果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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頑張ったものの、色んなところで無理がある映画
先に断っておくが、私はこの映画を「ある1シーンを除けば」ギリギリ見れるタイプの失敗作だと思っている。
全てが全ててんでダメ、なんてことは無い。芦田愛菜や松重豊の演技はかなり上手いし、一時期の細田守を期待して見に行くと映像にギャップを感じるかもしれないが、それでもアニメ映画としては十分綺麗だ。特に風景は圧倒的と言っていい。
ただ、この映画はかなり無理をしている。
テーマ自体はシンプルで「争いをやめよう、他人を、そして自分を赦し、愛そう」というものだ。しかし、これは創作の世界では既に何万回と擦られ倒したテーマだ。作り手はこの既視感を乗り越えるだけの新規性を作品に盛り込まなければならない。
そこで使われたのが「死者の国」という概念である。過去と未来が溶け合い、生と死が混ざり合う場所は魅力があるし、「ハワイアンなおばさんが歌いながら踊っている横で、イタリアっぽい格好のおじさんが一緒に踊っている様子」なんかは素直に悪くないと思ったのだが、同時にこれがかなりの矛盾を生んでいる。「じゃあなんでデンマークのたった1代きりの王様が、あんなに支持されることになるんだ」とか「生きていた時の敵味方の関係が、なぜ死後の世界までそのまま持ち越されているのか」とか、疑問点をあげるとキリがない。
そのくせ監督が描きたいシーンも多いので、説明しないといけない部分がどんどん削られていくことになる。「見はてぬ場所」を目指して民衆が押し寄せ、防壁を破るシーンは明らかにベルリンの壁を意識しているし、その後の人々の勢いはインド大反乱の絵を彷彿とさせた。ただ、なぜ民衆があんなに揃って押し寄せたのかという、動機づけの部分が一切盛り込まれていないので、「なんだか旅先でわらわら人が集まってる場所にやってきたと思ったら、いきなり反乱みたいなのに参加しだした」という形になってしまう。クラウディアス自体が根っからの悪人なのでその動きに抵抗すること自体はわかるのだが、民衆が一斉蜂起するまでの過程やそれにスカーレットや聖が合流する流れが1ミリも説明されないのは、流石にやりすぎな削り方だ。
こんな感じで、作品の中ではどんどん説明が削られていく。聖とスカーレットの関係などはまさにその極致で、この2人は限りなく平行線に近い思想を持っている。聖は争いを止め、人を傷つけることを避けようとする一方で、スカーレットは復讐のために人生を捧げており、その過程では人殺しを避けて通ることは出来ない。
この2人が相手を理解するところまではよかったのだが、より深く互いを知り、愛し合うための場面があの悪評高いミュージカルシーンである。あまりにも脈絡が無い上に、「こうやって2人は愛しあうにまで至ったんですね〜」と説明されても、過程をすっ飛ばし過ぎているが故には?となってしまう。「愛について教えてよ」と歌うのならば、やはりここで手を抜いてはいけないし、手を抜いた結果として生まれたミュージカルはひたすら納得性を書いたものになっている。映画を見ている途中で、もう帰ってやろうかと思ったのは初めてのことだった。
結局のところ、120分という放映時間に対して広げた風呂敷がデカすぎるのだ。だからこそ、色んな場面で無理が生じてしまっている。もう少し扱える範囲でテーマを絞るべきだったように思う。
国宝急のガッカリ作品
半年間ずっと楽しみに待っていました。細田作品は毎回胸に刺さるし映像がキレイなので。今回はどちらもなく残念です。ただただ芦田愛菜の大冒険。声の個性が強すぎてスカーレットの存在が無く残念です。声優は大事だなと痛感。設定(あの世との繋がる世界観)的に映像も2パターン仕様になっていたのかもですが、それのおかげで世界観に没入できない。いつもの一貫した世界観のほうが好きでした。次回作に期待しています。
もはや凄まじい
意味がわからなかった、必要無かった点だけ挙げていく。
・死者の国なのに、現代人が聖だけとは…?他の人は死んでいないのか
・↑そんなわけがない、戦死した人々が何人いることだろうか
・悪役側の武器はどこで手に入れた?もし作ったのならば、↑で言った現代人の中に核兵器の作り方を知ってる人もいるだろうから、お話が成り立たない。
・あの龍は何?
・死者の国っていう設定いる?現代人の聖とスカーレットを合わせる為の設定だろうが、結局最終的に父親が復讐は意味がないと伝えたのだから、聖自身が必要ない。ただの生きたいと言えbot
・ラストシーンでなんで敵が急に仲良くなってる?あと、どこからきた?
・聖の歌うシーンで、急にラリるな、怖いから
過去作が面白かったから、、なんとなく見たら失敗した
IMAXで見ました。脚本など特に調べることなく、細田守監督の過去作(未来のミライは除く)が結構好きだったので、またストーリー面白いのかな?映像綺麗そうだなーと軽い気持ちで見ました。
レビューや評価も見ずに、なんでこんなに映画館の席が空いてるのかな?と思いながらチケットを買いました。
映像に関して、地獄の風景や壮大な海や砂漠の描写など、自然の驚異など、音は怖いなと思うくらい迫力がありました。IMAXの音響とスクリーンの大きさと合わさり圧倒され、凄いなと思いました!
2Dと3Dが合わさってるようでしたが、スピード感のあるシーンだとカクカクしているように見えて気持ち悪かったので、少し目をそらしたりしてました。
物語に関して、淡々と復讐するため旅をしている様子があって、場面の砂漠地帯が多く感じ、なんか同じようなシーンを見ているような、のっぺりしているな印象を受けました。
スカーレットの声優さんも、どうしてもキャラと声優が分離しているような不安定な感じで『がんばれ!』と応援しながら見ましたが、話が入ってこなかったです。
一つ一つのシーンに、解釈の広げる隙がなく、唐突なシーンが現れる毎に、なぜ?どんな意味があるの?なにを伝えたいのかな?と必死に考えてましたが、後半からはどんどん展開が進み、よくある展開でハッピーエンドになりました。話が入ってこなかった分、頭の中の記憶も曖昧かもしれません。。
いつも映画を見るとき、解釈がたくさん広がって予想される展開を頭の中で考えたりして見るのが好きで。ただ今回はそれが上手くできず、受け取れず、楽しめず落ち込みました。
セリフで良い事を言っているというのは理解しているんですが、私自身追いつけず、、感情も追いつかず、自分にはこういうジャンルは向いていないんだと気づきました。葛藤に共感したり、ファンタジーでも現代人でもそういう悩み感じるよねーとか1つ1つのシーンを噛み締めて予想外の伏線回収とかが好きな私には、この作品は向いてないなと感じました。
ファンタジー系で、戦、人対人という物理的、現実的な展開、人が色々な深い理由で化け物になるとかそういう捻りのある設定もなく、存在するものは存在するもので留まり、現代人が葛藤したり悩んだりする深いものを感じず、本当に設定はシンプルだなと思いました。
過去作の面白さや深さを求めてはいけないと勉強になりました。
IMAXだったので金額が少し高かったのですが、
今度からはしっかり脚本家を調べて、自分の好きなジャンルかというのも確認して行こうと思えました。
映画館で見てはじめて後悔しました。
自分がなんとなく見ると選んでしまったので、自分が悪いなって思ってます。
きっと好きな人は好きなんじゃないかなと思います。
映画をどう選んで観ていくかの判断する、今後のためのいい経験でした。
ありがとうございました。
ここまで何も伝わらなかった作品も珍しい
細田守監督ということで、前情報なしで鑑賞してきました。ただ、SNSで映画館がガラガラというので、気にはなっていましたが、3連休最終日レイトショーというのもあるのか、自分ともう一人の客だけでした。そこで大丈夫?と不安になり、それは的中。完璧に合いませんでした。
・キャラクターに共感できない。
・キャラクターに一貫性がなく薄い。
・ワクワクする要素がない。
・テーマへの葛藤が薄く、嘘くさい。
・テーマを提示するのが物語中盤で、そういう方向?とか思っちゃう。
・ストーリーの先が気になるような没入感がない。
・御都合主義で、一々あれっ?っておもちゃう。
ネタバレはしません。
感想を交換したい、共有したい作品ではありませんでしたし、これから鑑賞しようと思っている方の妨げになるといけないので。
個人的には、バケモノの子や龍とソバカスの姫、サマーウォーズが好きなので期待していましたが残念。
一言でいうなら、味のほぼない家系ラーメンみたいな作品。
追記(微ネタバレ?)
いかにハムレットをベースにしてるとはいえ、説得力というか行間が無さすぎるから困惑するのかもしれません。
幼少期に父を殺され、人生の全てを復讐に費やした魂がそれを裏切るような宗旨替えをする、納得出来る材料が私には感じられませんでした。ハムレットと異なり、スカーレットに葛藤や罪と言えるような何かを見出せなかったのです。強いていうなら聖やキャラバンの人との触れ合いで普通の女性としての生き方に憧憬を抱くような描写がありますが、そんなの復讐者として比較する葛藤か?と。
教養が必要な作品と言われればそれまでですが、それを言ってしまうと、そういう作品でしかなくなるという…
評価の高い方もいるので、誰か納得いくように解説して欲しいと思うくらいに、チグハグでした。
感じ方は人それぞれ。自分の感性を大事にしましょう。
この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ。
これを聞いて最初に浮かんだものは何だろうか?
車田正美の漫画か?はたまた永井豪の漫画か?
ダンテの神曲とわかれば物語の理解は早かったのではないだろうか?
そうすると、複雑なようでストーリー的には実は単純、
スカーレットの精神的な成長の物語なわけだし。
最初の段階で叔父に対して本懐を遂げていたとしても
その後のスカーレットの治世は血なまぐさいものにしか
ならなかっただろうし、
それこそ憎しみの連鎖に身を亡ぼすことになったであろう。
それに変化をもたらしたのは?ってことになるわけで、
決して難しく作ってるわけではない。
しかし、レビュー読むとその多くが違和感しか感じない。
なるほど、固定観念の仕業か。
細田作品はこうでなくてはならないって思いが根底にあるから
他の物は受け付けないって事ですか。
それこそエゴだよね。
ひとつの系統の物を作りつづけるのは、
その道を究めるためには重要だけれども、
より甘くするために、少量の塩が必要なように、
一見関係のなさそうな事項が、重要なことだってある。
だから、何でも一通り作れて職人ってのは一人前になるんだし。
監督だってなんでも作れる方が、より良い映画を作るには役に立つ。
しかし、根底に流れるものは同じだと思うんだけどね。
今回、いずれは見に行くつもりではいたけど、
ここまで早々に行くつもりは全くなかったのに
あまりの酷評の多さに、急遽見る予定の映画を変えて
この作品を見たので、予告編以外は何の予備知識もなしでも
十分に楽しめる作品だったという評価ができる。
ちょこちょこと判断に困った部分もあるので、
細かいところは少し確認したいところもあるが
おおむね理解できたし。
言えることは、フィルター外して、細田作品って事を
意識せずに見ることをお勧めするって事だけかな。
そうすれば、まっすぐに向き合うことができると思うよ。
今回酷評した人も、いずれ配信が始まったらもう一度頭空っぽにして
見ることをお勧めする。
スピリチュアルアニメの傑作
低評価なので観るのを辞めようと思ったが、よく訓練された観客はB級映画も好む。細田監督の作品は脚本が弱いので所謂「モヤル」ので覚悟して観た。結果観て良かった。
「死者の国」が時間も空間も関係ない舞台装置と機能していて、細田監督の弱点を上手く吸収してくれている。しかし、同時に「死者の国」の設定が非常に曖昧なため批判の対象となっている。瀕死の際に落ちる生と死の狭間の空間、集合的無意識、北欧神話における戦死者の館「ヴァルハラ」、ダンテの「神曲」における「煉獄」、仏教における「活きよ活きよ」の「等活地獄」など例えようはいくらでもあるにも関わらず、細田監督お得意の仮想電子空間のように閉じた解釈の世界ではないのだ。逆説的に例えようがいくらでもありすぎるから観客が混乱している。
では何のための「死者の国」があるのか言えば、「魂の研鑽」「魂の成長」を促すために創られたスピリチュアルな場所である。結論、スカーレットの魂を成長させるための場所である。武器(批判)が刺さった傷だらけの龍の雷撃も謎の老婆も神(監督)の「行為」と「声」というオチである。お仕置きだべーっといった感じで雷撃を喰らうクローディアスが虚無に還るのはあくまで「死者の国」では「自然」な現象なのである。この作品の鑑賞のポイントは基本が神(監督)に愛されし無敵の乙女がスカーレットであるという認識。これを念頭に置けば余計な葛藤を抱かずにすむ。スカーレットと聖がネオ渋谷で映画「ラ・ラ・ランド」のようにミュージカルダンスを披露するのも神(監督)が喜ぶからである。
アムレット王がスカーレットに対して「赦せ」と遺したことはなかなか万能な遺言である。復讐は果たすべきものという価値観が支持されている。我が国で敵討ちの物語が古来多く残っているのを考えると復讐はスカッとするし、生きる目的にもなるしプラス面が強調されているが余程恐ろしい行為である。第一常に成功する訳ではなく返り討ちにある可能性がある。またそこに注ぐ莫大な心的体力的エネルギーと時間を考えるとハイリスクローリターンとも言えなくもない。それを考えると愛する娘に対して自分自身を「赦せ」と遺しておけば、スカーレットが復讐に成功しても失敗しても何もしなくてもどんな状態でもウェルビーイングとして機能する。そのため、アムレット王が処刑間際で考える最大の愛娘に対する愛のある遺言である。
スカーレットは細田監督作品の中では群を抜いて可愛い。復讐を企むが高貴な身分であるがゆえにどこかポンコツで詰めの甘さがある。クローディアスに謝罪を求めるあたり、やはり地金がいいとこのお嬢さんなのである。聖を庇って腕を負傷し止血帯を巻くために服を切られる際に気弱に恥ずかしがるあたり乙女なのだ。凛々しい復讐鬼であると同時に少女っぽさが存在する。
聖が現代で馬にも乗れるし弓矢を射ることもできる聖はかなりいいとこの子(流鏑馬経験者)だと思う。小説では鍛えてきた技を試さねばならぬと決意する描写がある。如何せん聖の内面描写が少ないので都合のいいキャラに成り下がってしまう。聖は自分の死をすんなり受け入れてしまう。エリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容プロセス」は、避けられない死に直面した人が「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」の5つの心理段階をたどるとされる。それを超越している超人か無茶苦茶カッコつけマンだ。私は後者をとる。映画「タイタニック」のジャック並みに好きな女の子の前では男子の矜持、やせ我慢は死を超越する。
スカーレットが現世へ昇っていくのはアニメ「天空のエスカフローネ」を彷彿させる。これは「死者の国」という異世界に堕ちたスカーレットが自分の世界へ還っていくという異世界来訪ファンタジーだったのだ。同じ異世界に堕ちた聖は自己犠牲ではなく、結局助からずスカーレットに見送られるのが良かった。自己犠牲を美談として描くのは内心危険だと考えている。何か搾取されている気がするからだ。そして世界系の恋愛万能論も同じくらい危険だと思う。それが失われたら世界が崩壊するなんて他人を巻き込むなと思うからだ。だから「キスしてグッバイ」がアニメ「ゼーガペイン」のように切なくてちょうどいい。スカーレットにとって聖との邂逅が強烈なもう一つの自分の可能性を観させてくれてパラダイムシフトが起こった。聖との邂逅で違う世界にトリップしたスカーレットは自分のもう一つの可能性を観たのだ。ちなみにこの夜スカーレットと聖は結ばれています。スカーレットが髪をバッサリ切るのは言わなくても分かるよねという映像のお約束らしい。平和主義者の聖が急に武装し始めるのは守るものが出来たからですね。「守るべきもののために殺すべきは殺す」という我が国の戦国時代の僧侶が武装する(僧兵)のと動機は一緒である。聖が「死者の国」に堕ちたのは現世で子供たちを守れなかった無念があったからですね。そのことは老婆によって「おまえがここにいる理由は何だ?」と指摘されています。現実問題、人権と生命と財産を守るために武力行使によって敵を排除する行為は残念ながら必要であることを聖というキャラクターは如実に示しています。インドで殺生禁止の仏教が滅んだ理由、戦国時代を浄土真宗が生き残った理由、チベット、ウクライナ、台湾、尖閣諸島を考えれば僧侶風の聖の頭がお花畑でないということを描きたかったのだろう。スカーレットの暗澹たる復讐鬼の殺気立った目元が聖の価値観に影響されて、段々人間らしさを取り戻していく過程は見事だ。対して聖も「守りたいもののために殺すべきは殺す」という現実の冷徹さを目の当たりにして肝が据わっていく過程も殺伐として良い。
最終的に二人は結ばれて別れる訳だが、細田監督自身の作品「時をかける少女」のセルフオマージュだったりする。「生きて、そのかわり未来で聖が生まれる時代に、少しでも争いがなくなるようにがんばる!未来が変われば、きっと聖は殺されたりしないよね?そのために私、なんでもできることをするから!そしたら、聖はもっと長生きして!家族を作って、子供を育てて、いいおじいちゃんになって!」というセリフに疑問点が発生する。聖が殺された理由は無差別通り魔事件で社会的問題だが、国家間の戦争は外交上の問題だ。それぞれ問題の性質が異なる。やはり、現実への還り際になると細田監督の弱点が露出してきた。これは幼い社会観、国家観しか持たない細田監督が悪いと思う。また、スカーレットの所信表明演説もなかなか厳しいと思わざるを得ない。試しにデンマークの歴史や我が国の高市内閣総理大臣の所信表明演説を検索すると如何にスカーレットの演説がフワっとしたものか国民としては心配になる。聖が最終的に武器を持って戦った事実をスカーレットは受け入れるべきだ。それは女王として非情な決断を下さねばならぬ局面に立たされるからだ。
細田監督はアニメ界のテレンス・マリック監督だ。脚本が弱く、脈絡なく投入される映像先行型の映像詩とも言える表現なんか業界人の評価が高いが一般観客の賛否両論が巻き起こるあたり似ている。ポスト宮崎駿とも言われたことがあったけど、全然違う。テレンス・マリック監督作品もよく宇宙へ意識が飛んでしまうが、スカーレットも未来の渋谷に意識が飛んだあたり似ている。そして「赦せ」の意味を苦悩してついに「悟り」を得る「果てしなきスカーレット」はスピリチュアルアニメの傑作だ。
平和を祈る歌
本作のテーマを一言で言えば「平和と許し」だ。
あまりにも使い古され、もはや陳腐とすら言えるテーマ。しかし本作は、それを真正面から描いている。あまりに真正面すぎて、時勢にも一般大衆の琴線にも乗れていないのだろう。
だが、それでも刺さる人には間違いなく刺さる映画だ。少なくとも、玩具のように弄ぶレビューで打ち捨てられる類の作品ではない。
では、どんな人に刺さるのか。
それは、世界の争いを見るたびに「なぜ世界は平和にならないのだろう。自分に何かできることはないのか」と心を痛める人。
そしてもう一つは――「自分の人生のクソったれは全部あいつのせいだ。命に代えてでも復讐してやる」と本気で思い、その憎しみを燃料に生きてきた人だ。
私は後者だ。
実の父に筆舌に尽くしがたいことをされた。あいつは風呂で溺れ、あっけなく死んだ。私は今を生きている。だからこの映画が刺さり、結末から勇気を貰う事ができた
正直に言えば、彼の作品は“映画”の形をしていない部分がある。
というより、舞台や演劇なら許容される表現・演出を、そのまま映像に持ち込んでいるのだ。
私は彼が若手時代に関わった『少女革命ウテナ』を何度も見返しており、その手の表現には慣れている。だから、多くの人が気になるであろう箇所――地図もないのに目的地へ向かえる理由、突然挟まる長い踊り、直前まで存在しなかったキャラが一瞬で現れる不条理――こうした“整合性の破綻”をすべて、水を飲むように自然に受け入れられた。
それらが何を意味し、何を描こうとしているのか、手に取るように分かったからだ。
だが、舞台的表現に触れたことがなく、ウテナのように演出に全振りした作品を考察した経験がない人にとっては、これは破綻した映画に映るだろう。
率直に言えば、細田氏は「監督」ではなく「演出家」だ。だからこそ演出を優先し、物語や設定が毎回どこか歪になるのだと思う。
それでも、話の整合性やスマートな脚本ではなく、その底にある幼稚にも見えるが切実で誠実な祈りに共鳴できる人が観れば、これは間違いなく名作だ。
なぜこんなに評価が低いのかわからん
おもしろかった。
気になる方はぜひ自分の目で観た方がいい。
途中ダンスシーンが2回ある。
ハワイアンダンスは生と死の狭間の異世界で、時代や国がそれぞれ違う人達が交差する場所だということの説明だろうし、渋谷での底抜けに陽気なラテン系ダンスはビックリしたが、もしかしたらあったかもしれない世界なので、あのくらいハッピーなダンスの方が劇中の悲惨な現実との落差が出て良かった。
素晴らしかった。
映像はもちろん、ストーリーの重厚さがたまりません。ハムレットを下敷きとした本歌取りともとれますが、救いようのない悲劇に終わってしまった原作に対して、もしかしたら彼にもこんな結末が許されたのかもしれないと思うと、救われます。「許せ」が本作のテーマワードかと思いますが、安易に「敵を許せ」「全てを許せ」などと言うのではなく、「自分を許せ」というのが、何とも言えず心に刺さりました。酷評もありますが、今までの細田監督と同じテイストを期待して見に行った方が勝手に裏切られたと思ってしまった反動ではないかな。この映画は彼の新しい試みなのだから、自分勝手に押しつけたイメージと違うからと言って非難するのもあまりにも幼稚ではないかな。まだ観ていない方、是非ご自分の目で確かめてみてください。確かに、雰囲気は暗鬱だし、否応なく深く考えさせられます。台詞回しに敢えてシェークスピア演劇の構造を持ち込んでいるところも観る人を選ぶ映画だとは思います。が、後の日に何度も意識の底から浮かび上がる大切な時間を持てるのではないでしょうか。
映像は過去一キレイ
細田作品好きとして世界観は好きそうだったので大いに期待して鑑賞、けど残念ながら好みとまではいかず。。バケモノ、サマー、オオカミのマイベスト3とはやはり満足感がだいぶ違った、残念。
しかしとにかく背景だけCG?と思うくらい本当に細かくて美しい。城の内装とか風景とか、ドローンのような浮遊目線とかめっちゃキレイ。あと人だけ急に線少なめの二次元絵なんだけど、あんなシンプルなのにすごくリアルな人間絵になっていて私は好き。タイムトンネルや森を駆け抜けるシーンも長めでIMAXで存分に楽しめた。ああ、私が新海さんとかより細田好きって思ってたの、この造形、風景の緻密な美しさだよなあと思いながら見てた。あと程よいファンタジー。
なにやら評判が悪いらしい渋谷?のダンスシーンも嫌いじゃない。サマーウォーズや竜そばかす姫のセルフオマージュ?のような人限定アバターs再び!感があったのと、岡田くんが弾き語りし始めた時はなにこのダサい曲。。と思ったのがラテンポップ?ぽい伴奏がついてあれ、いい曲?と思えた。歌詞はくさいけど。
声優は誰一人覚えてなかったけど、途中からあれ、まなちゃんか、と思った瞬間全てまなちゃんにしか聞こえなくなってしまい、それが残念ながら興醒めポイントだった。。まなちゃんの鼻声、まなちゃんすぎるのよ。。演技は迫真なんだけど最早顔が実写に見えてくる。人を感じさせないプロ声優、の意味を再認識した。やはりアニメは声優に限る。。岡田くんも途中で思い出したけどこちらは後で同化してた。
あと映画で急に態度や人柄が変わったり説明がないのは尺の都合でしょうがないか、と割り切る方だけど、スカーレットの最後の泣き叫びはやや飛びすぎな気はした。。あそこはクールに涙ぐんで弱音を吐くくらいが王女っぽいような。。あと老女の突然の「人間とは」もメタ発言というかテーマを入れてみました感があって盛り下がった。。なんなら聖は騎馬盗賊に立ち向かう意味がわからない。現代でもバイク乗った半グレ集団に身一つで止めに行かないっしょ。。いくのか。。?
でも生と死の間の空間で色々な時代と地域の人が集まるとかの設定は良かったのでもう少しそのへん掘り下げたら面白そうだったのにな。。ストーリー自体も王道ながらの復讐劇に現代の価値観混ぜて、悪くなかった。まなちゃんさえ思い出さなければもう少し集中できた気が。。まあ、配信きたらもう一度は見てみたいとは思えた。
緋色の剣仇
細田守は直近2作で懲りたハズなのに、ガラッと変えた画風と作風が気になり鑑賞。
結果として、用意してた『果てしなきスカ/劣等』のタイトルを使うほどではなかった。
とはいえ、やはり作劇に粗は目立つ。
「死者の国」とは言うが、町があったり更なる死の概念(虚無化)があったり、ほぼ異世界転生。
故に多くが“見果てぬ場所”を目指す意義が不明。
人数制限もないのに妨害する意味も皆無で、むしろ斥候代わりに先行させた方がよいのでは。
主人公2人も敵もやられ方が悉く阿呆。
スカーレットが撃たれた時も、雷やんでるのに治療する間は手を出さない。
聖は綺麗事を吐き散らした挙句に自衛で人を殺す。
言葉が通じるのはまだしも、漢字の説明して通じるのかとか、矢のない弓を持ち歩くのも不自然。
弓術や馬術などやたらと有能な背景もゼロ。
龍が消えた理由も謎だし、雷は神の意思的な現象でよかった。(龍出したかっただけ?)
歌に衝撃受けすぎだろ、と思ったら現代の渋谷に飛んでノッペリCGの謎ダンス。
その直後の唐突な集団戦闘はもう訳が分からん。
終始絵の質感がバラバラなのも落ち着かない。
声優の芦田愛菜は割と評価してたが、最初の嘔吐以外は酷かったし、キャラにはまったく合ってない。
小松未可子か長谷川育美なら…いや、無駄遣いか。
やりたい事の詰め合わせ感が強く、整合性や理論性に欠けるのは変わらず。
敵の数も無駄に多く、寝返りおじさん2人もいる?
最後の群衆がそれこそ果てしなくて笑う。
変にエロっぽい表現も…あ、Scarletってそういう?
未来に繋げなきゃいけないのは理解するが、「デンマーク」とか出しちゃって大丈夫?
雰囲気だけで見れば悪くなかったが…う〜ん…
テーマだけは良い。あと無理に音楽使わなくていいと思う
気になった点について
◇キャラバンの人に無理やりダンスに参加させられる聖、しかしダンスが下手で踊れなかった→夢の世界で聖とスカーレットが一緒にダンスを踊る夢
スカーレットがこんな自分もいたのかもしれないと思うシーン
なぜ、二人で踊る必要があったのか、ダンスシーンはほんとに必要だったのか
そもそも、聖がダンスが下手である設定はいらんかったのでは
◇聖さん馬乗りこなしすぎでは?
弓道のような構えをしていたので、流鏑馬の経験でもあったんじゃない()と
無理やり納得しました
◇扉について
スカーレットが現世で生きていることがわかり、もとに戻るシーン
私、ここのシーンまで世界観が「蜘蛛の糸」みたいだなと思っていたんです。
海のような空があり、頂の先を登ったら空と海が広がっている感じが生と死の間っぽい
主人公が復讐相手を許し、自分も許せたシーンで兄王が天からの雨で主人公に語りかけるところとか空の向こうに極楽浄土がありそう
しかし、死んだ人間は虚無に変えるという設定と、この世界そのものが生と死と時が混ざった世界であるため、扉のある場所が”間”ではないことがわかります。
実際スカーレットはもとの世界に戻る時天に登っていきました。
ではこの扉は一体何?
パンフレットか設定資料集を見ればわかる日がくるのでしょうか・・・
◇空の龍とばあば
欲深い人間に雷が落ちているのかな(蜘蛛の糸が切れたように)と思ってたけど
”間”なので違ってそうな雰囲気・・・?
結局最後まで何者かわかりませんでした
「人間とはなにか」byばあば
あんたがなにものやねん
◇音楽の多用について
細田守に限らずですが、近年作中で音楽を流しすぎではないでしょうか
音楽が感動やワクワク感を演出してくれますが、上手く入れないとダレます
前作の「龍とそばかすの姫」も違和感がある脚本もありつつ、音楽の演出が素晴らしかった
しかし、今作では演出が上手く行っていない。
いきなり歌い出す(ダンス)シーンが3つありますが、主人公達が受け入れられたとわかりやすいのでキャラバンの人たちとのシーンだけで良かった。
疑心暗鬼になっていたキャラバンが聖(達)に心を開いているシーンは作中でも象徴的な部分だと思います。
復讐と生と死
生きるとはなにか
テーマも世界観もとっても面白そう。
なのにどうしてこうなったのか
もう細田守はいいや
ゲボが出るほど酷かった。
役所広司の出演と背景美術がああでなかったらもっと評価低かったと思う。
キャラクターにマンキンで歌わせる演出は誰も求めてないから映画業界で公式に禁止した方がいい。
観ている側も身震いするほど恥ずかしくなる。
2Dアニメと3Dアニメの使い分けも謎。
手抜いてるとしか思えない。
芦田愛菜ひどい。
岡田将生も別に良くない。
そもそもあの主要キャラ2人は色々甘すぎて全く応援したいと思わない。
主題だって、愛なのか復讐なのか争いなのか、ヨレにヨレまくって最後にありきたりで実現不可能な綺麗事だけ主人公に言わせて終わり。
もう細田守はいいや。
あれ?これ見てたらあの2人の在り方に似ている
本日低評価の怖いもの見たさで見て本来は感想を書くつもりでいたのですが、Fate/stay night [Realta Nua]のセイバーと衛宮士郎の世界観に見えてしまった。
かなり端折りますが、王国のやり直し(父の復讐)の為に戦うセイバー(スカーレット)と、正義の味方(看護師)として生きる衛宮士郎(聖)
別々の時代で生きていた2人が聖杯戦争で主従関係となるのだが、王国や民(復讐)の為に戦うことが当然のセイバーと正義の味方としてセイバーが傷付いたり自分自身もだが相手を殺すことが嫌で戦って欲しくない衛宮士郎。しかし2人は共同生活と戦いの中でそれぞれが成長し相思相愛となるが、最後にエセ神父と金ピカのラスボス(叔父)を倒して2人はそれぞれの場所で、セイバーは長い眠りに付き衛宮士郎はいつか本物の正義の味方となりセイバーに会う為に長い長い旅をすると誓うところでゲームは終わる。映画はスカーレットが元の世界で蘇り平和を誓い聖は虚無になるという逆の流れでしたが。
そしてFateでは最後(最初でRealta Nuaを選択する)衛宮士郎が途方もない長い旅の中で奇跡が起きて鎧を脱いだドレス姿のセイバーと再会。映画は冒頭(多分スカーレットの本当の死後)だがドレス姿のスカーレットが遠くから来る聖に再会するという⋯
ちなみに衛宮士郎は弓をやってますし人の為に自身を犠牲にするわ、セイバーは竜の因子を持っていますしスカーレットの竜はそれなのか。
そして最果ての天空への階段は黒い月への階段だし、最後黒い月でヒロインは実は生きてて男の方とはお別れとか同じじゃないですかあ!!
まぁあくまで個人的にそう感じただけです
愛とはなにか、そして生きるとは。
久しぶりに魂に響く作品を観ました。
人は何故生きているのか、どう生きたらいいのか、時間をどう捉えるのか、人は何故死ぬのか、幸せとは何か、という様々なテーマが織り交ぜられていたと思いました。
スカーレットは、聖という愛の人に出逢い、自分の内面を見つめていきます。
そして、自分を赦すという境地に至ります。それは、他者も赦すことにもなります。聖が日本人というところも興味深く、また説得力がありました。
人は誰しも幸せでありたいと願って、日々を過ごしています。そのヒントになるような作品でした。
世界観は良かったが心の中の陣内智則が抑えきれなかった作品
16世紀のデンマークのお姫様「スカーレット」が現代の日本人看護師「聖」と共に、憎き叔父を打ち倒そうとする復讐劇という世界観は興味があり、楽しみにしていました。以下、良い所と悪いところを箇条書きでまとめます。悪い所についてはツッコミも兼ねているのであしからず。
【良い所】
・細田守氏が描く死者の国という名の地獄の描写はダークな雰囲気がとても好みだった。
・死者の国には過去も未来も場所も関係なく迷い込む場所であるという設定で、様々な時代と人種が交わる壮大な世界設定は良い。
・作中の格闘描写は見ごたえがある(細田守氏の趣味なのだろうか?)。
【悪い所 or ツッコミどころ】
○世界観について
・「死者の国」は様々な時代・人種が交わる環境なのに、登場人物の大半はスカーレットの関係者で世界観が狭く感じた。もったいなさすぎる。なお、道中で様々な人種がいること自体は描写されていた(ハワイ、中東、ローマ、アジアの人種は居た?)。
・王様となった叔父が死者の国に居た理由について終盤明らかにはなったものの、叔父の部下達もあの世界に居るのは謎のままだった(スカーレットの父親の処刑に立ち会った4人ならまだしも、大勢の兵士までいる)。
・「死者の国」は死んだときの姿で迷い込むものと認識したが、もしそうであれば、叔父の部下たちは作中の時間軸から近いうちに死んだことになると考えられ、デンマーク国内が戦争などでとんでもない状況になっているのが想像できる。(まあ、そんなオチではなかったが。)
・スカーレットと聖が対面した時、「会話」について補足がなかった。16世紀のデンマーク人であるスカーレットと21世紀の日本人である聖では当然言語が異なる。死者の国では意思疎通は不思議な力でできるということで脳内保管した。あと聖、イタリア語読めるのか(「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の原語を読み解くシーンから)。
・叔父が「見果てぬ場所」に連れていくことを餌に部下たちを指示していたが、そんな曖昧なことで部下たちは従ってくれるのだろうか。作中の描写からあまり人望があるようには見えないが。
・「死者の国」について、物語序盤を除き現世とあまり変わらないという印象だった。食事をとる必要もあり、致命傷を負えば虚無(=死ぬ)となるのは、現実そのものではないか。もう少し現実とは違う設定が欲しい印象だった(死者の国なので食事しなくても困らない、とか)。
○登場人物について~スカーレット~
・スカーレットは長年復讐のために心身ともに努力を重ねていたのに、聖と数日過ごしてすぐにほだされる所は何とも言えない。
・聖に対する好感度について、初対面はともかく途中から急に好きになりすぎだろと感じた。渋谷ダンスの影響なのだろうか。
・設定では「16世紀のデンマーク王国」のお姫様という設定だったが、わざわざ具体的な時代と国を設定する意味はあったのか疑問に感じる。元ネタが「ハムレット」だからそう設定したと考えられるが、史実との整合性も取れないため意味をなしていない気がする。架空の王国のお姫様じゃだめだったのか?
○登場人物について~聖~
・嫌いではないが、お花畑な善人キャラという印象に見えた。不殺主義なのは現代日本人かつ医療従事者である設定なので理解はできるが、物語後半にスカーレットを助けるため敵を殺す描写は賛否が分かれる印象だった。
・キャラデザを見たとき、旧日本軍の軍人か自衛官あたりかと思っていたが、現代日本の看護師という設定は意外性を感じた。作中の活躍では医療スキル(銃創の治療までできる)だけでなく馬術・弓術スキルも高いが、馬術・弓術をどうやって身に着けたのか設定が特になかったのが少し残念。
・もう一人の主人公という認識で見ていたが、どうも作品の舞台装置にしか見えなかったのが残念。しかも、オチで実際には「○んでいた」ことが発覚し、かわいそうにもほどがある。(道中、現代日本の病院で集中治療室?のベッドに居た人物が、まさかとは思ったが・・・)。
○ミュージカル描写について
・例の渋谷ダンスの前に、キャラバンの人々と仲良くなった聖がハワイ系の女性とダンスをする描写があるが、「これ要るのか?」と感じた。
・渋谷ダンスについて、ダンスに入るまでの描写(よくわからない宇宙空間?)が無駄に長かったのが気になる。
・渋谷ダンス自体は「スカーレットがもし現代日本に居たらこんな風に楽しんでいたかもしれない」という描写なんだなとは理解できるが、背景のモブが現実感なく不気味さを感じた。
○物語終盤について
・終盤、叔父と再会して許すか許さないかで葛藤していたが、一瞬改心したように見えた叔父が結局クズのままだったのは面白かった。結局、スカーレットは結局復讐をやめることにし、叔父が隙を見てスカーレットに攻撃を仕掛けようとしたところでドラゴンの雷が直撃して虚無になった描写は、流石に都合が良すぎると感じた。(結局あのドラゴンはスカーレットたちの味方だったのか? 一度ならまだしも3回もピンポイントで雷落として助けるのはご都合主義にも程がある。)
・結局、終盤の扉はなんだったのか(開かずじまいだった)。
・スカーレットが現世に戻るとき、聖だけでなく他の登場人物も居たが、彼らはあの後どうなったのか。
・結局、スカーレットに色々説明したり手助けしていた婆さんはなんだったのか。
○まとめ
細田監督が作りたい映像と描写を優先し、それ以外の設定がテキトーである印象だった。おまけに、監督が見せたいものと世界設定がかみ合っていないように感じた(世界設定の風呂敷を広げすぎたのが原因ではなかろうか。)
この映画を見た人の大半が、脚本は他の脚本家に書いてもらうべきと思うのではないか。言いたくないが、一回見て10個以上のツッコミどころがあるのは脚本として破綻しているようにみえる。
映像や世界観のプロットは良いのだから、次回作を考えるのであれば良い脚本家をつけて頑張っていただきたいと思う。(個人的には万人向けよりもマニアックでダークな世界観を作るのが得意と思われるため、それを突き詰めてみるのもいかがだろうか。)
生きるべきか、死ぬべきか…それが問題か?🤔
先ず、、私は今作を嫌いじゃなかったようだ。
つか、何だったら…スピッツの«スカーレット»を想起した。
それと、芥川龍之介の[蜘蛛の糸]🕸️
肉体を喪い、魂だけの存在になって尚…【煉獄】でヒトの真似事をして、
弱いモノから略奪し、簒奪し、奪い合う。
げに恐ろしきは、ヒトの浅ましさ也…とは、先人たちもよく云ったもんで。
そんな修羅の世界で、復讐鬼となり修羅道を邁進せんと鼻息荒く立ち向かう嘗ての美姫に寄り添うは、現代ニッポンからやって来た甘ちゃんの看護士青年。
天高く聳えるバベルの塔を造った時に、その傲慢さで神の怒りを買い、コトバを頒かたれたと云う人類…
生きた時代も国も違うのに、言葉が通じるのは、その地が神すらも見捨てた場所だからか?
そんな煉獄でも、何だかんだヒトは必死に“生きたがり”…共に協力しようと藻掻く。
どんなに裏切られ、バカにされ、不様に平伏しようと、
なればこそ余計に人恋しくなる物哀しさ…ヒトの業にして、人間の性である。
王女スカーレット👸が、もし…王子🤴だったなら、それは勿論…先王に伴なって一緒に処されていただろう。王位継承権とかで。
でも、スカーレットは腐っても王女👸だ。ましてや、国民の信頼篤い先王の遺児…妄りに殺めれば、民衆の怒りが爆発して暴動が起きかねない。
それに、父にも似ず母にも似てない美姫・スカーレットの使い道なんて幾らでもある。
それこそ隣国や大国の王子と政略結婚って方法も…。
つか、当時のヨーロッパは正に貴族社会…それはつまり…家父長制ド真ん中、男尊女卑ド真ん中時代、、【女・子供は弱いから護る“物”】と、スカーレットを見下し、小娘一人とその弱小一派に何が出来る?と侮っていたかもしれない。
何にせよ、仇敵であるクローディアスがスカーレットを殺さなかったのも不思議に思わなかったし、
密かに特訓をしていたのを見咎められなかったのも、
王とて城の隅々を知り尽くしているとは限らないし、もしかしたら、スカーレットが年頃になり、謀反を起こすのを見計らって、彼女を処すのに大義名分を得る為に、わざと王女側を泳がせていた可能性もあるだろうし、、
不思議にもおかしいとも感じなかった。
それこそ…渋谷でもフラッシュモブっぽいラテンなダンシング🕺💃も、その前段に、アロハな踊りを魅せる婦人を前に、
「ヒトの言葉が通じぬ神に、歌と踊りで意志を伝える」みたいな事を云ってたんだから、
現代ニッポンの愛の歌を聴いて…スカーレットの内面…内心に眠る😪愛情に溢れる本性が感化され、
刹那的に神?と通じたとか、、あるいは…インド映画🇮🇳のソレみたいなモンか?と思ったから、
私には無問題だった。
現代ニッポン人の聖との関係性、対比も、
《正義無き力は只の暴力だが、力無き正義は只の無力だ》
…を字でいく流れで、
復讐に燃え、己の心を殺しながら痛々しく映るスカーレットに変化を与えるには充分な存在であり、
さりとて…聖にとっての«力»は、武力に在るのではなく、他者との対話や他者への理解と描く事で、
聖の強さをちゃんと示している。
然しながら、、
聖の様な日本人は、上澄みも上澄みで、、大概は、死して尚、私欲に溺れたが為に塵芥となった他の者達とそう違いは無いと思う。
何だかんだで、今作は…私にとっては、かぁなぁりぃ左巻きな反戦映画だったなぁってのが、率直な意見で、
そりゃぁ…自分と異なる価値観に対して、薬指を立てながら🖕いけしゃぁしゃぁと反差別を叫ぶ様なトンチキ共に比べれば、かなりマトモな部類だろうが、
現世を生きる我々に…憎しみよりも融和を!復讐よりも赦しを!と謂われても…
自分よりも、自分にとって大切なモノ達を護る為には、
殺られる前に…殺れ!が正しいと思うし、、
襲ってくる熊🐻を可哀想って言える程、、
私の脳味噌🧠は、お花畑じゃない。
まぁ…綺麗事や理想論無くして!現実は変わらない!ってのもアタマでは分かるけど、
ココロから賛同するには、歳を取りすぎた私であります。
じわじわと人気が上がる名作間違いない‼️
ネット上の評価点数に惑わされなくて良かった笑。きっときっとじわじわと人気が上がる名作だと私は確信します。この作品を一言であえて言ってしまうと、「生と死と愛と平和」をストレートにシンプルに表現している作品だと思います。確かに物語の柱となるのは「父を殺された姫(スカーレット)が復讐する」「復讐相手に抱く憎しみを許す」だと思いますが、そこに生と死の問題を絡めていて、人間にとっての一番悩める部分に切り込んでいる気がしました。そして、究極は愛がこの世の全ての事象を包み込み、平和に導いていくのだと喧伝しているような気がしました。スカーレット(芦田愛菜の声)と、聖(岡田将生の声)とのピュアな恋も見事に溶け合っていてとても素敵でした。拍手です!ちなみに号泣したのは、スカーレットと聖の悲しい別れ、そして国民の前で力強く演説するスカーレットの姿でした。この映画を観おえて、ますます芦田愛菜が大好きになりました笑。批判はあれど彼女の成長の確かさは間違いない!いずれにしても、生と死の問題(本当は問題ではないのですが?)を扱っている作品はめちゃくちゃ多いのですが、スカーレットは一旦死んで生と死が融合した世界で復讐のために戦うのですが、示唆に富んだ比喩に学ぶこと多しでした(生と死は一体不二であり、過去と未来も一体不二である。その境目は無い?)。
追記 スカーレットが16世紀のデンマークで亡くなり、聖が現代の渋谷で亡くなったという設定にも特に違和感がなかったです笑。
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