「何故渋谷で踊ったか」果てしなきスカーレット wawausoさんの映画レビュー(感想・評価)
何故渋谷で踊ったか
話題になったダンスシーンに限らず、映画「果てしなきスカーレット」において当惑させるような部分はすべて必然に支配されています。非常に誠実に丁寧に物語が紡がれています。古典がどうの、スポンサーがどうの、脚本家がどうの、などと言わず是非作中で起こったことに焦点をあてて見てください。思いもかけない豊穣な世界にきっと驚くと思います。
渋谷でのダンスシーンについて、その脈絡のなさや突拍子のなさに批判が向けられています。一方作品に対する好意的な考察は、ハムレットや神曲などの古典文学を前提としたものや、過度に抽象的な倫理や歴史の話に終止しがちです。ところがこの作品はそのような外部の資料を頼らずともほとんどの出来事が作品の内部、つまりセリフや行動、背景美術を丁寧につなぎ合わせることで自然な解釈にたどり着くことができます。
わたしの頼りない記憶を頼りに渋谷で踊る一連のカットへの導入を並べ直してみました。「インド映画みたいで楽しい」とか「急に踊りだして薄ら寒い」でなく、唐突に思えるこのシーンにも一つの必然的な流れがあります。以下にその経緯を箇条書きにします。
1.神様には言葉が届かないから踊りで祈りを示すという趣旨でキャラバンの言葉がありました
2.聖は踊れず彼らに笑われます
3.ここでは踊れないなら祈れない、あるいは願いがないから踊れないという因果があります
4.夢の中でスカーレットはカエサルなど歴々の国王が眠る棺に入ります
5.これは王族としてのスカーレットが個人になることを意味します
6.彼女は一旦復讐の軛から解き放たれます
7.聖はそこでスカーレットに現代の日本に来てほしいと願います
8.一方現世で聖は死を受け入れます(二人で歌ったしばらくあとに聖が夜空を一人見上げ星が昇るカットがあります、それが現世において聖が息を引き取った合図です)
9.死を受け入れた現世の聖が死に行く走馬灯のなかで神に踊りを捧げます
10.願うのはもちろんスカーレットを日本に呼ぶことです
11.そうして聖の走馬灯の中で二人が渋谷で神への祈りを踊ります
おそらくここに記したのはごく一部で、実際にはより精密な導入が設計されているはずです。この作品を一度ご覧になれば他の映画がより一層楽しめるようになると思います。
非常に納得出来る考察でした。もしそうだとしたら全ての要素が一線に繋がります。
確かにあの墓のワンシーンは謎すぎて皆さんの間でも語られない程忘れ去られていますね。宮野さん津田さんの出番が不自然に思っていましたがそういう意図だったら面白いです。
と同時に、そう観せてくれない監督へは疑問符が残りますね。
やはりこの映画は不親切だと思います。
6の墓に入ったから復讐の軛から解き放たれるというのはかなり牽強付会かと思います。なお、墓守役の宮野真守さんと津田健次郎さんの演技は出番はそこだけにもかかわらずインパクト大で最高でした。
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