平場の月のレビュー・感想・評価
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自然体
病気のことを除けば、特に大きな出来事が起こるわけではなく、全体として起伏の少ない作品です。それでいながら、主人公二人の演技はとても自然体で、「大人の恋愛ってこんな感じなんだろうな」と予想以上に引き込まれました。
また、余計なエピソードが殆どなく主人公二人のやり取りに絞った点も良かったと思います。
ただ、難点を挙げるとすれば、術後の定期検診以降の展開です。検診後、突然距離を置こうとする井川遥に対し、堺雅人の鈍感さには無理があり、不自然さが残った点が残念でした。
当初、星4.0にしようかとも思ったのですが終盤の肝心なところの展開が雑だったので、星3.5にしました。
予定調和ではあるけれど
中学生時代に初恋同士だった二人が、色々な人生を経て50代(40代後半?)で恋をする話。
予定調和なストーリーだったけど、世代が近く、置かれた環境にも共感があり、ハコの喪失に打ちひしがれた。
映画に何をもとめるか…
批判覚悟でコメントします…
映画に何を求めるかで評価が別れるかだと思います…
リアルを装ったファンタジーならいっそファンタジーだけが私には相性がいいかと思いました…ジャックニコルソンがてできそうな…
50代はまだまだこれからです…思い出だけでは生きていけません…
月はいつも二人を見ていた
人生の過酷さに比例して滲み出る葉子の強い美しさ。中学生にもかかわらず、青砥はそんな葉子にどうしようもなく惹かれていた。
若い頃も50を過ぎた今も、青砥は運命に翻弄される葉子を必死で助け支えようとする。
昔も今も二人の立ち位置は基本的に同じなのだ。
青砥の葉子への態度は素直で自然体で力みもなく、そこも変わらない。
葉子の孤高の魅力は言うまでもないのだが、青砥の柔らかい包容力も全く負けてない。
堺雅人さんと井川遥さんの配役がぴったり。
そして基本的に脇役陣含めみな素直な性質で
、世界観が統一されている。
最初のシーン、再会した直後葉子は驚くほどすんなり青砥に互助会を提案する。無意識に離れ難くなったのかも…。
それはラストの中学時代の二人を見て頷けた。
恋愛感情と同時にソウルメイト的なものも伝わってきたから。
各々の時間を経てやっと人生が重なったのに運命は容赦ない。年齢を重ねて自覚する己の弱さ、狡さ、優しさ、寂しさが押し寄せて耐え難い切なさに襲われる。
二人を照らす優しい月の光と「メインテーマ」、心がギューッとなった。
家族の影響
美しい映画でした。井川遥さん、綺麗です。堺雅人さん、安心します。多分、家庭環境が大きいのかもしれません。須藤はお母さんが大好きだったんだと思います。お母さんが許せなくて自分も許せなくて檻に入った。両親が仲が良くて育った人には絶対にわからない感覚だと思いました。原作を知らないから、わからないけれど、間違いであればごめんなさい。青砥のお母さんの介護を見ている限り、青砥は普通の家庭で育ったのかなと思いました。何が普通かなんて私にもわからないけれど、青砥が学生時代の友人四人組で大人になり、あの年齢になり、昔のまま仲良く楽しく馬鹿馬鹿しく話せてるのが、小さい頃に家庭環境が落ち着いてた人の特徴だなと私は思いました。私が親が離婚してるのでわかりますが、学生時代の友人とあの、雰囲気は出ないです。あんなに楽しく話せない。見ていて羨ましく思いました。
須藤が求めてやまないものが青砥にあります。楽しく友人と馬鹿馬鹿しく楽しく話したい。そんなことも須藤はしたことがないはずです。こんなことが出来るのは、家族が仲良かった人にしか出来ないと私は思いました。須藤が孤独に見えました。須藤と私を混ぜては行けませんが須藤が「甘え過ぎた。」って言ってて可哀相になりました。あなた全然、甘えてないのに。あなたは甘え過ぎたのではなく、全然、甘えられなかったんですよね。幼少期からの心理的ストレスは、体に影響を与えてきますから、須藤が大腸がんになったのも、何だか多大な影響があるのではないかと私には思えました。
誰かが一緒にいてくれるって本当に大事だ
中学時代の初恋の人と再会し関係性を深めていく2人の物語。若かりし頃、映画「マディソン郡の橋」を観て、歳を重ねた男女の恋愛はちょっとキツいなと思ったことを思い出した。でも、自分がおじさんになってみると恋愛することはあり得ると感じるし、映画で同年代のラブシーンを観ても全く異なる印象を持っていることに驚く。歳を重ねないと受け入れられないものってある。
本作に登場する2人(青砥と須藤)の周りに起きることは他人事ではないことばかり。離婚、親の介護、病気の発覚、闘病、若い異性にハマってしまう恐ろしさまで。須藤が部屋を借りる際、このままここで死んでいくんだなと感じ、孤独死した時に迷惑をかけないようベッドにしたというシーンはものすごく考えさせられるものだった。
ただ好きだから付き合うとか、ずっと一緒にいようとするという、若い時のような情熱で突っ走る恋はしづらい年齢ではある。周りのことや先々のこと(直近のことだったりもするが)を考慮しながら慎重に事を進めていく2人の姿が、もどかしいけど切なくてとても共感できるものだった。
でんでん演じる八十島が語る「誰かが一緒にいてくれるって大きい」というセリフは本当に重い。一緒にいたい、一緒にいてほしいと思い合える人がいるのは幸せなことだと思う。だからこそ最後が悲しすぎた。最後まで一緒にいることを拒否してしまった須藤の決断について、観終わった今でも考えると悲しくなる。彼女の「太さ」は芯の強さであるが、人に頼ることができない(または拒否している)脆さや悲しさを内包している気がしてならない。だって、須藤もカレンダーに丸をつけていたんだから。あの約束で頑張れていたのかと想像するとさらに切なくなる。中学時代の初恋だからこそ、いつまでもキレイな自分を見せたいと考えたのかも。そもそも自分のことを青砥にふさわしくないと考えていたことも大きい。でも、そんなことも全部受け止めてもらえよ!と強く思ってしまう。ここらへんは男の発想なのかもしれない。
薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」がキーとなる曲として使われていたが、この使い方もうまい。「笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きてきたのにね」というフレーズがこんなにも刺さるとは。松本隆さんはさすがだ。
素晴らしい映画を観たと伝えたいが、ネタバレなしでこのよさを伝えるのがとても難しいことに気づいた。久々にネタバレ設定にさせてもらう。
あの頃の彼ならば
数ヶ月前映画館で広告を観て鑑賞。
原作未読。
主人公と同年代です。
初めて異性を意識し始める「あの頃」、誰もが思い出に抱えている経験が時を経て甘切ない思い出に変わる。
その思い出は心の中に小さな種となる。
どこにでもあるような日常。
幼なじみや、職場の人との交流。
心を揺さぶられる事件もなく、日々が過ぎてゆく。
青砥とハコは、時を経て心の中の種が芽を出し花を咲かそうとしていた。ハコの病魔に負けることなく、確実に育っていたその花は、ちょっとしたハコの変化に躊躇した青砥の判断に、花開く事無く終わりを告げることとなる。
彼女を1年待つ、と言う大人の判断が大きな後悔となる。
母親のようになるまいと思いつつも、母親のように生きて来たハコ。
真面目に生きていこうとしているが、息子は若い頃の自分そのものである青砥。
そんな自分を許せないハコ。
許す許さないでは無く、その自分を受け入れるんだと言う青砥。
想いはすれ違い、大人になった自分が邪魔をする。
あの頃、ハコの両親の大喧嘩を目の当たりにした青砥は、咄嗟に逃げ出したハコをどこまでも追いかける。
諦めることを知らずにずっとどこまでも。
そして、ハコの本心を聞き出した。
あの頃の青砥ならば、あの頃の様に自分の想いのままを行動できていたなら、結果は変わっていたのだろうか。
「太い」と周りから思われているハコ。
最後まで会いたい気持ちを抑え、12月20日をひたすら待っていた彼女は、「太い」女性なのだろうか。
僕にはすがる思いで日々生きながらえようとしていた「か弱い」女性が本当の彼女なのだろうと思う。会いたいと素直に言い出せない、臆病なハコ。
愛ってよくわからないけど傷つく感じが素敵。
笑っちゃう涙の止め方も知らない。
20年も生きて来たのにね。
その倍以上生きても、相変わらず止め方はわからない大人は多い。
なんだかなぁ…
病気や過去の苦しみを抱えているからといって、
まわりの人にどんな態度を取っても許されるわけではないはず…と、最近さまざまな作品を観ながら感じています。
本人にどんな意図があるにせよ、大切な人に対してさえ心ない言葉や態度を向けてしまう——あまつさえ相手の気持ちに向き合おうとしない。
それは本当に“愛”と呼べるのか。
作品を観ながら、そんなことを考えさせられました。
私自身、複雑な家庭環境で育ったからこそ、人とのつながりを丁寧に大切にしたいという思いが強くあります。
その視点から見ると、須藤(井川遥)が選んだ結論には共感できませんでした。そっけない態度も一貫していたものの、
内面の葛藤がもう少し描かれていれば、さらに理解が深まったと思います。
過去のシーンもいくつか挿入されていましたが、現在の行動につながる伏線としてはやや弱く感じました。
それでも、堺雅人さんと井川遥さんの演技は本当にリアルで、
まるで私生活をそっと覗き見しているような臨場感があり、強く引き込まれました。
よかった
よかったよぅ。
中学生役の人、40才くらいのサラリーマンにしか見えなくて困りました。
木村拓哉の「TOKYOタクシー」はだいたいどんなのか想像つくので観ません。
キムタクだもの。
史上最高レベルの没入をする作品となりました
個人的な意見で恐縮(ネタバレ有)
なのですが公開日11/14は手術当日で
1週間後に運良く俗世間に戻り鑑賞
私自身の生活圏:地元と言う事で
タイトル通りの平場の風景に
錚々たる俳優陣が原作に基づく物語を紡いで下さり
年代と合間って他人事に決して出来ず
史上最高レベルの没入をする作品となりました
星野源さん書き下ろしの曲も
青砥:行き止り
須藤:生き止り
観客:息止まる、、、
と色々な掛け言葉になっている
且つ薬師丸ひろ子・早見優・テレサテン・Wink
等々当時の世代を彩る音楽や
LINEの文字生成方法に至る所迄
何せ世代を感ずる演出に感服
非常に良く練り上げられてもいます
唯一贅沢を言わさせて頂くとすると
尺や敢えて描かず観客に妄想させる仕掛け
と言う事と理解しているのですが
「須藤の夢みたいな事の続き」
を描いてみて頂きたかった
堺さんの十八番:健将の「顔芸」頼みの
ラストシーンは半沢直樹・乃木憂助が
立ち過ぎていてしっかり入って来なかったのが
正直な処でした(贅沢・原作を飛び越え過ぎデスカネ)
12/14
再度見て参りました
やっぱり見入ってしまい
あっという間と言うか
もっと尺があったらと思いました
私は原作を読んだ上で観たのですが
一つ一つのシーンにおいて
原作との相違の有無
活字から映像になる事で印象の明確化
迄、一回では気付けなかった事が
追いつく感覚が嬉しい気持ちになりました
けれどやっぱり、もう少し1カットでも良いので
井川・須藤目線の「夢見たいな事」
例えば熱海旅行
例えば銀座での食事
例えば指輪選び
が欲しいな、夢の続きが観てみたかったです
大人の恋愛映画
妻と別れ、地元に戻って印刷会社に再就職し、平穏に日々を生活する、青砥健将。
青砥が中学生時代に想いを寄せていた須藤葉子は、夫と死別し地元に戻ってきた。
再び出逢った二人は、少しずつ、離れていた時を埋めていく―― 。
ある日、アパートの部屋から月を眺めていた須藤。
「お前、あのとき何考えてたの?」
青砥にそう問われ、
「夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね、ちょっと」
そう答えた須藤。
再び、自然に惹かれ合うようになった二人。
やがて未来のことも話すようになるのだが・・・。
というのがあらすじ!
この50代の恋愛映画は珍しいように思います。
キラキラした恋愛ではなく長く生きてるからこそ離婚や介護、アルコール中毒、病気などいろんなことが描かれてましたね。
リアルに感じました
それと歳をとると面倒なことが多くなるのかなと思いました
ちょっと嫌になりますね…
あともう会わないって言ったのは再発したからだったんですね
あのピースの仕方でなんとなく察してしまいましたけどね
旅行のために頑張ってるみたいだったけど妹さんは青砥に伝えなかったみたいで…
2人の感じや妹さん優しそうだったのに口止めされてたとは言え言わないものなんですね
青砥が最後に泣いてるところで終わりましたけど今後は大丈夫なのか心配になりました
原作があるみたいで未読のまま鑑賞しましたが楽しめました!
登場人物の年齢に近いときに観るとまた違った感想を持つのかなと思います
いい映画をありがとうございました😊
平場では無い
何の事前情報を入れていかなかったのだけれど、やはり人が死んでしまう事は、まだ平場とは思えない。(タイトルの平場が、そういう事を表していない事は分かっているけど、これは比喩として書いた)
この年代になると、知人が死ぬ事は、特別な事ではなくなるのだけれど、やはり死は特別でドラマチックになってしまう気がする。人がしななくても、ハッピーエンドにならなくても、成立する物語だった気がするのだが、そこらあたりが残念だった。
そして、CMでも使われている、ヒロインが月を見ながら考えていた「夢見たいな事」とは、なんだったのだろう?
映画の中では、完全な回答は無いのだけれど、映画を観た直後は、単純に「主人公との結婚」と考えていた。主人公のその後のプロポーズも、主人公がそう感じた演出かと思ったのだけれど、しばらくして、そんな単純な事では無いのでは?とも、考えた。
男が女の考えを推しはかっても、おそらくは無理で永遠に手の届かない月のようなのかもと、長く思いを続けられる映画であった
白髪の櫛
原作未読ながら楽しみにしていた本作。全体の世界観?は楽しめたが、最後の一年の処理は何か一つ引っかかるものが欲しかったなと、またもないものねだり。
堺雅人の感情表現が過剰で唐突な気がするが、学生時代の役者のオドオド感で補完される。井川遥、それなりにお年を召されていて化粧気もない役柄たが流石に魅力的。ころり。最近ヒロイン役も増えて嬉しい中村ゆりも妹感あって良かった。そして元嫁が吉瀬美智子ってアンタ、どういうこと?モテすぎ!
先日実家に行き、30年以上触れていなかった写真や雑誌や小物の整理をようやく始めた。メルカリでお金になった思い出もあるし、誰かに話したくて仕方がないストーリーも色々見つけた。仲間内の飲み会のシーンで共感したところ。この歳になると中には今更それを話せる相手がいないものも。
リアルとファンタジー
原作未読ですが、予告編と主題歌に惹かれて観ました。
も少し感動するかなと思ったのですが、後半ちょっと納得いかない展開や演出があり、そこまで入り込めませんでした。いくら姉が拒否しても、あんなにいい妹が姉の最期を全く知らせないなんてあるだろうか?とか、ストーマ付けてセックスとか現実的なのだろうか?とか、ラストで堺雅人が一番いい芝居してる時にスローモーションは要るのか?とか。些末な部分ではありますが、他が丁寧な描写だっただけに気になってしまいました。
でも大人の恋愛というか、大人の現実がよく描かれていたし、過剰にドラマチックな演出がないところや、堺雅人と井川遥と塩見三省の演技が素晴らしいところ、星野源のエンディング曲が世界観にピッタリ合っていたところなど、観賞後にも深く残る作品でした。
作品でものすごく感動したわけではないけれど、私も独身のアラフィフ、しかも兄弟姉妹がいないので、私の現実はもっと厳しいだろうなと、ある意味襟を正されました。あんなよくできた妹が私にはいないのだから、終活およびその準備はちゃんとしておかないと、と。そして青砥(堺雅人)みたいに、病気やめんどくさい性格も丸ごと引き受けて恋愛してくれる人なんて現実にはほぼいないので、ここが一番のファンタジーかもしれません。
そばにいるって当たり前じゃない
大事なことをもう一度ちゃんと確認してくれって祈りながら見ていた。
良くも悪くも人はなかなか変われないもので、もっとうまく生きれたはずなのにって思うばかりだけど、それが愛しくも人間なんだろうなとラストの結末を見ながら思った。
この映画の中でもっとも印象に残った言葉が、でんでんさんが言った「人がずっとそばにいてくれるって当たり前じゃないからな」という言葉。(意訳なので言葉尻は若干違うかも、、)
井川さんが初めて部屋で飲んだ時に、この話を誰かにしたかったと言っていたけど、誰かに話したいけど誰にでも言えることではない事を聞いてくれる人がそばにいる。
これだけでもう十分人生は豊かで幸せなんだとしみじみと思う。
この映画の良さを考えてみると、とてもバランスが良いと感じる。
病気もの、中年の恋愛モノ等どれか一つのテーマで感動的に書ききっても成立するが、仕事も恋愛も親の問題も子供も自分の身体の事も地元ならではの仲間も中学生の頃から続くヒエラルキー的要素も、人生には抱えきれない程の多くの側面と共に進んでいく。
そういった現実の中に恋が生まれていく感じがとてもリアルだ。
学生時代の、年を取ってその時代と離れれば離れるほどにかえって色濃くなっていくような思い出とともに、いま改めて向き合い、質素なアパートで二人が過ごす所がこの上なく現実的で、とてもむず痒い様にも照れくさい様にも感じる生々しさがある。
最後に、2014年に病気をされてお痩せになられた塩見三省さん。
年齢を調べるともっと若いと思っていたが、77歳ということに驚かされた。
後遺症もあってなのか、ほとんど座ったシーンで声も小さかったが、それがとても味わい深くて、何かを察してボリュームを上げるシーンはとても素晴らしかった。
これからも無理はされず、少しのシーンでもいいので見たい役者さんだなと思った。
窓辺に佇む井川遥は反則である
「何を考えてたの?」と堺雅人が問うて「夢みたいなことだよ」と冒頭で返す、その脆く儚げな予感が漂うだけでフラフラっとしてしまった。
『花束みたいな恋をした』『片思い世界』の土井監督なので正直「こんなの映画じゃないな」と思って見てはいる。同じシナリオ使ってもっと引き出し、もっといい編集で攻めることもできることは容易にわかる仕上がり。なので基本は惜しい、と思って見ている。自転車二人乗りも、とある別作品に比べればしょぼい。シネマルックの仕上がりからしたら記号を超えていない。『花束〜』の京王線沿線感の薄さ(勿体無い)と今度は西武線沿線かな? その土地感覚もやはり上手くはない。この辺はインディペンデント映画の若き旗手たちはとても上手いのに勿体無い。
でも、である。これだけゆる〜くテレビを見るように見てしまう同級生の地元再会&恋愛復活劇はそうはない。確かにこれは土井演出でないと出ないものもあるかな、と思い直しているうちにラストがくる。しかし見ていれば途中からどうなるかはほぼ予想はつく。おまけに個人的に知人がその井川さんと同じ年齢で同じように亡くなったので完全に現実がダブってしまいもうその先は見えるのである。そんなこともたくさん経験してるであろう同年代の観客にはグッときていた気もする。で、ラストである。
本当はラストシーンひとつ前で終わってエンドロールが流れたら「アノーラ」並に喰らってたと思う。メインテーマね。あそこであれは反則に近い。今思い出しても泣ける。堪えられるわけがない。しかも塩見のおっちゃん、、何度も何度もあのさもない居酒屋を思い出している
話の移り変わり、そして最後の展開が雑
同世代である50代の
ラブストリーということで
妻と観賞させていただきました。
ストーリーとして、
主人公達の関係は序盤、
うらやましくもあり、
ワクワクさせられるものでしたが、
中盤に出てくる子供の頃の話が
必要以上に長く、その割には、
後半であまり回収できていないように
思われ、私には
残念な作品に感じられました。
また、先が読める流れも
致し方ないとは言え、最後の展開が
あまりにも想像を超えない上に、
あっさり、終演を迎える印象で
もったいなく感じられました。
ただ、彼女のカレンダーにも記念日が
赤く印されていたのは、
とても感動しました。
そして星野源さんも曲も感動的でした。
「一緒にいてくれる人がずっと一緒にいるってことは、当たり前のことじゃない」大切さと儚さ
中学時代に初恋同士だったが付き合うことなく別々の人生を経た同級生の青砥と須藤。互いに結婚生活に失敗し今は地元に戻り独り身の50代。平場の慎ましい生活の中で偶然再会、苗字で呼び合う距離感から互いの気持ちが近づき始め、初恋の続きが動き出す。
須藤は青砥の告白を2度とも断った。
1度目は中学時代。独りで生きていくと心に決めていたから。
2度目は今回。癌再発でおそらく余命が見えていたから。
周囲から、太い、と形容されていた須藤。
初恋の君は青砥だけど打ち明けなかったし、6ヵ月検診の結果も青砥には本当のことを伝えなかった。なぜか。
好きという気持ちを隠しているのは「自分は青砥が思っているよう良い人間じゃない」と中学時代も今も思っているからなのか。
好きな人に迷惑かけたくない、と思っているからなのか。
須藤の太さとは、本心を隠し太く見せてるだけ。
いや、むしろ好きな人に迷惑をかけたくないから本心を隠し独りでいることが、太い、ということなのか。
中学時代の青砥からすれば、両想いならOKしてほしかっただろうし、今の青砥からすれば「もう会わない」と突然言われ、なぜ?となったはず。
「一緒にいてくれる人がいるってことは、当たり前のことじゃない」
両想いの青砥と須藤が一緒になれなかった切なさを見て、一緒にいてくれる人がいることの大切さ、一緒にいてくれる人がずっと一緒にいるってことは当たり前のことじゃない儚さが身に染みて伝わってきた。
原作も読んでみたい。
『片思い世界』以外の土井監督の作品も観てみたい。
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