「【"死の克服の果て。”今作は父親譲りの傲慢な医者が生み出したクリーチャーが人間界で生きる様を通じ、本当の怪物は何か、赦しとは何かを描き出したヒューマンダークファンタジーの逸品である。】」フランケンシュタイン NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【"死の克服の果て。”今作は父親譲りの傲慢な医者が生み出したクリーチャーが人間界で生きる様を通じ、本当の怪物は何か、赦しとは何かを描き出したヒューマンダークファンタジーの逸品である。】
ー 物語は、序章から始まり、父親譲りの傲慢な医者ヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)の視点で、そしてクリーチャー(ジェイコブ・エロルディ)の視点で、”本当の怪物は何か、赦しとは何か”を描き出していくのである。-
<Caution!以下、内容の詳細に触れています。>
■1857年。氷に覆われた北極海で、足を怪我したヴィクターが、強引に北極点を目指しながら氷に閉じこめられていた船のアンダーソン船長(ラース・ミケルセン)達に救い出される。だが、そこに謎のクリーチャーが現れ、無数の銃弾を受けながら、船員を投げ飛ばしヴィクター・フランケンシュタインに迫って来るのである。
次に助けられたヴィクターが、自分の視点でクリーチャーが産まれた過程を語るのである。彼は傲慢な医者であった父の厳しい教えの元、医学を学んでいく。そして、父がなしえなかった死者を蘇させる実験に没頭していくのである。勿論、その根底には母を病で亡くした事があるのである。
ヴィクターは、絞首刑に処せられた罪人の死体を見分して使うのを止め、戦場で死んだ壮健な兵士の死体を使いながら、クリーチャーを生み出すのである。
その費用は、弟ウィリアム(フェリックス・カメラー)の心優しき婚約者エリザベス(ミア・ゴス)の叔父ハーランダー(クリストフ・ヴァルツ)が担っていたのである。
だが、ハーランダーは、自身が梅毒末期になっていたために、自分の身体をクリーチャーとして生きさせる事が、ねらいであったのである。だが、彼の目論み通りには行かずに彼は実験城内の廃棄物を捨てる穴から転落死するのである。
次にクリーチャーの視点で物語は紡がれるのである。
それは、彼は生まれてから”ヴィクター”としか声を出せなかったが、自分を人間として見てくれたエリザベスと出会い、”エリザベス”と声を発した事。だが、ヴィクターは自分を失敗作として、実験城を焼き払うが自分はギリギリ脱出し、ある猟師家族の盲目の老人と孫娘の会話から知を得、心優しき盲目の老人が勧めてくれた、ミルトンの”失楽園”などの書物を通し更に知を深め、猟師家族の為に羊の柵を作ったりして恩返しし”森の妖精”と呼ばれながらも、自分の姿を見た猟師家族たちに撃たれた事。
そして、蘇生した自分がウィリアムとエリザベスの結婚式の会場に行った際に、自分を庇ったエリザベスを、ヴィクターが誤って撃ち殺してしまい、自分はその為にヴィクターを、地の果てまで追って来た事を告げるのである。
◆感想
・今作は、従来のフランケンシュタインの物語を、ギレルモ・デル・トロ監督が見事にアレンジメントを施したヒューマンダークファンタジーになっている点が、素晴らしいのである。
・そこでは、父親譲りの傲慢な医者ヴィクター・フランケンシュタインが、母の死を防げなかった父を見返すために、死者を蘇らせる実験が生々しく描かれているのである。
そして最初は只のクリーチャーだったのが、心優しきエリザベスと出会い”人間の優しさ”を学び、猟師家族の盲目の老人からは、更に”知””と生きる価値”を学んでいく過程が描かれて行くのである。
■クリーチャーが地の果てまでヴィクターを追って来る姿を描いた序盤では、彼は怪物として描かれるが、クリーチャーが語るパートでは彼は優しさと知を得ており、顔付も優し気なのである。この構成とクリーチャーの成長過程の描き方が、実に上手いのである。
クリーチャーは、ヴィクターに”伴侶が欲しい。”と願いながら拒否され、エリザベスを誤射した彼を追って来る。だが、クリーチャーが彼を追って来た本当の理由が分かる再後半のシーンは、実に沁みるのである。
クリーチャーはアンダーソン船長の甲板から、ヴィクターが養生している船室に入って来て、上記の自身の物語を語るのである。
それを聞いたヴィクターは、涙しながら”私が間違っていた。許してくれ、息子よ。”と言い、クリーチャーはその言葉を聞き、優しい表情で”赦します。”と答えるのである。
その言葉を脇で聞いていたアンダーソン船長は、船員達に”彼を撃つな!”と指示し、クリーチャーは氷原に降りて、氷に閉じこめられていたアンダーソン船長の船を怪力で動かし、船長はそれまで、頑なに北極点を目指していた姿勢を翻し、船員達に”故郷に戻るぞ!”と告げ、船は氷のない洋上に出て行くのである。
<今作は父親譲りの傲慢な医者が生み出したクリーチャーが人間界で生きる様を通じ、”本当の怪物は何か、赦しとは何か”を描き出したヒューマンダークファンタジーの逸品なのである。>
