終わりの鳥のレビュー・感想・評価
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25-050
期待度○鑑賞後の満足度◎ 「神とか死後の世界のことは極秘情報なのよね?」とかまをかける母親に、黙って頷くオウム…so funny
介護退職、介護貧困、高額治療費
終わりの鳥Tuesday
何処の国の話なのか?
難病介護で疲れ果てた母子家庭に死神の鳥が死の訪れを告げに来た。
子のチューズデーは静かに受け入れながら母ともう少しの対話を求めた。
それしか仕方ないことだよね。
母は真っ向に拒否をして鳥を焼き鳥にして食ってしまう。
死神鳥が来て、介護に明け暮れながら互いに何も知らないことを気づきだす。
母は、失職し多くの家財を売却して生活していること、出来るだけ難病に苦しむ子供といたくない。
子は、母が自分の難病で疲れ切っていることを知らずに、一生懸命に働いていてくれていると思っていた。いつも話がおざなりなのは仕事で疲れているからだと思っている。
そんなすれ違いが、
究極の死が目の前に現れたときに互いが真剣に向き合うことが何なのかに気づき始める…
死という鳥が、死ではなく生きることを考えさせてくれる。
きっと、生まれた時から各人は死に鳥を育てながら生きているのだろう。
私の死に鳥も随分大きく育ったようだ。
争うよりも仲良くして禅譲したいものです。
( ̄▽ ̄)
終わりの鳥 Tuesday
命の終わりを告げる鳥と対峙する母娘を描いた奇想天外なドラマ。
クロアチア出身の新鋭ダイナ・O・プスィッチが長編初メガホンをとり、“死”という概念を独創的な映像表現で視覚化。
病気の少女とその母親が奇妙な鳥との出会いを通して、間もなく訪れるであろう別れを受け止めていく姿を、ユーモアを交えながら描きだす。
病に侵され余命わずかな15歳の少女チューズデー。
母ゾラと暮らす彼女の前に、しゃべって歌う変幻自在な1羽の鳥が舞い降りる。
それは地球を周回して生きものに命の終わりを告げる「デス」という名の鳥だった。
チューズデーはデスをジョークで笑わせ、外出中のゾラが帰ってくるまで自分の命を引き延ばすことに成功する。
やがて帰宅したゾラは鳥の存在に畏れおののき、愛する娘のもとから遠ざけるべく暴挙に出るが……。
「恋人はアンバー」のローラ・ペティクルーがチューズデー、テレビドラマ「Veep ヴィープ」のジュリア・ルイス=ドレイファスが母ゾラを演じた。
終わりの鳥
Tuesday
2024/イギリス・アメリカ合作
死生観が自分の思想と近くて共感が大きかった
奇抜なアイデアで見せる、現実的な着地
【イントロダクション】
余命僅かな少女の前に、生命の終わりを告げる鳥〈デス〉が現れる。監督・脚本はダイナ・オニウナス=プスィッチ。
【ストーリー】
“生き物に終わりを告げる”存在、〈デス〉(声:アリンゼ・ケニ)。彼は自らを求める声に応じて現れ、命を刈り取っていく。
余命僅かな15歳の少女・チューズデー(ローラ・ペティクルー)は、母親のゾラ(ジュリア・ルイス=ドレイファス)と郊外の自宅で2人暮らし。ゾラは、看護師のビリー(リア・ハーベイ)に娘の世話を任せ、仕事に行くフリをしては家にある金品を売って生活費を工面し、それ以外の時間はカフェや公園でやり過ごしていた。
ある日、チューズデーの前に〈デス〉が現れる。しかし、チューズデーは咄嗟のジョークで〈デス〉を笑わせ、心の準備が出来るまでの猶予を得る。
チューズデーは〈デス〉をバスルームに招き、彼の身体に溜まった汚れを落とす。〈デス〉はチューズデーに興味を持ち、彼女との会話を始める。〈デス〉は身体の大きさを人と同等から手の中に収まるまで自由自在に変化させる事が出来、言葉を操り録音機のように人の台詞を正確にモノマネする事すら出来た。
公園のベンチで眠ってしまったゾラは、寝過ごした事に慌てて帰宅する。ビリーから「もっとあの子と一緒にいてあげて」と告げられるも、ゾラは娘との接し方に戸惑いを抱えていた。チューズデーの部屋を訪れたゾラは、チューズデーの耳の中に小さくなって隠れていた〈デス〉と対面する。娘を死なせまいと抵抗するゾラは、〈デス〉を騙して本でめった打ちにし、火を着けて焼き殺した挙句、食べてしまう。
翌日、ゾラは「〈デス〉は去って行った」とチューズデーに嘘を吐き、親子水入らずの日々を楽しむ。しかし、些細なキッカケで親子喧嘩に発展した際、感情が昂ったゾラは突如巨大化してしまう。ゾラは〈デス〉を捕食した事で、彼に備わっていた能力を得てしまったのだ。
やがて、ゾラはチューズデーを伴って、死を待つ人々を解放する旅に出る。
【感想】
〈死〉を具現化し、〈デス〉というキャラクターで表現するというアイデアのユニークさが良い。また、“生き物に終わりを告げる”という役割を担う彼自身が、世界中から自らを求める声に苦しめられているという視点も興味深い。彼は所謂“死神”なのだが、死を運ぶ事を楽しんでいるわけではないのだ。
コンゴインコをモチーフにした愛らしい見た目、ラップミュージックを嗜み、電子タバコも吸うという割と俗物的な性格含め、観ていて非常に親近感が湧く。それは、〈死〉を恐怖の対象としてではなく、いつか必ず訪れる、常に我々の身近にあるものとして感じさせる狙いがあるのだろう。
ゾラの逞しさよ。チューズデーを死なせまいと〈デス〉を捕食した際の、「あれ?意外とイケるかも?」と言わんばかりの表情の演技がコミカルで面白かった。
仕事をせず(恐らく、精神を病んでいて働けない)、金品を売って誤魔化しながら生活している姿は、同様の経験をした事があるので理解出来る。しかし、かといって娘と距離を取ってしまうのは、親として無責任な気もする。
〈デス〉の能力を獲得した中盤からの展開には驚かされた。『BLEACH』よろしく、まさかの“死神代行”展開である。
しかし、世界から〈死〉という概念が消失した以上、ゾラは世界中を回らなければならないはずなのだが、そうしたスケール感には乏しい。そもそも、〈デス〉一人(一羽)で、世界中のありとあらゆる生命に終わりを告げるというのも無理があるのだが。今こうしている瞬間にも、世界でどれほどの命が失われている事だろうか。そうした設定の荒唐無稽さ、ツッコミ所の多さが、私には作品との距離が出来るものとなった。
エンドロールで流れる、アイス・キューブの『It Was A Good Day』。結局、人生には良いことも悪いことも訪れる。歌詞にある「あと24時間生きられるかな」という一説が刺さる。
【考察】
ラスト、〈デス〉はチューズデーを喪った悲しみに暮れるゾラを気にかけ、彼女のもとを訪れる。
「神はいない。お前たちの思うような神はな。だが、来世はある。お前の響きや、痕跡や、思い出があの子の来世だ」
〈デス〉の語る“来世”の正体。それは、遺された者達の中に“思い出”として遺る事。同時に、遺された側は失った命を忘れてはならないという事だろう。
先述した『BLEACH』の連載前の読み切り版に登場する台詞なのだが、「遺した奴も遺された奴も、淋しさは同じ」なのかもしれない。
そうして、死を告げるはずの存在が、「生きろ」と一個人の背中を押す展開はベタ。正直、この回答に行き着くには、それまでのプロセスが説得力に欠ける印象だった。もう少しドラマ性のある展開を経ていれば、この回答にもすんなり納得がいった気がするので残念に思う。
朝日を前に、ゾラは決意を新たにする。
「立ち上がらなきゃ」
それは、遺された者が果たすべき唯一の使命なのかも知れない。
【総評】
〈死〉を具現化するというアイデア、デスのビジュアルが魅力的だった。しかし、奇抜なアイデアに対して、作品が示す回答は月並みなものであったのは少々残念に思う。
余談だが、入場者特典のヒグチユウコ氏によるアートワークのポストカードが嬉しかった。
イケボの鳥
死期が近づくと訪れる鳥が、ある病気の少女に舞い降りる。少女と少女の母親がこの「デス」という鳥と対峙する奇想天外なドラマ。
私自身の死生観にも近い為か、本作は腑に落ちる事の多い作品だった。人の死と残された家族の捉え方が実に冷静でわざとらしくない。声がイケボである終わりの鳥の、残酷でもなく、人情味溢れるでもない仕事人キャラクターに好感をもった。
物語の切り口は、誰しも平等に訪れる「死」だ。本作は、その「死」を冒涜することなく、そして残された者の心情も納得できるような描き方をしている。映画の中で、ある一定期間、死というものが訪れない世界が描かれている。その状態こそ「死」というものが、逆に冒涜されている世界に感じたのが印象的だった。一つ間違えると映画のエンタメ性が大きく損なわれるテーマだが、「デス」のおかげで極めてエンタメ性の高い語り口が成立している。
ポスターがヘンテコなんでポスター損をしている可能性がありますが、テンポよくじっくり鑑賞出来ます。鑑賞後は、鼻を少し広げフゥーンと深く息を吐き、映画を反芻してしまいました。
別れの時
焼き鳥
哲学的なダークファンタジー&コメディ映画
思っていた内容とはかなり違ったが割と面白かった。
なかなか共感し難い母親のメンタルだが、子供への愛情だけでなく過保護と依存も強すぎて引くが、死が近く苦しむ子供(人間)にとって本当に必要な接し方とは何か?をDEATHを通して知っていく過程を飛び抜けた発想で表現し非常に刺激的で、また亡くなった者の来世についてなど、残された者としての生き方も考えさせられる。
主演?のジュリア・ルイス・ドレイファス演じるゾラのトンデモ行動にはかなり驚かされるが、子を思う母親としても決して当たり前と納得ができるものでは無いが、必死な気持ちは伝わるので悪意は感じない。
DEATHが喰われている間の世の中の状態をもっと見せても良かったのではと思った。
理由なんてない
死を告げる鳥と対峙し、覚悟を決めた15歳の少女と、娘が死ぬことを受け入れられない母親の話。
人が死ぬ時に現れる鳥が少女の前に現れて、ペンギンジョークを言ったら鳥に気に入られて巻き起こっていくストーリー。
早々に覚悟を決めた少女に対し、足掻く母親をみせていく展開…かと思ったら、まさかの能力移譲で…。
設定こそユニークだけど、話し自体は愉しくも面白くもないし、覚悟が決まって行く機微みたいなものもなし。
まあ一応色々経験はしたけれど今更みたいな感じというかね。
最後になって唐突にもっともらしいこと語っているけれど、強い信仰心や死生観みたいなものを持っている人には衝撃なんでしょうかね…という感じ。
冷めすぎですかね…。
吸って吐いて 吸って吐いて
窓部に招き猫
ああ、久々にA24らしい作品!
勝手なA24らしさ:
・良く知らない監督、良く知らない脚本家
・たぶん、日本では知られていない俳優
・おそらく、そんなに予算は大きくない。
・謎の力や、謎のモノが出てくるが、説明がない。
・愛や性は物語の推進力ではない。
・結末も良く分からない。
・彩度が低いが、きれいな画面。
・まあ、良く練られた音楽。
こんなところでしょうか。
『エブエブ』や『ボーはおそれている』とかも好きなんだけれど、
賞がからんできたり、予算に対して観客動員がとか、キャストの背景がとか、
そんなのは気にせず、作品に集中できる。見た後に、2から3日は頭の中で復習する。
そういうのが、見なくなるのです。
本作は死そのものを扱います。
死は必ず訪れるし、死自体に重要な機能があることが分かります。
死を乗り越えることが人を成長させるし、そのことにより永遠に生きる分けです。
It FollowsとRemember Meを合わせたような話ですね(全然違うよ)。
大好きなアリ・アスターのせいで会社がなくならなくて良かったですね。
まあ 観る価値はあるよ 多分【年度初め時短レビュー その①です。】
テーマも展開もとても簡単。
クロアチア🇭🇷監督長編デビュー
センスはとても良い。
ただ 朝イチ見たので 😪眠った場面あり
死生観 というか 死への考察
ある意味で 主人公少女【実年齢はかなり上】の『死を受け入れる 静かな覚悟』に感銘。
鳥さんは 『可愛くないが キテレツで 良かった』
『①死後の世界 ②宇宙の世界太陽系の外』は人類滅亡 地球🌏滅亡まで 人間如きには理解できない
深淵な2大テーマ
色々考えさせられた。
有料🈶パンフ と言い 入場時特典ポストカードと言い 人選の妙
詳しくは 有料パンフ🈶購入して確認して 普通です。
まあ『A24的』の典型作品は相違ない雰囲気。映画ツウは是非
映画中 もしかしたら 独自の見解 があるかも知れないですが
広い心❤️で受け止めましょうね。 まあ 普通作品でした。
まあ今生きてる皆さん 全員平等に 死は訪れます。全員死に向かっている 全員共通課題。
内容的に人を選ぶかもしれないがぜひ
今年103本目(合計1,645本目/今月(2025年4月度)6本目)。
いわゆる「予言をする鳥」の話はファンタジーものを含めて寓話などにも登場はしますが、それをテーマにしたお話ですね。
内容的にはここの紹介に書いてあるのがほぼ全てかな、といったところです(「チューズデー」というのは子の名前であることを最初に知らないと、まずここで詰むので注意。なので、基本的には原題タイトルを変えるべきではないということは言っていても、この件に関しては変えないと日本では意味がわからなくなりそう)。
時々見るタイプの映画で、広い意味では動物との交流という概念になりましょうが(鳥類まで動物にとった場合の話)、中世以降に伝わった「予言をする鳥」の寓話などを取り入れた点でわかりやすい展開でもあり良かったなというところです。また、想定されている国が明確に描かれておらず(アメリカ・イギリス合作であることは書いてあっても、映画内でどこかとは描かれていなかったはず。見落としたかな?)、おそらく北欧かちょっとマイナーなヨーロッパの国あたりが想定できますが(監督はクロアチアの方とのこと)、その世界観も良かったなというところです。
(ストーリー紹介にもあるのでネタバレはないですが)「死の宣告」や「難病」というようなちょっと重い話題を扱うので、映画館に娯楽を求めていくならおすすめはできませんが(来週だったかのパリピ孔明を待ちましょう)、何らかテーマ性がある映画が好きという方には激推しというところです。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアにしています。
(しいていえばパンフレットがあればよかったかな。私がいったときにはなかったので…。売り切れなのか取扱いなしなのか、私が見落としたのか不明)
今日はビーチへ
オウムやインコ系は苦手なのかも
鳥ファンも必見
さて、A24と独占パートナーシップ契約締結から約1年半、ハピネットファントム・スタジオさんがここに来てA24作品を公開ラッシュです。取り敢えず、先週から上映が始まっている『ベイビーガール』は今のところ劇場鑑賞未定ですが、まずは今週公開の本作『終わりの鳥(原題:Tuesday)』を鑑賞することに。元々は鳥に興味なんて持っていなかった私も、気づけば散歩中に野鳥に目を向ける機会が多くなり、また、ラジオ番組で作家/イラストレーターのぬまがさワタリさんの話を聞いて、最近は最早無視できない存在になりつつあります。と言うことで、公開初日のTOHOシネマズ日本橋へ。やはりA24ファン(或いは鳥ファン?)が多いのか9時20分からの回はそこそこの客入りです。
今回は劇場で数回トレーラーを観て何となくどんな映画か想像しておりましたが、いやいやナメちゃいけません。恐らく多くの人にとって「想像の斜め上を行く展開」は大げさでなく奇想天外。死生観というデリケートなテーマを、奇抜ながらどこか愛嬌を感じる架空のキャラクターを介し、アイロニカルでオフビートなユーモアを交じえて語られるストーリー。そして最後、遺された者への言葉にみる「ユニークな解釈」に救われ、観終わればじんわりと心に沁みます。
まず冒頭から、正にその名の通り「死神(Death)」の役割を司るコンゴウインコ(アリンゼ・ケニ)デス/Deathの登場に気味の悪さを覚えます。そして、いよいよ「その時」が目の前に迫る15歳の少女チューズデー/Tuesday(ローラ・ペティクルー)のもとに現れたデスですが、やや焦りながらも意外な話をし始めるチューズデーについつい耳を傾け、そしてその皮肉のきいたパンチラインを気に入り、チューズデーの「最後のお願い」を承諾します。まだ15歳とは言え他者との関わりよりもむしろ、自分にがっつり面と向かわざるを得ない人生を過ごしてきたチューズデー。会話の端々に悲哀を越えたそのアイロニーがデスの琴線をくすぐり、いつしかデスの中に渦巻く「人々の声」を静めます。そしてその夜、ようやく帰宅してきたチューズデーの母・ゾラ(ジュリア・ルイス=ドレイファス)。弱りゆく娘という「現実」を受け入れられず、ついつい逃げたり胡麻化したりしてしまうゾラ。チューズデーがデスとの交わした「最後のお願い」を切り出そうにも話を逸らそうとするゾラに、とうとうチューズデーがデスの存在を明かすのですが…。
本作の監督、脚本はクロアチア出身の新鋭ダイナ・O・プスィッチ。「死生観」という普遍的なテーマに古臭さ、説教臭さを一切感じさせない斬新なアイディアでアプローチするテクニックは「ユニーク」。劇中において、デスがチューズデーを評して「ユニーク」と表現しますが、これだけ個性的な表現方法を駆使しつつ、ちゃんと傑作に仕上げる力量のダイナ・O・プスィッチ監督こそ「ユニーク」な存在と感じます。今後が楽しみで勿論チェックインしましたが、私が一人目。。次作も期待しています!
メメント・モリ
まあ、この鳥ならついて行ってもいいかな。
全く予想もしなかった展開の中、出来事がもたらす結果がちょっと昔話的に感じるくらい自由。
これは、あるママが賢くて勇敢な娘の死を受け入れるまでの、成長物語。
受け入れ難い現実を、デスを通して見ざるを得なくなったママ。死を巡る旅は彼女の心にどんな変化をもたらしたのか。
自分の死を自覚するだけでも怖いだろうに、ママがそれを受け入れるまで待とうとする、Tuesday の健気さに泣く。
死神の苦悩も存分に描かれていた。
常にノイズが脳内に響いている上に、世話してやってる人間からは、かけられる言葉が呪いのようにドス黒い感情を含むものばかり。あれは頭おかしくなるよ。
チューズデーに促されるままに汚れを洗い流したことで目に見えて浄化されたのをみて、こちらもなんかスッキリした。
あのベタベタはドス黒い感情が視覚化したもんだよなあ。
死神が鳥なんて嫌だ!!
私の時はイ・ドンウクにしてくれ涙!!と思ってたけど、鳥も意外と良いやつで、観ているうちにこの鳥が好きになってくる不思議。
どんなものでも命には限りがある。
お迎えに来てくれる死の予感が、こんだけユーモアに溢れた優しい何かなら、まあいいかなと思ってしまった。
うん。
音楽もカッコよかったし、話も死神のビジュアルも含めて新しくてよかった。
良い映画だ。
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