平場の月のレビュー・感想・評価
全312件中、181~200件目を表示
「大人の恋愛」
笑っちゃう、涙の止め方も知らない。50年以上生きてきたのにね
いい大人になってから、初恋相手と再会して、という展開で思い出す映画はやはり『コキーユ 貝殻』である。
しかも男性側は妻がいたし、俗に言う不倫であり、行き場がなく切なかった。
今回は2人とも独身。
50前後だと、それぞれいろいろあるのは当たり前だし、相手の気持ちを察することもできる。
配偶者がいない分、今回ハードルは低い‥
はずなのに、なぜかもどかしすぎる。
女性側はおもむくままに生きてきたはずなのに今回は躊躇い、
男性側はいともあっさりと女性側に従い距離をとる。
理解できない。
脚本とキャストがいいのか、
カップルの会話はリアルでテンポよく進んでいく。
ワンシーンだけの豪華キャストもいいが、
安藤玉恵さんや、中村ゆりさん、塩見さんあたりはいい味を出している。
ワンシーンの成田さんの関西弁もうまかったが。
と言うことで、自分の気持ちには素直でいてください。
にじみ出るオーラは一般人ではない!
50代以上は泣くね(笑)
名作「花束のような恋をした」の
土井裕泰監督が、今度は中年の
恋を魅せてくれる。
(彼のデビュー作「いま、会いに
ゆきます」は、僕の秘かな名画)
’
原作も読んでいたので、
映画的に省いた部分も想像で
補ったこともあり、余計に感じ入った。
’
とにかく井川遥がいい。
疲れた感じ、強い物言い、時折見せる色っぽさ
彼女の代表作だと思う。
’
二人は50歳、中学の同級生、病院で再開した
ところから物語は始まる。
この関係がどんなものか、いい文章があるので
原作から引きます。
’
「話しておきたい相手としては、青砥(堺雅人)は
もってこいだ」
距離感といい、なんといい、と須藤(井川遥)は
言葉を濁したが、青砥には届いた。
(中略)
晩年感がふとよぎる歳で再会した「異性」は、十五歳の
面影は残しているものの、虹色の好意を友情と呼ぶほどには
熟れていた。
’
現在絶賛上映中です。映画館でぜひどうぞ。
僕は二回観ました。
’
あの二本指はVサインじゃなかった
まず「平場」の解釈から。この作品(原作小説、映画)の舞台は埼玉県の朝霞、新座、志木あたりのようだが、同じ中学校に通い、そのへんで就職したり結婚して住みついている者たち、もしくは青砥や須藤のように事情があって舞い戻ってきた者たちのコミュニティをイメージする。まあ「地元」と同義なのだが大学生が出身地をそう呼称しているのではなく、50歳過ぎのオッサンやおばちゃんの群れだからそれなりに業が深い。
もともと平場というのは百貨店の定番売り場をそう呼んだ。ブランド売り場でもなく特売コーナーでもなく普通のハンドバックや財布やハンカチが並んでいる。だからまだ何者でもない中学生に値札をつけて並べている感じであり、青砥と須藤がお互いを苗字で呼び合うところは、それぞれがいわば商品だった頃を引きずっているわけで痛々しさを感じてしまう。平場からみた月は近くにあって手に届きそうに見える。中学生の青砥にとっての月は「普通に生きたくない」ことだったし、須藤のそれは「一人で生きていく」ことだった。二人ともそのことは果たせず、再び平場で出会うことになる。
追いかける男と、逃げ腰の女。離婚にアル中とまあ想定内の挫折者である男に比べ、女は略奪婚と夫の死、年下の男に全財産を貢ぐなど壮絶な過去を持つ。思うに彼女はリミッターが外れたときの自分の怖さをよく知っており愛情や親切を素直に受け入れられなくなっているのだろう。原作小説は各章のタイトルが須藤の発した言葉で成り立っている。「夢みたいなことをね。ちょっと」「痛恨だなぁ」「それ言っちゃあかんやつ」「合わせる顔がないんだよ」など。一つ一つが須藤の揺れ動くこころと願いの切実さを伝えていて実に哀切である。
映画は、この原作の雰囲気を全く損なうことなく、上手に取捨選択して構成されている。(先の須藤のセリフはもちろん全部取り込まれてる)ただ手術後の須藤の苦労、ストーマについてももちろんだし、収入のない彼女が生活保護を受けるかどうか迷った末青砥の家に一時は同居するところなどもカットされたのでそれでも青砥との縁を切ろうとする彼女の決断の重さが表現できていないかもしれない。
一方で青砥と須藤以外の登場人物はかなり薄く描かれている。大森南朋や中村ゆりなど手練れの役者を揃えているが彼や彼女の描写に踏み込まず点描として扱うことにより青砥と須藤の二人を浮かびあがらせている。安藤玉恵演じるところのウミちゃんだけは役柄上、あざとい演技をさせているが。ちなみに映画では彼女に「海野」という苗字を与えたが、原作ではウミウシ似なのでウミちゃんということになっている。それでは引き受ける女優さんがいなかったかもしれないね。
本レビューのタイトルの二本指だが、須藤がオムライスを作っているとき青砥に向けて示すもの。真意は映画では説明されないが重要なポイントです。ちゃんと知りたい人は原作読んでね。
月のやさしさ
気が付かなかった恋
中年になれば分かる
ラストの余韻から逃れられない
切ないなぁ、50代は…
健診の再検査やら、親の介護や見送りやら、子の就職関連やら、恋愛してても話題が軽くないし、ときめきやキラキラはなく、なんか切ないのね、50代は。
にしても、井川遥さんはとっても綺麗でした。初めて一夜を過ごした時に窓を開けて見送る表情は、色っぽさが増し増しでした。
堺雅人さんはドラマの印象が強いせいか、恋愛もの(特にキスシーン)には違和感を感じてしまいました。なんというか、対人距離が一定程度ないと違和感を持ってしまうようになってしまった。先入観かな。焼き鳥屋さんでの号泣にはもらい泣きしてしまいましたが。
三日月のペンダント、庭に植えたお花(枯れてしまった)、自転車、印刷工場の紙、橋の側のアパートなど身近にあるものを大事にしている感じが伝わりました。
薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」、歌詞もピッタリで改めていい曲ですね。
大人の純愛物語
大人の方々にお薦めの染み入る大人の物語。
半年後くらいに原作で味わい直したい
まさに平場の月ですね!!
アラフィフって難しいお年頃
年内の映画鑑賞は爆弾が最後の予定だったけど、星野源の歌声にいざなわれて、まったくチェックしていなかった「平場の月」を鑑賞
アラフィフの恋愛かぁ…誰かを愛することも愛されることも怖かったりするだろうなぁ
須藤が「甘えすぎた」と言った気持ち、分かる気がする
本当の本当は青砥の「だいぶ好きなんだ」って言葉を素直に正面から受け止めたかっただろうなぁ
一人で生きていく練習をしていても、どこかやっぱり愛を求めてしまうのも分かる気がする
自分を軽蔑するのもわかる気がするし、他人の話だと「たいしたことないよ大丈夫だよ」って思うのも分かる気がする
(分かる気がする…爆弾にもそんなセリフあったな)
青砥の「だいぶ好き」は本当だったと思う
だって自転車のペダルはいつもカシャカシャ軽かったし、飲み屋に到着した時の背中もいそいそとルンルンしてた、年甲斐もなく…振り返るとこのシーンが一番グッとくる
須藤にとっての平場は青砥…ちょうどいい
お金を払っていいものを飲み食いするより、アパートでマグカップに酒を入れて飲む方がちょうどいい
アパートの片隅でハーブを育てるのがちょうどいい
たまにの夜の互助会もちょうどいい
だって、月は青砥だから…決して明るくないあかりだけど、自分の存在、居場所くらいは確かなものとして照らしてくれるから
手元足元だけは見えるあかり
それをたどっていけば夢みたいなことが起きるかもしれないというかすかな希望のようなあかり
けど学生時代にふたりで見た月は満月だったけど、終盤は三日月とも言い難い細い三日月で、命と二人の関係が終わることを示しているようで切なかった
花鳥風月じゃないけど、月を愛したことで花も愛してみようかなって演出がお洒落すぎて好き(勝手な解釈です)
そして青砥が嗚咽もらして泣くシーンで終わる…完璧だ
景色もニトリもポロシャツも平場
恋愛を茶化す人も普通によくいる
心配する風で実はゲスなヤツ…これも普通にいる
まさに私たちは平場に生きている
正直なところ堺雅人と井川遥には興味がなかったので、ラブシーンは「そんな長くなくていいよ」って思ったけど、生と死を意識して互いを求めた生々しい描写は大事な場面だったと思う
忘れちゃ〜いけないのは、星野源と薬師丸ひろ子の歌ね、浸透力ったらもうね…
あと二人乗りのときに足を乗せるステップ!!
懐かしい〜!!昔あったね!!あったあった!!
令和になった今でもあるの?と調べてみたら、普通に今でもあるのね笑
でも最近見かけないですね、時代かな…
全312件中、181~200件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。












