ドールハウス : インタビュー
矢口史靖監督&長澤まさみ、再タッグで挑んだ「新境地」 “黒矢口”全開の脚本と、長澤が叶えた夢

「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」などハッピーな映画を世に送り出してきた矢口史靖監督。恐ろしい人形に振り回される家族を描いた最新作「ドールハウス」(公開中)では一転、観客をゾクゾクするような恐怖と驚きの結末へと誘う。
監督曰く“黒矢口”を全開にした本作で、「この人しかいない」と主演を任せられたのは、コメディからシリアスまで変幻自在に躍動する長澤まさみ。矢口監督が惚れ惚れとした、長澤の新たな表情。そして、長澤が本作で「夢が叶った」という理由――。鮮やかに新境地を開いたふたりが、仕事に向き合う上でのポリシーまでを語り合った。(取材・文/成田おり枝)
【「ドールハウス」概要】

(C)2025 TOHO CO., LTD.
5歳の娘・芽衣を亡くした鈴木佳恵(長澤)と夫の忠彦(瀬戸康史)。悲しみに暮れる佳恵は骨董市で見つけた、芽衣によく似た愛らしい人形をかわいがり、元気を取り戻していく。だが佳恵と忠彦の間に新たな娘、真衣が生まれると、ふたりは人形に心を向けなくなる。やがて5歳に成長した真衣が人形と遊ぶようになると、一家に奇妙な出来事が次々と起き始める。捨てても、捨てても戻ってくる人形に隠された、衝撃の真実が明かされる。
⚫︎隠していた“黒矢口”全開の脚本に、長澤まさみが「ワクワクした」

――劇中の家族と一緒に人形のアヤちゃんに振り回され、次々と意外な場所へと連れていかれるような映像体験のできる作品です。脚本開発でご苦労されたことがあれば教えてください。
矢口:脚本開発においては、意外と苦労をしていないんです。子どもを失った母親がドールセラピーで心を癒そうとするけれど、その人形がいわくつきだったらどうなるだろう……という発想をもとに、思いつくまま、どんどん書き進めていきました。
今回一番苦労したことと言えば、この脚本を書いたのは僕ではなく、なんとか別の人間の仕業にできないだろうかと策略を巡らせたことです(笑)。これまでずっとコメディを撮ってきたので、恐怖映画の企画を打ち出すには僕の名前が邪魔になるような気がして。ずっと“カタギリ”という偽名を使って脚本を書いていました。脚本家志望の青年という設定です。メールでの打ち合わせでも「カタギリさんはこう言っています」と嘘をついていたんですが、その嘘をつき続けるのが大変でした。結局、途中で白状することになりました。

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――それくらい、ご自身の中でも新境地に挑んでいるという気持ちがあったということですね。
矢口:そうです。これまでとは「まったくの別人格だ」というくらいの気持ち。“黒矢口”ということで、今までに出したことがない部分を全注入して、それを思い切りぶつけようと思っていました。ただ、もともとは意地悪な性格なので(笑)、これまではそこを笑いに変えて映画を作ってきたんですね。ずっと隠していたブラックマターをすべて出してしまったのが本作です。
――実は幼少期から、怖いものやゾクゾクするものがお好きだそうですね。本作の脚本を手掛けるにあたって、影響や刺激を受けたと感じるような作品はありますか?
矢口:怖いものは、子どもの頃から漫画でも映画でも怪談でも大好きです。もっとも「これは怖いな」と感じたものとして記憶に鮮明なのが、稲川淳二さんの怪談「生き人形」と、山岸凉子さんの漫画「わたしの人形は良い人形」です。どちらも大学時代に知って、「人形ものって怖い。だけどものすごく面白い!」と僕の中で憧れのようなものになっていました。

――矢口監督と長澤さんによるタッグは、「WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常」(2014)以来のこととなりました。こういったゾクゾクする映画は矢口監督だけでなく、長澤さんにとっても新境地と言えるかもしれません。脚本が届いた際には「ワクワクした」とコメントされています。
長澤:怖いものはあまり好んで観たり、深掘りしたりということはできていなかったジャンルです。とはいえ、興味はあったんです。そう思っている中、矢口監督から届いた脚本を読んでみるとこの物語にどんどん引き込まれてしまいました。
救いがないというか、「もう逃げられない」「容赦がない」という感じがだんだん面白くなってしまって(笑)。この辺りでホッとできるのかな……と思ったら、まったくホッとできない。そういった感覚になれたことにも意外性があって、ワクワクしました。一気に読み進めているうちに「これは面白い作品ができそうな気がする」と思えるような脚本で、こんなにゾクゾクする物語を、矢口監督がどうやって作るんだろうということも、とても気になりました。
⚫︎「長澤まさみはどんどん美しくなる」

――撮影現場での矢口監督の様子は、以前とは違った雰囲気がありましたか?
長澤:矢口監督には自分の中で揺るがないものをお持ちだというイメージがあったので、もっと演出を受けてみたいと思っていました。私ももしかしたら怖い思いをする現場になるのかなと思っていたら、「WOOD JOB!(ウッジョブ) 神去なあなあ日常」を撮っていた時と同じように矢口監督は淡々と撮影に臨んでいらっしゃって。違うジャンルのものであっても、映画作りというのは、同じようにコツコツとシーンを積み上げていく時間が流れているんだなと感じることができました。
――長澤さんがおっしゃったように、どの瞬間もホッとできない映画です。ゾクゾクさせるような演出として、こだわったことを教えてください。
矢口:まずはファーストシーンですね。どうしても僕が作る映画となると「そんなに怖くないだろう」と油断して観始める方もいると思うので、やはり先制パンチをぶちかまさないと気が緩んでしまうなと。ファーストシーンで「この先、どうなってしまうんだろう」「これは油断ならないぞ」という気分になってもらいたいと思い、強めのストレートをガツン!と決めました。
また佳恵と娘のかくれんぼのシーンでは、細々としたカットを入れ込みたいなと思い、がっつりと絵コンテを描き、時間をかけて撮影をしました。「CGや合成を使わなくても怖くなる」アイデアをたくさん込めたいなと思っていました。

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――「OK!」の後、矢口監督が長澤さんのお芝居に対してサムズアップをした箇所が3つあると伺いました。
矢口:まずは、ファーストシーンの叫びですね。そして心療内科のグループセラピーで涙するところ。あとはパンをこねるめん棒でバンバン叩いて、叫ぶシーンです。
長澤:「叩きたくない」と複雑な気持ちになりながらも、ここは本気でいかないといけない!と心を鬼にして叩きました。今回、子役の池村碧彩さん、本田都々花さんも本当に頑張ってくれて、いいシーンを撮るぞという気合のもと、スタッフや俳優が一丸となって撮影を進めていくことができた現場だと感じています。

――「WOOD JOB!」では思い切り鼻をかんだり、ビンタをしたりと、ヒロインを演じた長澤さんの清々しい表情が見られました。本作で長澤さんの新たな魅力を目撃したことがあれば教えてください。
矢口:叫ぶ時の表情がすばらしかったですね。僕は“ムンク顔”と呼んでいるんですが、「人が絶望をした時にはどのような顔をするのだろうか」と、これ以上にないような表情をしてもらいたかった。やっていただいたところ、バッチリでした! お客さんはこの顔を見たら、途中で席を立つことはできなくなると思います!
――「WOOD JOB!」から10年以上が経ちましたが、長澤さんの進化、変化を感じたことはありますか。
矢口:長澤さんは、どんどんきれいになるのがすごいですよね。
長澤:本当ですか? うれしいです、ありがとうございます(笑)。
矢口:クライマックスではある島に行き着くわけですが、そこではかなり長澤さんを汚すことになってしまって……。「WOOD JOB!」をやった時に、長澤さんは感情の細かい表現もできるし、笑いのシーンもできる。なんでもできる方だなと思ったんです。「佳恵を演じられるのは長澤さんしかいない」と感じていましたし、直球の恐怖シーンがある映画はあまり出られたことがない印象もあったので、ズタボロにしてあげたいなと思ってオファーさせていただきました(笑)。
⚫︎握りしめた、新境地への手応え「夢が叶った」

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――娘を失った悲しみや、人形が巻き起こす恐怖と対峙する様子など、佳恵役はかなりエネルギーを要するような役柄にも感じます。長澤さんにとって、ひとつの作品の中でどのような表情を見せた作品になったと感じていますか。
長澤:脚本には、佳恵の心の動きや表情がとても丁寧に描かれていました。佳恵の子どもたちへの愛情や自分のエゴのようなものが強く引き出されていくようなものにも感じたので、自分自身がそういった感情をうまく表現できれば、いい芝居、いい作品につながるのかなと思っていました。
――母性からくるエゴや絶望が、本作の鍵を握っていると言えそうです。
長澤:佳恵はアヤちゃんに翻ろうされながら、自分を見失っていきます。どうしたってアヤちゃんは佳恵のもとにやってきて、逃れられないものだったのかもしれませんが、アヤちゃんを手に入れ、かわいがり、また心を向けなくなるなど、そういった道を“佳恵が自分で選んだ”ということに、この物語の怖さを感じました。奇妙なことがたくさん起きるけれど、それらと重なり合うようにして、人間の心の奥深さや、家族、親子のあり方まで見えてくるようで、私自身、とても心に刺さるものがありました。

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――おふたりにとって、新境地を開いた作品となりました。ものづくりの面白さについて、新しく発見したことはありますか。
矢口:とにかく、脚本作りから仕上げまで、すべて楽しかったです。これは“黒矢口”の告白にしかならないですが、「こんなことをしたら、どれくらいみんなは怖がるだろう」とワクワクした気持ちで撮っていたんですね。映画作りという理由がなければ、ちょっとヤバい人ですよね(笑)。自分の嫌な部分、残酷な部分を掘り出して、それが怖ければ怖いほど面白い映画になる。自分のもっとも黒いところを出してしまいましたが、それも昇華できるのが映画作りの面白いところです。ただ決して僕がダークサイドに落ちたわけではないということは、皆さんに知っておいてほしいところです(笑)!
長澤:お芝居に関してはどんな作品でも新しい扉を開くような気持ちがありますが、母親役をやるとまた新たな感覚が芽生えることもあります。子どもたちは集中力や素直な感覚がとても強いので、純粋無垢な気持ちでぶつかってきます。すると、こちらも心が揺れるものです。それは母親役を演じていて、とても面白いなと思うところです。今回も碧彩さん、都々花さんにたくさん助けられたなと感じています。

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――そういった意味だと、人形を相手にしたお芝居というのはまた新たな難しさがあったのではないでしょうか。
長澤:アヤちゃんはすごいんですよ! 私も人形との芝居というのはどんな感覚なんだろうと思っていたんですが、アヤちゃんは笑うし、泣くし、怒るし、すねるし。毎日みんなで「アヤちゃん、また違う表情をしているね。変わったね」と話していたくらい、光の当たり方などによってまったく違う表情を見せるんです。共演者として、すごく引っ張ってもらいました。
矢口:アヤちゃん人形自体は、お二方いらっしゃいます(笑)。子どもが抱き抱えたり、投げたりできる軽くて柔らかい素材のものと、硬くて重い、クローズアップ用のアヤちゃん。メイクによって変化もつけていますし、その都度その都度、一番カッコよく、かわいく、残酷に映る角度を探していました。撮影中は、どの役者さんよりもアヤちゃんへの演出が多かったかもしれないですね。ものすごい働き者で、頼もしい役者さんでした!

――アヤちゃんは、捨てても、捨ててもどうしても佳恵たちのもとに戻ってきてしまいます。おふたりがお仕事に臨む上で、「これだけは捨てたくない」というこだわりについて教えてください。
矢口:いつまでも「プロフェッショナルにならない」ということですね。自主映画を作っていた時と変わらず、自分が面白いと思ったもの以外はやらない。だから作品数が少ないんですが、その原点は大切にしたいと思っています。学生の頃、自分が素直に面白いと感じたことを映画にして、それに対して純粋に反応してくれたり、笑ってくれたりしたお客さんの姿を見てとてもうれしかったんですね。それにハマってしまって、今に至るという感じです。本作もお客さんがどんな反応してくれるのか、ものすごく楽しみにしています。
長澤:私は、自分のペースで、コツコツと続けることを大切にしたいと思っています。撮影というのはワンシーン、ワンシーンの積み重ねで、それを淡々と続けていくことで作品が完成します。だからこそ大きな夢を抱くよりは、目の前のことに対してきちんと取り組んでいきたいなと。俳優というのは、求められることに対して向かっていくようなお仕事でもあるので、自分のペースだけでは進められないこともあります。そういう時でも「コツコツやる」ということを念頭に置いていけたらなと感じています。

――コツコツと取り組んできた結果、また以前ご一緒した監督から声がかかるというのは、うれしいご経験になったのではないでしょうか。
長澤:そうなんです! 20代の初めくらいから、一度ご一緒した監督からまた呼んでいただくということを目標に掲げていました。今回それが叶ったので、私にとってとてもうれしい作品になりました。