「「違う。俺が見たかったのはこれじゃない…」」8番出口 タコヤキさんの映画レビュー(感想・評価)
「違う。俺が見たかったのはこれじゃない…」
上映中に何度もそう声が漏れてしまった。
監督や出演者は原作ゲームをプレイしたことがあるのだろうか。おそらくない。だからこそ、あのような演出になってしまったのだと思う。
ゲーム版の魅力は、「どこにどんな異変があるのかわからない」という緊張感にある。あの通路を覗き込むときのヒヤヒヤ、ドキドキ。結局何も起きない場所も執拗に確認してしまい、ポスターの一字一句を覚えようとする。何も異変が起きていないのに、自分を信じられず、何度も同じ場所を確認したり、通路を引き返してしまう。「後から振り返れば「なんであんなに必死に、あの場所を確認していたんだろう」「あんなにわかりやすい場所に異変があるのに、なんで気づかなかったんだろう」と笑える——そういう体験が8番出口の醍醐味だ。
しかし映画では、登場人物たちがまるで最初から異変の場所を知っているかのように振る舞う。一緒に謎解きをする楽しさが完全に欠けている。
加えて、ストーリーには無駄や違和感が目立った。喘息、満員電車、浜辺のシーン——いずれも異質な密室空間の没入感を削ぐ要素にしかならない。ラストの主人公の涙も唐突で、精神的成長を描いたかのように演出されているが、その実感はほとんどなく、消化不良感だけが残った。
良い点としては、駅構内での出会い。ゲームにはない展開で意外性があった。もっと良い使い方があったとは思うが...。
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私ならこう映画化する
主人公は2人。
例えば、取引先との予定に遅れそうで焦るサラリーマン。社運をかけた大型案件受注を大きく左右する重要な1日だ。時間に追われ「早く出たい」と思う者と、「細部まで確認したい」と思う者——行動の違いとそこから生まれる葛藤を描きたい。観客はどちらかの行動に感情移入し、自然と物語に引き込まれていくはずだ。
効率か、慎重か。出口を探して走るサラリーマンたちの姿は、常に時間と成果を求められる我々自身の写し鏡だ。
「早く出たい」者は、効率とスピードを追い求める現代人の姿。
「細部まで確認したい」者は、慎重さと確実性を求める人間の姿。
時間に追われる社会で、誰もが抱えるこの二つの相反する衝動——焦燥と慎重——を体現する。
異変を見落とす不安と、立ち止まることのリスク。
観客は彼らの選択に揺さぶられながら、結局は「自分ならどうするか」と向き合わされる。
演出面では、ゲームにあった異変、なかった異変、その両方を用意して「観客を巻き込む謎解き体験」にする。さらには『カメラを止めるな!』のようなワンカット映画にすれば、ゲーム的緊張感をそのまま再現できるだろう。
ゲームの面白さに背中を押されて、滅多に行かない映画館で視聴した私にとっては残念な内容だった。映画が「初・8番出口体験」だった視聴者にとっては楽しめる内容だったのだろうか。
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