「ポスターはメタファーではない」終わりの鳥 きーろさんの映画レビュー(感想・評価)
ポスターはメタファーではない
まんまそういう話なんだなと。
花粉と黄砂と寝不足で体調最悪の中TOHOシネマズ日本橋へ。
見る前にB1で食べたラーメンが人気高級店なのかもだけど
丁寧に作るとカップ麺のいいヤツに似てくるという気づき。
さて。内容的には落語で良くある「死神」を鳥にして、愛する余命幾許かの娘をあっちの世界に持っていかれないようにお母さんが奮闘する話、で大筋いいはず。
死の概念の書き方は古今東西普遍だと思ってたけど、そもそもキリスト教とかイスラム教はこんな風には死は訪れないと思われているはずので、死を生命の終わりと考えている日本人が1番このストーリーを理解できるのではないかと思ったりしたんだが見当違いかもしれない。好きなシーンもたくさん。最初に鳥出てきた時爆笑したし、大きさが変わるのがまさに神的だし、ラップパート最高だし、神を神と描かないカジュアルな感じ(まさにブラック企業!)も好感度が高い。個々の置かれた事情にフォーカスすると世界の声が聞こえなくなることで彼にとっての〈死〉が作業以上意味を持って人間味を増すとか、オウムにした意味がラストシーンでわかるとかね。
問題は詰め。
野崎まど曰く、「世界は集まって意味を増やしてる。人の心も意味を増やしてる。嘘をついたら意味を増やせる。意味を増やすための嘘。外に出した意味。外に出した嘘。それが“小説”なんだ」。
だとしたら、委ねられるはずのイマジネーションを監督の決めた世界観と色味とアングルで観客へ届ける“映画”は、つく嘘にもしっかりと責任を取らないといけないということ。娘の余命へのリアリティをはじめ、この映画ではいまいちそれができていないと感じた。もちろん最近の他の映画もそういう傾向が強いけどさ。嫌いじゃないけど、その辺りの四の五の言わせずバシッと鮮やかに騙してくれよ!ってのを映画の良し悪しの基準としているので手放しでは褒められませんな。あとA24と業務提携してるTOHOさんですが、全劇場で公開しないのは何か意図があるのかしらね?
それではハバナイスムービー!