終わりの鳥のレビュー・感想・評価
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母親の優しさから出る嘘が切ない
面白かった!
全身介護の娘のために「楽しい日常」「明るい家庭」を維持しようと頑張ってきたであろう母親のやつれた姿が切なかった。
死を取り扱う映画の割には、内容は暗いものではなくユーモアとポジティブなメッセージが込められている良作だった。
命の尊さユーモアあり
この世からあの世へと、人を連れてゆく鳥さん。 病弱で余命わずかの女...
ちょっとやり過ぎてしまった
A24らしくブッ飛んでて前衛的
母は頑張った。
チューズデイのペンギンのお話は笑えた。
娘のためにあの手この手で頑張る母、デスを焼き鳥にして食べた呪いか、大きくなったり小さくなったりたいしたものだ。ひょっとして奇跡が!と思ったが。
鑑賞動機:変なあらすじ10割
な、ん、だ、こ、れ、は。
あらすじにもあるのでヘンテコ設定は承知していたが、そこからの展開が…。チラチラ垣間見えていたとはいえ、母ちゃんの蛮勇が止まらない。ホラーには行かずに独自の路線でDeathと戯れる。
あーいやいや待て待て、「死の鳥」ってことか。いやどう見てもオウムの系統だけど。
アンバーがベリーショートになっていて全然わからなかった。
独特
人の最後(死)に現れる鳥(Death)
不治の病で余命わずかな少女チューズデーの前に、デスが現れた。どうやら、デスが現れると死ぬというのは認識されているようで、死期を悟ったチューズデーは、デスに小噺を聞かせ、母が帰って来るまで待って欲しいと説得する。彼女の事を気に入ったデスは、それを了承する。
死神といえば、大きなカマを持ったガイコツやろがいというイメージだが、デスは完全にコンゴウインコの姿をしている。人の言葉を理解し、自らも喋る。案外物分かりが良かったり、ヒップホップが好きだったり、死を迎える人の声が聞こえすぎて具合悪くなったりと、なんや憎めない奴だ。しかし、消えかかる声が聞こえたら、終わらせるため世界中を飛び回り続ける。なぜなら、彼が行かなければ、誰も死ねないからだ。
アイスキューブの曲を聴きながら、こいつが迎えに来て終わるんならまあええかなと思った。いや…ハシビロコウがいいかな。
少し独特な母娘と死神のお話でした。
ビジュアルのインパクト
うん、変わった映画でしたね。難しいとかでもないし、重苦しいわけでもないけど、そのファンタジーにすごく引き込まれてしまう、というほど没頭もできず、途中、ちょっと寝てしまいました。
ベニコンゴウインコでしょうか。病の床に現れるというインパクトは面白いな、と思ったんですが、ちょっと出オチ感が。動きがいかにも作り物っぽいというかんじでもなくよく作られてたんですけどね。
母の話
ポスターはメタファーではない
まんまそういう話なんだなと。
花粉と黄砂と寝不足で体調最悪の中TOHOシネマズ日本橋へ。
見る前にB1で食べたラーメンが人気高級店なのかもだけど
丁寧に作るとカップ麺のいいヤツに似てくるという気づき。
さて。内容的には落語で良くある「死神」を鳥にして、愛する余命幾許かの娘をあっちの世界に持っていかれないようにお母さんが奮闘する話、で大筋いいはず。
死の概念の書き方は古今東西普遍だと思ってたけど、そもそもキリスト教とかイスラム教はこんな風には死は訪れないと思われているはずので、死を生命の終わりと考えている日本人が1番このストーリーを理解できるのではないかと思ったりしたんだが見当違いかもしれない。好きなシーンもたくさん。最初に鳥出てきた時爆笑したし、大きさが変わるのがまさに神的だし、ラップパート最高だし、神を神と描かないカジュアルな感じ(まさにブラック企業!)も好感度が高い。個々の置かれた事情にフォーカスすると世界の声が聞こえなくなることで彼にとっての〈死〉が作業以上意味を持って人間味を増すとか、オウムにした意味がラストシーンでわかるとかね。
問題は詰め。
野崎まど曰く、「世界は集まって意味を増やしてる。人の心も意味を増やしてる。嘘をついたら意味を増やせる。意味を増やすための嘘。外に出した意味。外に出した嘘。それが“小説”なんだ」。
だとしたら、委ねられるはずのイマジネーションを監督の決めた世界観と色味とアングルで観客へ届ける“映画”は、つく嘘にもしっかりと責任を取らないといけないということ。娘の余命へのリアリティをはじめ、この映画ではいまいちそれができていないと感じた。もちろん最近の他の映画もそういう傾向が強いけどさ。嫌いじゃないけど、その辺りの四の五の言わせずバシッと鮮やかに騙してくれよ!ってのを映画の良し悪しの基準としているので手放しでは褒められませんな。あとA24と業務提携してるTOHOさんですが、全劇場で公開しないのは何か意図があるのかしらね?
それではハバナイスムービー!
主人公のフルネームから「チューズディ」を抜粋したのは鳥さんでしたね
2025.4.8 字幕 アップリンク京都
2023年のアメリカ&イギリス合作の映画(110分、G)
余命わずかな少女の元に死を告げる鳥が訪れる様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はダイナ・O・プシッチ
原題の『Tuesday』は、主人公の名前
キリスト教的には「Holy Tuesday(イチジクの火曜日)」として、イースター前の最後の火曜日にあたる日とされている
物語の舞台は、イギリスのロンドン郊外
重度の病でほぼ寝たきりになっている15歳のチューズディ(ローラ・ペティクルー、幼少期:フローレンシア・ヌメズ)は、母ゾラ(ジュリア・ルイス=ドレイフェス)と訪問看護師のビリー(レア・ハーヴェイ)によって身の回りの世話をしてもらっていた
ゾラはビリーが来ると「仕事に行ったふり」をしながら、店や公園で時間を潰していた
無職のゾラは家にあるものを売ることで生計を立てていて、2階の家具はおろか、タイルやオモチャまで売り払っていた
ある日のこと、チューズディの元に「奇妙な鳥(声&モーションキャプチャー:アリンゼ・ケニ)」がやってきた
鳥はチューズディの死の時期について語り、それは翌朝だと言われてしまう
そこで彼女は、最期に母親に電話をしたいと言って掛けるものの、母親は電話に出なかった
そこでチューズディは、母が帰ってくるまで一緒にいてほしいと言い、鳥はその言葉に付き添うように、彼女のそばから離れなかった
物語は、いわゆる「死」という概念が鳥として具現化されているというもので、死神のようにも思えるし、苦痛を取り除く救世主であるようにも見える
母親が帰ってきてから「明日の朝に死ぬ」とチューズディが訴えても意に介さず、鳥が現れて告げても、母は鳥を追いかけ回して殺し、最後には噛み砕いてしまう
どうやらその時に鳥は小さくなって母の体の中に入り、そこで彼女の体を操る形で、いつものことを行なっていく
映画的には、チューズディを連れた母親がそれを行なっているように見えていて、それによって母親が何かを学ぶかのように描かれていく
だが、母は鳥を拒絶し、この奇妙な時間はチューズディが母親と一緒に過ごした最期の時間となってしまった
映画にて、鳥が「人間の考えるような神様はいない」というのだが、この人間が考えるというのは、いわゆるキリスト教的な神様で、現在の信仰の状態を意味しているのだと考えられる
わざわざ「Holy Tuesday」に準えるように名前を引用しているのも、イチジクの火曜日と言われるキリストのエピソードを暗に示しているのだろう
この辺りは専門ではないのだが、マルコによる福音書「11章:24〜25篇」を考えると、「人(映画にならば母親)に対して恨みがあるのならば、それを赦しなさい。そうすれば天におられるあなた方の父も、あなた方の罪を赦してくださるでしょう」という部分がフィットするように思える
母親は嘘をついてチューズディの介護をしていて、それでも苦痛が取り除かれる日を待ち望んではいない
そうした母親の嘘に隠された部分を見ることによって、表面的なものを赦せるという意味合いがあるように思える
チューズディにとっての苦痛は、病によるものだけではなく、母親と分かり合えず、愛しあえずに逝ってしまうことだと思うので、それを鳥は取り除くことになったのだろう
ラストでは、鳥が母親の元を訪れ、そこで母とチューズディが交わした約束のことを思い出させる
これによって母親は立ち直りのきっかけを見せることになり、本当の意味でのチューズディの苦痛を取り除くことができたのではないだろうか
いずれにせよ、本作の面白いところは、死にゆく全てのキャラクターに名前が付いていることである
エンドクレジットを見ればわかるが、看取られる人とかに「足を失った男」のような表記はなかった
人が信じるような神様の不在という言葉を併せて考えると、神様よりも主体(自分)を愛しなさいと言っているように思うし、現在の宗教観を捻じ曲げている人々へのアンチテーゼにも思える
奇しくも、聖なる火曜日にてイエスは宗教指導者たちに対しても一言申し、それによってイエスを罠にかけるという流れにもなっていたので、このあたりも「人が信じる神様の不在」というものを匂わしているのかな、と感じた
このあたりはキリスト教に詳しい人の解説ブログを読んだ方が良いと思うので、それっぽい感じに書いていることをご容赦くださいまし
お母さんめちゃくちゃすぎて面白い
アジャラカモクレン
死ぬってどんな気持ちなんだろうね
デスくんの成長物語でもある
鳥の姿をしたデスくんは、超絶ブラック企業に勤めている。風呂にも入れず羽根はボロボロ、膨大な仕事量に思わず嘔吐。過労死寸前である。
今日もいつも通りタスクをこなすべくやってきたけれど、なんと死ぬ予定の女の子が話しかけてきた!なになに?ペンギンがどうとか言っている。続きが気になって最後まで聞いたけどビックリするくらいつまらなくて思わず笑っちゃった。デスくんにとっては話のオチより突然訪れた非日常に思わず歓喜したのである。
そのあと、彼女の母親に殴られたり焼かれたり食べられたり(ここほんま意味不明笑)したけれど、それさえデスくんにとっては悪くない暇つぶしなのであった。
途中デスくんが仕事を放棄したことで死ねない生命が続出したけれども、代わりに母親が片付けてくれてマジラッキー。
そうして何日もこの家族と過ごすけれど、そろそろ仕事に戻らなければなりません。女の子に終わりを告げるときです。
デスくんは死神なので情は湧きませんが、人間に近づいたことで、人はどういう気持ちで死んでいくのか、どういう気持ちで看取るのか、どうやってその気持ちを抱えて前に進むのかを知ることになります。
なんだ、人間ってこうやって死んでいくこともあるんだな。母と娘の仲を取り持ったり、最後に母親に立ち直るアドバイスまでしちゃったよ。普通ここまで世話は焼かないんだけどな。
そうしてデスくんはいつもの日常に戻っていきますが、確実にいつもとは違う日常になっていましたとさ。
めでたしめでたし。
※個人の感想デス
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