ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男のレビュー・感想・評価
全7件を表示
ゲッベルスにも岐路はあった
私たちには忘れることができない映像がある。それは、95年、NHKスペシャルで放映された「映像の世紀(4)〜ヒトラーの野望」であり、ドイツ国民が、いかにヒトラーの演説に熱狂したのか、当時の映像を用いて隈なく描かれていた。この映画の副題-ヒトラーをプロデュースした男-を見た時、ヒトラーの演説の背後にゲッベルスがいたのかと思ったが、ある程度、その設定、演出に関与したのかもしれないが、やはりヒトラーはヒトラーだった。それどころか、ゲッベルスは、ある時まで、むしろ平和主義者と言っても良く、イギリスのチェンバレン首相の宥和主義に与していたことを、この映画は教えてくれた。
第二次世界大戦の契機は、私たちもよく知っている。チェンバレン首相が、チェコスロバキアのズデーデン地方のドイツへの割譲を決めたのは、38年9月のミュンヘン会談。ヒトラーの真意は、武力侵攻だった。この時、ゲッベルスにはチェコの有名女優と付き合いがあったことが出てきた。それどころか、ゲッベルスは、マウダ夫人との離婚、あまつさえ同盟国である日本大使への転出を望んでいたのだと言う。しかし、ヒトラーは、夫人の訴えを聞き、ゲッベルスの願いを許すことはなかった。ヒトラーは、ゲッベルスの能力は評価しており、かつゲッべルスと夫人が5人の子供たちと築いた家族は、ナチ体制の理想であったからだろう。
翌年3月、ドイツ軍はチェコスロバキアのボヘミアへの進駐を開始、同年9月にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まる。その間、ゲッベルスがどのような境遇に置かれたか、容易に想像がつく。同僚たちからの揶揄、攻撃もあったことが、この映画に出てきた。彼には、ヒトラーに忠誠を誓うしか生き延びる術はなかったのだと思う。むしろ戦況が悪化すると、彼はヒトラーの代わりに演説を務めるようになっていった。そのハイライトが後半にでてくる43年2月、ベルリンで行われた総力戦布告演説。結局、ヒトラーと運命を共にしたのは、ゲッベルスと夫人を含む彼の家族しかなかった。
誰にでも、岐路はあるのだと思う、私たちも同じことだ。それを改めて、教えてくれる映画だった。ゲッベルスは日本に逃げてもダメで、米国に亡命するしかなかったのだろうが。
大変な労作
新宿武蔵野館、120人余りのスクリーンが満員。
人々が次第に一つの方向に集約されていく様子がよく描かれていました。
ただ、なぜ、彼がこういう人間になったのかを、子供の頃から描いて欲しかった。
小児麻痺になり、運動ができず、兵隊にも行けずに、最終的にハイデルベルク大学で博士をとるのだけど、皆と同じようにできなかったというコンプレックスが、大衆を操る動機になったような気がする。そこをもう少し描いてほしかった。
残っているフィルム映像や記録と、演劇が無理なくシームレスにつなナがっているところがすごいです。
虫食いの穴を埋める作業はとても大変だったと思います。
無音
劇映画だが実際の映像のリアルに頼っているところはある。ユダヤ人を銃殺したり絞首刑にしたりする動画。死体の山の写真だったり。そういう実際のものを頻繁に挟む。ただそうまでして語り継ぎたい意思は感じた。
ヒトラーが戦争を始めてからの話だから、そこに至るまでどうやって票を集めたのか、あのシンボルマークやハイルヒトラーのポーズまでどういう風に決まっていったのかも観たかったがそこはなかった。
劇中でゲッベルスが「我々の苦難は未来においてカラーで映画化される」と言っており、マジで映画化されてるじゃねーか!と心の中でツッコミつつ。
「アメリカやイギリスの宣伝大臣を知ってるか?」という台詞も確かにナチスドイツのゲッベルスしか知らないわと説得力があり。
そして敗戦濃厚になる程にプロパガンダ、宣伝に頼りゲッベルスの地位が上がっていく、というのはリアルではあった。
それはゲッベルス本人の資質や能力、ということ以上に、人は自分達の都合のいいように事実を変えてしまうという点において。
予行演習までして車に乗ったヒトラーが少女から花を受け取る映像を撮る演出ぶり。ああいうのも自然に起きた現象に見えるもんな。
小さな事件だったユダヤ人の犯罪を大きく取り上げてユダヤ人ヘイトを集めたり。
今も世界のあちこちでやっていることは変わらないんだなと。ということを訴えたいがゆえの無音のエンドロールなんだろう。
かなり細密に史実に沿って製作された点では優れた映画
ダメな映画では全くなかったけれど、期待していたほど面白くはなかったかな。
副題に偽りあり、という感じ。
「プロデュース」は、日本では企画、制作、創造のようなニュアンスで理解されると思います。
この映画で描かれていることは、ゲッベルスが力を注いだヒトラーの演出って感じです。
そして、映画の流れとしては、第三帝国の中でのゲッベルスの巻き込まれ感が強い。
ヒトラーの最後までの忠犬という印象でした。
それはそれで間違いでは無いとは思うけれど、私にとっては今さら感が強かったです。
かなり細密に史実に沿って製作された点では優れた映画だけれど、これであれば、優れたドキュメンタリーを観たいと私は思いました。
再現VTRに実際に映像を混ぜる手法なので、、唐突にヤバい映像が出てくるので注意しよう
2025.4.15 字幕 アップリンク京都
2024年のドイツ&スロバキア合作の映画(128分、PG12)
これまでのナチスの扇動動画を交えて構成されるヨーゼフ・ゲッべルスの半生を描いた伝記映画
監督&脚本はヨアヒム・A・ラング
原題は『Führer und Verführer』で、直訳すると「指導者と誘惑者」という意味
物語の舞台は、1938年のドイツ・ベルリン
ナチス第三帝国の総統アドルフ・ヒトラー(フリッツ・カール)は、宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッべルス(ロベルト・シュタットローバー)に、「愛国心を持てるように」という方針でプロパガンダ映画の制作などを命じていた
だが、ゲッべルスは「ヒトラーを伝説にしたい」と考えていて、彼が神格化するような方策ばかりを打ち出していった
主に、映画を軸とし、メディアをコントロールするゲッべルスは、部下のヴェルナー・ナウマン(Dominik Maringer)や次席次官のカール・ハンケ(Moritz Führmann)に命じ、自身は映画監督のレニ・リーフェンシュタール(Helene Blechinger)に映画制作を打診していった
プロデューサーのフリッツ・ヒップラー(SaschaGöpel)を交えて、「オリンピア」という映画を制作したゲッべルスは、それによって国民の団結心が生まれていると感じていた
その他にも、ヒトラーがベルリンに入った時には大勢の人で街を埋め尽くして、少女に花束を渡させたりする
そう言った活動と並行するように、ユダヤ人の事件を誇張して、見せしめを行うようになっていた
ゲッべルスには妻マクダ(フランツィスカ・ワイズ)との間に5人の子どもを授かっていて、長男のヘルムート(Samuel Fischer、幼少期:Ferdinand Tuppa)でも年長に行かない年頃だった
また、彼には愛人のリダ・バーロヴァ(Katia Felin)がいて、さらにマクダはゲッべルスの部下カールと関係を持っていた
映画は、これらのゲッべルスの一連のプロパガンダを「プロパガンダを行う側」から描いていて、残酷描写は実際の映像に委ねられるが、かなり偏った思想と発言が展開されていく
前半は主にプロパガンダ映画を作り、後半になると演説の原稿を作成し、自軍や国民に奮起を促す方策が描かれていく
だが、戦況は徐々に悪化し、ソ連の裏切りが深刻化すると、その事実を隠蔽する方向へと向かっていくのである
実際にあった事実をベースに組み立てている作品で、演説の途中で本当の映像に切り替わるなど、シーンの連続の違和感を感じさせない作りになっていた
そういった中で唐突に映し出されるホロコーストの実際映像は生々しく、冒頭で注意喚起が促されるのもわかる気がする
映画自体が虚実を入り交ぜながらそれっぽく作っているところがあり、この手法は映画内のプロパガンダ映画の制作と似ているように思う
見せたいものが真逆になっているのが凝っているところで、映画にリアリティを持たせる映像を挿入することによって、正常な判断を奪っていく
どこまでが本当かを考えさせずに、これが本当のことなんだと思わせるように、大きな嘘を隠すための小さな嘘が入り混じっていく
本作にも色々と誘導するようなものがあると思うが、そのひとつが冒頭の但し書きであり、最後にはホロコーストの生き残りの老女の映像に別の生き残りの言葉が引用されたりしている
映画のラストに登場するのは「margot friedländer」という老女だが、最後に引用される言葉は「Primo Levi」だったりする
ちゃんと観ていない(老女登場の時に左下に名前が出てくる)と、あたかもMargot friedländerがあの言葉を残し、彼女の名前がPrimo Leviであるかのように見えてしまう
これは翻訳と字幕をどこに設定するかという映画配給社側の問題であるものの、こう言った細かな部分もきちんと見落としてはだめだよというサインのように思えた
いずれにせよ、Primo Leviの言葉は「“We must be listened to: above and beyond our personal experience, we have collectively witnessed a fundamental unexpected event, fundamental precisely because unexpected, not foreseen by anyone. It happened, therefore it can happen again: this is the core of what we have to say. It can happen, and it can happen everywhere.”(「私たちの声に耳を傾けなければなりません。個人的な経験を超えて、私たちは集団的に、根本的に予期せぬ出来事を目撃しました。予期せぬからこそ、誰も予見できなかった根本的な出来事です。起こったからには、また起こり得る。これが私たちが言わなければならないことの核心です。起こり得る、そしてどこでも起こり得るのです。)」という文章の一部分を切り取っていることを知らずに映画館を後にする人も多いと思う
そう言った背景も含めて、受け取る情報に対して自分なりの見解を持ち、手間をかけて与えられた情報をたぐるという習慣も必要になってくる
ある意味、切り抜き動画全盛期に公開されているのは皮肉のようなもので、映画自体の仕掛けに配給側も乗せられているところが映画のメッセージを色濃くしてしまっている
ちなみにタイトルロゴと老女の名前だけがあの書体になっていて、冒頭のメッセージとラストの引用が違う書体になっている
老女の名前が映画のタイトルコールに感じた人もいると思うので、そのあたりにも含めて細かな仕掛けがあったのかなあと感じた
面白い映画ではない
2025年劇場鑑賞113本目。
エンドロール後映像無し。
開始早々実際の映像を使っているので衝撃を受けられるかもしれないとか、加害者側の視点で描く事は大事な事だとか、とにかく言い訳じゃないですけどおことわりが多いなぁという印象。いや、観に来てる人、別にナチスを正当化しようとして作ってるんじゃないって分かると思いますよ。
しかしこういう映画を観て2つ思う事があって、一つはドイツの人どういう気持ちで観るのかな、と。日本も朝鮮出兵とか中国での統治とか色々胸張れる事ばかりじゃないですけど、ナチスのやった事って人類史上最悪の蛮行じゃないですか。原爆もいい勝負ですけど、あっちは正直そこまでやる気はなかったという言い訳まだ成立するんじゃないですか。そういう過去を定期的に突きつけられるのってどういう気持ちなんでしょうね。
で、2つ目がどうして見ず知らずのユダヤ人をあそこまで憎めるのか、という事です。劇中でもヒトラーが権力を握る前からユダヤ人は根絶やしにしたかった、と語っているのですが、調べてもどうしてそこまで憎むようになったかは分からないそうです。
そこを毎回描かないのでドイツ人が生来残忍な民族としか見えないのです。
今回の映画でゲッペルスがドイツをユダヤ迫害に誘導する過程が一応描かれるのですが、ユダヤ人に1人ドイツ人が殺されたからじゃあ皆殺しね、は倫理観が紀元前すぎます。
実際生き延びた人も最後にどうしてあんなに大勢の人が人を人として思わず命を奪ったのか分からないと語って終わるのですが、いやじゃあそれを描けば良かったでしょ、と思いました。
ゲッべルスの悪行に気分が最悪になる映画。情報により人々が操作される恐さを再確認する。衝撃的な映像が多い。映画の展開は退屈で眠くなる。問題意識がなくても見たほうが良いと思う。
ユダヤ人を世界から消滅させるホロコーストに関する場面が多く、気分は最悪だ。
特に「排除」と言うところを、計算ずくでわざと「駆除」と言い間違える場面が最悪。
ゲッべルスが情報操作で大多数の国民をホロコーストに加担するように仕向けていく展開が恐ろしい。。情報大臣として優秀だったことは間違いないと思う。
ときどき挿し込まれる実際の映像が衝撃的で、ナチスの残虐さに言葉を失う。
ただ、ゲッべルスのムカつく言動が同じようなので、映画の展開が単調で眠くなってしまった。
あと、この映画を見て情報操作の恐さを改めて再認識する人は多いと思う。去年のアメリカ大統領選や日本の選挙戦を思い浮かべた。
特に最近は、誰でもニセ情報をSNSで流せるし、そのネット情報の真偽確認ムズくて、新聞社やテレビ局の報道の専門家でも すぐには見極められないらしい (゚д゚)。
生成AIなんて、もう勝手にドンドン進化しちゃうし、ニセ情報の見極めは素人には不可能か? ( ̄▽ ̄;)
全7件を表示