8番出口のレビュー・感想・評価
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ボレロは良かった
ほぼ満足、強いて言えば…
他の方もレビューされているように原作に物語性を加えて見事にひとつの作品にしている。映画ならではの表現で作品全体の不安感、嫌悪感がしっかり伝わるため是非映画館で観ることをおすすめしたい!
おおむね満足だが一つ気になったのは、二宮くんが角を曲がったときに鳴る「ファーン」という効果音。あれは正直いらなかったかなと個人的には感じている。ややくどいような気がする。ただラストシーンの電車で怒鳴る人の存在が社会における「異変」であること、そしてその異変に気づいた二宮くんが見事無限のループから抜け出したということが伝わりやすくなっているため人によっては必要だと思うかもしれない。
タイトルなし
私の8番出口
主人公は派遣の仕事をしており、今日も地下鉄で勤務地へ向かっていた。到着した駅で8番出口から出ようとしたが、なかなか出られない。何度も同じ道を繰り返し進んでいることに気付いた主人公はある注意書きを目にする。そこには、異変があったら引き返すこと。異変がなかったら引き返さないこと。と書かれていた。突如として訪れたこの不可解な状況から主人公は脱出することができるのか。
私は、レビューを書くときによく考えることがある。それは、もし自分がこのテーマの映画を製作してほしいと頼まれた場合にどのような作品にするか、ということである。本作を鑑賞した帰り道でこのことをずっと考えたが、考えれば考えるほど本作の作りが最適解のような気がしてきた。
本作は、コタケクリエイトが製作したゲームが元ネタとなっている。私も動画サイトなどで8番出口の実況動画をみたことがあった。シンプルな設定や異変を見つける楽しさ、ホラー要素などヒットした要素はたくさん見つけることができた。本作は、そのゲームの世界観を忠実に再現している。映像の質感や、細かいディティールまでもがそのまま採用されている。これは、ゲームファンにとって嬉しい点である。
そして、問題のストーリー。この8番出口というゲームは設定がシンプルなのは良いことなのだが、映画にするとなると間違いなく展開に困ってしまうのである。約2時間異変探しに没頭するだけで終わってしまう可能性がある。
そこで、本作はこの8番出口を胎内での出来事に置き換えたのである。天井からドロッと流れる血液や突如流れる濁流、ロッカーから聞こえる赤子の声、身体の一部と胎児が合体したような生物の登場は明らかにそれを表している。このテーマにより、出口から出ることの真の意味が付加されたのである。
そして、もう1点優れている点として、出口へ向かう角を曲がった際に必ず登場する“歩く男”を主観として描いたところである。彼は社会に疲れたサラリーマンである。すれ違う女子高生の「現実社会と繰り返す8番出口は同じようなものだ」という言葉に心を動かされてしまう。焦った彼は、子供の正しい異変の指摘に耳を貸さずに脱出に失敗してしまう。社会では地位の高そうな身なりの良いサラリーマンである彼が子供と向き合うことに失敗し、社会では地位の低いフリーターで身なりの良くない主人公が子供の言葉を受け入れることで脱出に成功する。本作は“歩く男”を主人公と対比の存在として描いたのである。
その他にもシンメトリー的に描かれているシーンが多い。冒頭の満員電車で始まり満員電車で終わるシーンや主人公と少年の脱出の理由もそのひとつである。そもそも8という数字自体が線対称でもある。これらは、完成度の高い、推敲を重ねた構成である映画に顕著にみられる仕様である。
ゲームを知っている者はそのままの設定にワクワクするし、知らない者もシンプルな設定から入り込みやすい。なにより異変を探すという行為を知らない間に観客もやっている。8番出口のゲームの特性を存分に活かしながら、その行為に意味を持たせることにも成功した。私だったらこうしたのにといつもだったら一つか二つ思い浮かぶのだが、帰り道ではそれが浮かばず悔しかった。
クリティカルな造りに感心
ところでおじさんのクオリティすげえな。
良かった!
私はこのゲームをYouTubeで見ていたため、途中からこの繰り返しのゲームで尺がもつのか、、?と心配に。
しかし、なるほどそうくるのね。と思わせる展開。
ただ繰り返しにはなるのとある程度どんなことが起こるか予想がついてしまっていたため、知らないで見た方が評価は高いかもしれない。
ゲームを知っていても知らなくても主人公と一緒に、ドア、通気口、ドアは多くの人がやっていたであろう。
わたしもやった。
飽きるかなと思ったけど、最後まで楽しめた。
二宮さんはほんとに具合が悪そうだった。
小松菜奈さんはほんとに可愛かった。
おじさんの立ち姿が素敵だった。
女子高生に少し心えぐられた。
原作ファンを裏切った最悪作。
このゲームが大好きな人へ。
私のように辛い思いをする人が一人でも減るよう、この感想をしたためます。
インディーズゲーム原作の実写化。過度な期待はしておらず、パニックホラー的なジャンキーな脚色がなされているだろう。だが大好きなゲームの晴れ舞台が見れるならそれでもいい。そんな心持ちでシートに着きました。
だが、始まったのは冴えない人間ドラマ、説教くさいメッセージ。果ては、ゲームならば“最悪”の行って『主人公(プレイヤー)が発作でまともに動けない』の三重苦。
もしもこれが『悩める男が無限の駅に迷い込む』というオリジナルの作品だったなら『好み』の問題で済んだだろう。
だがこれは、『話題のゲームの実写化』である。
当然メインのユーザーは若者中心なわけで、
彼らが期待するのは、エンタメ――パニックホラーやポップコーンムービー的なニュアンスの作品の筈だ。
だが出されたのは、100%脚色の文学的説教。
例えるならこれは、「潤沢な予算で豪華なハンバーガーを作らせたら、懇切丁寧にフレンチに切り刻まれた」ようなものだ。
「思っていたジャンルと違った」これは金を取るエンタメとして最悪である。
なにより、プロモーションでは意図的に上記の部分を削り、詐欺的なプロモーションを行っている。
敢えて言います。
この作品は、原作ファンにとって、悪夢以外の何者でもありません。
ゲームしてました
新感覚映画体験 主人公とともに異変を探す『8番出口』
端的に言って、みごとだ
「いったいアレをどう映画化したのか」
「あのシンプル極まりない間違い探し脱出ゲームを、どうやってシネコンで95分も鑑賞させる映画に仕上げたのか」
そういう野次馬的な興味を抱いて映画館を訪れた。
そして予想を遥かに超えたクオリティの作品に出逢った。
映画版『8番出口』は決して、人気ゲームの画面を役者が再現して映像効果と音響効果でインパクトだけ強調した「単なるゲーム体験の実写版」ではなかった。
あるいはまた、この手の映画化にありがちな、タイトルだけ人気ゲームから拝借して無関係なストーリーを好き勝手に付け加えて改変した「原作とは似ても似つかぬ別作品」でもなかった。
映画版『8番出口』は、ゲームのコンセプトと構造を丁寧に継承しながら、そこにメッセージが存在する物語だった。まぎれもなく『8番出口』でありながら、同時に映画作品になっていた。
まず驚くべきは、95分間のかなりの割合がゲーム内容と同じ「例の地下通路での行ったり来たり」で構成されていることだ。前後に地下鉄車内と地下通路をつなぐシーンが加わり、その他いくつかの短いシーンの追加はあるものの、物語の舞台はオープニングからエンドロールまで地下空間で完結している。
てっきりゲームの地下通路のシーンを刺身のツマのように添えてそこに至る過程や後日譚をオリジナルストーリーで水増しした構成に違いないと想像していた。『8番出口』を謳いながら実際は地上のドラマが延々続くモノを見せられる覚悟さえしていた。
だが、そうではなかった。映画版『8番出口』は「例の地下通路での行ったり来たり」に最小限の追加シーンを加えた構成で、物語性とメッセージ性のある映画作品を実現していた。
端的に言って、みごとだ。
映画の元になったゲーム版『8番出口』は、言ってしまえば、ループする無機質な地下通路を歩き続け、そこに生じる微妙な“異変”を見つけ出すというだけのゲームである。物語らしい物語もなければ、キャラクターの心理描写も存在しない。プレイヤーに与えられるのは、ひたすらに「歩行」と「注意深い観察」、そして「違和感を見抜く洞察力」である。このミニマリスティックな構造がゲームとしての魅力であり、人気を集めた理由でもあった。しかしながら物語がないものを映像に置き換えるだけでは到底95分の長尺に耐えるはずもない。
映画版『8番出口』では、主人公に「迷う男」という設定が与えられる。主人公は「地下通路で迷う男」であると同時に「生き方に迷う男」でもある。「地下通路で前に進むか引き返すか迷う男」であると同時に「地下鉄車内で起きたある出来事に対して前に進んで当事者になるか引き返して無関心を装うか迷う男」「身近な人物との間に起きた予期せぬ出来事を受け入れて前に進むかどうか迷う男」なのだ。
前者の「地下通路の迷い」はゲームと映画に同一性を与える基盤となっており、後者の「生き方の迷い」は映画に物語性とメッセージ性を与える基盤となっている。
映画版『8番出口』は、一言でいえば、「地下通路に閉じ込められた主人公が周囲を観察して異変に気づき出口をみつける」という原作ゲームのコンセプトと構造を継承しながら、「閉塞感に満ちた現代社会に閉じ込められた主人公が周囲を観察して社会の異変に気づき自分自身の決断で出口をみつける」というメッセージを重ねて物語に昇華させた作品なのである。
ゲームのコンセプトと映画のメッセージがもつ美しい対比。シンプルなゲームをメッセージ性のある物語に昇華させる基軸をゲームのコンセプトそのものの中に見いだした慧眼。評者が本作品を絶賛する最大の理由がここにある。
勘違いして欲しくないのは、繰り返すが、主人公の迷いや決断が地上を舞台にしたオリジナルドラマでだらだらと描かれるわけではないという点だ。映画の舞台はあくまで地下通路を中心とする地下空間で完結する。通常、この種の作品が映画化されると、舞台は拡張されがちだ。地下通路を飛び出し、街、家庭、オフィス、さらには超自然的な異界へとさえ広がる。ところが映画版はその誘惑を排した。すべてを地下通路に収斂させることで、閉塞感を徹底し、観客を同じ空間に幽閉する。この“潔さ”こそ、原作が持つ「ループ」という本質的な不気味さを忠実に再現する決定打であった。映画は観客を逃がさない。閉じ込め、歩かせ、違和感を見抜かせる。その体験は、人格を与えられた主人公の人生と重なり、ひいてはスクリーンの外にいる我々自身の人生とも重なり合う。
映画は最小限の追加設定で主人公の「迷い」に社会性と人格性を持たせることに成功し、「地下通路の出来事」に物語性とメッセージ性を持たせることに成功している。この巧妙な肉付けは、原作を裏切るのではなく、むしろ原作の「無」を「有」に転化する試みである。ゲーム版で「地下通路を行ったり来たりするだけの情景」に欠けていた物語性とメッセージ性を、映画版は「地下通路を行ったり来たりするだけの情景」自体に与えているのである。観客は地下通路の出来事に単なる驚きや恐怖以上の意味を見出し、深い解釈の余地を与えられる。ここに本作の知的な成熟がある。
繰り返すが、見事だ。
映像の演出も素晴らしい。例えば冒頭の一人称視点映像。ここではその後の三人称視点映像よりも狭い画角のレンズが意図的に使われ、さらにレンズの周辺減光効果も加えられている。そうすることで日常で我々が見ているあの光景、地下鉄を下車してホームから階段を昇るときに見ているあの光景、得体のしれない閉塞感のなかで茫漠とした意識が認識する視野の狭いあの光景を上手く再現している。人間の視覚を擬似的に閉塞させ注意力を強制的に一点に集中させる演出はホラー映画の常套的な技法に見えながらも、本作品では冒頭で現代社会の得体のしれない閉塞感を観客に視覚的に体感させることで「この閉塞感から脱出したい」という衝動を観客に与え、主人公に対する自然な感情移入を促し、ひいては映画のメッセージを受け取る心の準備につなげる重要な意味を持たせている。
再度繰り返す。みごとだ。
終盤、"外側の無限ループ"の出口=主人公の決断を一瞬示してスクリーン全体を鮮やかな単一色に切り替えエンドロールに繋げた演出には鳥肌が立った。あれは作品を通じて散々見慣れた色が「下地の色」から「光の色」に、すなわち「注意喚起の警告色」から「闇を抜けた者に降り注ぐまぶしい陽の光」に変わる演出だったと解釈したい。演技から演出への切り替えタイミングも完璧だった。演技と演出の間をギリギリまで短く切り詰めることで観る者の心情を一気に不安から喝采を経て爆発的な感動に打ち上げる効果を生んでいた。
しつこいが繰り返す。みごとだ。
総じて、映画版『8番出口』は「出口を探して脱出するシンプルなゲーム」を、そのままホラー映画に仕立てる安易な実写化では終わらせなかった。閉塞感に覆われた現代社会において、本当の出口はどこにあるのか。観客は無限ループのような社会の通路を歩き続ける主人公に自らを重ね、最終的には「見過ごしていた現代社会の違和感に気づき、自分自身が決断して一歩前に踏み出すことが出口につながる」というメッセージを受け取る。その寓意性が、作品を単なる映像的スリルの域を超えて、現代の寓話へと押し上げている。
単なるホラーでもなく、単なるゲーム実写でもなく、また単なるサスペンスでもない。原作のシンプルさを尊重しながら、その精神を現代社会への比喩と主人公の決断に高めた作品。それは観客にとってもまた、自らの人生の“出口”を意識せざるを得ない体験として刻まれる。映画館を出る瞬間、観客はスクリーンの外にある「自分自身の地下通路」を歩き出しているのだ。
人気ゲームの映画化ということもあってか、劇場では親子連れの観客を多くお見かけした。子供をひとりふたり隣の席に座らせて幕開けを待つ母親らしき方々も多かった。だが、子供に観せるつもりの映画で自分自身が心を揺さぶられてグッと来た親御さんも多かったのではなかろうか。あるいは逆に、腑に落ちない表情で結末の解説をせがんだ子供もいたのではなかろうか。
だからといってこの作品を「どちらかといえば大人向け」とか「子供には難しい」などと評するつもりはない。この作品を公開時に劇場で親子で観たという経験。そのこと自体に価値がある。なぜなら結末の解説をせがんだ子供たちは遠い将来もういちどこの作品に出逢い「あのとき観た映画はこういう意味だったのか」と理解できる日が来るからだ。エンドロール直前のまぶしい黄色い光に包まれながら。そして作品のメッセージと親子並んで劇場でこの映画を鑑賞した記憶を重ねるだろう。この作品のメッセージは時を超えてその瞬間をも照らす射程をもっている。あの光は主人公を照らす光であると同時に、スクリーンのこちら側の我々を照らす光なのだ。
みごとだ。ただ、みごとと言うほかない。
本作品は、シンプルなゲームを起点として物語とメッセージを持った作品に昇華させる試みのひとつである。その試みは大いに成功したと言っていい。
こういう作品は、人気ゲームのタイトルにあやかってひと儲けしようという商業主義からは決して生まれない。また、原作のうわべだけ借りて自分の創作を前面に押し出して原作を上書き消去しようと試みる作家のエゴからも決して生まれない。
本作品を観れば、監督がゲーム版『8番出口』のコンセプトに強く惹かれて、原作の構造を大切にしながら、丁寧に物語とメッセージをつむいで映画作品に昇華させていったことがスクリーンからひしひしと伝わってくる。
我々はそれを「原作への愛」と呼ぶ。原作への愛が伝わってくる映画を観るのは幸せだ。それを創れる監督は立派だ。かたちにしたスタッフとキャストの仕事も素晴らしい。そしてなにより、あのシンプル極まりないインディーゲームからこれだけの映画作品を作り上げた彼ら制作陣の情熱と手腕は、
最後にもういちど言わせてほしい。みごとだ。
整合性を持たせようとすると感じる矛盾
まず、しっかり怖いところは怖かった、しっかり緊張感ある弛みのない映画でした、というのが前提です。
川村元気監督はカメラを据えて動きを待てる監督ですね。
その待つ1秒、2秒、コンマ何秒がこの映画をスペシャルなものにしていると思いました。
ストーリーがノイズになるであろう映画をしっかりノイズ入りの映画にした、という感想でした。
もともと不条理の設定なのだからもっと不条理に、不気味にの方向に舵を切る映画を私が求めていた、それと外れたから少し低い評価になった、と思います。
不気味さや怖さがある映画なので、もっと行けたのでは、もっと名作になったのでは、と思いましたが、仕方ないかー、とも。
ただ、あの歩くおじさんが意思を持って歩き始めたときは、このストーリー意味不明!面白くなってきた!とめちゃくちゃテンション爆上がりした、と記録しておきたいです。
おじさんがブキミでちょっと怖いけど笑える、毎回、角を曲がって現れるとナゼかホッとする。
僕はこのゲームをやったことがないが、阿佐ヶ谷姉妹がこのゲームをやるテレビ番組を見たことがある。姉妹のどちらかは既にこのゲームをやったことがあったので、実際にやったのは姉妹のどちらかとMCの2人。
映画は少しホラーの雰囲気があったが、ゲームのほうは ただのマチガイ探しだった。
この単純なゲームにストーリーを持たせて映画にしちゃうなんて、クリエーターって人種にはホントいつも舌を巻くヨ。
やり直すたびに角を曲がって現れるオジサンが笑える。
「もしオジサンが現れなかったらどうしよう」なんて毎回ちょっとドキドキしながら見てたが、オジサンは必ず角を曲がって現れてくれて、僕をホッとさせてくれた。
オジサンはやることはキッチリやる律儀なナイスガイである。
このオジサン、ただ通り過ぎるだけなのかと思ってたら中盤にけっこう活躍する場面があって、おお、そう来たかと思って面白かった。
オジサンのその後のゆくえが気になるが、劇場版PART2以降でその詳細は明らかになるであろう( ̄◇ ̄)。 そのときは何番出口まである? さすがにPART2はないか (^^)。
小松菜奈さんの出番が思ったより少なくてちょっとガッカリー。
映画ならではの心境をもっと描いて欲しい
まず、最初のあの異様な状況に陥ったことをすんなり受け入れられる人間がこの世にいるのだろうか?
その時点で少し引いて見てしまった。
異変がなければ進む、、、実際に異変がないと判断するのはかなり勇気がいること。あっさり異変がないと判断する心情が理解できない。
個人的には、おじさんが子どもを置いていったダミー8番出口をニノにも仕掛けて欲しかった
最後の尻すぼみ感は否めない
全体的に客層が若く、会話しながら観ているグループに腹が立ったのが残念…これは映画が悪いわけではないが。
河内大和のおじさんはいいですね。
異変を探せ
ホラーの方向性がちょっと……
突然の大きな音や不快感の強い音声によるおどかしが多くて疲れてしまいました。ジャンプスケアはいいのですが、とにかく大きな音や赤ちゃんの泣き声がしんどかったです。
良くない映画とは言いませんが、苦手な人は気をつけてください、という気持ちです。
おじさんパートは良いなぁと思って見ていたのに、男の子を見捨てて行ったりして評価下げてきたので、ちょっとやだなぁと思いました。
ミニマルなシチュエーションドラマの復興
原作のゲームを映画化するにあたってホラー要素や恋愛を過度に足したりせず原作がウケた要素を割とそのまま出していたのが良かったです。子供が通路の真ん中に立つイメージや通路に濁流はキューブリックのシャイニング。そんな映画をホラーというジャンルに落とし込まなかったことも良かったです。こういうゲーム実況系の映画が増えてくる兆しと思われるかもしれませんが本来は映画は奇跡や恐怖を大人数で共感する箱でありYouTubeはそれがスマホに落とし込まれたもの。映画の最後、KOTAKE CREATEの「8番のりば」への続編を匂わせる電車内での終わり方も良かったです。是非続編が観たい。
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