ロザリーのレビュー・感想・評価
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ただ愛を求めただけなのに
ロザリーの前向きな姿が清々しいです。特異な外見を武器に使うのは簡単ではありません。でもアベルを助けたいとの思いから強い意志で前に踏み出します。カフェで立ち振る舞う彼女の表情が活きいきして、観る者の気持ちも高揚します。
もちろん彼女も最初からそうであったわけではなく、おびただしいリストカットの跡が痛々しく映ります。
一方アベルにも変化が訪れます。当初は嫌悪と拒絶、売上が増えたら増えたで男の沽券にかかわるからか怒りをあらわにしていましたが、徐々にロザリーの愛情にほだされ、理解を深めていきます。実は彼も戦争で負った大きな傷が背中にあり、娼館でも服を脱がないぐらいに見た目へのコンプレックスは元々持っていたのです。
その後ロザリーは自分が子供を持てない体であることがわかり、さらに養子をもらうことも世間から阻止されてしまいます。子供がどうしても欲しかった彼女にとっては致命的な出来事です。
少数の理解者を除き、村人の多くは異質な存在への嫌悪を強め、付和雷同的に差別行為に加担していきます。
ロザリーのことをわかっている我々観客は彼ら村人に怒りを覚えますが、果たして理解が不足する状況下でデマや同調圧力に惑わされずに判断出来るかと問われると、自分もあまり自信はありません。フェイク情報が溢れる昨今、本質を自ら見極める努力をしないといけないと改めて痛感しました。
ラストは観客に委ねられましたが、泳げないアベルが飛び込んで抱き合う時、ロザリーの幸せに満ちた笑みが見られた気がしました。
村の娘ジャンヌ役の渡辺直美似のアンナ・ビオレは、冷淡な領主役のバンジャマン・ビオレの実の娘。今回父子共演を果たしました。実の母親は女優のキアラ・マストロヤンニ、ということは祖父母はマストロヤンニとドヌーブのスター家系。確かに目力がありました。
ある意味、神様は彼女の行動をしっかりと見ていて、相応の未来を与えたようにも思えた
2025.5.6 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス&ベルギー合作の映画(115分、PG12)
実在の多毛症に人物の人生に着想を得たヒューマンドラマ
監督はステファニー・ディ・ジュースト
脚本はサンドリーヌ・ル・クストゥメル
物語の主人公ロザリーのモデルとなったのはクレマンティーヌ・ドレ、夫アベルのモデルはポール・ドゥレ
物語の舞台は、1870年代のフランス・ブルゴーニュ地方
ある田舎町の職人のもとに嫁いだロザリー(ナディア・テレスキウィッツ)は、先天性の多毛症を患っていて、父ポール(ギュスタヴ・ケルヴェン)にケアされながら、それを隠して生きてきた
嫁ぎ先のアベル(ブノワ・マジメル)は借金苦に陥っていて、ロザリーが持ってくる持参金欲しさに早々に結婚を決めてしまった
その夜、初夜を迎えた二人だったが、アベルはロザリーの異変に気づく
そして、肌けた胸元から大量の体毛を見つけて驚愕した
アベルは「嘘をついた」とロザリーを拒絶するものの、父のもとには帰れない彼女は、近くの納屋にて一夜を過ごすことになった
一夜が明け、友人ジャン(Eugéne Marcuse)が見つけた布切れによってロザリーを見つけたアベルは、仕方なく家に置いておくことになった
だがロザリーは、アベルの元を訪ねてきたジャンとピエール(ギョーム・グイ)の前に現れ、既成事実を広めるかのように「妻だ」と名乗った
その後ロザリーは、開店休業状態のアベルの店を手伝いながら、どうしたら客足が増えるかを考え始める
そして、ロブスター女をパリで見たというピエールに向かって、もっと凄いものがあると息巻く
アベルは嫌われると思っていたが、事のほか好意的に受け入れる人もいて、ピエールは賭けに負けて、恥をかくハメになってしまったのである
映画は、実在の人物のエピソード(ピンナップ、カフェ手伝いなど)に着想を得た物語で、今風に言うと「多様性の受容」と言うものがテーマとなっている
確かに見た目で差別するのは良くないよねとは思うものの、ロザリーの行為の全てが他者が寛容になれるものばかりとは言えなかった
自由に生きようとしているものの、どこか自分勝手な部分があり、さらに人妻と言う立場があるのにも関わらず、ピンナップ写真を撮影し、際どい色物的なものまで作ってしまう
そう言ったものが村を飛び越えて喧伝され、それが自分のもとに帰ってきてしまう
ある意味、自業自得的な部分もあり、養母として相応しい人物かどうかを問われるのはやむなしのように思える
また、アベルの気持ちとか社会的な立場というものをほとんど考えておらず、対話というものがないままに自分の思う通りのことを行なっていく
当初は借金を返すまでの限定的なものだと思っていたアベルだったが、ロザリーの行動はエスカレートしていく
家族の恥という概念が拭えないまま月日が過ぎ、それは村の恥とまで思われてしまうようになる
閉鎖的な村の中で受け入れられても、都会などに知れ渡ることは村人の不利益にも繋がってしまう
結局は、ロザリーの抑圧された承認欲求のようなものが爆発して地雷を踏んだという感じになっていて、それでもロザリー自身は自分に非がないと感じているように思える
ラストでは、父親が彼女の髭を剃り落とし、それを不寛容だと感じて入水自殺を試みる
結構な「かまってちゃんっぽい部分があった」ので個人的には無理だなと思ったのだが、どうしてここまで他人の気持ちに歩み寄ろうとしないのかは不思議だった
いずれにせよ、差別や偏見のない世界というのは良いと思うのだが、その前に人としての礼節とか、振る舞いとか、他者への思いやりというものは必要であるように思う
無駄に敵を増やすような行動をして、相手の尊厳を踏み躙ろうとするから反発を喰らう
ピエールがロザリーを受け入れない理由は「怪物だ」という表向きの部分と、彼の恩人であるアベルに対する敬意のなさというものもあったと思う
そんなアベルもピエールの想いを感じることができずに攻撃的になってしまうので、行き着く先はひとつしかない
そう言った意味において、なぜロザリーが自由に自分らしく生きることができなかったのかを考えることが、この手の問題に蔓延る根深い部分の理解に繋がるのかな、と感じた
Official髭unfeminism
「隠さなければいいじゃない」のコピーから、もっとポジティブな力で進んでくと思ってました。
とりあえず、髭を伸ばすまでが長い。
そして、そこも含めて何度かある大きな転換点でも演出がずっとフラット。
画面も終始暗いし、抑揚がないため非常に単調に感じた。
アベルの心境変化もほぼ理解できず。
最初拒絶したけど放り出さず、ぬるっと態度が軟化し、かと思えば激昂し、最後は愛に目覚める。
性的なことも忌避していたのに、寝込みに脚を撫で、後ろから手で致され、でも本番は受け入れない。
大きなイベントが必須とは言わないけど、変遷があまりにも掴めなかった。
初めて結ばれた時の、一回別れた後に戻ってきて、扉を開けたとこで切るのは好き。
(結局ベッドシーン入れたのは余計だけど)
ロザリーもなんだか情緒不安定で、強くなったり弱くなったり。
バルスランがあそこまでするのはまだしも、村人の暴走を止めたのも彼ってのは違和感があった。
(まぁ他に止められるキャラもいないのだが)
最後は悲嘆から飛び込み入水するも、アベルの愛があるからオールオッケー?
ラストシーケンス前から一切状況は変わってないし、ハッピーでもバッドでもない半端な幕切れ。
悪い意味で「フランス映画だなぁ」という印象。
ナディア・テレスキウィッツの演技が良い
150年前にフランスで実在した女性をモデルにしたお話し。
主演のナディア・テレスキウィッツの演技が良いです。
「私がやりました」でW主演の一人でしたが、素敵だ思っていました。
物語は、前半は主人公の開き直りもあって前向きに明るく進みますが、後半は雰囲気が暗転して息苦しいまま、エンディングを迎えてしまいます。
悲劇的なエンディングを観て、150年前のフランスの片田舎と、現代の情報化社会を比べて、人類はどれだけ進歩したのかを疑問に感じてしまいました。
ちょっと調子にのりました。
多毛症の女性と、それを知らずに結婚し葛藤する夫の話。
村の有力者で工場の経営者から借金をしてカフェを経営する男アベルのもとに、多毛症であることを隠したロザリーが嫁いで巻き起こっていくストーリー。
多毛症といってもちょっと毛深めの男性ぐらいの感じのロザリー。
同情なのか世間体なのか一度は拒絶したけれど連れ戻したアベル。
そしてロザリーはアベルの為にが解放に変わりという展開で、2人の葛藤や距離感はなかなか良かったけれど、経営者の権威をみせつけられる様子にこれはどう落とすんでしょ?という感じに…。
途中からアベルの機微がメインになるし、2人の関係には変化があったけれど、それ以外のところには特に変化がみられず、そういう意味ではこの村でまともな収入を得て暮らしていくことは出来ないですよね?
ということでカタルシスを感じられず、かといって絶望でもなく中途半端に感じた。
この時代に生まれた悲劇。
1870年のフランス、多毛症を隠し悩みながらも荷馬車に揺られながら、田舎町でカフェを営む結婚相手アベルの元へ向かうロザリーの話。
挙式後からある夜ロザリーを抱こうとするアベルだが、服を脱がし彼女の体毛を見て困惑するアベルだが…。
顔があれだけキレイで服を脱がしたら…、アベルのリアクションになるでしょうね、気持ちも萎えるだろうし。ヒゲ、体毛を知りロザリーとは距離を置くアベルだけど、カフェに来る客への振る舞い、アベルの借金返済の為とコンプレックスのヒゲをネタに金を掛けたりと彼女なり尽くす姿が印象的。
現代の話なら脱毛サロン行けばOKな話だけど1870年代じゃって感じですかね。ヒゲなし体毛なしの彼女のバディが見たかったかな。
約100人部屋を1人貸切で得した気分でした!
実在の女性をモデルにした映画
多毛症の女性が、そのことを隠すことなく、前向きに生きる物語‥‥、幸せ要素多めのストーリーかと思ったら、周囲から興味本位の目を向けられたり、虐げられたり、やっぱりつらい話ではないか‥‥
映画を見終わった後もしばらく涙を流してしまった。
理解してくれる人(夫)だけに愛されたら、それでいいじゃないの、周囲から敢えて目立つことはせずに生活したらいいじゃないの、とも思ったのですが、彼女は、無条件に愛されたいし、自分のことも無条件に愛したかったから、正直に生きたかったのでしょうね。
俳優たちの演技が良かったです。ラストの水中シーン、悲しいけれど、美しかった‥
(オンライン試写会は全てネタバレ扱い)当時のフランスの事情に詳細があっても良かったか
今年110本目(合計1,652本目/今月(2025年4月度)13本目)。
いわゆる普通の意味でのドキュメンタリー映画ではないですが、この人物は実在した人物をモチーフに取っているため、あることないこと描くことはできず、その意味でドキュメンタリー映画的な要素もある映画です。
近現代のフランスという、比較的人権に関して寛容であったそのフランスでさえも、病気に対する偏見がかなり残っており、そのことが一つ、もう一つは結婚後の2人の生活・かかわりが主なテーマになってきますが、当時のフランスの人権感覚や法律の話題など、やや発展的な内容も登場します。
日本でも珍しい病気のようで、問題提起型の映画か?というと微妙だし、正規の公開日であるらしい5/2というGW真っ盛りの状況で多くの上映や観客が期待できるか?というと微妙なところではありましょうが(というより、今週の金曜日からの映画、コナンが24枠とか無茶苦茶すぎる…。GWも15枠とかやってそう。大半の映画はGWもここで枠(放映数)が少なくなりそう)、それでも当時のフランスの人権感覚等、観て教養になった点は大きかったです。また、フランス映画らしく、最後まで結末を完全に描ききらずに個人で考えてね、というフランス映画の王道らしい展開になっていた点は良かったところです(どうしてもドキュメンタリー映画の要素はあるので、史実通りには進みますが)。
なお、フランス映画でCANAL+協力の映画ではありますが(冒頭参照)、例の不思議な旋律のCANAL+はなし。残念でした(あれもあれですごく好き)…。
特に気になる点までないのでフルスコアにしています。
決して派手な映画ではないと思うし、GWに映画館に行こうかと思って本映画をチョイスするのはやはり限られた方になると思いますが、おススメです。
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