劇場公開日 2025年10月24日

「『シェリー』に口づけ」フランケンシュタイン ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 『シェリー』に口づけ

2025年10月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

難しい

物語り誕生の元になった「ディオダティ荘の怪奇談義」については、
〔ゴシック(1986年)〕に詳しい(笑)。

もっとも『ケン・ラッセル』による同作、
かなりエロティックではあるのだが。

本作は二部構成。
一部は「創造主/クリエーター」が
二部は「怪物/クリーチャー」が夫々主体。

尺は150分に近いかなりの長さも、
スペクタクルシーンに時間を使いすぎたためか、
登場人物の心情に分け入り切れない
何かと不満の残る一本になっている。

「Netflix」による、潤沢な製作費の保証が、
全体の構成を歪ませる要因かもしれない。

それでも、狼が羊を襲うシーンのVFXは、
動きがカクカクし、チープ感が漂うが・・・・。

『ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)』は
彼が幼い頃に不慮の事故で亡くなった母親への思慕の情がつのり、
いつしか生命の創造を試みるようになる。

が、それにより、愛する母親が甦るわけではなく、
主人公の発想の飛躍について行くのは、なかなかに難しい。

創造に熱中するあまり、
産み出した後の用意を何も考えていない迂闊さは、
子供が図体だけ大きくなった主人公の本性をうかがわせる。
「マッドサイエンティスト」らしいとの表現もあたるか。

「怪物」に対しての態度も、
自身が幼い頃に父親から受けた躾をそのまま再現しているようで、痛々しい。

産み出された方の「怪物」だが、
創造主の手を離れたのちに長足の進歩を遂げる。

言語を取得し、コミュニケーションも可能となるが、
人々は彼の外見を畏怖し、
心を開いてくれたのは盲目の老人と、
『ヴィクター』の弟の婚約者『エリザベス(ミア・ゴス)』のみ。

片や容姿に左右されないし、もう片方の審美眼は
世間的な物の見方を超越している。

彼の躰は一度死んでも再び蘇える不死。
度重なる迫害を受けたことに絶望し、
『ヴィクター』に対し(永遠の命を持つ)伴侶を造るよう要求する。

ここからの展開は相当に荒唐無稽。

追う者、追われる者の主客がくるくると逆転し、
ついには北極圏を股に掛けた追走劇に発展。

あまりの地域的な広がりに(もっとも原作通りではあるが)、
唖然とするばかりだ。

『ヴィクター』「怪物」『エリザベス』の
感情の深みや揺れが判るエピソードをもっと見たかった。

原作の表面を薄く剥ぎ取り、
映像に仕立ててしまった印象。

死ねない悲哀は、
『高橋留美子』の〔人魚シリーズ〕の通りだし、
パートナーの有無がモチベーションに直結するのも同様。

一種の気まぐれが生む混乱は
『芥川龍之介』の〔蜘蛛の糸〕でも描かれているが、
いずれも憤懣をぶつける相手はいないか、手の届かぬ場所に存在した。

翻って本作では、そのための追走劇であったハズなのに、
あっさりと怒りが氷解するのは簡単に過ぎる。

西洋的な神と人間の関係性を背景にしているのだろうが、
どうにも得心が行かぬ。

これなら原作通りに、最後には絶望と不毛を見せてくれた方が、
どれだけ良かったか。

ジュン一