「馬と鹿は、ウマが合うか?」ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男 機動戦士・チャングムさんの映画レビュー(感想・評価)
馬と鹿は、ウマが合うか?
とあるクニの、王様のお話。いつも1人の家臣に頼っていたので、その家臣の言うことに、逆らえません。ある日、その家臣が鹿を連れて来ました。
…王様、これは何ですか?。
…鹿だな。
…いえ!、これは、馬でございます!。
…そうか。お主がそう言うなら、馬か。
馬鹿の語源だとか。何ともバカげた話ですが、少し考えて欲しい。
限られた空間、限られた情報で、ヒトは、バカにならずにいられるのか?。
私達が、正しいと信じて疑わない民主主義とは、何者かの意図によってプロデュースされたものなのか?。
大戦後、賠償金で追い詰められたクニで、我々は優良種だとか、団結した我々に不可能はないとか、やけに威勢のいいことを言う連中が現れる。そこまで言うなら…
ナチスはクーデターで国政を担ったわけではない。選挙で選出された政党が始まりです。
ゲッべルスの野望は、退治されたのでしょうか。サイバー空間で、密かに棲息しているデジタルゲッべルスが、連れて来るのは鹿?。あるいは…。
以上、チラシを見た私からの喧伝文でした。
皆様に質問です。尊敬が傷つけられた世界の修復は、可能でしょうか。
私は今のイスラエルの蛮行を、支持しません。ただ、やはり映像に残るユダヤの悲劇に無関心なことも、私達の未来に、暗い影を落とすのやも知れません。
ヒトはなぜ、操られることに順応するのか。この映画を観る限り、ヒトは、今、そこにある恐怖から逃れたくて、都合のいい情報だけを信じようとする、防衛本能のようなものを感じます。辛い現実より、嘘でも希望の持てる時間を過ごしたい。そこに突け込むゲッベルスは、天才なのか、ヒトの姿をした鬼なのか…。
この映画は、ヒトを騙す側を描くことで、ヒトの弱さ、脆さを描こうとしたとか。私達は、その弱さを自覚するのか、悪用するのか、どちらを選択するかで、未来は変わるはず。どちらを選択しますか?。
繰り返します。
今、そこにいるのは、本当に鹿ですか?。
あるいは…
確かにそうですね。
鹿か馬か、判断するのは自分でも、判断するまでの経緯、経験、その時の立場、などの外部環境でその時の価値観が変わり、判断した結果が変わるということなんでしょう。
過去の自分を全て捨てて・・・なんて思ってても知りすぎた男は未来が無かっただろうし、あの時の主人公の判断は間違っていたとは思えない。ゲッベルスにもヒトラーにも弱さがみえた作品でした。