プロフェッショナルのレビュー・感想・評価
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もっと最強の殺し屋かと思ったから物足りなく感じた
もっと早く敵を瞬殺してれば…
この街が大好きなんだなぁと思うと出ていかなくちゃいけなくなっちゃったのが切なかった
北欧が舞台で景色やお家やお部屋の中がめちゃくちゃオシャレだった
原題は「聖人と罪人たちの地で」
出演量産のリーアム・ニーソンの最近の作で、題名が「プロフェッショナル」‥
これは正直殆ど期待せずに見ました。
ですが、鑑賞したらとても良かったです。
荒涼だが美しい風景あり
日々の生活の穏やかさと楽しみ、老いの哀しみあり
日常の中での常軌を逸した内幕あり
人でなしにも、心あり、事情も言い訳もあり
友人あり
そして強く優しいが、強すぎず、また非情な冷酷さも日常なニーソン(ここ大切)
物語進行に緊張感があったので小さい画面にも関わらず、冗長さも感じず観られました。
まあ残念ながら、最近不可避的に観る側としての歳や心理環境も映画の批評に影響されてしまうので、評価に多少心情同調フィルタがかかっているかも知れません(勿論私は哀しい殺し屋でも強く優しい漢でもありませんが)。
リーアム・ニーソンの故郷、アイルランドを舞台に。
1970年代のアイルランドが舞台です。
この映画は、爆破活動などの過激なテロ活動で、恐れられた
IRA(アイルランド解放戦線)の残党が逃げ込んだ村。
その村で密かに殺し屋家業を生業とするの
フィンバー(リーアム・ニーソン)。
パブの女の幼い娘がIRAの男からDVを受けていることに怒りが爆発。
フィンバーは男を殺して埋める。
そのことを知った男の姉はフィンバーに復讐を企てるという話し。
IRAと聞くとIRAの指導者で暗殺された「マイケル・コリンズ」を
演じたリーアム・ニーソンが1996年ベネツィア国際映画祭で、
男優賞を受賞したことを思い出しました。
今回はIRAを倒す側。
「マイケル・コリンズ」は当時、英雄視されていたので、ちょっと
寝返った気がしてしまいます(笑)
アイルランドの寒村の海沿いを走る光景がとても美しくて
雰囲気のある良い映画でした。
そんな寂れた田舎町に殺し屋を差配する男がいる。
その黒幕は誰か?
なんの目的の殺人なのか?
殺し屋が職業として成り立つのか?
などの背景をもう少し描いて欲しかった。
西部劇や黒澤明の「用心棒」でも、黒幕の悪代官や悪保安官などの
【敵】が明白なのですが、この映画はその点が甘い。
なんとも物騒な村ですね。
【敵】は逃れてきたIRAなのですが、もう少し村人たちが、
IRAを【憎っくき敵】として感じているなどを描いて欲しかったです。
リーアム・ニーソンは、IRAの赤い車体に黒の屋根の車を奪って、
西部劇のように去っていくのです。
村に平和が帰って来たのだから、結果オーライなのでしょう。
会話にユーモアと余韻もあり、感動しました。
何がプロフェッショナル?
IRAを背景としたことで増す苦み
邦題とTVスポットが酷すぎる
夢のカリフォルニア
北アイルランドの片田舎にて、殺し屋として活動していた男が引退し静かに暮らそうとしていた所にヤバい奴らが現れて…。再び闘いに身を投じていく物語。
住人なら誰もが顔見知りレベルの小さな町。警察のお友達や若い殺し屋との関わりを見せながらも比較的ゆったりした序盤。
事が動き出してからはそこそこ緊張感のある流れになってきたが、ショーンをあげちゃったりカリフォルニアンドリーム(?)を叶えろとか、急に人情モノ感を出してきてどうした?
そんなんする程彼との深い関わりを築いていただろうか…?
クライマックスは銃撃戦!これくらいこじんまりしている方が逆にリアリティあってアツいですね!
そこからの展開は意外にもグッと来たし、聞く必要ある?とか、バックシートにポンと置かれた本とか中々にしんみりさせられたが…如何せんドラマにもうちょっと味付けがあればなぁ。
全体的にもうちょい調味料を入れてくれていたらそこそこの名作になったような…という印象。
それでも話は小難しくないので見易い良い作品でした。
頗る面白い、とまではいかないが、なかなか味わい深い映画でした。
これがちょっと面白い。
イーストウッドの映画の制作を長年やってきた人(ロバート・ロレンツ)が監督をしている。イーストウッドの映画の影響を感じる。「許されざる者」を彷彿とさせる。舞台は北アイルランドだけどまるでイーストウッドの西部劇だね。
時代はわざわさ74年に設定している(多分、IRAが過激だった頃)。
IRAの過激派が、ベルファストで爆弾テロを起こし、この静かな村に逃げ込んできた。主人公のリーアム・ニーソンはプロの殺し屋だったが足を洗ったばかり。だが過激派の一人が、村の少女に手を出したことを怒り、主人公は、今までのようにうに始末してしまう。殺された男の姉が過激派のリーダーで、弟が行方不明になったことを探ると、主人公にたどり着く。それで、村のみんなが集まるパブで落ち合うことに…。
主人公の隣に住む女性とは、お互い信頼し合っていて時々食事を共にする仲。パブの女主人とも仲が良く、その娘を主人公は暖かく見守っている。村の警察署長は主人公とは長年付き合っている親友。この村は、主人公にとっては居心地の良い場所だった。ここを終の棲家として落ち着こうと「殺し」をやめた矢先だった…。結局は、また殺しに手を染めてしまい、旅立ってゆく。
荒涼とした北アイルランドの風景がこの映画に合っている。
役者は、敵役の過激派の姉役のケリー・コンドンが素晴らしい。憎たらしいほどだが、筋が通っている。この敵役がしっかりしていないと作品が引き締まらない。
ほかに署長や、隣の女性、パブの女主人、それに彼を慕う若手の殺し屋(この設定も「許されざる者」を彷彿とさせる)、殺しの元締めとその母親など、脇を固める役者が生き生きとしていることで、この映画の厚みが出た。
その点もイースウッドの映画とよく似ている。
空撮を多用していて、その点もイーストウッドの「ミスティック・リバー」を思い出す。音楽はモロに西部劇。
頗る面白い、とまではいかないが、味わい深く、私好みの映画でした。
暗殺者の逡巡
厨二病あるある、殺し屋を職業にしたいと、言いがち。
殺し屋なんてなるもんじゃないと、漫画のザ・ファブルと、休載しがちの漫画、バイオレンス・アクションを読めば分かりそうなものだが、これらの漫画は、最近の漫画。昔は殺し屋を美化する漫画が多かった。
俺のチェリーボーイ時代は、自衛隊か、フランス外人部隊に入隊してから、除隊して殺し屋になる!
と、言う奴が結構いた。そんな友達しか持てない俺もどうかと思うが、特に印象に残っているのが、自衛隊の入隊試験を受けた時に、赤色色盲が発覚して、余程の事がない限り、不合格にならない自衛隊に入れなかったのが不幸のズンドコになった彼。
更に、彼はノストラダムスの大予言を本気で信じていて、一切、就職活動をせずに、1999年8月。
何かが壊れた彼はそのまま就職をせずに、そのままニートになり、今もニート。頼るは親の年金、恐るべしマガジンMMRのキバヤシ、貴方がどれだけの人を不幸にしたのかを知るがよい。
さーて!今回のリーアム・ニーソンはー!?
① いつも通り殺し屋
② 殺し屋を引退しちゃう
③ でも、やっぱり殺し屋は辞められない
の、三本でお送りしまーす!
今回の映画では、何故か1970年代の時空に飛ばされたリーアム・ニーソンが、第二次世界大戦の帰還兵という設定。
この戦争で、564をおかずにしないとご飯が食べられない殺人衝動を抑えられないが為に、殺し屋を生業にして暮らしている。
友達の警察官と、隣人の老婆には、本の販売でご飯を食べていると嘘をつきながら。
その殺しの手段が、殺しの標的を拉致して、山奥に連れてゆき、
今から、お前を殺すから、お前を埋める穴をお前が掘れ!
と、ショットガンを向けながら、
最後に何か言いたい事はあるか?
と、聞くけど、情けはかけずに、埋めた穴の上に苗木を植えて、その殺害現場は植木だらけとゆー、今までで、一番えげつないリーアム・ニーソン。
でも、流石に疲れたのか殺し屋引退をするも、
トラブルがあったら、話し合いで解決せずに殺す。
という、選択をしてしまったが為に、周囲の知人・友人達が、どえらい目に合う話し。
リーアム・ニーソンは映画中盤まで、銃は二連ショットガンしか使わないので、
何か違うんだよなー?
と、思っていたが、安心してください!ちゃんと、ピストルで無双しますよ?
全然、マガジンチェンジをしない、装弾数どうなっているんだ?ゾンビ映画かよ?
と、思っちゃう拳銃無双ね?装弾数をちゃんと考えているのは、マイケル・マン監督だけじゃなかろうか?
本作で、アクション映画を引退する予定のリーアム・ニーソンの最新作は、
「 リブート版 裸の銃を持つ男」
で、フランク・ドレビンの息子の刑事役、予告編を見てみたら、いつも通り、虐殺しまくりんぐ。
あんたー?馬鹿だよー?本当の虐殺馬鹿だよー?あんたから、564を取ったら、何が残るって言うんだい?
564をしない、あんたなんか、下ネタ言わない壇蜜だぁー?
よ!リーアム・ニーソン!音羽屋!殺し屋!リーアム・ニーソンにっぽんいち!
一瞬だけだけど、殺しをやめるリーアム・ニーソンを見てみたい人だけに、お勧めの映画だYO!!
見たい人、限られちゃうNE!!
↑ おい
配給会社の勝利
「リーアム・ニーソン」と「プロフェッショナル」という単語が並べば期待するアクション映画。しかし…、タイトルが違う!気づくの遅すぎた。
”In the Land of Saints and Sinners” 「聖人と罪人の国で」だと受けるイメージが全く違う。
この映画はアイルランド製作で、舞台は1974年のアイルランド紛争時代の出来事。
ポール・マッカートニーが『北アイルランドに平和を』という曲があったので(シングルのみなので聞いたことはなかったが)紛争があった事は知っているが、他国の紛争のどちらかに肩入れする訳にもいかない。しかも冒頭の爆撃からも無差別テロでもないと思うと、🇮🇪映画で、🇮🇪又は🇬🇧の一地方の事件というぐらいの規模の映画化。
仮に女性ボス側をテロリストと仮定しても、リーアムニーソンも元殺し屋らしいのでどっちも悪人。もっと自己主張なりすれば良いが、どっちつかずの印象。
🇬🇧と🇮🇪ではNetflixでの配信公開。🇺🇸は限定で劇場公開。
🇯🇵の配給会社に負けました。
「プロフェッショナル」と「アマチュア」
狙ったのか偶然なのか同時期に「プロフェッショナル」と「アマチュア」という対抗したタイトルの作品の公開、さらに「ゴーストキラー」「サイレントナイト」を含めて“リベンジアクション”の作品の同時期公開で、全て面白そうで全部観ようと思っていました。
今日は第三弾です。
「サイレントナイト」や「アマチュア」は一般人が殺し屋に上がっていく過程や活躍が内容だと思いますが、これは殺し屋として活躍していた人間が下っていく過程が描かれていると思いました。
「プロフェッショナル」と付けた意味は何だろうと疑問を感じるところもありますが、プロの生き様や引き際がテーマということかなと思います。
「俺を怒らせるな。」というキャッチや「ハードボイルドアクション」という触れ込みでしたが、その水準の展開やアクションは少ないと思いました。
さらにアイルランドの田舎が舞台なので長閑で、他の作品とは画的にそこが違います。
リーアム・ニーソンの作品は面白いというのは裏切らないです。
以下少しネタバレ
↓
冒頭に巻き込まれて死んでしまった親子のことや、最後に助かった親子のその後が取り上げられると思ったのですが、そこは肩透かしでした。
明日は「アマチュア」を観ます。
高齢者が高齢者に肩入れして見る映画
同日公開のラミ・マレック「アマチュア」に対抗してこの邦題をつけた配給会社(AMGエンタテインメント)の技ありだろう、ディズニー相手ならこれくらいやっても許せるし主題歌にスガシカオを使えば完ぺきだった。原題は「In the Land of Saints and Sinners(聖人たちと罪人たちの土地で)」となっていて1974年のアイルランド北部のグレンコルムキルという小さな海沿いの村が舞台。IRA(アイルランド共和軍)がからむどっちが正義か両方とも罪人かと悩む殺し合いのお話で、70過ぎの引退しようとしている暗殺請負人のフィンバー(リーアム・ニーソン)はあまりによれよれでしかも感情的でとてもプロフェッショナルとは言い難くよくも臆面なくこのタイトルを冠したことである。冒頭子どもを巻き込み殺してしまうベルファストでのIRAのテロ行為が描かれ、彼らを悪者として描きますよと宣言されるのだが、対するリーアムサイドも負けず劣らず非道な暗殺エージェントで、いくら主人公とはいえ、隣人や村の貧しい母子家庭に優しくしてもとても擁護できるものではない。そして敵キャラのデラン・マッキャン(ケリー・コンドン)のゴッド姉ちゃんぶりが素晴らしくこの両者の対決が見もの、加えて脇キャラのケビン(ジャック・グリーン)が最後に「明日に向って撃て!」的な美味しいところを持っていくのも西部劇テイストを増して好印象。おそらくは主要キャスト全員をアイルランド系出身者で固めたことが成功の要因。映画文法に逆らったエンディングの意外さも良かった。
誰一人プロらしいプロの登場しない、田舎のプロ気どりが織りなすほんわか老人アクション。
『アマチュア』に引き続いて、『プロフェッショナル』を視聴。
セット企画として、その「対比」を愉しむ予定だったのだが……
やべえ、こいつら、
全然「プロフェッショナル」
じゃねーじゃねーか(笑)。
むしろ、のんびりした田舎の村を舞台に、
田舎ののんびりした引退した殺し屋が、
のんびりした頭の弱い相棒と共闘しつつ、
のんびりした頭の弱いテロリストたちと
さんざんお互いにミスを犯しまくって、
お互いにスカタンをかまし合いながら、
なんとなく「老人ヒーロー属性」だけで、
リーアム・ニーソンがラスト・スタンディング!
そういった、田舎のラムネ水みたいな映画だ……。
まさに「タイトルに偽りあり」。
あと、ハードボイルド・アクションって宣伝に書いてあるけど、果たしてそうなのか??
どっちかというと、真顔でやってるドメスティック・アクション・コメディにしか思えないが……。
リーアム・ニーソンといえば、いまや「老人アクションの第一人者」(笑)であり、『96時間』以降、もはやどの映画がどれだったかすらよくわからなくなるほど、同工異曲の巻き込まれ型アクション・スリラーに主演し続けている。
そんな「市井の一般人に見えて実は凄腕のプロフェッショナル」というリーアム・ニーソンらしい役回りから、今回の主人公はかなり逸脱しているといってよい。
いや、「一見、いつものリーアム・ニーソンに見せかけておいて、実は普段の設定とは一味違う」という「ギャップ」自体を愉しむ映画といったほうがいいかもしれない。
いちいちこの映画の登場人物の行動に、整合性やリアリティを求めても仕方がない。
むしろ、やっていることのおおよそ全てが配慮を欠き、判断力を欠き、理に反している。
そういった類の、「あらかじめゆるく作られた」「ゆるいのが魅力の」映画。それが本作だ。
結論。
タイトルとして、邦題の「プロフェッショナル」ほどにふさわしくないものもない!
(原題の『In the Land of Saints and Sinners』(聖者と罪びとの地で)は、無駄にかっこいいだけだけど、少なくとも内容を外してはいない。)
あるいは……、これって配給会社の渾身のギャグなのか?
「なんだよ、出てくる連中、どいつもこいつもいったい何考えてるんだ?? よし、それならこっちは敢えて〈プロフェッショナル〉ってつけてやれ!!」みたいな。
強いて言えば、「プロフェッショナル(気どりw)」といったところか。
― ― ― ―
出だしから、いきなりテロリスト4人組が標的の爆殺に子供たちを巻き込み、しかも相手に警告を発したせいで、衆目に顔をさらしてお尋ね者になるという大きな不始末を犯す。彼らはテロリストとしては三流で、状況判断がとことん甘く、感情の制御もおぼつかない。
4人組のうちひとりは、逃亡中のテロリストなのに、毎日入り江での水泳にうつつを抜かし、親族の少女に無意味な暴行を加え、会ったばかりの男の車に乗せてやると言われてほいほい乗って、そのまま人生の最期を迎える。残された3バカトリオも、ラストに至るまでとことん無能で、とことん頭の悪そうな会話を繰り返す。
IRAの重信房子か永田洋子かといったコワモテの女性闘士は、最終的にアイルランド解放の大義とかそっちのけで、「私怨」の復讐戦へと猛進することに。残る2人は「やっておしまい!」と叫び続ける女性闘士にあごで使われて、さながらIRAのボヤッキーとトンズラーである(笑)。
対する主人公で老練な殺し屋のフィンバー・マーフィー(リーアム・ニーソン)も、冒頭の「殺し」こそルール通りに進めて卒なくこなしてみせるが、そのあとからは、やっていること全体がほぼめちゃくちゃだ。
●馴染みの女性の家で、子供があざだらけで叔父を嫌っているのを見ただけで、勝手に「チャイルド・アビューズ」(児童虐待)だと決めつける。
●被害者にも容疑者にもちゃんとした確認すらとらず、証拠調べもしないで、いきなり次の「殺し」のターゲットにするよう、元締めに要求する。(たとえば日本の『必殺』シリーズでは、殺し屋が依頼だけで動くことは絶対にないし、自分たちの目で悪の証拠を確認したうえで初めて仕置きする。逆にどれだけ義憤に駆られても、依頼者のいない(=金の発生しない)仕置きは「ただの人殺し」として徹底的に忌避される。これが正しい「殺し屋道」というものだ。)
●元締めに断られたら(そりゃ当然だ)、独断で相手を殺すことを宣言し、勝手に行動に移す(まさにルール無用のただの殺人鬼である)。
●叔父のテロリストが少女に渡していた銃弾を、元締めの家に置きっぱなしにして帰って、のちに元締めが姉のテロリストに射殺される、直接的な原因を生じさせる。
●どこに人の目があるかわからない海岸べりの道路で、顔出しのまま公然と相手を襲って、白昼堂々相手を昏倒させ、そのまま誘拐して連れ出す。
●トランクを開けた瞬間、閉じ込めていた若造の反撃を受け、ナイフで刺されて手負いになるばかりでなく、流血してあたりじゅうにDNAの痕跡を残すことに。その後もパニックに近い状況に陥り、相手には逃亡されるわ、弾を装填し損ねるわ、銃は空撃ちするわ、挙句に若い殺し屋仲間に相手を仕留めてもらって、助けられるはめに。
●若い殺し屋に助けてもらったくせに、偉そうにその若者に死体の穴を掘らせ、自分はふんぞり返って説教を垂れている。殺しに関する感傷的な思想の押しつけも、聞いているだけで痛々しいばかりだ。よほど、ドライな価値観で動いている若い殺し屋のほうが、殺し屋としてまともだと思う(こいつもバカはバカだけど)。
●テロリストたちに家を占拠されているのに気づき、そこに戻らないことにした選択自体は正しいにせよ、ヤサが割れているのに、テロリストが帰った瞬間に下まで降りて、隣人のおばちゃんを助けたり、爆弾が仕掛けられているかもしれない母屋に入って猫を連れ出したりしている。全編を通じて、行動に警戒心が毛ほども感じられない。
●家でテロリストに猫を見られているはずなのに、それをわざわざ少女のところに持っていって「飼ってくれ」と強要する。そもそも動物を譲り渡すのはよほど気ごころの知れた相手以外は迷惑な話だし、それが成獣だとなおさらだ。しかも、この猫を渡すことで、少女とフィンバーの強い関係性がテロリスト叔母さんにバレて、「依頼人が娘、もしくは母親と取られる」可能性を一切考慮していない。
●ノープランで、テロリストを観にグラウンドまで行って、その場でいきなり遭遇する(トイレでは容易に後ろを取られていて、ここで速攻で殺されててもちっともおかしくない)。さらには、どれだけ被害が広がるか全くわからないのに、安易にパブでの夜の打ち合わせに応じている。
●待ち合わせ場所のパブでは、女テロリストの義妹=少女の母親が勤めている。積極的にテロリストとの対決に親族(およびその娘)を巻き込んでいく理由が皆目わからない。だいたい、パブで女テロリストと待ち合わせた理由が「弟殺しの依頼人を教える」というものなのに、虐待された少女の母親がいる場所にわざわざ招き入れてどうしようというのか。「この女があたしの弟を売ったのね」って話になりかねないと思うのだが。
●若い殺し屋は、100%銃で武装していることがわかっている女テロリストに、イチャイチャしながら近づいていって、案の定いきなり撃たれて「ファッキン、いきなり撃ちやがった!!」とか騒いでる。およそ知恵の遅れ方が尋常ではない。
●わざわざ混雑しているパブで待ち合わせたうえ、そこで安易に銃撃戦を展開したせいで、結果的に、多数の村人の負傷者と室内の被害を生み出すことに。戦闘のプロフェッショナルといいながら、お互いいくらやってもとどめをさせず、弾はなかなか当たらず、お互い即死させられないまま、ラストシーンは教会まで持ち越される。
……とまあ、だらだらと気になった点を書き連ねてきたが、これだけ「すっとぼけた」部分が連鎖するのを見れば、賢明な皆さんならお分かりだろう。
要するに、これは「製作者が不用意で頭が弱くて注意力が散漫だから、こういう穴の多い展開になっている」という次元の話ではない。
明らかに、製作者は、主人公や、仲間や、テロリストや、街の住人も含めて、出てくる登場人物全員が「アホ」である、という大前提で、このドメスティックなドンパチものを作っている。そう、これらはすべて「わざと仕組まれているトンチキ」なのだ。
最近観た映画でいえば、去年K’sシネマの奇想天外映画祭で観た、オーストラリア産の珍作『デス・ゲーム/ジェシカの逆襲』に近いテイストかもしれない。
くっそド田舎で、掘っ立て小屋で暮らす頭の弱い美少女が、頭の弱い密猟者3人組にさんざん追い回されて、ついに逆襲に転じて3人を血祭にあげる。
お互い敵も味方も、やってることがゆるんゆるんで、攻めるも守るも「隙」しかないような妙ちきりんな映画。でもまあ、娯楽作品として割り切れば、頭を空っぽにしてのんびり愉しめる。
今回の『プロフェッショナル』も、まさにそういう映画である。
で、そういう映画だと納得して観るぶんには、それなりに楽しい。
僕は決して、この映画が嫌いではない(笑)。
― ― ― ―
なお、この映画における主人公フィンバーの立ち位置は、明らかに「西部劇における老ガンマン」を意識したものだ。
メインテーマの楽器がハーモニカというのがまず、いかにもマカロニ調だし、これから殺す相手に自分の墓穴を掘らせるという趣向は、そのまんま『続・夕陽のガンマン』他のマカロニ・ウエスタンからいただいたアイディアだ。
若造がつきまとってくる流れも、老×若のバディものとしてのテイストも、まさに西部劇の王道だし、「殺された無法者のきょうだいが復讐のために乗り込んでくる」というのもいかにも西部劇らしい展開だ。
老警官との空き缶の射撃競争とか、古いショットガンへのこだわりとか、酒場での派手な撃ちあいとか、すべては本作の根幹が「西部劇」であることを逆照射している。
― ― ― ―
その他、雑感を箇条書きにて。
●本作の設定年代は1974年。若い殺し屋は、しきりにカルフォルニアに行きたいと夢を語るが、同様に「フロリダ」への夢を語りながら犬死にしていくラッツォが出てくるジョン・シュレシンジャーの『真夜中のカーボーイ』の公開は1969年。
明るい都会の輝きに憧れる底辺の若者というアイコンは、アメリカン・ニューシネマの時代のひとつの象徴だった。
●リーアム・ニーソンはアイルランド出身で、2022年にはダブリンを拠点に撮られた『マーロウ』で、フィリップ・マーロウ役を演じていた(レイモンド・チャンドラーもアイルランドで若き日を過ごしている)。老齢に入って、ますますアイルランド系としての意識が高まっているようだ。
●「IRAの闘士が、テロ活動中に誤って子供を殺してしまったせいで身を持ち崩す」といえば、なんといっても『死にゆく者への祈り』(87、マイク・ホッジズ監督、ジャック・ヒギンズ原作、主演ミッキー・ローク)を思い出す。
この映画、実は若き日のリーアム・ニーソンもIRAの同僚役で出ているのだ。友人であるロークの処刑を命じられながら、優しすぎて殺せず、逆に同行の女闘士に射殺される役どころで、やけに本作と近接するところが多い。
明らかに『死にゆく者への祈り』のことを意識して作られた映画のように思える。
●作中には、ドストエフスキーの『罪と罰』をアガサ・クリスティーからの文脈で紹介するくだりがあり、ラストシーンでも本書が粋な形で登場する。『罪と罰』を「ファイダニットものの倒叙ミステリー」と認識する考え方はミステリー界隈では昔からあって、本作のテーマとも強く呼応している。
「人が人を殺すというのはどういうことか」
この根源的な問いに、国家や、宗教や、正義や、家族といったのっぴきならないファクターが絡み、それぞれがそれぞれの事情を抱えて、煩悶する。
ゆるいけど、一応は真面目な映画でもあるのだ。
暗殺者VSテロリスト
リーアム・ニーソン主演
1970年代
長年ロバートから依頼され、殺人業を営むフィンバー
かなりの人を殺してきたが、隣人や友人の優しさにふれ、殺人業を辞めるつもりだ
だけれども罪のない少女が、村に潜伏するテロリストの1人に虐待されてるのを知ってしまったら、そいつを放っておけるわけが無い
フィンバーにはその暗殺の仕事をするようになった背景があるものの、人間らしい心の持ち主
一方、まだ若いが同じ暗殺の仕事をするケビンは、フィンバーとは真逆で暗殺を楽しんでるかのような異常さがある
そんなケビンに、思わぬ展開でそのテロリストの暗殺を手助けされ、そこからそれまでなかった仲間意識が芽生えだす
ここからがフィンバーVSテロリストのせめぎ合いに緊張が走る
フィンバーたちに弟を殺されたことを知った姉デランは、テロリストのリーダー的存在だったが、弟の仇をとる為に我を忘れて、執拗に復讐心を燃やす姿がなんとも恐ろしい
最後フィンバーが自身の身をもって終わらすかと思えたが、また予想外な展開が繰り広げられ、手に汗を握るクライマックスだった
プロフェッショナルかな?
クリントテイストの秀作
映画好きには見逃せない一本!
リ−アムニ−ソンのファンなので鑑賞しに
行ったのですが、脚本、撮影描写、俳優
等非常に丁寧且つオ−ソドックスながら無駄がない為、間延びがない。
先が読めると言えばそうかもしれませんが
主人公のリ−アムは超人的に悪人をやっつける訳でもなくエンディングも大袈裟な会話もなく、それでも「ジワッ」心が暖かくなる。。
こんな映画は久しぶりだな〜
チェックしたら監督のロバ−ト.ロレンツ
はクリント.イ−ストウッドの「マディソン郡の橋」で助監督を務めて以来、ずっと彼の下で映画を学び、私のお気に入りの一本でもある「ミリオンダラーベイビー」の製作総指揮をやっていたとは知らなかった。
クリントテイストの映画だよ!
「いい映画観た」
と思ったのは私だけではないはず。
Naki
50年前のアイルランドの片田舎のお話
リーアムニーソン好きが前情報を入れずに鑑賞。
知っている情報はリーアムニーソンが殺人を生業にしていることくらい。
1970年代のお話なので登場する車はどれもレガシーな香りが漂う。
ケリーコンドンが敵役ですが、ストーリーの最初に人情的な一面を見せるもののその振りが何なのか分からなくなるほどのお馬鹿なブラコン。
ジャックグリーソンは初めて見ましたが味のある演技でよい役者さんですね。
アイルランドの牧歌的な片田舎で進むストーリーで楽しめました。
本編で流れた原題が全然違いそうなので調べたところ「In the Land of Saints and Sinners」で日本語訳は「聖人と罪人の地で」とのこと。
原題の日本語訳は難しいがまだこちらの方が意味が分かります。
プロフェッショナルはタイトルとして失敗しているかな。
兄貴の冒険
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