平場の月のレビュー・感想・評価
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優しさの機敏と温度差
50代は人生の折り返し地点。
結婚をして子育てが終わり今度は親の介護問題、そして自分の健康問題が襲ってくる。
私は独身だが、介護問題があった。
人生は幸と不幸がシーソーに乗って自分の意思とは関係なく動いている。
バランスなんかない。
幸せばかりの時もあれば、不幸の連続もある。
それでも今までの経験でなんとか乗り越えたり
してきた。
自暴自棄になったこともある。
50代になれば、殆どの人がそんな経験をしてきたであると思う。
この作品の主人公の堺雅人演じる青砥は、実に明朗である。
50を超えて離婚をして一人暮らし。
印刷工場に勤務。
職場の人間関係は良好である。
人生の失敗は多数あるも、前向きである。
中学生の時の同級生須藤との偶然の再会。
井川遥演じる須藤はどこか過去を引きずり、他人に本心を打ち明けない。相手との距離感を大事にするタイプだ。過去の経験がそうさせているのが、言うに及ばずである。
50代で中学時代の友人と語り合えるのは、幸せである。リアルな視点だとあまり無いと思う。
私にはない。
青砥とその友人達は中学時代の距離感は変わらない。変わったのは立ち位置と人生のライフステージである。
同級生達との会話。
時間の経過と自分の心境。
作品は時系列をクロスさせて演出されていた。
青砥との再会で、ぎこちなさを感じるものの、互助会的な飲み会で、徐々に惹かれていく須藤。
だけど晴れやかではない。
須藤の強がりの裏側にある哀しみは、作品のラストに、辛さを飲み込む優しさとして表現されていた。
ともすると、青砥の優しさは視界狭い優しさにも感じる。
違和感を感じた似合わない「お前」呼び。
一方通行的な思い。
須藤は全てを理解してたのではないか。
同じ時代を生きた「戦友」
共有が生んだ「友情」
少し感情が先走る青砥のくすぐったい「優しさ」
全てに応えられない事を。
須藤の心の深い場所にある優しさが、少しの時間だけ幸せの時を過ごせた。
ラストシーンで、焼き鳥屋の塩見三省演じる児玉が、何も言わずに、音楽のボリュームを上げる。唐突もなく終わった青砥と須藤へのさりげない優しさのレクイエムかもしれない。
この作品は男女で違う解釈に分かれると感じた。
心の機微と優しさを感じる作品であった。
小説を読むほうがジンワリくると思います
空回りする玉恵
2025年映画館鑑賞114作品目
11月27日(木)イオンシネマ石巻
ハッピーナイト1300円
監督は『いま、会いにゆきます』『映画 ビリギャル』『罪の声』『花束みたいな恋をした』『片思い世界』の土井裕泰
脚本は『リンダ リンダ リンダ』『マイ・バック・ページ』『マイ・ブロークン・マリコ』『ある男』『悪い夏』の向井康介
ロケ地
埼玉県朝霞市
TMGあさか医療センター
精興社 朝霞工場(印刷会社)
朝霞市立第四中学校
埼玉県志木市
いろは親水公園
埼玉県さいたま市
浦和の里
埼玉県ふじみ野市
こだわり居酒屋 酔いしょ!
粗筋
離婚などをきっかけに地元に戻ってきた中学時代の同級生の中年男女が再会し交際がスタート
青砥健将はプロポーズするが須藤葉子は絶交を強く求めた
須藤の要求をひとまず受け入れた青砥であったがそれでも来年の12月20日からの熱海の温泉旅行の約束が生きていた
それを楽しみにしていた予定日残りわずかの2025年12月の青砥だったが須藤が癌で亡くなっていたことを知らされる
まああの急に青砥を振る須藤の豹変にある程度は予測できた
青砥が知らないまま死ぬとは思わなかったが
堺雅人独特のクセのある芝居
堺雅人といえば『倍返しだ』でブレイクしたわけだが本来ならどちらかといえばこっちの方
葉子の妹に亡くなった姉の事情を聞かされ「そうだったか」という表情の堺雅人好き
ヒロインは井川遥
グラビアアイドル時代より今の方が良い
人口肛門をつけ変な音が出る女性俳優は敬遠しがちな役を見事こなした
須藤葉子の喋り方が好き
居酒屋代を浮かせるために自分の部屋に青砥を招く須藤は胡座をかいて酒を飲み交わす
女とオネエは違う
異彩を放っていたのはうみちゃん役の安藤玉恵
送別会もアレだけど退院しパート先にやってきた須藤を迎えるうみちゃんは舞台袖から飛び出して観客に愛嬌を振りまく浅草の派手な衣装を着た売れない漫才師のよう
スーパーでのやり取りも娘が呆れるほどの異常ぶり
本人も不本意だった気もするが土井監督の強い要望なら仕方がない
安藤玉恵ならある程度求めてもやるだろうという判断か
こういうことにはインティマシーコーディネーターはお呼びじゃない
まあ個人的には今回の安藤玉恵の道化ぶり嫌いじゃない
大人の男女の繊細なラブストーリーに1人場違いなおばさんがいることよって2人がますます引き立つ
実績豊富な監督と脚本
俳優陣は豪華とはいえないが全体的に渋い面々
職場の先輩にでんでんで幼馴染に宇野祥平や吉岡睦雄
前妻がピリピリの吉瀬美智子で須藤の妹が中村ゆりというバイプレイヤーズぶり
なぜか成田凌
医者はなぜか前野朋哉
こんな顔に命を預けたくない
塩見三省が良い味を出している
大病を克服したもののだいぶ衰えてしまったが名優はどう転んでも名優なのだ
ラストで薬師丸ひろ子のメインテーマが流れる有線のボリュームを上げるシーン好き
自転車の二人乗りが違法になったのは戦後間もない1950年からだという
88年公開の『異人たちの夏』では主人公の両親が二人乗りで自転車に乗り車に轢かれて亡くなっている
しかしその作品のエンドロールで「自転車の二人乗りは違法です」「特別の許可を頂き安全に十分配慮し撮影しました」とかなんとかそういうのは無かった
どいつもこいつも正義マン気取りのいちいちうるせー世の中になったものだ
配役
印刷会社の社員の青砥健将に堺雅人
青砥の中学時代に坂元愛登
病院の売店勤務のハコこと須藤葉子に井川遥
須藤の中学時代に一色香澄
葉子の妹のみっちゃんこと前田道子に中村ゆり
みっちゃんの幼少期に静莉子
青砥の先輩社員のヤッソこと八十島庄助にでんでん
青砥と須藤の中学時代の同級生で須藤のパート先の同僚のうみちゃんこと海野みゆきに安藤玉恵
うみちゃんの中学時代に古川凛
青砥と須藤の中学時代の同級生で青砥の同僚の安西知恵に椿鬼奴
青砥の幼馴染の江口剛に大森南朋
江口の中学時代に原田琥之佑
青砥の幼馴染の森仁志に宇野祥平
森の中学時代に斉藤汰鷹
青砥の幼馴染の後藤淳に吉岡睦雄(後藤淳:青砥の幼馴染)
後藤の中学時代に松藤史恩
青砥の後輩社員のリリーこと小田切聡に栁俊太郎
青砥の息子の青砥健介に倉悠貴
青砥の元妻の上村みづきに吉瀬美智子
青砥の母の大方斐紗子
須藤の元恋人で美容師の鎌田雄一に成田凌
焼き鳥屋『酔いしょ』の大将の児玉太一に塩見三省
葉子の父の須藤俊郎に黒田大輔
葉子の母の須藤八重子に松岡依都美
青砥の主治医の原田に前野朋哉
中学時代の同級生でうみちゃんの友人の間宮に白水ひより
中学時代の同級生でうみちゃんの友人のみつえに共田すず
中学時代の同級生でうみちゃんの友人の美穂にきよら
中学時代の同級生でうみちゃんの友人に小澤美優
「炭水化物祭り」が口癖の売店の看護師に小林きな子
「炭水化物祭り」の看護師と違い少食の売店の看護師に土井玲奈
須藤の主治医にたくませいこ
手術室の看護師に廣岡聖
江口の娘芹澤雛梨
江口の娘の結婚相手に鈴木武
焼き鳥店のホール担当の店員に牧紅葉
焼き鳥屋店の厨房担当の店員に腰越正和
天気予報士に岡田沙也加
中学時代の担任に数ヒロキ
警察官に若林秀敏
ひたすら待ち続ける男+ドッグ君
テレビドラマなどで、若い普通のサラリーマンやOLが、都内のだだっ広いマンションに住んでいることが多い中、身の丈に合ったアパートや家に住み、仕事に取り組む姿を含む生活の日常を丁寧に描き、自転車の二人乗りが冒険になる慎ましやかな恋愛模様が心に染みわたりました。
ただ、癌の治療中の恋人をおよそ1年間、誰からも情報を探ろうともせずにひたすら約束のその日を待ち続けている男の有り様が理解できず腑に落ちませんでした。原作からしてそのようなのですが、何かもう少しエピソードがあって納得させてほしかったです。こういう思いは、この1年位の中で「秒速5センチメートル(実写版)」の彼女をひたすら待ち続け、ご丁寧に約束の日に約束の場所に赴く主人公や海水浴場の浜辺に錆びて動けなくなった友達のはずのロボット君をおよそ9ケ月もの間放って置いたドッグ君(「ロボットドリームス」)にも感じたことで、なにか空寒い気持ちになってしまったのも事実です。それは、自分もまた何もしない男の一人であることを自覚した上で抱いた感情でした。
主役の二人をはじめ俳優陣はみんな良かったし、特に、ヒロインの同僚かつ同窓生役の安藤玉恵の演技は、娘に疎まれる程の底意地の悪さや嫉妬深さが滲み出ていてよかったですが、興収を度外視すれば、もっと華の無い地味な役者に主役二人を充てた作品も観てみたいと思いました。
泣きました 切ないストーリー
忘れられぬ呪い
原作未読です。
若者のキラキラした恋愛ではないので、ある程度重い展開であることを予想して心の準備をしていましたが、思いっきり鷲掴みで揺さぶられました
青砥にとって、須藤と過ごした1年、須藤を待った1年はどうだったのだろうか
昔話やお互いが知らないお互いのこと、日々の楽しかった思い出や重ねた肌の温度、彼女が苦しんだ時を共に過ごせなかった後悔
須藤が月を見ながら考えていた「夢みたいなこと」の答えを彼女の口から聞くこともできず、EDの歌詞のように、死ぬまで心に残る呪いであり続けるんだろうな
カウンターで誰もいない右側、薬師丸ひろ子のメインテーマ、嗚咽、そっと店内BGMのボリュームを上げてくれた大将
悲しい物語なので万人に勧められるものではないけど、できればパートナーと一緒に観てほしい作品です。
静かな夜に滲む涙
映画『平場の月』は、派手な演出や大きな起伏がない分、登場人物の心の襞を丁寧に掬い取った作品です。
その静かな世界観の中で、とりわけ胸を打ったのが、堺雅人が居酒屋カウンターで涙をこぼすシーンでした。
あの瞬間は、ただ感情を爆発させる涙ではなく、
言葉にできなかった想いや、日々の小さな後悔、
「どうすることもできないもの」を抱えてきた時間が、
ふとした拍子に溢れ出したような“静かな崩れ方”でした。
周囲の喧噪の中でひとり、
誰にも気づかれないように泣くその姿は、
観客の心にそっと寄り添うように沁みてきます。
この映画が伝えようとしているのは、
「大切なものはいつも言葉にならず、
気づけば手からすり抜けている」という残酷さと、
それでも人はまた誰かを想して歩いていく、という温かさ。
派手さはないけれど、
生きることの静かな重さと優しさを
深く感じさせてくれる一本でした。
自然体
病気のことを除けば、特に大きな出来事が起こるわけではなく、全体として起伏の少ない作品です。それでいながら、主人公二人の演技はとても自然体で、「大人の恋愛ってこんな感じなんだろうな」と予想以上に引き込まれました。
また、余計なエピソードが殆どなく主人公二人のやり取りに絞った点も良かったと思います。
ただ、難点を挙げるとすれば、術後の定期検診以降の展開です。検診後、突然距離を置こうとする井川遥に対し、堺雅人の鈍感さには無理があり、不自然さが残った点が残念でした。
当初、星4.0にしようかとも思ったのですが終盤の肝心なところの展開が雑だったので、星3.5にしました。
アラフィフのラブストーリー
最初で最後の恋物語
普通の堺雅人さんがいい。初老とも言える年齢で、健康診断の要検査に戸惑ってしまうごく普通のおっさんがよく似合う、半沢や真田もいいけどね。
井川遥さんも素敵です。いろいろあって故郷に戻った50女の須藤。貯金もあまり無く仕事はパート、古い賃貸アパートで最低限の質素な暮らし。目立たずやがて一人で死ぬことだけを考えているような女性を元祖癒し系(?)がその柔らかな表情は少しだけにして、無表情ぶっきらぼうメインで演じています。
そんな二人が何十年かぶりに出会って、少しずつ距離を縮めていく物語。
お互い惹かれあっているのはわかっていたのに、語り合って自転車でふざけあった時もあったのに何故あと一歩近づけなかったのか。置かれた環境を憎悪し殻に閉じこもったままの幼い日の須藤が痛々しい
世の中、成功者の姿は大きく見えてしまうけど、大半の人間は新聞やテレビで取り上げられる彼らとは無縁の生活を送っています。そんな平場にも月は輝く。たとえわずかな間でも。
あとの出演者では塩見三省さんの存在感がダントツ。ご自身のお体のこともあってか、ほとんど動かない役なのだけれど場の雰囲気を一気に持って行ってしまいます。
人生後半戦を生きる多くの人に見てほしい。つらいシーンもあるけれどね。
共感できず、モヤモヤ
互助会的恋愛映画
予定調和ではあるけれど
中学生時代に初恋同士だった二人が、色々な人生を経て50代(40代後半?)で恋をする話。
予定調和なストーリーだったけど、世代が近く、置かれた環境にも共感があり、ハコの喪失に打ちひしがれた。
映画に何をもとめるか…
批判覚悟でコメントします…
映画に何を求めるかで評価が別れるかだと思います…
リアルを装ったファンタジーならいっそファンタジーだけが私には相性がいいかと思いました…ジャックニコルソンがてできそうな…
50代はまだまだこれからです…思い出だけでは生きていけません…
月はいつも二人を見ていた
人生の過酷さに比例して滲み出る葉子の強い美しさ。中学生にもかかわらず、青砥はそんな葉子にどうしようもなく惹かれていた。
若い頃も50を過ぎた今も、青砥は運命に翻弄される葉子を必死で助け支えようとする。
昔も今も二人の立ち位置は基本的に同じなのだ。
青砥の葉子への態度は素直で自然体で力みもなく、そこも変わらない。
葉子の孤高の魅力は言うまでもないのだが、青砥の柔らかい包容力も全く負けてない。
堺雅人さんと井川遥さんの配役がぴったり。
そして基本的に脇役陣含めみな素直な性質で
、世界観が統一されている。
最初のシーン、再会した直後葉子は驚くほどすんなり青砥に互助会を提案する。無意識に離れ難くなったのかも…。
それはラストの中学時代の二人を見て頷けた。
恋愛感情と同時にソウルメイト的なものも伝わってきたから。
各々の時間を経てやっと人生が重なったのに運命は容赦ない。年齢を重ねて自覚する己の弱さ、狡さ、優しさ、寂しさが押し寄せて耐え難い切なさに襲われる。
二人を照らす優しい月の光と「メインテーマ」、心がギューッとなった。
家族の影響
美しい映画でした。井川遥さん、綺麗です。堺雅人さん、安心します。多分、家庭環境が大きいのかもしれません。須藤はお母さんが大好きだったんだと思います。お母さんが許せなくて自分も許せなくて檻に入った。両親が仲が良くて育った人には絶対にわからない感覚だと思いました。原作を知らないから、わからないけれど、間違いであればごめんなさい。青砥のお母さんの介護を見ている限り、青砥は普通の家庭で育ったのかなと思いました。何が普通かなんて私にもわからないけれど、青砥が学生時代の友人四人組で大人になり、あの年齢になり、昔のまま仲良く楽しく馬鹿馬鹿しく話せてるのが、小さい頃に家庭環境が落ち着いてた人の特徴だなと私は思いました。私が親が離婚してるのでわかりますが、学生時代の友人とあの、雰囲気は出ないです。あんなに楽しく話せない。見ていて羨ましく思いました。
須藤が求めてやまないものが青砥にあります。楽しく友人と馬鹿馬鹿しく楽しく話したい。そんなことも須藤はしたことがないはずです。こんなことが出来るのは、家族が仲良かった人にしか出来ないと私は思いました。須藤が孤独に見えました。須藤と私を混ぜては行けませんが須藤が「甘え過ぎた。」って言ってて可哀相になりました。あなた全然、甘えてないのに。あなたは甘え過ぎたのではなく、全然、甘えられなかったんですよね。幼少期からの心理的ストレスは、体に影響を与えてきますから、須藤が大腸がんになったのも、何だか多大な影響があるのではないかと私には思えました。
「歩まなかった」人生と「歩めなかった」人生と。
原作は2年前に既読。
朝倉かすみ作品は何冊か読んでいるが、
どれも癖のある、やや屈折した人が登場する。
この原作の小説もそうだ。
ホントは、見に行くつもりはなかった。
映画「国宝」見て以来、
「小説を先に読み、高く評価をした作品は映画化しても見ないほうがいい」という
自身への教訓を強化したからだ。(「国宝」はせめて映画からみるべきだった)。
それでも見に行くことにしたのは、
今年映画館で何度も見せられた予告編のせいだ。
いつもはスーツ姿でパリッとした印象が強いのに、
堺雅人と井川遥がファストファッションで醸し出す空気感(演技力ともいう)。
そして、浮かんだ感情を消そうとする表情している井川遥。
人の良さと真面目だけが取り柄の普通の人をしている堺雅人。
彼と彼女がこの小説をベースとしてどんな物語を紡ぐのか。
この映画は見るべきだ。
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(以下ネタバレ)
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覗き見る感じではない。
焼き鳥屋や須藤の部屋で二人の横に座り
二人のこれまでの身の上をただ黙ってうんうんと聞いているような感じ。
(これは小説を読んでいるときも感じたこと)
夫婦別れ、DV、略奪婚、後先考えない散財、
子供との冷たい関係、家と仕事場の往復…。
人間、長く生きていたら、いろいろあるよね。
二人は年齢と人生経験を重ねた分、
互いに慰めも説教じみたことも言わない優しさと
受け付けない強さを身につけた。
そんな突然始まった互助会的な時間。
このまま老いを迎えるのか…とうっすらと感じていたときに、
互助会的な時間の中で互いに感じていった幸福の予感。
しかし、青砥は理解していなかった。
須藤がいった「青砥は、なんかちょうどいい」が
須藤の生きる【心情】で【信条】であることを理解できなかった。
月のアクセサリーひとつ分の好意が、
須藤にとって最高で十分過ぎる愛情であることを理解できなかった。
ただ、「夢みたいなことだよ」「夢みたいなことをね、ちょっと」と
月を見ていた須藤の心を信じた。
だから、1年後の12/20だった。
もし須藤が12/20も生きていたら、
須藤は考え方も生き方も変えたかもしれない。
これは恋愛物語なんだろうか。というより自分は恋愛映画の範疇には入れたくない。
自分にとっては人を理解する大切さと難しさを描いた映画だった。
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理解する・・・でいえば、
二人だけが知る(&創り上げた)二人の関係を、
須藤の妹も同級生もコンビニ同僚のうみちゃんもわかっていなかった。
ただひとりだけわかっていた人がいる。
それは焼き鳥屋のおやじだ。
(小説には出てこないこのおやじを配置したのは、脚本家はすごいわ)
おやじは二人のこれまでの身の上や病気のことをただ黙ってうんうんと聞いていた。
同情やわかったふりをすることなく、
退院祝いに焼き鳥をサービスで出す程度の態度は示すだけでただ聞いていた。
だから、全てを知って黙って何一つ口を挟まず音楽のボリュームを上げた。
そんな人の優しさを表現する映画でもあった。
追記>
小説で読後に感じた「それでも青砥は2年間は最高に幸福だった」は、
この映画では感じなかった。
あと、初恋がらみの部分やラストの自転車二人乗りは余計なものに感じた。
誰かが一緒にいてくれるって本当に大事だ
中学時代の初恋の人と再会し関係性を深めていく2人の物語。若かりし頃、映画「マディソン郡の橋」を観て、歳を重ねた男女の恋愛はちょっとキツいなと思ったことを思い出した。でも、自分がおじさんになってみると恋愛することはあり得ると感じるし、映画で同年代のラブシーンを観ても全く異なる印象を持っていることに驚く。歳を重ねないと受け入れられないものってある。
本作に登場する2人(青砥と須藤)の周りに起きることは他人事ではないことばかり。離婚、親の介護、病気の発覚、闘病、若い異性にハマってしまう恐ろしさまで。須藤が部屋を借りる際、このままここで死んでいくんだなと感じ、孤独死した時に迷惑をかけないようベッドにしたというシーンはものすごく考えさせられるものだった。
ただ好きだから付き合うとか、ずっと一緒にいようとするという、若い時のような情熱で突っ走る恋はしづらい年齢ではある。周りのことや先々のこと(直近のことだったりもするが)を考慮しながら慎重に事を進めていく2人の姿が、もどかしいけど切なくてとても共感できるものだった。
でんでん演じる八十島が語る「誰かが一緒にいてくれるって大きい」というセリフは本当に重い。一緒にいたい、一緒にいてほしいと思い合える人がいるのは幸せなことだと思う。だからこそ最後が悲しすぎた。最後まで一緒にいることを拒否してしまった須藤の決断について、観終わった今でも考えると悲しくなる。彼女の「太さ」は芯の強さであるが、人に頼ることができない(または拒否している)脆さや悲しさを内包している気がしてならない。だって、須藤もカレンダーに丸をつけていたんだから。あの約束で頑張れていたのかと想像するとさらに切なくなる。中学時代の初恋だからこそ、いつまでもキレイな自分を見せたいと考えたのかも。そもそも自分のことを青砥にふさわしくないと考えていたことも大きい。でも、そんなことも全部受け止めてもらえよ!と強く思ってしまう。ここらへんは男の発想なのかもしれない。
薬師丸ひろ子の「メイン・テーマ」がキーとなる曲として使われていたが、この使い方もうまい。「笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きてきたのにね」というフレーズがこんなにも刺さるとは。松本隆さんはさすがだ。
素晴らしい映画を観たと伝えたいが、ネタバレなしでこのよさを伝えるのがとても難しいことに気づいた。久々にネタバレ設定にさせてもらう。
全385件中、41~60件目を表示
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