劇場公開日 2025年10月24日

「クリーチャーを介して描かれる人間が人間である理由」フランケンシュタイン 清藤秀人さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 クリーチャーを介して描かれる人間が人間である理由

2025年10月25日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

悲しい

怖い

ギレルモ・デル・トロが25年間温めてきたというモンスター映画のマスターピースに対する彼なりの"愛の讃歌"は、パート毎に分かれて描かれる。第一章は、幼くして母親を亡くしたフランケンシュタイン博士(オスカー・アイザック)が、死を免れる手段として恐るべき再生機能を持ったクリーチャー(ジェイコブ・エロルディ)を創り上げる過程だ。冒頭から炸裂する濃厚な映像と耳をつんざくような音響を使って描かれるこの前半で、早くもデル・トロのマジックにかかって痺れまくる観客は多いことだろう。

しかし、個人的な印象では、物語が一気に深みと憂いを帯びてくるのは、クリーチャー目線でことの次第が語られる第二章だ。作ってくれと頼んだわけでもないのに、不死身の体が欲しいと言ったわけでもないのに、そんな自分をこの世に誕生させた博士に対するクリーチャーが抱く計り知れない孤独は、観る者の心を射抜いて一層画面から目が離せなくなる。クリーチャーを演じるエロルディの悲哀に満ちた演技は、当初は別の俳優が演じる予定だったことなど忘れさせる。目の表情といい、体型といい、この役には彼以外考えられないのだ。

やがて、クリーチャーが葛藤に果てに"人間とは何か"を学びとるクライマックスは、デル・トロの今の世界に対する切なる願いが込められていて、思わず胸が熱くなってしまった。人間が人間である理由。それは怒りのその先にある感情なのだと、教えてくれるのだ。

清藤秀人