プロフェッショナルのレビュー・感想・評価
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忘れかけていたIRAの悲哀。
殺し屋稼業に嫌気が差し引退を決めたフィンバー。その矢先にベルファストで爆破事件のメンバーが密かに村に潜伏し始める。その中の一人が少女を虐待していることを知るフィンバーは。。。
裏稼業なのに人間臭さを残している殺し屋。
すぐキレる女ボスにイライラするものの、最初は子供を助けようとしていた人間性は何処に行ったのか?何のための伏線だったのか? 弟思いの姉だということなのか。。
アイルランドの歴史を知っていれば、IRAの主張もわからなくはないが、何せ無差別テロはやはり×。
特に面白い部分はないが、老体の静かな戦いが悪くはなかったが、
邦題のセンスの無さがポイントを落とす要因でもありそう。
トレーラーとはちがう
96時間に代表されるスーパー暗殺者的なトレーラーだったがまったくちがう。アイルランドの田舎の人と自然の中で暗殺者として苦悩し引退する主人公。あくまでこれがテーマでありテロリストとの対決も地味。人の「罪と罰」とアクションが中途半端でした。
控え目なリーアム・ニーソン…
時代背景も去ることながら、一昔前の映画のようなスピード感。リーアム・ニーソンの年齢的な部分を加味したのか、単なるいつもの無双の殺し屋ではなく、殺し屋稼業に疲れ、平穏な生活で余生を過ごしたい男を描いている。IRAの姉も政治的テロであり、弟のために復讐する姿は単純な善悪では語れない。過去の所業が長くは居座れない運命、友との別れ、雄大な景色、音楽に寂しさを感じた
今回は控えめでしたね。
アイルランド
現題名は「聖人と罪人の地にて」と訳すことができる。
故に最後の「罪と罰」の本が生きてくる。
この物語はイギリス領の北アイルランド視点ではなく、アイルランド共和国側の視点で描かれているという点が重要だろう。
1970年代 IRAによる爆破テロが国際問題化していたころ。
歴史とは勝者の歴史、または統治者による一方的な視点となる。
アイルランド視点で見るIRAは、アイルランド島全体の統一と、イギリスからの完全な独立を目指す武装組織。
アイルランドのカトリック系住民を中心に支持され、特に北アイルランドにおけるイギリス支配に対する抵抗運動の象徴的存在だった。
故にIRAは単なるテロ組織ではなく、民族解放運動のひとつと考えられている。
特に1970年代以降の「暫定IRA(PIRA)」は、イギリス軍や警察による弾圧に対する防衛的な存在として、一定の市民の支持を得ていた。
この背景があってこの物語がある。
日本人にとってはほんの少しの知識しかないことで、この物語の解釈が多く気変わってしまうだろう。
彼らのテロ活動を支援する動き等々存在する。
主人公フィンバーもまた、アイルランドのために敵を暗殺する仕事に就いていた。
フィンバーは人を殺しことに対し罪の概念を持つようになっていた。
これがこの物語のひとつの軸となっている。
敵役のIRAはベルファストで爆破テロを成功させてこの地で身を隠していた。
そのひとり、デランの弟の行方が分からなくなったことでフィンバーとIRAが争うことになる。
アイルランドという国のためにテロを続けるデラン
その意志は固い。
同時に弟の面倒も見る。
その延長線上で起きたトラブルが、この物語であり、一番大きな軸
若い暗殺者ケビン
殺しを簡単なものとし、女まで殺した経験がある彼を、フィンバーは良く思わない。
しかし彼との会話で彼への印象を少しずつ変える。
ここも一つの軸
くだらないやつだと思っていたケビンだったが、腕の良さ、やると決めらた逃げないことなどがフィンバーの見方を変えてゆく。
リタとは、アイリッシュの代表だろうか?
フィンバーの職業よりも、彼の生き方に共感する。
フィンバーもまたアイリッシュの代表だろう。
弱きを守り強きをくじく。
ただ、
彼のしていることそのものは罪深さを拭えない。
だからデランを殺すことなく、弟の隣に埋める。
二人は同じ目的で殺人をしてきた。
戦争
彼らの背景にある戦争
それがもたらす狂気と惨劇と作り続けられる復讐の連鎖
この55年前の傷は今もアイリッシュの心に影を落としているのだろう。
こんなことが55年前には普通にあった。
聖人とはキリスト教の聖人たちのことだろうか?
敬虔なカソリックのいる場所で起きる戦争
デランは「神は私のした正しいことをわかってくれる」と言った。
しかしフィンバーは、彼女のその言葉に同意したい部分と、「罪と罰」に書かれている内容とを考え罪悪感が拭えない。
割り切れない気持ちこそ、フィンバーの中にあったものだろう。
自分の身代わりに死んだケビンの不条理も心の中にあっただろう。
友人の警察官ビンセントは、フィンバーの「本質」を見抜いていた。
彼らがこの地へ逃げ込んだ際に壊した看板は新しく立て替えられた。
古くなったり壊れたりしたものはまた新しくなってゆく。
アイリッシュの歴史 イギリスの植民地
これに抵抗したIRA
しかし、
血で血を洗うことはもう終わりにしようというのが、この作品だろう。
おそらく日本人にはわからない闇の深さがある。
だから、ひとことで評価できないが、この物語の深い傷跡は感じることができるように思う。
もっと最強の殺し屋かと思ったから物足りなく感じた
もっと早く敵を瞬殺してれば…
この街が大好きなんだなぁと思うと出ていかなくちゃいけなくなっちゃったのが切なかった
北欧が舞台で景色やお家やお部屋の中がめちゃくちゃオシャレだった
原題は「聖人と罪人たちの地で」
出演量産のリーアム・ニーソンの最近の作で、題名が「プロフェッショナル」‥
これは正直殆ど期待せずに見ました。
ですが、鑑賞したらとても良かったです。
荒涼だが美しい風景あり
日々の生活の穏やかさと楽しみ、老いの哀しみあり
日常の中での常軌を逸した内幕あり
人でなしにも、心あり、事情も言い訳もあり
友人あり
そして強く優しいが、強すぎず、また非情な冷酷さも日常なニーソン(ここ大切)
物語進行に緊張感があったので小さい画面にも関わらず、冗長さも感じず観られました。
まあ残念ながら、最近不可避的に観る側としての歳や心理環境も映画の批評に影響されてしまうので、評価に多少心情同調フィルタがかかっているかも知れません(勿論私は哀しい殺し屋でも強く優しい漢でもありませんが)。
リーアム・ニーソンの故郷、アイルランドを舞台に。
1970年代のアイルランドが舞台です。
この映画は、爆破活動などの過激なテロ活動で、恐れられた
IRA(アイルランド解放戦線)の残党が逃げ込んだ村。
その村で密かに殺し屋家業を生業とするの
フィンバー(リーアム・ニーソン)。
パブの女の幼い娘がIRAの男からDVを受けていることに怒りが爆発。
フィンバーは男を殺して埋める。
そのことを知った男の姉はフィンバーに復讐を企てるという話し。
IRAと聞くとIRAの指導者で暗殺された「マイケル・コリンズ」を
演じたリーアム・ニーソンが1996年ベネツィア国際映画祭で、
男優賞を受賞したことを思い出しました。
今回はIRAを倒す側。
「マイケル・コリンズ」は当時、英雄視されていたので、ちょっと
寝返った気がしてしまいます(笑)
アイルランドの寒村の海沿いを走る光景がとても美しくて
雰囲気のある良い映画でした。
そんな寂れた田舎町に殺し屋を差配する男がいる。
その黒幕は誰か?
なんの目的の殺人なのか?
殺し屋が職業として成り立つのか?
などの背景をもう少し描いて欲しかった。
西部劇や黒澤明の「用心棒」でも、黒幕の悪代官や悪保安官などの
【敵】が明白なのですが、この映画はその点が甘い。
なんとも物騒な村ですね。
【敵】は逃れてきたIRAなのですが、もう少し村人たちが、
IRAを【憎っくき敵】として感じているなどを描いて欲しかったです。
リーアム・ニーソンは、IRAの赤い車体に黒の屋根の車を奪って、
西部劇のように去っていくのです。
村に平和が帰って来たのだから、結果オーライなのでしょう。
会話にユーモアと余韻もあり、感動しました。
何がプロフェッショナル?
IRAを背景としたことで増す苦み
邦題とTVスポットが酷すぎる
夢のカリフォルニア
北アイルランドの片田舎にて、殺し屋として活動していた男が引退し静かに暮らそうとしていた所にヤバい奴らが現れて…。再び闘いに身を投じていく物語。
住人なら誰もが顔見知りレベルの小さな町。警察のお友達や若い殺し屋との関わりを見せながらも比較的ゆったりした序盤。
事が動き出してからはそこそこ緊張感のある流れになってきたが、ショーンをあげちゃったりカリフォルニアンドリーム(?)を叶えろとか、急に人情モノ感を出してきてどうした?
そんなんする程彼との深い関わりを築いていただろうか…?
クライマックスは銃撃戦!これくらいこじんまりしている方が逆にリアリティあってアツいですね!
そこからの展開は意外にもグッと来たし、聞く必要ある?とか、バックシートにポンと置かれた本とか中々にしんみりさせられたが…如何せんドラマにもうちょっと味付けがあればなぁ。
全体的にもうちょい調味料を入れてくれていたらそこそこの名作になったような…という印象。
それでも話は小難しくないので見易い良い作品でした。
頗る面白い、とまではいかないが、なかなか味わい深い映画でした。
これがちょっと面白い。
イーストウッドの映画の制作を長年やってきた人(ロバート・ロレンツ)が監督をしている。イーストウッドの映画の影響を感じる。「許されざる者」を彷彿とさせる。舞台は北アイルランドだけどまるでイーストウッドの西部劇だね。
時代はわざわさ74年に設定している(多分、IRAが過激だった頃)。
IRAの過激派が、ベルファストで爆弾テロを起こし、この静かな村に逃げ込んできた。主人公のリーアム・ニーソンはプロの殺し屋だったが足を洗ったばかり。だが過激派の一人が、村の少女に手を出したことを怒り、主人公は、今までのようにうに始末してしまう。殺された男の姉が過激派のリーダーで、弟が行方不明になったことを探ると、主人公にたどり着く。それで、村のみんなが集まるパブで落ち合うことに…。
主人公の隣に住む女性とは、お互い信頼し合っていて時々食事を共にする仲。パブの女主人とも仲が良く、その娘を主人公は暖かく見守っている。村の警察署長は主人公とは長年付き合っている親友。この村は、主人公にとっては居心地の良い場所だった。ここを終の棲家として落ち着こうと「殺し」をやめた矢先だった…。結局は、また殺しに手を染めてしまい、旅立ってゆく。
荒涼とした北アイルランドの風景がこの映画に合っている。
役者は、敵役の過激派の姉役のケリー・コンドンが素晴らしい。憎たらしいほどだが、筋が通っている。この敵役がしっかりしていないと作品が引き締まらない。
ほかに署長や、隣の女性、パブの女主人、それに彼を慕う若手の殺し屋(この設定も「許されざる者」を彷彿とさせる)、殺しの元締めとその母親など、脇を固める役者が生き生きとしていることで、この映画の厚みが出た。
その点もイースウッドの映画とよく似ている。
空撮を多用していて、その点もイーストウッドの「ミスティック・リバー」を思い出す。音楽はモロに西部劇。
頗る面白い、とまではいかないが、味わい深く、私好みの映画でした。
暗殺者の逡巡
厨二病あるある、殺し屋を職業にしたいと、言いがち。
殺し屋なんてなるもんじゃないと、漫画のザ・ファブルと、休載しがちの漫画、バイオレンス・アクションを読めば分かりそうなものだが、これらの漫画は、最近の漫画。昔は殺し屋を美化する漫画が多かった。
俺のチェリーボーイ時代は、自衛隊か、フランス外人部隊に入隊してから、除隊して殺し屋になる!
と、言う奴が結構いた。そんな友達しか持てない俺もどうかと思うが、特に印象に残っているのが、自衛隊の入隊試験を受けた時に、赤色色盲が発覚して、余程の事がない限り、不合格にならない自衛隊に入れなかったのが不幸のズンドコになった彼。
更に、彼はノストラダムスの大予言を本気で信じていて、一切、就職活動をせずに、1999年8月。
何かが壊れた彼はそのまま就職をせずに、そのままニートになり、今もニート。頼るは親の年金、恐るべしマガジンMMRのキバヤシ、貴方がどれだけの人を不幸にしたのかを知るがよい。
さーて!今回のリーアム・ニーソンはー!?
① いつも通り殺し屋
② 殺し屋を引退しちゃう
③ でも、やっぱり殺し屋は辞められない
の、三本でお送りしまーす!
今回の映画では、何故か1970年代の時空に飛ばされたリーアム・ニーソンが、第二次世界大戦の帰還兵という設定。
この戦争で、564をおかずにしないとご飯が食べられない殺人衝動を抑えられないが為に、殺し屋を生業にして暮らしている。
友達の警察官と、隣人の老婆には、本の販売でご飯を食べていると嘘をつきながら。
その殺しの手段が、殺しの標的を拉致して、山奥に連れてゆき、
今から、お前を殺すから、お前を埋める穴をお前が掘れ!
と、ショットガンを向けながら、
最後に何か言いたい事はあるか?
と、聞くけど、情けはかけずに、埋めた穴の上に苗木を植えて、その殺害現場は植木だらけとゆー、今までで、一番えげつないリーアム・ニーソン。
でも、流石に疲れたのか殺し屋引退をするも、
トラブルがあったら、話し合いで解決せずに殺す。
という、選択をしてしまったが為に、周囲の知人・友人達が、どえらい目に合う話し。
リーアム・ニーソンは映画中盤まで、銃は二連ショットガンしか使わないので、
何か違うんだよなー?
と、思っていたが、安心してください!ちゃんと、ピストルで無双しますよ?
全然、マガジンチェンジをしない、装弾数どうなっているんだ?ゾンビ映画かよ?
と、思っちゃう拳銃無双ね?装弾数をちゃんと考えているのは、マイケル・マン監督だけじゃなかろうか?
本作で、アクション映画を引退する予定のリーアム・ニーソンの最新作は、
「 リブート版 裸の銃を持つ男」
で、フランク・ドレビンの息子の刑事役、予告編を見てみたら、いつも通り、虐殺しまくりんぐ。
あんたー?馬鹿だよー?本当の虐殺馬鹿だよー?あんたから、564を取ったら、何が残るって言うんだい?
564をしない、あんたなんか、下ネタ言わない壇蜜だぁー?
よ!リーアム・ニーソン!音羽屋!殺し屋!リーアム・ニーソンにっぽんいち!
一瞬だけだけど、殺しをやめるリーアム・ニーソンを見てみたい人だけに、お勧めの映画だYO!!
見たい人、限られちゃうNE!!
↑ おい
配給会社の勝利
「リーアム・ニーソン」と「プロフェッショナル」という単語が並べば期待するアクション映画。しかし…、タイトルが違う!気づくの遅すぎた。
”In the Land of Saints and Sinners” 「聖人と罪人の国で」だと受けるイメージが全く違う。
この映画はアイルランド製作で、舞台は1974年のアイルランド紛争時代の出来事。
ポール・マッカートニーが『北アイルランドに平和を』という曲があったので(シングルのみなので聞いたことはなかったが)紛争があった事は知っているが、他国の紛争のどちらかに肩入れする訳にもいかない。しかも冒頭の爆撃からも無差別テロでもないと思うと、🇮🇪映画で、🇮🇪又は🇬🇧の一地方の事件というぐらいの規模の映画化。
仮に女性ボス側をテロリストと仮定しても、リーアムニーソンも元殺し屋らしいのでどっちも悪人。もっと自己主張なりすれば良いが、どっちつかずの印象。
🇬🇧と🇮🇪ではNetflixでの配信公開。🇺🇸は限定で劇場公開。
🇯🇵の配給会社に負けました。
「プロフェッショナル」と「アマチュア」
狙ったのか偶然なのか同時期に「プロフェッショナル」と「アマチュア」という対抗したタイトルの作品の公開、さらに「ゴーストキラー」「サイレントナイト」を含めて“リベンジアクション”の作品の同時期公開で、全て面白そうで全部観ようと思っていました。
今日は第三弾です。
「サイレントナイト」や「アマチュア」は一般人が殺し屋に上がっていく過程や活躍が内容だと思いますが、これは殺し屋として活躍していた人間が下っていく過程が描かれていると思いました。
「プロフェッショナル」と付けた意味は何だろうと疑問を感じるところもありますが、プロの生き様や引き際がテーマということかなと思います。
「俺を怒らせるな。」というキャッチや「ハードボイルドアクション」という触れ込みでしたが、その水準の展開やアクションは少ないと思いました。
さらにアイルランドの田舎が舞台なので長閑で、他の作品とは画的にそこが違います。
リーアム・ニーソンの作品は面白いというのは裏切らないです。
以下少しネタバレ
↓
冒頭に巻き込まれて死んでしまった親子のことや、最後に助かった親子のその後が取り上げられると思ったのですが、そこは肩透かしでした。
明日は「アマチュア」を観ます。
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