終わりの鳥のレビュー・感想・評価
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不発
妻が観たいとのことで(妻は大満足だったみたいです)、遠方の映画館だったので運転手をしつつ観てきました。
元々期待はしてなかったんですが、結果はやはり不発。本来、わたしはこうした死を扱う不思議は話(ファンタジー系、ロマンチック系)は大好きなんですが、今作はしっくりきませんでした。少し寝ました。
ところで、わたしは映画館ではポップコーンを食べながら観ないと気が済まないタイプです。いつも周りのお客さんに迷惑をかけないように空いている時間の回を選び、前から2列目くらいの左側に座ります。それでも、匂いとかポリポリ音とか気にしてます。今回、自由席で妻がいたので、センター席に陣取る彼女と離れて上記のマイポジションでポリポリやりながら観ました。音や匂いや動きなど全く気にならなかったと鑑賞後に妻に言われました。安心しました。
モルモン教の〜異端者の家?(笑)
地元でやっと上映始まった🦜
思いのほか評価が低くいようなので
期待せずに鑑賞すると…。
死を司るインコ、その名も「Death(デス)」
まず、このDeathが迎えに来てくれて
優しく翼を頭に翳してくれて
静かに眠りにつけるならむしろ待っていたい。
でもその前に自分にユーモアがないといけないし
ヒップホップも歌えなきゃいけないな🤣
娘の死に向かい合えず現実から目を逸らしていた
母親ゾラ、𝐓𝐮𝐞𝐬𝐝𝐚𝐲(なんちゅー名前🤣)との約束
絶対の絶対の絶対守るために立ち上がれ
Just wakin’ up in the morning, gotta thank God〜🎶
【It Was a Good Day】
【重病の少女と”デス”の象徴である奇妙な鳥と、少女の母の関係性を描いた奇想天外、奇妙奇天烈なる”生と死”を描いた作品。”デス”の描き方がちょっと凄くってインパクト大です。良く考えたなあ、あの設定。】
■重病の少女、チューズデー(ローラ・ペティクルー)の元に死を司る鳥<デス>が飛んでくる。チューズデーは、ジョークで<デス>を笑わせ、いい加減な母ゾラ(ジュリア・ルイス・ドレイフェス)と最後の会話を交わすだけの猶予を貰う。
だが、ゾラはチューズデーを守る為なのか、ナント!<デス>にアルコールを掛けて燃やし、食べてしまうのである。ゴックン!
◆感想
・ナカナカにファンキーと言うか、奇想天外、奇妙奇天烈なる作品である。
・死を象徴する鳥<デス>が、様々な人の死を看取る(と言うか、鳥が来ると人は死んでしまう)シーンが幾つか続いた後に、<デス>がチューズデーと会話するシーンからの、ゾラのお腹に入ってしまった<デス>が、ゾラの身体に起こした変化。
天井までデカくなってしまったシーンでは、場内から笑い声が起こる。全くファンキーな母ゾラであるし、あれは罰かな?
・その後も、ゾラはチッチャクなったり、何だか可笑しなシーンが続くのである。特にゾラの胃の中の<デス>がゾラの口から外が見るシーンは、実にシュールである。
<今作は、重病の少女と”デス”の象徴である奇妙な鳥と、少女の母の関係性を描いた奇想天外、奇妙奇天烈なる”生と死”を描いた作品である。”デス”の描き方が、ちょっと凄いです。
生と死は、隣併せってことかな?と言うか、死は身体の中にいるってことかな?>
<2025年5月25日 刈谷日劇にて観賞>
終わりの鳥
難しい概念を平易なお話しにしています
期待していたよりも遥かに面白かったです。
終わりの鳥、すなわち死神を巡る物語。
生きるとは何か。
そして、死とはある種の救いでもある。
そういう難しい概念を、映像的にも物語的にも、非常に平易なお話しにしています。
お話しとして説得力もあるし、映像的にもハデさはないけれど面白かった。
こういう映画は、私は好きだな。
長く記憶に残りそうです。
これぞ奇想天外A24作品
命の終わりを告げる鳥(デス)という設定が面白いと感じたし、
まもなく死が訪れようとしている娘(チューズデー)と母(ゾラ)を
どう描くのか非常に楽しみに鑑賞した。
刺さったポイントはあらかた次の通り。
・デスの佇まいが人間っぽくて笑える。特にタバコを吸うシーンは秀逸(予告でも気になった場面)
・デスがチューズデーとRapする
・ゾラがデスを食べることにより、デス化してしまう
(実際には体内にいるため、その能力がゾラの体で体現されていた)
・デス化したゾラの体が伸縮する(巨大化すると巨人さながらなので、インパクト大)
・ゾラがデスを食べることにより、しばらく「死を訪れさせる」ことが停止したため地球?国?町?が大混乱に
人や動物がゾンビ化してしまう
・ゾラがデスの能力を得ることにより、まさか娘チューズデーの命の終わりを告げることになるのか!?
(実際はそうではなかったので安心したが、このどうしようもない結末は観る私たちも覚悟が必要だった)
チューズデーは母ゾラに自分がいなくても残りの人生を充実した時間にして欲しいと願って
死までコミュニケーションを取り続けたに違いないし、
ゾラもチューズデーに安心して旅立って欲しいと願って娘と接していたに違いない。
そして来世はあるというデス。
そこでゾラがどう生きるべきかの示唆を与えて物語は終わるのだが、
私としては希望を持てる良い鑑賞後感だった。
これぞA24的なつくりあがりで、私は大満足だった。
「死」は穢れていない
「鳥」は「死(Death)」の擬人化(擬鳥化)。Deathという単語には「終わり」「死神」の意味もあるから、鳥は「死」「終わり」「死神」のすべてを表していると考えるのが適切なのかもしれない。
超現実的な世界観。死ぬ運命にある娘の死を受け入れることができない母親が、「死」を飲み込んでしまい、「死」と一体化し、母親自身が「死」として、娘を背負いながら世界中を巡る。
シーンのディティールはリアルだがストーリーは神話的。母親の子に執着する思いが世界の法則をもねじまげてしまう、というところは、なんだかインド神話や北欧神話にありそうな壮大さであった。
場面の1つ1つが美しく、この映画そのものが現代芸術作品のようだと思った。
いろいろと考えさせられる要素がある。「死」そのものは、自分がなぜ存在するのかを知らない無知な存在であること、「死」はすべてのものに終わりをもたらす恐ろしいものであると同時に、「救い」でもあること。そして「死」は宇宙の自然法則にとって不可欠なものであり、「死」がなければ世界の循環は断たれてしまう。その意味で「死」は「生」と同じくらい尊く、重要なものだ。
「死」の大きさが微小にも巨大にもなるのは、妖怪の見上げ入道のよう。人間のとらえ方によって、小さくも大きくもなる(とるに足らないことにも、深刻なことにもなる)、ということを表しているのだろうか。母親が「死」と一体化したとき、微小な世界にも行ったところでは、「死」は世界の大きなところにも小さなところにも偏在している、というメッセージを感じた。
主人公の少女に出会ったころの「死」は、すすで黒く汚れていた。すすは、「死」を厭う人々の負の感情を表しているのだろう。人々が「死」を穢れたものと考える想いによって、鳥は汚らわしい姿になってしまう。しかし「死」は自然現象であるが故に、本来穢れてはいない。
少女は、「死」に対して悪感情をもっていなかったから、「死」を洗うことができたし、「死」も少女によっていっときの安らぎを得ることができた。
この映画の裏テーマは、「延命治療」や「安楽死」ではないか、と思った。母親が娘の生に執着するのは、実は娘のためではなく、自分自身が娘の喪失に耐えられないためである。「延命治療」の目的が患者のためではなく、自分のエゴのためになっていないか、ということを批判しているように思える。
「死」は自然なことであり、憎むものや穢れたものではない。避けられない「死」であれば、看取る側は看取られる側が最大限安らかに死を迎えられるように配慮しなければならない。
すごく良かったのだけど、母親が「死」と一体化していろいろなところに行くところは、短かすぎたように思った。ここをもっとちゃんと描くことで、映画全体の面白さがずいぶん変わるように思う。
難しく入り組んだ映画か?と思ったら めっちゃそのまんまだったという...
愛情の表現をどうしたかったのか。
死と仲良しになる為に。
死と鳥
そういえばヤマトタケルは白鳥になって死出の旅に出た。
She needs die.
鳥が一端焼かれ、母に喰われて再生する間に、世界から死がなくなる。
生首の犬や足の切断された男、首の千切れた小鳥、焼けただれた男が、死ねないでいる。
人間の思うような神はいない。
でも来世はある。
子を亡くした親の想いと共に、子が生き続けることが来世だと言う。
抽象的でなくリアルなあり方として来世が描かれる。
仏教的でもある。
しかし、全体を覆う死生観は東洋のものと微妙に違う。
母は狼狽し、ジタバタし、抗う。
娘は、死を受け入れている。
鳥の邪魔をするなという気持ちと、母の態度も当然だよなという想いがないまぜになって、それが良い。
死は救いである。
このメッセージ自体はそれほどの大きなインパクトでは無いが、その語り口はユーモアを含み、ラップにのり、飄々としてかつ軽くならない。
苦しみを無理に永らえさせて生かし続けることは虐待であるという北欧的な感覚も感じた。
死と仲良しになる。
この映画の感性は出会ったことが無い。
ラップが、要約出来ない空気感をよく反映していて良い。
監督は、クロアチアの若い女性。
クロアチアはセルビア難民を多く生んだ戦闘の絶えない国であった。
原題はTuesday。
このタイトルて何か死を想起させる隠れた意味があるのだろうか?
わからなかった。
追記
このような記述を見つけました
キリスト教では、イエス・キリストが十字架にかけられる前の週の火曜日を指します。この日は、イエスが自分の死を予言した日として重要視されます
どうせいつか死ぬんだから笑って受け入れようぜ。その準備だ。
A24映画らしい独特の世界観を楽しむ作品
命の終わりを告げる鳥Deathと病を患う主人公Tuesdayの出会い、その娘と暮らす母が鳥と対峙するという奇想天外な設定。鳥は状況に応じて大きさを大きく変え、低い声で語る。
当初から鳥を受け入れ、鳥からも慕われる存在のTuesday、一方で鳥と真っ向から戦おうとする母。そして鳥は姿を消し、母娘の関係はドラマチックに展開していく。
何とも奇抜な鳥の存在、独特の空気感に包まれながら、生と死というものをこれまでにない側面から描いている。ラップミュージックを巧みに使い、突飛な設定の中、A24の作品らしい独特の世界観を随所に感じ、引き込まれていく。
中盤からかなり突飛な展開となっていくが、それが逆に最近観た真っ当な映画と異なり、最後まで興味深く観ることが出来た。
鳥のシーンは妙な迫力と魅力がある
これが正しい
お前は私を静かにした
こないだ鑑賞してきました🎬
デスという鳥を死を具現化した存在として描き、ゾラとチューズデイという母娘との関わりが軸となるストーリー。
ゾラにはジュリア・ルイス=ドレイファス🙂
彼女がデスに対してとった行動はちょっと恐ろしいのですが、これも娘への愛ゆえか。
一方で怠惰な面もあり、ストーリーが進むにつれ自分を見つめ直していく様はリアムでした😀
チューズデイにはローラ・ペティクルー🙂
デスが目の前に現れた時は、自分の運命を察知しますが機転を利かせます。
余命が短いからか、達観したところと年相応の部分を併せ持つ女性を独特の魅力で演じていました😀
A24ならではの奇抜なストーリーに加え、デスの不死身ではあるが無敵ではない設定など、絶妙なバランスで成り立った1本です👍
誰しも避けられない
「その時」
に思いをはせるきっかけにもなるでしょう🫡
デスに持ってかれる死も悪くない
騙し絵のような幻覚のような、ちょっと気味悪いオープニングに、これは当たりだと。
デスに連れていかれる人たちの、それぞれの死の迎え方も良かった。
不吉なイメージのカラスではなく、人の言葉を話してもおかしくはないオウムなのも良いチョイス、色味も派手だし。
水浴びをして水が真っ黒になる場面では、長い間デスが背負ってきた業を感じて少し切ない気持ちになった。
デスが現れてから死を受け入れたチューズデーとは対照的に、受け入れられず電話にも出ない母。
死にゆく本人からすると、痛みや苦しみから解放されるならばと受け入れてしまうものなのか。
だけどちょっと期待しすぎたかな。お母さんがやらかしてから、女型の奇行種に見えてしまって少し残念。
上手く綺麗にまとめましたなエンディングも、まあ及第点。
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