「ある意味、神様は彼女の行動をしっかりと見ていて、相応の未来を与えたようにも思えた」ロザリー Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
ある意味、神様は彼女の行動をしっかりと見ていて、相応の未来を与えたようにも思えた
2025.5.6 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス&ベルギー合作の映画(115分、PG12)
実在の多毛症に人物の人生に着想を得たヒューマンドラマ
監督はステファニー・ディ・ジュースト
脚本はサンドリーヌ・ル・クストゥメル
物語の主人公ロザリーのモデルとなったのはクレマンティーヌ・ドレ、夫アベルのモデルはポール・ドゥレ
物語の舞台は、1870年代のフランス・ブルゴーニュ地方
ある田舎町の職人のもとに嫁いだロザリー(ナディア・テレスキウィッツ)は、先天性の多毛症を患っていて、父ポール(ギュスタヴ・ケルヴェン)にケアされながら、それを隠して生きてきた
嫁ぎ先のアベル(ブノワ・マジメル)は借金苦に陥っていて、ロザリーが持ってくる持参金欲しさに早々に結婚を決めてしまった
その夜、初夜を迎えた二人だったが、アベルはロザリーの異変に気づく
そして、肌けた胸元から大量の体毛を見つけて驚愕した
アベルは「嘘をついた」とロザリーを拒絶するものの、父のもとには帰れない彼女は、近くの納屋にて一夜を過ごすことになった
一夜が明け、友人ジャン(Eugéne Marcuse)が見つけた布切れによってロザリーを見つけたアベルは、仕方なく家に置いておくことになった
だがロザリーは、アベルの元を訪ねてきたジャンとピエール(ギョーム・グイ)の前に現れ、既成事実を広めるかのように「妻だ」と名乗った
その後ロザリーは、開店休業状態のアベルの店を手伝いながら、どうしたら客足が増えるかを考え始める
そして、ロブスター女をパリで見たというピエールに向かって、もっと凄いものがあると息巻く
アベルは嫌われると思っていたが、事のほか好意的に受け入れる人もいて、ピエールは賭けに負けて、恥をかくハメになってしまったのである
映画は、実在の人物のエピソード(ピンナップ、カフェ手伝いなど)に着想を得た物語で、今風に言うと「多様性の受容」と言うものがテーマとなっている
確かに見た目で差別するのは良くないよねとは思うものの、ロザリーの行為の全てが他者が寛容になれるものばかりとは言えなかった
自由に生きようとしているものの、どこか自分勝手な部分があり、さらに人妻と言う立場があるのにも関わらず、ピンナップ写真を撮影し、際どい色物的なものまで作ってしまう
そう言ったものが村を飛び越えて喧伝され、それが自分のもとに帰ってきてしまう
ある意味、自業自得的な部分もあり、養母として相応しい人物かどうかを問われるのはやむなしのように思える
また、アベルの気持ちとか社会的な立場というものをほとんど考えておらず、対話というものがないままに自分の思う通りのことを行なっていく
当初は借金を返すまでの限定的なものだと思っていたアベルだったが、ロザリーの行動はエスカレートしていく
家族の恥という概念が拭えないまま月日が過ぎ、それは村の恥とまで思われてしまうようになる
閉鎖的な村の中で受け入れられても、都会などに知れ渡ることは村人の不利益にも繋がってしまう
結局は、ロザリーの抑圧された承認欲求のようなものが爆発して地雷を踏んだという感じになっていて、それでもロザリー自身は自分に非がないと感じているように思える
ラストでは、父親が彼女の髭を剃り落とし、それを不寛容だと感じて入水自殺を試みる
結構な「かまってちゃんっぽい部分があった」ので個人的には無理だなと思ったのだが、どうしてここまで他人の気持ちに歩み寄ろうとしないのかは不思議だった
いずれにせよ、差別や偏見のない世界というのは良いと思うのだが、その前に人としての礼節とか、振る舞いとか、他者への思いやりというものは必要であるように思う
無駄に敵を増やすような行動をして、相手の尊厳を踏み躙ろうとするから反発を喰らう
ピエールがロザリーを受け入れない理由は「怪物だ」という表向きの部分と、彼の恩人であるアベルに対する敬意のなさというものもあったと思う
そんなアベルもピエールの想いを感じることができずに攻撃的になってしまうので、行き着く先はひとつしかない
そう言った意味において、なぜロザリーが自由に自分らしく生きることができなかったのかを考えることが、この手の問題に蔓延る根深い部分の理解に繋がるのかな、と感じた
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