終わりの鳥のレビュー・感想・評価
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鑑賞動機:変なあらすじ10割
な、ん、だ、こ、れ、は。
あらすじにもあるのでヘンテコ設定は承知していたが、そこからの展開が…。チラチラ垣間見えていたとはいえ、母ちゃんの蛮勇が止まらない。ホラーには行かずに独自の路線でDeathと戯れる。
あーいやいや待て待て、「死の鳥」ってことか。いやどう見てもオウムの系統だけど。
アンバーがベリーショートになっていて全然わからなかった。
独特
人の最後(死)に現れる鳥(Death)
不治の病で余命わずかな少女チューズデーの前に、デスが現れた。どうやら、デスが現れると死ぬというのは認識されているようで、死期を悟ったチューズデーは、デスに小噺を聞かせ、母が帰って来るまで待って欲しいと説得する。彼女の事を気に入ったデスは、それを了承する。
死神といえば、大きなカマを持ったガイコツやろがいというイメージだが、デスは完全にコンゴウインコの姿をしている。人の言葉を理解し、自らも喋る。案外物分かりが良かったり、ヒップホップが好きだったり、死を迎える人の声が聞こえすぎて具合悪くなったりと、なんや憎めない奴だ。しかし、消えかかる声が聞こえたら、終わらせるため世界中を飛び回り続ける。なぜなら、彼が行かなければ、誰も死ねないからだ。
アイスキューブの曲を聴きながら、こいつが迎えに来て終わるんならまあええかなと思った。いや…ハシビロコウがいいかな。
少し独特な母娘と死神のお話でした。
ビジュアルのインパクト
うん、変わった映画でしたね。難しいとかでもないし、重苦しいわけでもないけど、そのファンタジーにすごく引き込まれてしまう、というほど没頭もできず、途中、ちょっと寝てしまいました。
ベニコンゴウインコでしょうか。病の床に現れるというインパクトは面白いな、と思ったんですが、ちょっと出オチ感が。動きがいかにも作り物っぽいというかんじでもなくよく作られてたんですけどね。
母の話
ポスターはメタファーではない
まんまそういう話なんだなと。
花粉と黄砂と寝不足で体調最悪の中TOHOシネマズ日本橋へ。
見る前にB1で食べたラーメンが人気高級店なのかもだけど
丁寧に作るとカップ麺のいいヤツに似てくるという気づき。
さて。内容的には落語で良くある「死神」を鳥にして、愛する余命幾許かの娘をあっちの世界に持っていかれないようにお母さんが奮闘する話、で大筋いいはず。
死の概念の書き方は古今東西普遍だと思ってたけど、そもそもキリスト教とかイスラム教はこんな風には死は訪れないと思われているはずので、死を生命の終わりと考えている日本人が1番このストーリーを理解できるのではないかと思ったりしたんだが見当違いかもしれない。好きなシーンもたくさん。最初に鳥出てきた時爆笑したし、大きさが変わるのがまさに神的だし、ラップパート最高だし、神を神と描かないカジュアルな感じ(まさにブラック企業!)も好感度が高い。個々の置かれた事情にフォーカスすると世界の声が聞こえなくなることで彼にとっての〈死〉が作業以上意味を持って人間味を増すとか、オウムにした意味がラストシーンでわかるとかね。
問題は詰め。
野崎まど曰く、「世界は集まって意味を増やしてる。人の心も意味を増やしてる。嘘をついたら意味を増やせる。意味を増やすための嘘。外に出した意味。外に出した嘘。それが“小説”なんだ」。
だとしたら、委ねられるはずのイマジネーションを監督の決めた世界観と色味とアングルで観客へ届ける“映画”は、つく嘘にもしっかりと責任を取らないといけないということ。娘の余命へのリアリティをはじめ、この映画ではいまいちそれができていないと感じた。もちろん最近の他の映画もそういう傾向が強いけどさ。嫌いじゃないけど、その辺りの四の五の言わせずバシッと鮮やかに騙してくれよ!ってのを映画の良し悪しの基準としているので手放しでは褒められませんな。あとA24と業務提携してるTOHOさんですが、全劇場で公開しないのは何か意図があるのかしらね?
それではハバナイスムービー!
主人公のフルネームから「チューズディ」を抜粋したのは鳥さんでしたね
2025.4.8 字幕 アップリンク京都
2023年のアメリカ&イギリス合作の映画(110分、G)
余命わずかな少女の元に死を告げる鳥が訪れる様子を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はダイナ・O・プシッチ
原題の『Tuesday』は、主人公の名前
キリスト教的には「Holy Tuesday(イチジクの火曜日)」として、イースター前の最後の火曜日にあたる日とされている
物語の舞台は、イギリスのロンドン郊外
重度の病でほぼ寝たきりになっている15歳のチューズディ(ローラ・ペティクルー、幼少期:フローレンシア・ヌメズ)は、母ゾラ(ジュリア・ルイス=ドレイフェス)と訪問看護師のビリー(レア・ハーヴェイ)によって身の回りの世話をしてもらっていた
ゾラはビリーが来ると「仕事に行ったふり」をしながら、店や公園で時間を潰していた
無職のゾラは家にあるものを売ることで生計を立てていて、2階の家具はおろか、タイルやオモチャまで売り払っていた
ある日のこと、チューズディの元に「奇妙な鳥(声&モーションキャプチャー:アリンゼ・ケニ)」がやってきた
鳥はチューズディの死の時期について語り、それは翌朝だと言われてしまう
そこで彼女は、最期に母親に電話をしたいと言って掛けるものの、母親は電話に出なかった
そこでチューズディは、母が帰ってくるまで一緒にいてほしいと言い、鳥はその言葉に付き添うように、彼女のそばから離れなかった
物語は、いわゆる「死」という概念が鳥として具現化されているというもので、死神のようにも思えるし、苦痛を取り除く救世主であるようにも見える
母親が帰ってきてから「明日の朝に死ぬ」とチューズディが訴えても意に介さず、鳥が現れて告げても、母は鳥を追いかけ回して殺し、最後には噛み砕いてしまう
どうやらその時に鳥は小さくなって母の体の中に入り、そこで彼女の体を操る形で、いつものことを行なっていく
映画的には、チューズディを連れた母親がそれを行なっているように見えていて、それによって母親が何かを学ぶかのように描かれていく
だが、母は鳥を拒絶し、この奇妙な時間はチューズディが母親と一緒に過ごした最期の時間となってしまった
映画にて、鳥が「人間の考えるような神様はいない」というのだが、この人間が考えるというのは、いわゆるキリスト教的な神様で、現在の信仰の状態を意味しているのだと考えられる
わざわざ「Holy Tuesday」に準えるように名前を引用しているのも、イチジクの火曜日と言われるキリストのエピソードを暗に示しているのだろう
この辺りは専門ではないのだが、マルコによる福音書「11章:24〜25篇」を考えると、「人(映画にならば母親)に対して恨みがあるのならば、それを赦しなさい。そうすれば天におられるあなた方の父も、あなた方の罪を赦してくださるでしょう」という部分がフィットするように思える
母親は嘘をついてチューズディの介護をしていて、それでも苦痛が取り除かれる日を待ち望んではいない
そうした母親の嘘に隠された部分を見ることによって、表面的なものを赦せるという意味合いがあるように思える
チューズディにとっての苦痛は、病によるものだけではなく、母親と分かり合えず、愛しあえずに逝ってしまうことだと思うので、それを鳥は取り除くことになったのだろう
ラストでは、鳥が母親の元を訪れ、そこで母とチューズディが交わした約束のことを思い出させる
これによって母親は立ち直りのきっかけを見せることになり、本当の意味でのチューズディの苦痛を取り除くことができたのではないだろうか
いずれにせよ、本作の面白いところは、死にゆく全てのキャラクターに名前が付いていることである
エンドクレジットを見ればわかるが、看取られる人とかに「足を失った男」のような表記はなかった
人が信じるような神様の不在という言葉を併せて考えると、神様よりも主体(自分)を愛しなさいと言っているように思うし、現在の宗教観を捻じ曲げている人々へのアンチテーゼにも思える
奇しくも、聖なる火曜日にてイエスは宗教指導者たちに対しても一言申し、それによってイエスを罠にかけるという流れにもなっていたので、このあたりも「人が信じる神様の不在」というものを匂わしているのかな、と感じた
このあたりはキリスト教に詳しい人の解説ブログを読んだ方が良いと思うので、それっぽい感じに書いていることをご容赦くださいまし
お母さんめちゃくちゃすぎて面白い
アジャラカモクレン
死ぬってどんな気持ちなんだろうね
デスくんの成長物語でもある
鳥の姿をしたデスくんは、超絶ブラック企業に勤めている。風呂にも入れず羽根はボロボロ、膨大な仕事量に思わず嘔吐。過労死寸前である。
今日もいつも通りタスクをこなすべくやってきたけれど、なんと死ぬ予定の女の子が話しかけてきた!なになに?ペンギンがどうとか言っている。続きが気になって最後まで聞いたけどビックリするくらいつまらなくて思わず笑っちゃった。デスくんにとっては話のオチより突然訪れた非日常に思わず歓喜したのである。
そのあと、彼女の母親に殴られたり焼かれたり食べられたり(ここほんま意味不明笑)したけれど、それさえデスくんにとっては悪くない暇つぶしなのであった。
途中デスくんが仕事を放棄したことで死ねない生命が続出したけれども、代わりに母親が片付けてくれてマジラッキー。
そうして何日もこの家族と過ごすけれど、そろそろ仕事に戻らなければなりません。女の子に終わりを告げるときです。
デスくんは死神なので情は湧きませんが、人間に近づいたことで、人はどういう気持ちで死んでいくのか、どういう気持ちで看取るのか、どうやってその気持ちを抱えて前に進むのかを知ることになります。
なんだ、人間ってこうやって死んでいくこともあるんだな。母と娘の仲を取り持ったり、最後に母親に立ち直るアドバイスまでしちゃったよ。普通ここまで世話は焼かないんだけどな。
そうしてデスくんはいつもの日常に戻っていきますが、確実にいつもとは違う日常になっていましたとさ。
めでたしめでたし。
※個人の感想デス
対決でなくジョーク
死の執行猶予をペンギンのジョークで得るところが印象的。
こともあろうか「死」である鳥に対して少女チューズデイは皮肉を吐く。
彼女に興味を示した鳥は久しぶりに言葉を発し対話が始まる。
人間達の断末魔の声は消え上機嫌になった鳥とチューズデイのダンスは本作の白眉な場。
果たして彼女は、絶対逃れられない鳥(死)とどう折り合いをつけていくのか?⋯
の話と思いきや、意外にチューズデイは母に会うまでと多少の延命は望むものの行く末を達観してる。
見終わってみると、どうもチューズデイの母親がどう娘の死を受け入れるか? の話しだったよう。
娘をあんじ遂には焼き鳥にして食べるところの他諸々、奇想天外な部分は理解できるが、個人的に少し腑落ちしなかったのが残念。
終盤の海岸。
鳥を吐き出し正気を戻す母と瀕死のチューズデイ。
いよいよチェスの対決?とはならないだろうが、ここはジョークで締めくくって欲しかった。
最後も鳥は憔悴の母親に本当に良いこと言ってくれますが、その内容を本編の映像で見たかったです。
25-050
期待度○鑑賞後の満足度◎ 「神とか死後の世界のことは極秘情報なのよね?」とかまをかける母親に、黙って頷くオウム…so funny
介護退職、介護貧困、高額治療費
終わりの鳥Tuesday
何処の国の話なのか?
難病介護で疲れ果てた母子家庭に死神の鳥が死の訪れを告げに来た。
子のチューズデーは静かに受け入れながら母ともう少しの対話を求めた。
それしか仕方ないことだよね。
母は真っ向に拒否をして鳥を焼き鳥にして食ってしまう。
死神鳥が来て、介護に明け暮れながら互いに何も知らないことを気づきだす。
母は、失職し多くの家財を売却して生活していること、出来るだけ難病に苦しむ子供といたくない。
子は、母が自分の難病で疲れ切っていることを知らずに、一生懸命に働いていてくれていると思っていた。いつも話がおざなりなのは仕事で疲れているからだと思っている。
そんなすれ違いが、
究極の死が目の前に現れたときに互いが真剣に向き合うことが何なのかに気づき始める…
死という鳥が、死ではなく生きることを考えさせてくれる。
きっと、生まれた時から各人は死に鳥を育てながら生きているのだろう。
私の死に鳥も随分大きく育ったようだ。
争うよりも仲良くして禅譲したいものです。
( ̄▽ ̄)
終わりの鳥 Tuesday
命の終わりを告げる鳥と対峙する母娘を描いた奇想天外なドラマ。
クロアチア出身の新鋭ダイナ・O・プスィッチが長編初メガホンをとり、“死”という概念を独創的な映像表現で視覚化。
病気の少女とその母親が奇妙な鳥との出会いを通して、間もなく訪れるであろう別れを受け止めていく姿を、ユーモアを交えながら描きだす。
病に侵され余命わずかな15歳の少女チューズデー。
母ゾラと暮らす彼女の前に、しゃべって歌う変幻自在な1羽の鳥が舞い降りる。
それは地球を周回して生きものに命の終わりを告げる「デス」という名の鳥だった。
チューズデーはデスをジョークで笑わせ、外出中のゾラが帰ってくるまで自分の命を引き延ばすことに成功する。
やがて帰宅したゾラは鳥の存在に畏れおののき、愛する娘のもとから遠ざけるべく暴挙に出るが……。
「恋人はアンバー」のローラ・ペティクルーがチューズデー、テレビドラマ「Veep ヴィープ」のジュリア・ルイス=ドレイファスが母ゾラを演じた。
終わりの鳥
Tuesday
2024/イギリス・アメリカ合作
死生観が自分の思想と近くて共感が大きかった
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