平場の月のレビュー・感想・評価
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まさか、薬師丸ひろ子さんの曲「メインテーマ」で号泣です。😭
2025年劇場鑑賞17本目、「平場の月」。
第32回山本周五郎賞を受賞した恋愛小説を、堺雅人さん井川遥さん共演で映画化。中学時代にかすかに思いを寄せ合った2人が時を経て再会、お互いにひかれ合っていく姿を描く大人のラブストーリーです。
妻と別れ、地元に戻った青砥健将(堺雅人さん)、印刷会社に再就職しつつましい生活を送っていた。そんな中、中学生時代に思いを寄せていた須藤葉子(井川遥さん)と偶然出逢う。彼女もまた、夫と死別し独りで暮らしていた。
真面目で優しい青砥と、どこか頑固で生真面目すぎる程の須藤だが、寂しい者同志「じゃ、相互互助会みたいに」と少しずつ2人で過ごす時を重ね、次第にひかれ合う。😍
一緒に過ごした彼女の部屋から見える月。「あの時、月を見ながら、一体なにを思ってたの」と問う青砥、「夢みたいなことだよ。」とはぐらかしながら微笑む須藤。🌖
ある日2人で交わした約束。この素敵なラブストーリーの行方は⁈
ラストシーンで流れる薬師丸ひろ子さんの曲「メイン・テーマ」。この曲でこんなにも涙がぼろぼろととまらなくなるなんて、思いもよらなかったです。😭
世代、境遇が似てたものですから、期待感いっぱい。「そりゃ、井川遥さんみたいな初恋の人が、おひとりで身近にいらっしゃったら、1発で撃ち抜かれるよねー。」と自分で突っ込みを入れながら鑑賞したです。😆
とってもとっても素敵な作品でした。
朝霞っていい街だなあ
飽きずに見れた
50代以上または、未満でも。きっと人生が順風満帆ではない人に響く話。
同世代の心にジンとくる作品です。
涙が出るは感情移入するはで心拍数が上がった。
何とも切なく苦しい物語。手に届く世界観が、より一層、映画の世界に自己投影することになりました。
とにかく胸を打つ、近年、最高の作品でした。
ガスヴァンサント監督の追憶の森以来、胸を揺さぶる、そして、言葉に出来ない人の一生という現実が抱える悲しみを強く感じた点では、それ以上の作品でした。
一見どうでもいいカットも日常を照らす上では不可欠だと、見終わってから再評価できます。
文句なしの満点です。
映画館で観れて良かった。たまたま、この作品に出会えたことに、本当に運が良かったと思います。
とても久しぶりにパンフレットも買いました。それほど私の心を鷲掴みにした作品でした。
映画は見終わったけれど、自分の中ではまだ終わりきれていないので、原作も読んでみます。
月はながめるものである。触れようとしてもそれはできない。それでも・・・
ラストの表情がすごい
主人公とヒロイン、2人の関係性や距離感が本当に、若いカップルと遜色ないように感じた。妙にリアリティがあるなと思った。
主人公の周りの友人たちも、中学から50代のおっさんになるまで、ずっと良好な関係が続いていて、少し羨ましく思った。
ラストの堺雅人さんのあの表情、あれほどまでに気持ちが伝わってくる演技ができるのは、中々すごいなと思った。
結末を知った上で観ても良いと思う
親の死、子離れ、配偶者との離婚や死別…。歳を取るうちに家族という集団形成が薄れ、次第に「個」の自分が浮き出しはじめる五十代。振り返れば、もはや若さや野心も無く、残る財も功績も平均的な一般市民―――。主人公たち周辺の人々も同様であり、須藤(井川遥)の過去が唯一の特異でしょうが、仮に私がどこかのシーンで投げ込まれても数秒で馴染めそうなほど、庶民の日々を切り取った背景。故にこの「平場な物語」には、いくつもの「共感」が散りばめられています。
映画的にはトラブルや事件といった「非日常性」を加えてストーリーに抑揚をつけたいところですが、そういうこともなく、逆に須藤のラストの過程を見せない引き算の演出をするこの物語については、もはや結末を知った上で観に行く方が、井川遥さん、堺雅人さんの繊細な「揺れる演技」の所以をより味わえるのではと思いました。
中年のキスシーン、ベッドシーンは生臭くて苦手。たぶんあるだろうと少しためらっていましたが、お二人のシーンは自然に見ることができました。二人の中学時代の回想が所々で挟まれ、中学生青砥が須藤にした仕草と同じ入り方を大人でもしたことで「ピュアさ」を先に感じたからかもしれません。まあ、お二人の若さが残る容姿もあって…。という所はありますが(笑)。
エンドロールでの星野源さんの「いきどまり」もぴったりでした。
良い物語、ありがとうございます。
50年も生きてきたのにね
50代の人生。
50代の恋愛。
自分自身や周りの同世代が遭遇する様々な出来事、失敗、トラブル、そして喜び…
そんな「オーバー50あるある」な感じが2時間ずっと続くんだけど、結論、私の感想としては「なんだかきまりが悪い」。
50歳過ぎて、もちろんいろんなことがあって、それでもなんだかんだで乗り越えなきゃいけないし、それでいちいち大声上げてわめきちらしたりすることはない。
でも、生きてくって大変だ。
みんな分かってる。
それを、何でもないフリして生活してる。
50代すぎたって、いろんな出会いがある。
別れだってある。
特に「死」との向き合い方はこの年齢特有のものだろう。
この映画は、世の中を動かしている40代以下の人々を撮り続けてきたカメラの背後にいる、世の中の中心を外れ始めた人々、そんな、決して特別ではない存在としての50代にあらためてカメラを向けた作品。
当事者世代の私としても、その切なさや息苦しさには共感するし、涙する気持ちも分かる。
そんな当事者世代だからこそ…
予備知識を入れずに観た私の責任だと自覚した上で、
「私はこの映画は好みじゃない」
大人のラブ・ストーリー
共に歩むという意味
優しさの機敏と温度差
50代は人生の折り返し地点。
結婚をして子育てが終わり今度は親の介護問題、そして自分の健康問題が襲ってくる。
私は独身だが、介護問題があった。
人生は幸と不幸がシーソーに乗って自分の意思とは関係なく動いている。
バランスなんかない。
幸せばかりの時もあれば、不幸の連続もある。
それでも今までの経験でなんとか乗り越えたり
してきた。
自暴自棄になったこともある。
50代になれば、殆どの人がそんな経験をしてきたであると思う。
この作品の主人公の堺雅人演じる青砥は、実に明朗である。
50を超えて離婚をして一人暮らし。
印刷工場に勤務。
職場の人間関係は良好である。
人生の失敗は多数あるも、前向きである。
中学生の時の同級生須藤との偶然の再会。
井川遥演じる須藤はどこか過去を引きずり、他人に本心を打ち明けない。相手との距離感を大事にするタイプだ。過去の経験がそうさせているのが、言うに及ばずである。
50代で中学時代の友人と語り合えるのは、幸せである。リアルな視点だとあまり無いと思う。
私にはない。
青砥とその友人達は中学時代の距離感は変わらない。変わったのは立ち位置と人生のライフステージである。
同級生達との会話。
時間の経過と自分の心境。
作品は時系列をクロスさせて演出されていた。
青砥との再会で、ぎこちなさを感じるものの、互助会的な飲み会で、徐々に惹かれていく須藤。
だけど晴れやかではない。
須藤の強がりの裏側にある哀しみは、作品のラストに、辛さを飲み込む優しさとして表現されていた。
ともすると、青砥の優しさは視界狭い優しさにも感じる。
違和感を感じた似合わない「お前」呼び。
一方通行的な思い。
須藤は全てを理解してたのではないか。
同じ時代を生きた「戦友」
共有が生んだ「友情」
少し感情が先走る青砥のくすぐったい「優しさ」
全てに応えられない事を。
須藤の心の深い場所にある優しさが、少しの時間だけ幸せの時を過ごせた。
ラストシーンで、焼き鳥屋の塩見三省演じる児玉が、何も言わずに、音楽のボリュームを上げる。唐突もなく終わった青砥と須藤へのさりげない優しさのレクイエムかもしれない。
この作品は男女で違う解釈に分かれると感じた。
心の機微と優しさを感じる作品であった。
小説を読むほうがジンワリくると思います
ひたすら待ち続ける男+ドッグ君
テレビドラマなどで、若い普通のサラリーマンやOLが、都内のだだっ広いマンションに住んでいることが多い中、身の丈に合ったアパートや家に住み、仕事に取り組む姿を含む生活の日常を丁寧に描き、自転車の二人乗りが冒険になる慎ましやかな恋愛模様が心に染みわたりました。
ただ、癌の治療中の恋人をおよそ1年間、誰からも情報を探ろうともせずにひたすら約束のその日を待ち続けている男の有り様が理解できず腑に落ちませんでした。原作からしてそのようなのですが、何かもう少しエピソードがあって納得させてほしかったです。こういう思いは、この1年位の中で「秒速5センチメートル(実写版)」の彼女をひたすら待ち続け、ご丁寧に約束の日に約束の場所に赴く主人公や海水浴場の浜辺に錆びて動けなくなった友達のはずのロボット君をおよそ9ケ月もの間放って置いたドッグ君(「ロボットドリームス」)にも感じたことで、なにか空寒い気持ちになってしまったのも事実です。それは、自分もまた何もしない男の一人であることを自覚した上で抱いた感情でした。
主役の二人をはじめ俳優陣はみんな良かったし、特に、ヒロインの同僚かつ同窓生役の安藤玉恵の演技は、娘に疎まれる程の底意地の悪さや嫉妬深さが滲み出ていてよかったですが、興収を度外視すれば、もっと華の無い地味な役者に主役二人を充てた作品も観てみたいと思いました。
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