が登場するだけで異常な緊張感が漲る。この点は期待以上だった。
本作を通じて、私は鑑賞者として意識のアップデートを迫られた。「この監督∕役者はこういう人だ」という固定観念は捨てないとだめですね。
無慈悲な生
何度も映像化されてきた“フランケンシュタイン”の物語を、2025年...
何度も映像化されてきた“フランケンシュタイン”の物語を、2025年版として現代的にリブートした本作。
映像は美しく、テーマも真面目に作り込まれているが、序盤の説明が長く、中盤は同じトーンの繰り返しが続くため、観ていると 「ちょっと飽きる」 感覚がじわりと積み重なる。
そして何より印象に残るのが 終わり方の唐突さ。
大きな余韻や感情の爆発を待つ間もなく、スッと幕が下りてしまう。
そのため、観終わったあとに残るのは“余韻”というより 妙な寂しさ に近い。
古典を丁寧になぞったリブートとしては正統派だが、新しい驚きや強烈なインパクトを期待すると、どこか物足りなさが残るかもしれない。
たぶん、時間をあけ、二度観るとみえてくる楽しみもあるかも…
フランケンシュタインを深く知る
良くも悪くも変わらず成長のないデル・トロ。
安心してください、はいてますよ!
なぜか、最初からパンツだけはいていました。
何を食べたら、あんな怪力になるのでしょうか?
しかし、美術が素晴らしいです。
実験室が作られたタワーのセットの造形が大好きです。
衣装デザインが美しいです。
照明が巧みです。
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