果てしなきスカーレットのレビュー・感想・評価
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良作です。ネットの評判は信じないで!
細田守の最近の作品は、過去の奥寺佐渡子脚本作品が好きだったかどうかで評価が分かれるようですが、奥寺脚本が嫌いで、竜そばなど細田脚本が好きな自分には果てしなきスカーレットは良作でした。
細田監督はおそらく、脚本をなぞるように映像を作るのではなく、見せたい映像が先にあって、そこに脚本を合わせているんだと思います。なので、細かく見ると整合性がとれない部分が出てきてしまうのですが、私はそれがあまり気にならないので楽しめるのかもしれません。竜そばを観て「女子高生を一人で東京に送るなんておかしくね?」と白けてしまうしまうような人には向いてない作品です。
ネットや映画.comの評判からすると、残念ながらあまりヒットはしそうにないですが、細田監督には今のスタイルを貫いて欲しいです。少なくとも、奥寺脚本に戻るのだけは勘弁して欲しいですね。
芸術的価値のある映像作品
大衆向けかどうかは置いておくが、芸術的価値のある映像作品
大学の映像専攻で細田守作品をはじめとする多くのアニメーションを研究した人間がレビューをしていこう。ネタバレはない。
何かと脚本が良くないと言われがちな最近の細田守作品だが、一言で言うと前作よりかは脚本も芸術性も段違いに良い。エンタメ的な細田守作品が芸術的方面に大きく舵を切った作品と言えるだろう。それだけ芸術的側面が強い作品と感じた。
まず脚本や演出については星4つ。ネタバレはしないが、前作よりもご都合無理矢理感はやや軽減された様子。何より爽やかな脚本が売りだった細田守からは信じられない重みのあるストーリー。
シリアスなファンタジーのアニメが好きな人には向いているかもしれない。私はマギという作品の煌帝国編(皇子が王位簒奪した実母に復讐する部分)が好きなので、かなり印象が被った。
大元のハムレットは見ずに挑む人間が多いかと思い、私も読まずに挑んだが問題なかった。
ただメタファー的な部分も多く、他の口コミや評判を聞く限り好みが分かれるかと思うため期待値を上げすぎるのはお勧めしない。
そして絵作りについては星5つ。芸術大学にいた頃から細田守の作品については研究していたが、今回はCGの部分が大幅に増えて背景含む画面もかなりリアルで迫力があった。
画質もさることながら、構図や色使い、衣装デザインなど画面構成にはかなり凝った様子が見てとれる。3DCG特有の動きの硬さは少々残るものの、普通の人間なら見ていてあまり気にならず没頭できるレベルである。サマーウォーズやバケモノの子のような爽やかなテイストとは大きく異なり、シックで重厚な絵を作り上げている。
Dolby AtmosやIMAXも対応しており、音や音楽にこだわりがある様子だったので復讐のストーリーに合う迫力を求めてIMAXで鑑賞した。これが正解だった。俳優陣の声の迫力や音そのものの効果が最大限引き出されていた。音楽、音響等星5つ。
大衆向けに理解しやすい王道ストーリーを描くエンタメ的な作品(鬼滅の刃やワンピースなど)を普段から見ている人間には理解が難しい部分や展開が比喩的すぎる部分もあるかもしれないが、芸術作品におけるアニメーション映像としてはかなり優れているといえるだろう。脚本に多少の無理やアラは見受けられるが、前作よりも改善が見られ、なおかつ演出でカバーされている印象を受けた。
ただ主演の芦田愛菜は、まだまだ声優としては一人前とは言えない雰囲気の演技だった。やはり声優と俳優は異なるということだろう。だがしかし、芦田愛菜の未発達でピュアな声がヒロインに一役かっているとも言える。何より感動したのは悪役の役所広司だ。俳優声優の域を超えて、キャラクターにリアリティを持たせ3DCGでは表現しづらい細かなニュアンスをカバーしていた。主演の芦田愛菜との対比構造はかなり芦田愛菜は苦戦したことだろうと思う。ヒーロー役の岡田将生も、やや棒読み感が強く、聖という人間性が平坦に見える可能性がある。もう少し聖の人間性を拾った細かやかな表現が声で見られると良かったかなと感じている。
ネタバレを避けてのレビューはこのような感じだ。ヒロインとヒーロー、ヒロインと悪役の対比構造やメタファーについて集注して見てほしいと思う。
野心的な挑戦をした作品ではあるが、やはり失敗している
正直に言うと、私は近年の細田守作品が苦手です。『サマーウォーズ』以降は一通り観ているけれど、満足できたのは『バケモノの子』の前半くらい。「社会的なテーマ」を扱おうとする割に、そこへの興味や理解が薄くて、観ていて「底が浅いなぁ」と感じることが多いのが事実。
今回、舞台を現代日本から「中世ヨーロッパ」に移したのは、そうした「現代社会描写のボロ」を隠すための野心的な試みだったのだと思う。中世ファンタジーなら、社会常識やリアリティラインが多少甘くても厳しいツッコミはされないだろう。しかし結果的に、その試みは失敗だった。中世という過酷な舞台を用意しながら、そこに現代日本の凡庸な「平和主義」を安易に持ち込んだことで、物語の整合性が崩壊してしまっている。
『ハムレット』と『神曲』をモチーフにしているけれど、ひねりがなくて「そのまんま」。前作の『美女と野獣』引用もそうだったけど、設定やキャラを借りてきただけで、換骨奪胎の域には達してない。主人公スカーレットは「復讐に燃える王女」という役どころなのに、父の「許せ」の一言であっさり復讐を捨てて、「平和」「融和」みたいな現代的な理想論を語り出す。中世の過酷さを描くフリをして、結局は監督の言いたい「ふんわりした道徳」に着地するから、まるで児童向けにリライトされた「ハムレット」を見せられている気分になる。
脚本の粗もかなり目立つ。物語を引っ張るはずの「王の最期の言葉が聞こえない」という謎を、中盤で敵があっさり教えてしまうから拍子抜けだし、サスペンスになっていない。現代日本から転生した看護師・聖の存在も中途半端で、主人公スカーレットとともに旅をするものの、その思想に決定的な変化を与えるわけでもなく、クライマックスで「実は自分は死んでいた」と明かされるけど、それはそれで予想の範囲内で特に驚くことでもなかった。
何より致命的なのは映像的な退屈さ。
「中世(現実)」と「死者の国」を行き来する話なのに、どっちの世界も薄暗くて代わり映えしない。特に死者の国は、古今東西の試写が集まる設定のように思えるが、明らかに中世以外から死者の国に来ているのは聖だけ。ヨーロッパ圏以外の人間もいるにはいるが、その他大勢として描かれるだけで、名前を与えられ活躍するのはスカーレットとクローディアスとその部下たちと現実パートと代り映えがしない。
絵的にも延々と続く荒野や砂漠ばかりで、背景美術は確かに美しいものの淡白で、その中に3DCGキャラがポツンと立っているだけのシーンが多くて、絵としては美しいけど退屈で眠くなる。
園村健介さんや伊澤彩織さんを起用したアクションシーンはかなり頑張っているものの、彼らが過去に携わっていたような、強烈に印象に残るようなものにはなりえていない。
また、過去の細田作品にあったような、アニメーションの根源的な喜びを思い起こさせるようなシーンも皆無であった。
演出もアンバランス。見ていてわかるような心情や状況まですべてキャラクターにセリフで喋らせるし、背景的な説明も謎の老婆が全部説明してくれる。そのくせ死者の国がどのようなルールで成り立っているかなどは、きわめてわかりにくく、物語への没入を阻害している。
結局のところ、舞台を変えても監督特有の「ご都合主義」と「思想の浅さ」は変わらなかった。古典の重厚な器を借りてきたのに、中身はいつものスカスカな現代劇。そんな残念な一作だった。
細田監督作品のヒロインの中では
細田さんの言いたいことはわかるよ
何度も老婆から劇中で問われる。
人とは?
生きるとは?
死ぬとは?
そして愛とは?
未来を良くしたいなら今を変えなければいけない。
細田監督作品に通底するテーマが本作でも描かれている。
馬鹿みたいに見えるほど単純化されたキャラクター造形は、復讐、友愛、嫉妬、信頼という感情や性質を表す。どの性質も現実世界ではあえなく死んでいく。
復讐心丸出して殺されるスカーレット。
ひたすら他人を助けようとして殺されかける聖。
王になってコンプレックスを解消したいクローディアス。死に方もね。
善政は敷いていたがクーデターに対し無力であったアムレット。
極端さはどの性質であろうと無力であり、死後の世界でも同じように無力である。善は無力で悪に踏みにじられ、悪はより強大な力に踏みにじられる。
阿修羅が住む修羅道のような世界で、ただ一つの解決は許すこと。暴力ではない。どんな感情であれ相手や世界にそれを求める執着。それを捨て相手を自分を許せ。
それが本作の言いたいことだと思う。
前作の「竜とそばかすの姫」もそうだが、作品で構築される架空世界が意味をなしていない。映画の構成の意味としても、映画と現実の橋渡しとしても機能していない。もっと言えば宮崎駿のように一つの世界を構築し切るだけの社会や生活が描けていない。
本作は特に男性陣の声が魅力的だが、役所広司、市村正親、吉田鋼太郎。特にこの3人のシェイクスピアやギリシャ悲劇を思い起こさせる台詞回しは聞かせる。
ストーリー的にも16世紀のデンマークなのでハムレットを意識してると思うし、配役も舞台経験を積んでいる人が配役されている。
だったら、シンプルに細田守演出の「ハムレット」、もしくは明確にハムレット翻案の現代劇で良かくなかったか。
わざわざよくわからない世界を構築する必要がない。
「バケモノの子」までは作品世界の嘘が現実とリンクして細田守独特の世界観を作れていたが、「未来のミライ」からは言いたいことを言うために世界を作っている感じが強くなっていて嘘に乗れない。この世界いる?という状態が続いている。
私は細田守監督はスランプだと思う。
重いかな
原点回帰の最高傑作。文学とエンタメの奇跡の融合。
久々の王道かつハムレットとの融合最高でした〜。シェイクスピアのハムレットに新解釈を入れて、地獄を舞台に話を展開するあたり驚きました。「時かけ」も「ハムレット」も好きなので、原点回帰という感じでした。映像も音楽も良くて、あっという間の2時間でした。本当に見れて良かったです。結末は読めていましたが、それでもスカーレットのこれまでの思いを想像すると、涙が止まらなかったです。号泣の嵐でした。特に、生か死の選択は…。個人的には、これまでの作品で一番良かったです。良い作品作ってくださり、本当に感謝です。生きてて良かったです。ハムレットも再読して、もう一回見に行きます。最近は万人向けの作品多かったので、少しニッチな作品だと監督の熱量感じやすくて嬉しいです。全部説明せずに考える余白を残してくれる作品は素晴らしいと思います。監督とのシンクロが試される(観る人を選ぶ)映画です。
これまでの作品の女性の中で、スカーレットは一番魅力的な女性です。最後の最後まで不条理により大切なものを失い続けます。それでも、今あるもの、残されたものを尊いと思い、一歩前に進んで行きます。このような人物に私もなりたいです。
この作品は繰り返し観ることで、少しずつ味が出て来ます。この感想を書いている段階で、私は2回視聴を終えています。3回目も行きたいと思います。生きるために、人生を謳歌するために、必要なものは実は僅かであることに気づかされます。美味しい食べ物、歌、ダンス、人との触れ合い、原始時代の幸せが本当は一番大切なのかもしれません。
若干文学に寄っていますが、、それでもエンタメと見事に融合した良作です。近年では珍しい作品なので、「つまらなかった〜」と感じてもいいので、ぜひ映画館に足を運んでください。貴重な体験出来ると思います。
最後に、ストーリー、映像、音楽、すべて完璧ですが、「時かけ」と「ハムレット」の予習は必須かと思います(笑)。知らないと話置いていかれるかも⋯しかし、予習頑張った分、素晴らしい感動が待ってます!!
大スクリーンでこそ映える、戦闘美の世界
ここに極まれり
細田守の新作である。
冒頭からなんとも冴えない。この物語の舞台がどういう処なのか 観客に提示するまでが モッチャリしすぎ。出端をくじかれる。
あとはもうただ スカーレットの苦行に付き添わされる。
この監督にもはやスクリーンのこちら側など見えていない。劇場映画デビューを果たして 今回で9本目。
観客置き去りはすでに6作目『バケモノの子』から兆候は見えていた。
それがここに極まったようだ。
たしかな演出力があるのは間違いない。
『デジモン』から5作目の『オオカミ子ども』
までは 観客が存在する。なぜなら各作品のキャラクターたちに 共感をもてるから。
初期5作には 脚本家が存在する。
『バケモノの子』以降 なにやら作家性に目覚めたのか 脚本家は介在しない。
つまり この人に物語を作る力がない。お話の核をおもいついたら そのまま突っ走る口だ。サポートする誰かがいれば もう少し何とかなったかも。
独りよがりに気付けないと 作家性などゴミだ。
バックアップする日テレも 大慌てだろう。
次回作があるなら 身の丈を見直し よき脚本家との縁をまず模索すべきだ と素人考えを記して終わる。
追記 本作を含めて今年観た作品で 3本「生きろ」というワードに触れた(リバイバルの『もののけ姫』も入れると4つになるが)
『もののけ姫』以外このワードに何の熱量も感じられない。あの作品この作品ではおまえが云うな! というレベルだ。
命が軽んじられる風潮の現代。使用の際は今一度 言葉の重みを推敲したうえで 発信してほしいものだ。
コイツはなかなか。
言語に絶するほど酷烈な出来
教養が試される感じ
これを楽しめるのって、日本人には相当にハードルが高いのではないか?という疑念が最初に沸きました。
まず、シェイクスピアの『ハムレット』の履修が必須。
前作『竜とそばかすの姫』が、『美女と野獣』を下敷きにしていた以上に、直球で古典を反転させて、『ハムレット』を"本歌取り"していました。
しかも『神曲』まで混ぜ込んでいる。
「デンマークの王子ハムレットが、父王を毒殺して王位に就き母を妃とした叔父に復讐する物語」があり、そして、「死んだ王の名が『ハムレット王』で、王子が『ハムレット王子』である」ってことが基礎知識。
そして換骨奪胎して、ハムレット王子を、スカーレット王女に改変したのが本作。
(王の死に方を毒殺から、無実の罪をきせての死刑に変更しているのも大きな変更点)
2時間を使って、最終的に語られるのがその結論なの?という肩透かしにも似た、「理想」の薄さ。
そもそも、16世紀デンマーク人の常識や復讐へ至るおじの非道さへのアンサーと、21世紀日本人の緊急救命士(看護師)の倫理観が一致すること自体が受け入れにくい。
だが、そのけっこう必要な説明などすっ飛ばして、「教養として知ってますよね?」「あれの変化球だから面白いってわかりますよね?」という感じの脚本だったので、「海外の映画祭向きで、日本ではこれ受け入れられにくいのでは?」と思いました。
それから、観る側が、「怒り」について理解しているか否か。
この世界中の「ヘイト」に対する問題意識があるか否か。
そういうことが求められる気がします。
・911など、キリスト教vsイスラム教の争いと恨み、怒り
・ガザなど、ユダヤ人とアラブ人の争いと恨み、怒り
・SNSに渦巻く他責思考、外国人差別、怨嗟、復讐の繰り返し
こういった「スッキリする」という暴力的思考と、怒りや復讐心に囚われ、終わることのない恨みの連鎖を繰り返すこと……
その虚しさと恐ろしさを意識しているかどうかによって、本作の印象はまるっきり変わると思います。
「赦す事により復讐の連鎖を断ち切る」ことを、爽快感として捉えられるかどうか。
しかし今の時代、作者の意図を汲み取れるほど、今の日本って客の質はよくないですからね。
参政党やN党の暴言や、首相や閣僚の失言に拍手喝采している連中が多い状況では、理解してもらえない可能性が高そうで。
逆に「被害にあった方が我慢する」ことを強要される、って受け止めてしまって、不快にすら感じる人が多いかもしれません。
それと、2Dのところなどは、さすが4年かけただけあって神業的な作画をしているのに。
3Dも、雲や水の表現は素晴らしかったのに。
エフェクトなどにも高度な技術を使っているのに。
ごく一部の作画(というかCG)のせいで、へにょへにょなへっぽこな印象を与えてしまい、全体がダメだったように感じてしまいます。
全編が実写からの2D化や、もともと手描き無しでのCG作画であれば、通しで見ていれば慣れて問題なくなのるのだけれど、手描きと混ぜると切り替わった途端に違和感を覚えがち。
『サマーウォーズ』や『竜とそばかすの姫』は、3Dメイン作画がヴァーチャル空間という線引きがあったので、意識を切り替えやすかったのですが。
本作の場合、同じ空間の出来事となり。
モーションキャプチャーからの動きの再現が、素早い戦闘シーンではうまく生きているんですが、ゆったりとした動きでは中途半端にぬめぬめした下手なCGにしか見えず。
特に、フラダンスと現代日本のダンスシーンが痛々しい。
肩関節や股関節の動きが、「センサー付けて動きづらい人の動き」まんまの違和感。
ある意味、人間の動きそのものを「いかに強調(カリカチュア)するのか?」がアニメーションの持ち味なのに、単なるトレスをした結果、「不気味の谷現象」に近い違和感を産んだと思われます。
私らは『THE FIRST SLAM DUNK』や『シン・エヴァ』などのモーションキャプチャー活用のアニメーションの高レベル作画を見ちゃっているんで、あの「レベルが低い」と感じる部分はきつい。
というのが、興行成績的観点から考えた、本作の「難しさ」だと思います。
たまたま私は、東京国際映画祭の『ハムネット』で『ハムレット』を再度調べたり、最近のミッツ祭りの『ロイヤル・アフェア』に関連して15~18世紀デンマークの歴史を調べたために知識があり、また「支持を集めるもの全てを疑う」癖がついていて、「怒り」への疑念視点を持っていたおかげか、そこそこ楽しめたんですけどね。
作画の点は『BLUE GRANT』みたいな疾走感があれば解決できた(というか誤魔化せた)はずですが、前述のような引っ掛かりで、気持ち悪さが拭えなくなっているのがもったいなかった。
あと、個人的には「スカーレット」と呼ぶたび「オハラ」と繋げたくなってしまうダメ映画脳の持ち主ゆえに、名前への抵抗感があったりw
83点/☆3.5
『時をかける少女』『サマーウォーズ』で国内外から高く評価されてきた細田守監督が手がける、完全オリジナルの長編アニメ。
王女スカーレットと、現代日本から死者の国へ迷い込んだ青年・聖──まったく異なる世界の二人が「生きる意味」を探す旅を描く。
父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に縛られ、死者の国を彷徨う王女スカーレットの声を演じるのは芦田愛菜。
戦いを望まず、敵にも味方にも分け隔てなく接する聖を演じるのは岡田将生。
私は3回ズッコケた。
急に歌い出す。急に踊る。突然ミュージカル。何度か「今の何!?」と置いていかれる。
とはいえ、壮大な世界観とファンタジーとしての大胆なスケールは、まさに細田監督の真骨頂。
ただ近年の細田作品は、新海誠的な音楽へ寄りかかる構成が増えつつあり、どうしても脚本に奥寺佐渡子が参加していた時代の完成度を思い出してしまう。
奥寺が離れたことで細田監督が脚本を自ら引き受けざるを得なくなり、その難しさが滲んでしまう場面があるのも確かだ。
物語の核となるのは、父が最期に残した一言──「許せ」。このひと言の狭さと広さが、全編のテーマになっている。
復讐に取り憑かれ、目的を果たせば消えると断言するスカーレット。対して聖は、現代の価値観から必死に語りかける。
生きたくても生きられない命がある。生きることが苦しい人もいる。違う時代、違う立場に生まれていればもっと自由だったかもしれない。それでも私たちは「ここに生まれ、今を生きている」。
君は王女として生まれた。それは避けられない宿命で、もっと自由に生きられればよかったのにと思わずにいられない。けれど、王女に生まれたからこそ果たせる役目もある。
「許せ」という言葉には
・憎しむ相手を許し、争いを終わらせる意思
・王女という境遇に生まれてしまった苦しみ
・こんな選択しかできなかった自分自身を赦す願い
・復讐の連鎖を断ち、未来へ進めというメッセージ
受け止め方は無数にあるが、結局「生きる」という行為はどこかで許すことと繋がっているのだと気づかされる。
ヌルヌルと滑らかに動く3Dモデルのアニメーションは、まるで本当に命を宿した人間のように多彩で繊細な動きを見せ、技術の進歩を実感させてくれる。
群衆シーンでも一人ひとりに細かな芝居がつけられており、そのこだわりは圧巻だ。
映像表現への執念と、アニメとしての進化を随所に感じられる。
ただその一方で、物語の途中に突然差し込まれるダンスや歌にはどうしても戸惑うし、何回ラリーすんの?と突っ込みたくなる会話の応酬には疲れる。
不意に挟まるシンジ君ばりの自問自答には目を丸くし、母親の言動には普通に腹が立つ。
竜が何者なのか、生死の境界がなぜ曖昧なのか、聖はどうして現代から飛ばされたのか、そんな理屈で説明しようとすること自体が、きっとこの作品にとっては野暮なのだろう。
リアリティの整合性よりも、寓話としての感性で語られる世界。
歌い、踊り、迷い、泣き、それでも立ち上がり、自分の人生を掴みに行く。物語が最終的に辿り着くのは、とてもシンプルなメッセージ。
強く、生きろ。
細田監督が、観客に向けてそう語っている作品。
現代(いま)の世相に合致するスカーレット
「果てしなきスカーレット」…、どうやら自分とは相性が良かったようで、素直に感動した。
序盤は、刺客とのバトルにまず感心。スカーレットは訓練してはいるが無敵ではなく、毎回ギリギリで勝つ。その“強すぎない”動きが良い。
展開もどこか上品で、「あれ、これはただのアクションではないな」と思っていたら、どうやらハムレットが下敷きらしく、物語全体に一本、しっかりした軸が通っていた。
「死者の世界」は各国の死者が混ざり合っているような設定で、他のイメージの“詰め込み”も許容範囲(宮崎駿や新海誠のように“詰め込まないと客を呼べないと思い込んでいるかのようなごった煮感”とは違う)。
旅の相棒である青年の理想主義、その青年の世界、スカーレットの夢の中での“現代の渋谷のような世界”へのジャンプ&ダンスも、復讐譚への対比として効いている。青年の死因も、そして彼が平和主義者でありながら、どうしても手を血で染めなければならない瞬間の決断も納得のいく描写。
そして極めつけは、弟に惨殺された父王がスカーレットに向けた「許せ」という一言。この解釈が謎として物語を強力に牽引し、細田守脚本が最後に出してくる“意外な答え”には感服した。
惜しむらくは、「鬼滅の刃 無限城編」にも感じた点だが、ほぼ全編がCGで味気ないこと。もちろん技術としては頑張っているのが分かるし、“動き”のあるシーンは許せる。しかし、“静”の場面――アニメならではの“演技”が問われるシーン――でどうしても、アニメ表現としての希薄さが気になってしまう。これはかなり大きな問題だが、唯一の欠点といえる。
最後の最後まで観ると、私は 「スカーレット=高市早苗説」 が成立するんじゃないか…と思ってしまった次第👍
共感性羞恥心
まず初めにこれだけは言いたいが共感性羞恥心を持っている人は絶対にこの映画は見るべきではない。数回ミュージカル的な謎演出があるが、学園祭でクソ寒いダダ滑りの素人お笑いを見せられたり、へたくそ過ぎて見てる側がきつい軽音部の演奏を聞かされてる気分を味合わせてくる最悪の映画。
部分部分の映像の綺麗さはある。BGMもいい部分もある。それだけ。トロンアレスに近い感覚。
話は一切引き込まれず意味不明支離滅裂なので考察とかはするだけ無駄。
まず色んな時代の色んな人間が居る世界なのにその設定を生かすどころかこの設定いる?と感じさせる時点で世界観に全く引き込まれない。
また、映像で見せるべき心情の表現を主人公のスカーレットに一々言葉で表現させるのはどうかと思う。
それでいて行き成り大号泣したり叫ぶ。情緒不安定すぎ。
なので、一々口で心情を説明してくれるわりに全く共感できない。
そして何から何まで一々セリフで表現するから流石に途中で笑ってしまった。
タイトルの共感性羞恥心について
開始して早い段階でおばさんが躍るシーンがあるがあの時点で居た堪れない気分になる
ここで共感性羞恥心を持っている人は劇場から出たくなる人がいると思う。
このシーン最大の謎は何故かそれまで普通に標準語で様々な人種がコミュニケーションを取っていたのに、踊り始めたおばさんが異国の言葉になる演出が意味不明。
ここで異国の言葉出すなら序盤から色んな人種と時代の人がいるんだから異国の言葉で会話させて世界観に引き込ませろよと思った。
おばさんが異国の言葉を使う事自体に何の意味もないのも謎を加速させてくる迷演出なのも失笑もの。
そして後半にあるミュージカルシーン。これが今年どころか数年遡っても見てて一番きついシーン。共感性羞恥心がある人にとってはマジで耳栓と目隠しが欲しくなること請け合い。
作画もひどい。動きもおかしいし歌詞もひどい。3重苦。
私は耳はふさがなかったが初めの1分ほど以外はシーン中ずっと目をつぶっていた。
終わってから思ったのが、このシーンの時点で劇場から出ればよかったと心底後悔した。
今年もつまらない映画はあったが、見るのが居た堪れなくなる映画は流石に久々だった。
ある意味貴重な経験を得た映画だったと言えるが、二度と見たくは無いし、仮にCMであのミュージカルシーンのBGMが流れたらそれだけであの居た堪れなさが蘇ると考えるとトラウマ級の映画ともいえる。
総評すると今年一番どころか数年のスパンで見ても間違いなくワーストの見るのが居た堪れない映画。
果てしなき芦田愛菜
全395件中、321~340件目を表示
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