平場の月のレビュー・感想・評価
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静かな夜に滲む涙
映画『平場の月』は、派手な演出や大きな起伏がない分、登場人物の心の襞を丁寧に掬い取った作品です。
その静かな世界観の中で、とりわけ胸を打ったのが、堺雅人が居酒屋カウンターで涙をこぼすシーンでした。
あの瞬間は、ただ感情を爆発させる涙ではなく、
言葉にできなかった想いや、日々の小さな後悔、
「どうすることもできないもの」を抱えてきた時間が、
ふとした拍子に溢れ出したような“静かな崩れ方”でした。
周囲の喧噪の中でひとり、
誰にも気づかれないように泣くその姿は、
観客の心にそっと寄り添うように沁みてきます。
この映画が伝えようとしているのは、
「大切なものはいつも言葉にならず、
気づけば手からすり抜けている」という残酷さと、
それでも人はまた誰かを想して歩いていく、という温かさ。
派手さはないけれど、
生きることの静かな重さと優しさを
深く感じさせてくれる一本でした。
自然体
病気のことを除けば、特に大きな出来事が起こるわけではなく、全体として起伏の少ない作品です。それでいながら、主人公二人の演技はとても自然体で、「大人の恋愛ってこんな感じなんだろうな」と予想以上に引き込まれました。
また、余計なエピソードが殆どなく主人公二人のやり取りに絞った点も良かったと思います。
ただ、難点を挙げるとすれば、術後の定期検診以降の展開です。検診後、突然距離を置こうとする井川遥に対し、堺雅人の鈍感さには無理があり、不自然さが残った点が残念でした。
当初、星4.0にしようかとも思ったのですが終盤の肝心なところの展開が雑だったので、星3.5にしました。
アラフィフのラブストーリー
最初で最後の恋物語
普通の堺雅人さんがいい。初老とも言える年齢で、健康診断の要検査に戸惑ってしまうごく普通のおっさんがよく似合う、半沢や真田もいいけどね。
井川遥さんも素敵です。いろいろあって故郷に戻った50女の須藤。貯金もあまり無く仕事はパート、古い賃貸アパートで最低限の質素な暮らし。目立たずやがて一人で死ぬことだけを考えているような女性を元祖癒し系(?)がその柔らかな表情は少しだけにして、無表情ぶっきらぼうメインで演じています。
そんな二人が何十年かぶりに出会って、少しずつ距離を縮めていく物語。
お互い惹かれあっているのはわかっていたのに、語り合って自転車でふざけあった時もあったのに何故あと一歩近づけなかったのか。置かれた環境を憎悪し殻に閉じこもったままの幼い日の須藤が痛々しい
世の中、成功者の姿は大きく見えてしまうけど、大半の人間は新聞やテレビで取り上げられる彼らとは無縁の生活を送っています。そんな平場にも月は輝く。たとえわずかな間でも。
あとの出演者では塩見三省さんの存在感がダントツ。ご自身のお体のこともあってか、ほとんど動かない役なのだけれど場の雰囲気を一気に持って行ってしまいます。
人生後半戦を生きる多くの人に見てほしい。つらいシーンもあるけれどね。
共感できず、モヤモヤ
互助会的恋愛映画
予定調和ではあるけれど
中学生時代に初恋同士だった二人が、色々な人生を経て50代(40代後半?)で恋をする話。
予定調和なストーリーだったけど、世代が近く、置かれた環境にも共感があり、ハコの喪失に打ちひしがれた。
映画に何をもとめるか…
批判覚悟でコメントします…
映画に何を求めるかで評価が別れるかだと思います…
リアルを装ったファンタジーならいっそファンタジーだけが私には相性がいいかと思いました…ジャックニコルソンがてできそうな…
50代はまだまだこれからです…思い出だけでは生きていけません…
月はいつも二人を見ていた
人生の過酷さに比例して滲み出る葉子の強い美しさ。中学生にもかかわらず、青砥はそんな葉子にどうしようもなく惹かれていた。
若い頃も50を過ぎた今も、青砥は運命に翻弄される葉子を必死で助け支えようとする。
昔も今も二人の立ち位置は基本的に同じなのだ。
青砥の葉子への態度は素直で自然体で力みもなく、そこも変わらない。
葉子の孤高の魅力は言うまでもないのだが、青砥の柔らかい包容力も全く負けてない。
堺雅人さんと井川遥さんの配役がぴったり。
そして基本的に脇役陣含めみな素直な性質で
、世界観が統一されている。
最初のシーン、再会した直後葉子は驚くほどすんなり青砥に互助会を提案する。無意識に離れ難くなったのかも…。
それはラストの中学時代の二人を見て頷けた。
恋愛感情と同時にソウルメイト的なものも伝わってきたから。
各々の時間を経てやっと人生が重なったのに運命は容赦ない。年齢を重ねて自覚する己の弱さ、狡さ、優しさ、寂しさが押し寄せて耐え難い切なさに襲われる。
二人を照らす優しい月の光と「メインテーマ」、心がギューッとなった。
家族の影響
美しい映画でした。井川遥さん、綺麗です。堺雅人さん、安心します。多分、家庭環境が大きいのかもしれません。須藤はお母さんが大好きだったんだと思います。お母さんが許せなくて自分も許せなくて檻に入った。両親が仲が良くて育った人には絶対にわからない感覚だと思いました。原作を知らないから、わからないけれど、間違いであればごめんなさい。青砥のお母さんの介護を見ている限り、青砥は普通の家庭で育ったのかなと思いました。何が普通かなんて私にもわからないけれど、青砥が学生時代の友人四人組で大人になり、あの年齢になり、昔のまま仲良く楽しく馬鹿馬鹿しく話せてるのが、小さい頃に家庭環境が落ち着いてた人の特徴だなと私は思いました。私が親が離婚してるのでわかりますが、学生時代の友人とあの、雰囲気は出ないです。あんなに楽しく話せない。見ていて羨ましく思いました。
須藤が求めてやまないものが青砥にあります。楽しく友人と馬鹿馬鹿しく楽しく話したい。そんなことも須藤はしたことがないはずです。こんなことが出来るのは、家族が仲良かった人にしか出来ないと私は思いました。須藤が孤独に見えました。須藤と私を混ぜては行けませんが須藤が「甘え過ぎた。」って言ってて可哀相になりました。あなた全然、甘えてないのに。あなたは甘え過ぎたのではなく、全然、甘えられなかったんですよね。幼少期からの心理的ストレスは、体に影響を与えてきますから、須藤が大腸がんになったのも、何だか多大な影響があるのではないかと私には思えました。
「歩まなかった」人生と「歩めなかった」人生と。
原作は2年前に既読。
朝倉かすみ作品は何冊か読んでいるが、
どれも癖のある、やや屈折した人が登場する。
この原作の小説もそうだ。
ホントは、見に行くつもりはなかった。
映画「国宝」見て以来、
「小説を先に読み、高く評価をした作品は映画化しても見ないほうがいい」という
自身への教訓を強化したからだ。(「国宝」はせめて映画からみるべきだった)。
それでも見に行くことにしたのは、
今年映画館で何度も見せられた予告編のせいだ。
いつもはスーツ姿でパリッとした印象が強いのに、
堺雅人と井川遥がファストファッションで醸し出す空気感(演技力ともいう)。
そして、浮かんだ感情を消そうとする表情している井川遥。
人の良さと真面目だけが取り柄の普通の人をしている堺雅人。
彼と彼女がこの小説をベースとしてどんな物語を紡ぐのか。
この映画は見るべきだ。
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(以下ネタバレ)
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覗き見る感じではない。
焼き鳥屋や須藤の部屋で二人の横に座り
二人のこれまでの身の上をただ黙ってうんうんと聞いているような感じ。
(これは小説を読んでいるときも感じたこと)
夫婦別れ、DV、略奪婚、後先考えない散財、
子供との冷たい関係、家と仕事場の往復…。
人間、長く生きていたら、いろいろあるよね。
二人は年齢と人生経験を重ねた分、
互いに慰めも説教じみたことも言わない優しさと
受け付けない強さを身につけた。
そんな突然始まった互助会的な時間。
このまま老いを迎えるのか…とうっすらと感じていたときに、
互助会的な時間の中で互いに感じていった幸福の予感。
しかし、青砥は理解していなかった。
須藤がいった「青砥は、なんかちょうどいい」が
須藤の生きる【心情】で【信条】であることを理解できなかった。
月のアクセサリーひとつ分の好意が、
須藤にとって最高で十分過ぎる愛情であることを理解できなかった。
ただ、「夢みたいなことだよ」「夢みたいなことをね、ちょっと」と
月を見ていた須藤の心を信じた。
だから、1年後の12/20だった。
もし須藤が12/20も生きていたら、
須藤は考え方も生き方も変えたかもしれない。
これは恋愛物語なんだろうか。というより自分は恋愛映画の範疇には入れたくない。
自分にとっては人を理解する大切さと難しさを描いた映画だった。
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理解する・・・でいえば、
二人だけが知る(&創り上げた)二人の関係を、
須藤の妹も同級生もコンビニ同僚のうみちゃんもわかっていなかった。
ただひとりだけわかっていた人がいる。
それは焼き鳥屋のおやじだ。
(小説には出てこないこのおやじを配置したのは、脚本家はすごいわ)
おやじは二人のこれまでの身の上や病気のことをただ黙ってうんうんと聞いていた。
同情やわかったふりをすることなく、
退院祝いに焼き鳥をサービスで出す程度の態度は示すだけでただ聞いていた。
だから、全てを知って黙って何一つ口を挟まず音楽のボリュームを上げた。
そんな人の優しさを表現する映画でもあった。
追記>
小説で読後に感じた「それでも青砥は2年間は最高に幸福だった」は、
この映画では感じなかった。
あと、初恋がらみの部分やラストの自転車二人乗りは余計なものに感じた。
誰かが一緒にいてくれるって本当に大事だ
中学時代の初恋の人と再会し関係性を深めていく2人の物語。若かりし頃、映画「マディソン郡の橋」を観て、歳を重ねた男女の恋愛はちょっとキツいなと思ったことを思い出した。でも、自分がおじさんになってみると恋愛することはあり得ると感じるし、映画で同年代のラブシーンを観ても全く異なる印象を持っていることに驚く。歳を重ねないと受け入れられないものってある。
本作に登場する2人(青砥と須藤)の周りに起きることは他人事ではないことばかり。離婚、親の介護、病気の発覚、闘病、若い異性にハマってしまう恐ろしさまで。須藤が部屋を借りる際、このままここで死んでいくんだなと感じ、孤独死した時に迷惑をかけないようベッドにしたというシーンはものすごく考えさせられるものだった。
ただ好きだから付き合うとか、ずっと一緒にいようとするという、若い時のような情熱で突っ走る恋はしづらい年齢ではある。周りのことや先々のこと(直近のことだったりもするが)を考慮しながら慎重に事を進めていく2人の姿が、もどかしいけど切なくてとても共感できるものだった。
でんでん演じる八十島が語る「誰かが一緒にいてくれるって大きい」というセリフは本当に重い。一緒にいたい、一緒にいてほしいと思い合える人がいるのは幸せなことだと思う。だからこそ最後が悲しすぎた。最後まで一緒にいることを拒否してしまった須藤の決断について、観終わった今でも考えると悲しくなる。彼女の「太さ」は芯の強さであるが、人に頼ることができない(または拒否している)脆さや悲しさを内包している気がしてならない。だって、須藤もカレンダーに丸をつけていたんだから。あの約束で頑張れていたのかと想像するとさらに切なくなる。中学時代の初恋だからこそ、いつまでもキレイな自分を見せたいと考えたのかも。そもそも自分のことを青砥にふさわしくないと考えていたことも大きい。でも、そんなことも全部受け止めてもらえよ!と強く思ってしまう。ここらへんは男の発想なのかもしれない。
薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」がキーとなる曲として使われていたが、この使い方もうまい。「笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きてきたのにね」というフレーズがこんなにも刺さるとは。松本隆さんはさすがだ。
素晴らしい映画を観たと伝えたいが、ネタバレなしでこのよさを伝えるのがとても難しいことに気づいた。久々にネタバレ設定にさせてもらう。
歳を重ねてまた観たい映画
この作品を観るにはまだ自分は青すぎると痛感しました。映像はとてもリアルで誰かの人生を見ている気分にさせられます。変な伏線もなく、難しい話もないのにシンプルとは違う印象でした。物語の内容は自分自身が年を重ねた時により深く観ることができるのかなと楽しみになりました。
大人の切ない物語
4.5にしようか迷ったが、夢中で見れたので5.0
リアルだけど
後半が辛い。
ゆっくりまったりと展開する大人のぶきっちょな恋愛は身につまされて切なく楽しませて貰った。特に洋服にふれる井川遥を後ろから間合いを詰めて、愛情表現をじっとりと迫るシーンは大人の匂いがプンプンして艶っぽかった。しかし後半の山場、井川遥のVサインから後のクドさと堺雅人の鈍感さには感心しない。ラスト近く、妹役の中村ゆりとのシーンの堺雅人の目を剥いた過剰演技はクド過ぎる。居酒屋での号泣シーンやいやに物分かりのよい店主・塩見三省の存在が臭過ぎる。脚本家の責任か、演出家の責任なのか。この監督は「花束みたいな恋をした」も「片思い世界」もそうだったが、途中から無理に主人公を追い詰めて芝居をさせていると思う。端から見てそんなの普通はないでしょう、というシチュエーションだと思うのだが、監督はそれまでの流れから、このエキセントリックな展開はドラマティックと思っているのだろうか?井川遥とその少女時代の女優が見事だっただけに残念だ。
あの頃の彼ならば
数ヶ月前映画館で広告を観て鑑賞。
原作未読。
主人公と同年代です。
初めて異性を意識し始める「あの頃」、誰もが思い出に抱えている経験が時を経て甘切ない思い出に変わる。
その思い出は心の中に小さな種となる。
どこにでもあるような日常。
幼なじみや、職場の人との交流。
心を揺さぶられる事件もなく、日々が過ぎてゆく。
青砥とハコは、時を経て心の中の種が芽を出し花を咲かそうとしていた。ハコの病魔に負けることなく、確実に育っていたその花は、ちょっとしたハコの変化に躊躇した青砥の判断に、花開く事無く終わりを告げることとなる。
彼女を1年待つ、と言う大人の判断が大きな後悔となる。
母親のようになるまいと思いつつも、母親のように生きて来たハコ。
真面目に生きていこうとしているが、息子は若い頃の自分そのものである青砥。
そんな自分を許せないハコ。
許す許さないでは無く、その自分を受け入れるんだと言う青砥。
想いはすれ違い、大人になった自分が邪魔をする。
あの頃、ハコの両親の大喧嘩を目の当たりにした青砥は、咄嗟に逃げ出したハコをどこまでも追いかける。
諦めることを知らずにずっとどこまでも。
そして、ハコの本心を聞き出した。
あの頃の青砥ならば、あの頃の様に自分の想いのままを行動できていたなら、結果は変わっていたのだろうか。
「太い」と周りから思われているハコ。
最後まで会いたい気持ちを抑え、12月20日をひたすら待っていた彼女は、「太い」女性なのだろうか。
僕にはすがる思いで日々生きながらえようとしていた「か弱い」女性が本当の彼女なのだろうと思う。会いたいと素直に言い出せない、臆病なハコ。
愛ってよくわからないけど傷つく感じが素敵。
笑っちゃう涙の止め方も知らない。
20年も生きて来たのにね。
その倍以上生きても、相変わらず止め方はわからない大人は多い。
なんだかなぁ…
病気や過去の苦しみを抱えているからといって、
まわりの人にどんな態度を取っても許されるわけではないはず…と、最近さまざまな作品を観ながら感じています。
本人にどんな意図があるにせよ、大切な人に対してさえ心ない言葉や態度を向けてしまう——あまつさえ相手の気持ちに向き合おうとしない。
それは本当に“愛”と呼べるのか。
作品を観ながら、そんなことを考えさせられました。
私自身、複雑な家庭環境で育ったからこそ、人とのつながりを丁寧に大切にしたいという思いが強くあります。
その視点から見ると、須藤(井川遥)が選んだ結論には共感できませんでした。そっけない態度も一貫していたものの、
内面の葛藤がもう少し描かれていれば、さらに理解が深まったと思います。
過去のシーンもいくつか挿入されていましたが、現在の行動につながる伏線としてはやや弱く感じました。
それでも、堺雅人さんと井川遥さんの演技は本当にリアルで、
まるで私生活をそっと覗き見しているような臨場感があり、強く引き込まれました。
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