ドールハウスのレビュー・感想・評価
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Jホラーはあまり観ないのですが
とある方がおススメしていたので鑑賞
その機械はCTかMRIじゃないのかい?等と野暮な事を気にしなければ
面白かったと言っていいんじゃないかな?
単なる怖がらせ演出なのか、そのムーブは礼ちゃんの目的に沿わないんじゃないの?
とも思いました。
期待してなかったけど良かった
じわじわと怖がらせる手法が丁寧で面白い。「エクソシスト」の影響も感じる。
矢口史靖の作品は結構好き。ただこの人は、いつもシングルヒット的な作品ばかりで、いつかホームランを!とコチラは見ているのですが…。
今回も残念ながらシングルヒットか二塁打ぐらいの作品でした。
それなりに娯楽作品のレベルを維持していること自体は素晴らしいことだと思いますが。
で、今回は「ホラー」。
じわじわと怖がらせる手法が丁寧で面白い。
「エクソシスト」の影響も感じる。田中哲也はマックス・フォン・シドウだね。
もっと怖く演出できそうだけど、そこは矢口史靖らしくどこかユーモラス。「エクソシスト」のようなゾクゾクする怖さまでいかない。そこまで狙っていないんだろうね。
「もしかして、あれが幽霊?」的な後で気づくと、ゾ〜とするような趣を目指している。それが「リング」を代表とする今までの日本のホラーへのアンチテーゼでもあるのかもしれない。
ラストにかけては、結構編集が凝っていて、見る側を混乱させながら、ハッピーエンドを迎える。だが、その後に実は、と本当の恐怖が襲ってくる…。
このラストを矢口史靖はやりたかったのでしょう。ここが一番面白い。
(本当の娘は車の中で叫んでいるが、長澤まさみと瀬戸康史の夫婦は、気づかずに呪いの人形をベビーカーに乗せて幸せそう。それは人形の思いが叶ってしまった!という…。)こわ〜。(笑)
ホラー苦手な自分でも。
ホラーは苦手です。最近知った言葉ですが「ジャンプスケア」が苦手なんです。
「ジャンプスケア」(ご存じの方は多いと思いますが)突然大きな音や恐ろしい映像を出すことで観客を驚かせる映画テクニックなのですが、このびっくり箱みたいなのがダメなんです。
このテクニックは、ハリウッド映画や日本の映画でも多用されています。
「ドールハウス」でも使われていますが、多くは使っていませんでした。
「ドールハウス」は、誰でもわかるびっくり箱のような怖さ驚きではなくて、ちゃんと考えさせてくれる、お話しでちゃんと怖くさせているように思えました。
個人的に好きなホラー作品「リング」とかと似たような演出展開だったように思います。
繰返しになりますが、ドッキリ(ジャンプスケア)を繰り返して怖い印象を与える作品よりも、日本の怪談のようにぞわぞわっとする、そういうホラー映画が好きです。
お話しはぞわぞわとさせてくれて盛り上がるのですが、その途中の佳恵(長澤まさみ)の言動が「仄暗い水の底から」の母・淑美(黒木瞳)を思わせたり、ラストの方では、佳恵と忠彦(瀬戸康史)が連れ立って「場所」に向かうシーンは、まんま「リング」の竜司(真田広之)と玲子(松嶋菜々子)なのかと思えました。
これは 中田秀夫ホラーをオマージュしてるのでしょうか。
観終わって、そんな感想も持ちましたが、トータル的にいい感じなホラーだなぁって好感が持てました。
その理由は、やはり、びっくり箱をあけるような単純な怖さ=ジャンプスケアが少なかったことだと思います。そして、日本のねちっこい怪談話のような怖さも好きな理由のひとつだと思います。
もちろん、ジャンプスケアが好きな方も多くいると思いますが、Jホラー=怪談のような作品ががもっと増えてほしいと思いました。
怖かった、、、
なかなか怖かったです。悲しい物語でもあったし不気味でホラーとしては十分楽しめました。けれど後味が悪いです💦謎が謎を追っていっても、エンドレスの恐怖というのは解決された感がなくて不消化気分。「しまった」じゃないよ。と思った方が私の他にもいらしたら、ちょっと一緒にそうですよね~と共感したい気分。
長澤まさみさんはさすがに上手かったし、人形も怖かった。田中啓司さんはどんな作品でも安定の演技で出ているのですが、今回はなんかちょっとコメディっぽくなってました。そのためホラー感が薄まりました(笑)こういう歴史をもってきたホラー話というのは最後未解決的な感じで終わることも多いですが(リングもそうだし)私としては人間が巻き起こした怨念であれば、それが成仏=浄化した形で終わって欲しいと思ってしまうため、後味のよいホラーが次は見たいです(おススメあれば教えて下さい)とにもかくにも十分怖くて楽しめたのでぜひ♪
ちゃんとしてるなぁ
2025年劇場鑑賞185本目。
エンドロール後映像無し。
日本人形の恐怖を描いた「恐怖人形」を観てオレの思ってたんと違う!とツッコんだ皆さん、お待たせしました、思ってたやつです(笑)いや恐怖人形はある意味面白ホラーなのであれはあれで観ていただきたいのですが。
人形ホラーだとチャイルド・プレイとか、アナベルシリーズが有名で、洋画が優勢ですが、髪が伸びる日本人形の話は昔からあって、明るいところで見ても普通にちょっと怖い日本人形でホラーをちゃんと作ってくれた事に感謝です。
今回の人形、意外と優しいところがあって、半殺しで済ませてくれます。後結構取り返しつかなくなったら夢です。血もなるべく最低限になるよう抑えめにケガさせますし、突然大きな音で脅かすなんて絶対しません。
観てる側は観てる側で、そんな雑に人形扱って大丈夫か?と特に風吹ジュンが心配になりますし、唐突に安田顕やら田中哲司が割と後半に出てきますし、緊張感が高まる中今野浩喜がお坊さん出てくるのはコントになっちゃうから!
人形の正体もちょっと自分には予想外でしたし、田中哲司が出てきてからはもしおうちに呪われてるっぽい人形来た時はこういう事が必要なのかぁ、と参考になったり、なんで自分がやってほしいことやってくれてるのに邪魔してるんだろう、と思っていたら納得いく展開でちゃんとホラー作ってくれてるなぁと感動しました。
子役の子がある時見せる表情が怖すぎて、自分も他のお客さんもちょっと笑ってしまいました。
あまり怖くなかった
ジャンプスケアを狙った演出はところどころあったのですが、お約束な場所での演出だったので怖さとしてはそこまで感じられませんでした。
最後の展開「霊媒師さん、そりゃないでしょ〜」って思ってしまって、そこがモヤモヤしてしまいました…あんな偉そうなこと言っておいて、そこ間違えるんかい!!みたいな。多分ドンデン返しを狙ったのかもしれませんが、「えー!そうくるか!」という感じではなく「いやいやいや!それはないでしょう!」という感想を持ってしまって、なんだか不完全燃焼でした。
完成度の高い映画で、無駄なく、暇な瞬間がなかった
非常に伏線が細かく、丁寧に描かれており、無駄なシーンが一つもなく、完成度が高い映画
見ていて、暇だなと思う瞬間が一度もなかった。
洗濯機という、特定のオブジェクトを印象図ける手法もすごいなと思えた。
キンキンといった音で危険を表す様にも間違いがなく興奮できた。
たが、引っかかる点が1つある
これは母の愛を描いた物語ではなのだろうか?
途中まではすごく感動的に思えるシーンもあった
確かに、これで正解なのか?と一瞬思ったりもしたが
ああいった着地もあるのだろうと、
過去のトラウマを乗り越える
母の愛と再生を描く物語なのかと思っていた。
だが最後のあのオチはどうなのだろう?
救いがないなと、もう少し描くべきではと思ってしまう…
ホラーを扱う娯楽映画だから仕方ないのだろうか…
またオチを知ったうえで振り返ると、気になる点がある
人形と出会う直前に母は、一瞬決意をしたように見えた、娘の遺品を捨てようと
だがその時、人形の意思に導かれ人形と出会わされたように見える。
だとするとこの母は人形などなくても構成できていたのではないか、
人形がむしろ母の、家族の再生に無理やり入りこみ、悪さをしているだけなのではと思えてしまう
…まぁ、オチがきちんと人形を供養してくれていればこういった
人形が悪なのではなんて見方をせずに、良い物語だと思えたと思う
賞をとれたので、「2」を狙ってオチを変えたなどあるのだろうか?
2がもしあるなら、描き切ってほしいと願う
(勝手な予想と感想です)
ホラーだけどミステリーとしても秀逸…
善意は人の為ならず/地獄への道は善意で敷きつめられている
寝落ちせず観れました!
評判どおりおもしろかったです
エンドロール後の映像はナシ(good)
おもしろいな、と感じた点
・序盤の「1年後…」の左上のテロップがPAN-DOWNと連動して画面上の電線沿いに消えるカット(gJ)
・電話で「触らないでください!」って喋った側からツカツカと傍らから同僚がやってきて、パチパチと拘束を手際よく外して「わー!」って持ち上げるシーンの間合い。吹き出しそうになるのを堪えるのが大変でした!
・ナマグサ坊主が実際に居そうなキャラクターでおもしろかった
・ドラム式洗濯機のドアガラスの歪みと主演の表情を組み合わせた心理表現(ベタではありますけどよかった)
ホラー要素はありますが、そんなに怖がらせることに重点を置いた作品では無いですね。ミステリー寄りかな~。
怖いのはそうなんですけど、わりとソフトに抑えてる印象です。
直接作品には関係ない話ですけど
猫を先に飼っている夫婦に赤ちゃんが出来ると、大概の猫は赤ちゃんに嫉妬するから手放す事になっちゃうって話もありましたね。
この作品では、自分たちの常識や価値判断をそのまま思い込みで「善かれ」と終盤の行動を見誤ったわけですけど、そういうのってよくあるよね~。とは思いました。ちゃんと相手の話や気持ちを聞き出したり引き出す作業を怠って、自分たちの都合で拙速の行動を起こして余計に状況を悪化させたりするパターンて太古の昔から連綿とありますよね。
最初の事故についてですが、軽く確認したところ少ないながらも数件発生しているそうですね。そんなことあるのかな?って気にはなったのですが、大概は閉じ込められて酸欠によるものらしいです(稼働して…というのはまず無いようで)気を付けたいですね。
しょーもないYoutuberが、まさにしょーもなく表現されていたのも良いですね。
そのあたりの後から本筋とは関係のなさそうなフラグ回収?については、ん?でしたけど。
刑事が1人で動いてるのもちょっと引っかかりは感じたかな。警官ですと基本二人行動厳守なはずですし。
ガラスでアレを切るのはちょっと無理があるかな~?とは感じました。手も血まみれになっていないし。まぁどこまでが妄想で現実なのかあやふやですけど。
彷徨える魂に成仏していただく事は難しいお仕事だと思いますほんとに。
あまり、というかほとんど俳優さんを覚えない私でも、長澤まさみさんは名優だと改めて感じる一本です。
比較的、手堅く仕上がった佳作という印象です。
ネタバレ制限つけたほうがいいかな?とりあえずナシで
新しさのある人形Jホラー
人形ホラー。古くからある題材だけど、昨今、邦画としては無かったのかな?
Jホラーとしても人形物は無かったので、世界に通用するJ人形ホラーを、という意気込みを感じる。
日本人形というのは、美しさと怖さを兼ね備えている。
また、この映画が普通のホラー映画と違う所は、何と言っても一流感溢れてる。これはホラーでは珍しい。ホラーは一流の匂いがすると、日常から離れ怖さが無くなっていく。だから敢えて2流感を出したりしている。この一流感でちゃんと怖いのが素晴らしい。
本作と「見える子ちゃん」は現在のJホラーを代表する作品だと思う。
気合いの入ったJドールホラーなので、日本を代表するホラーへと世界へ育っていって欲しい。
#ドールハウス
正面から貫いた!
呪いの人形という今更な題材を、正面から描いて成立させている。
●最後まで人形自体が動くカットがない。狙いが徹底している。
人形を動かす描写が見せ場とも言える題材だが、それを一切しない。
観客もそれをどこか期待しているが、どうしても人形を動かした時点で、恐怖が持続しないことを監督はわかっているんだな。
人形を動かさない事でジリジリと不気味さのボルテージを上げている。
●緻密な計算がすごい。それ自体は見せない人形が動く描写をあの手この手で成立させている。それによって恐怖が上がるのはもちろん、ただの人間のノイローゼかもしれないというサスペンスを盛り上げている。
●矢口監督のいつもの緻密な演出。本当に緻密に丁寧に重ねている。それによってリアリティが生まれる。
ごまかさず正面から取り組んだからこそ、ここまで面白い!
人形ホラー、怖さは、思った以上だった。
自分の場合、監督さんの作品感などでは観ていないし、良くも悪くも、『ホラー』という観点からしか観ていない。
その点から言えば、今まで観てきた日本ホラー映画の中では、かなり怖い方だったと思う。
ただ、なんか人形ホラーというか、ゾンビホラーというか、家電ホラーというか、正直〇〇ホラーと言われればよく分からない。
映画を観ていく中で、まず、序盤、洗濯機て〇〇を見つけるシーン、BGMと長澤まさみさんの演技が組み合わさって、怖すぎ。あと、人形をCTで撮影するというのは、何というか、現世における呪物の確認方法?みたいで、新鮮だった。
最後の終わり方が、ハッピーエンドでもあり、バットエンドでもあるというもやもやする終わり方だったため、個人的には、続編があれば良いなと思った。
期待ハズレ
Jホラーの王道を行く「人形怪談」にして「家電怪談」。「ドールハウス」ってなんのこと?
背筋がぞくぞくする、という言い回しがある。
不気味だったり、怖かったりするときに使う言葉だ。
だが、これはもともと「本当にぞくぞくする」から
背筋がぞくぞくする、という言い方をするわけだ。
今回『ドールハウス』を観て、久しぶりに、
「本当に背筋がぞくぞくする」体験を味わった。
背中の後ろのあたりが体感的にぞわぞわぞわっとする、
身体的な生理現象が、間違いなく自分の身に起きたのだ。
僕はホラーが大好きで比較的頻繁に見るほうだが、
意外に「本当に背筋がぞくぞくした」ことはあまりない。
たいていは敵が近づくシーンで目を背けたくなったり、
ジャンプスケアのショッカーで「ぎゃっ」となったり、
気持ち悪いグロテスクシーンで「げげっ」となるだけで、
身体の一部が「ぞわぞわぞわぞわっ」となることは、
本当に久しぶりだったので、「おおおおお」となった。
これはちょうど、昔『FALL フォール』を観て、
本当に「手に汗を握った」新鮮な感覚と近い。
あれは本当に観ている間、手汗がドバドバ出たから(笑)。
で、具体的にどこのシーンで「ぞくぞく」したかというと、
●かくれんぼで「もう一体」が視界の隅を横切った瞬間。
●ボコった後、廊下の反対側に「もう一体」を見つけた瞬間。
ああ、俺こういうのを観ると「本当にぞくぞく」するんだ、と。
いわゆる鶴田法男系演出の「紛れ込み」の変種ですね。
結局、いままで安心して捉えていた世界観が、急にもたらされた意外な視覚的情報によって根底からゆるがされた瞬間、というのが僕は三度の飯より好きなのだと思う。
だからラストで「どんでん返し」や「意外な真犯人」や「たった一言で世界が反転する」衝撃が待ち受けている「本格ミステリ」を愛読しつづけているわけだし、この手のホラー映画も何かとかかるたびに足を運ぶわけだ。
だが、「Aだと思ったものが実はB」ってのをビジュアルでうまく見せられると、それに気づいた瞬間に背中の後ろの辺りが本当にぞわぞわぞわってするんだな、というのは今回の大いなる発見だった。発見っていうか、自らの身体の神秘に気づいたっていうか(笑)。
たぶんこれって「観客への気づかせ方の演出」だったり、「ビジュアルインパクト(今回であれば「和人形」と「紙袋に目穴の少女」のダブル攻め)」だったり、その日のこちらの体調だったりがうまく嚙み合った末の現象なんだろうね。
だから、誰にでも起こるとは限らないし、僕にだっていつでも起こるとは限らない。
でも、自分にも「背筋がぞくぞくする」感覚を本当に体感できることがあるんだという貴重な「気づき」を与えてくれたという意味で、今回本当に観に行ってよかったと思う。
― ― ― ―
矢口史靖というとどうしても『ウォーターボーイズ』や『スイングガール』のような青春群像コメディを思い浮かべてしまうが、Wikiで観る限り、2000年ごろに関西テレビで3年連続『学校の怪談』の特番を引き受けていて、ホラーには結構な関心がもともとあったらしい。
今回の『ドールハウス』も、「呪いの人形」「子供の横死」「団地」「祓い屋」「ヴィデオとカメラ」など、黒沢清や鶴田法男、中田秀夫、清水祟といった面々が数十年来積み重ねてきた「Jホラー」の伝統を真正面から受け止めた内容となっており、日本独特のホラー映像文法の活用に関しても、じつに堂に入っている。
特に、上記であげた「ぞくぞく来たシーン」以外でも、
●洗濯機を開けて叫ぶ長澤まさみ
●歯形確認で唐突に叫び出す次女
の2シーンは演出も含めて本当によく出来ていると思ったし、
●夫が戻ってきたらダイニングにいる人形
●部屋をかけまわるシーツを被った何か
●子供が描いたといって幼稚園で出される絵
●ゴミ自動車から2度目に帰って来る辺り
も、すげえ印象に残る「怖いシーン」に仕上がっていた。
矢口監督は全体を通じて、Jホラーお得意の「おわかりいただけただろうか」系の「視界の片隅に何かが映り込む」演出を、手を変え品を変え仕掛けてきて、いずれも大きな効果を上げている。
この映画って、基本的には「捨てた人形が何度も何度も家に勝手に帰って来る」というネタがメインではあるのだが、実はそこは「恐怖の本質」ではない。
単純に礼(あや)ちゃん人形の見た目が怖いとか、映し方が怖いっていうだけじゃなくて、矢口監督は「人形と実の娘の見分けがつかない」という恐怖を、とにかく徹底して演出してくるんだよね。
序盤の、長澤まさみが人形を「実の娘」のように扱う恐怖もそう。
中盤の、成長した次女と人形を長澤まさみだけでなく、観客まで「取り違えてしまう」恐怖もそう(この娘が被り物をまとってお化けごっこやかくれんぼをするのをやけに好むというのが、娘と人形の境界がゆらいでいく物理的な根拠になっている)。
終盤の、夫婦の脳内に人形の存在が「侵蝕」していく過程もそう。
あらゆるパターンを用いて、「忌み嫌っているはずの(排除したがっているはずの)人形」と「無条件に最愛の存在であるはずの実子」の「見分け」すらつかない――こともあろうに親や祖母が見間違い、誤認するという「怖さ」を繰り返し描いていく。
「実子と人形の見分けがつかない」恐怖は、以下の恐怖とも強く連動している。
●この夫婦自体が実は「二人目の娘」のことを、最初に亡くした娘の「代わり」の「ドール」として可愛がっているだけではないかという、潜在的な恐怖。
●人形を悪玉に仕立ててはいるけど、そもそもこの夫婦の子育て自体が、あまり心のこもっていない「ドールハウスでのごっこ遊び」の延長だからこそ、一連の悪夢は引き起こされているのではないかという本質的な疑念(だからこそアヴァンでもああいう悲劇が出来するし、いざというところで母親は何度も子供に手を出してしまう)。
いや、この夫婦だけでなくて、世の中のあらゆる「善良なお父さんとお母さん」だって、その実、最愛の子供の見分けなど大してついていないのではないか。簡単に別の何かに侵蝕されてしまう程度の「愛」しか持ち合わせていないのではないか。
明日われわれ自身が、愛する子供の存在を簡単に「見失う」ことだってあるのではないか……。
このあたりが実は『ドールハウス』の怖さの中核ではないかと思うのだが、いかがだろうか。
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この物語において、語り手は常に「信用のおけない」存在である。
出てくる人間全員(転売屋の××以外)善良な人たちだし、
悪意をもって物語をこじらせようとするキャラは出てこない。
誰もが一生懸命に生きているし、親切心をもって行動している。
だが、いずれも強い存在ではなく、容易に認識を捻じ曲げられるし、そこで語っていることが真実であるとは限らない。
長澤まさみ演じる鈴木佳恵は、第一子に起きた悲劇のショックを引きずっている(当たり前だ)ために、常に情緒不安定で、逃避的で、妄想的である。事故後1年間を廃人同様に過ごしたあと、彼女は骨董市で出逢った人形によって「救われる」(そもそも人形との出会いを導くのが「お焚きだし」のチラシというのも気になるところだ。焚きだされるのは人形ではなくて、むしろ実子のほうなのでは? 実際、入れ替わりに「人形」が迎えられるわけだから……)。
その後、2人目を身ごもった彼女は、だんだんと正気を取り戻し、5年の歳月をかけて人形への依存・執着から解き放たれ、ようやく元どおり振る舞えるようになっていく。
だが……果たしてそうだろうか? 彼女は本当に正気を取り戻したのだろうか?
単に「依存」の先が人形から実子へと移っただけなのでは?
一度壊れた心は、そう簡単にもとには戻らない。
一度喪った子供は、決して返ってこない。
彼女は永劫に癒されない罪悪感と恐怖感を抱えながら、それを必死で押し殺して、抑え込んで、なんとか生き延びている。そのなかですがるようにしがみついたのが礼(あや)ちゃん人形であり、後から生まれてきた真衣だった。
だが、もともと「壊れている」のは変わらないので、彼女の世界認識は「人形の悪意」によって容易に左右されるし、歪みを生じてしまう。
長澤まさみが「信頼できない語り手」であるのと同様、本作における瀬戸康史もまた「信頼できない語り手」の一人である。
彼の演じる鈴木忠彦は、一見して善良で有能な旦那さんではあるのだが、その実やはり何かしらの「違和感」を与える存在でもある。
むしろ一人娘をあんな死なせ方をした割に、たいして大きなダメージを負っていないように見えるこの旦那さんのほうがちょっと変わっている、まであるかもしれない。
出来た旦那さんであるぶん、哀しみや辛さや苦しみをすべて奥さんに背負わせて、自分はなんとなく他人事でやり過ごせている部分を感じざるを得ない。
これは、まさに自分がそういうタイプの夫だから思うのかもしれないが、この旦那さんってなんでも許せちゃう分、なんでも流せちゃうタイプで、献身的に支えているように見えて、実は回りを「うまく立ち直らせない」タイプの人なのかも。
この二人に関しては、とくに終盤で人形を祓い屋に託したあとの行動への違和感が大きい。二人は、祓い屋から「人形をこれからコレクターのところに持っていくからここでいいですよ」といわれたあとも、なんだかんだと理由をつけて一緒についていく。
これは、映画の主人公としては、極めて正しい行動である。
主要モチーフに興味を喪う主人公なんて、あってはならないくらいだ(笑)。
だが「ふつうの親」としてはどうだろうか?
まずは「真衣ちゃんのところに一目散に帰る」のが当たり前ではないのか。
なんで、この二人は真衣の話題を出さない? 誰に預けて何日も新潟くんだりまで旅行している? もともと「子供から引き離すために」強制入院されられた直後の旅行なんだよね、これ? なのに旦那も「真衣が心配だから帰ろう」とか一言も口にしない。なんで?
この夫婦、もともととても不穏で気持ち悪いところがあるのだ。
で、それが映画そのものの怖さとうまく直結している。
そこが『ドールハウス』の良いところだと思う。
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●中盤は本当によく出来たJホラーだと思うのだが、後半TEAM NACSとか仲間由紀恵の旦那とか、『バイプレイヤーズ』感の強いくせ者俳優たちが楽しそうに出てきてドタバタやりだしてからは、あまりにコメディの要素が強くなりすぎて、せっかくの内にこもった鬱々とした恐怖感が薄れて、ちょっともったいなかった印象がある。
●「礼ちゃん」の過去を聞いて、××に戻そうとすること自体、最初から「なんで??? 自分を××したやつなのに???」と思って観ていた僕には、終盤の展開はちょっと納得がいかなかった。
●「5人いる」ってネタは、ちょっと綾辻幸人&有栖川有栖の『安楽椅子探偵登場』の某ネタを想起させてとても良かった。
●この映画のもう一人の主役ともいえるのが、ドラム型洗濯機。
ああ洗濯機こわい、洗濯機こわい……。
前から洗濯機も、中から開けられないので有名なんだっけ?
「冷蔵庫」が中から開けられないってのは、昔からすげえ有名だったけど。
なにせ俺は50年くらい昔、粗大ごみ置き場に捨ててあった冷蔵庫に閉じ込められかけた過去があるからね。あのとき親からめちゃくちゃ怒られたのは、今でもトラウマになって記憶に焼き付いている。
「一度閉めたら、冷蔵庫は中からは自力で二度と開けられないから」って。
当時は本当にそうだったんだろうか? ちょっとした誇張も入ってる?
これって、ある種の「教訓的な怪談」だよね。今にして思うと。
「やってはいけない」を子供に叩き込むための「怪談」。
で、今回はそのターゲットが思い切り「洗濯機」に向かってる。
要するに『ドールハウス』は、人形怪談にして、家電怪談なのだ。
終盤の幻想シーンで、縦型ドラム式洗濯機を「墓穴」とダブらせて見せる演出には、心底感心した。たしかに。身体を折り曲げて人ひとりがようやく入れる「穴」って、人が生活する周辺では「墓穴」と「洗濯機」と「床下収納スペース」くらいしかないもんね。
最後までずっと引き込まれて面白かったけど・・・
ストーリーに破綻部分が少なくて、この手の作品としては
最後までずっと見ていられました。見せ方も気味悪さもしっかりしていて
ホラージャンルとサスペンスジャンルと親子愛物語の構成が
「いい映画っぽい」評価に繋がっています
ただ、やっぱり?の部分がもやもやしてしまい、星半分だけ削れてしまいました
・ドラム式洗濯機を使っていて事故が起きたが「早く買い替えて置けばよかった」という
セリフに、いや、ドラム式は新しいじゃんと変な突っ込みが頭にリフレイン
・最後に人形にとりつかれたご夫婦は「生きている?」生きているオチなら続編が出来そう
死んでいるオチならそれなりに納得なんだけどなぁ(生きているならこれから親子3人と人形の楽しい?暮らしが待っているってことですよね。。。外部から見たら奇怪な家族として。
・ラストシーン、何故麻衣ちゃんはなぜ車の中に残されたのか?ラストシーンのために
無理やり?1週間連絡とれない両親の家に向かうのにという違和感が気になったが・・
今野浩喜さん、お坊さんには見えないよなぁと思っていたら実はピッタリの役(笑)
田中哲司さん、それなりに説得力あったのにあっさりリタイヤしずぎですぜ(笑)
安田顕さんの使い方、もったいないなぁ。平賀源内先生ですぜ(笑)
全339件中、81~100件目を表示
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