平場の月のレビュー・感想・評価
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井川遥がカッコよかった
妻と別れ、母の介護のために実家に戻った青砥健将は、印刷会社に再就職し、母の認知が進んだので介護施設に入れて、1人で暮らしていた。また、青砥が中学生時代に好きだった須藤葉子は、夫と死別し、地元に戻り病院の売店でパートとして働いていた。偶然病院で再会したバツイチ同士の2人は、食事に行き、意気投合し、ひかれ合うようになった。青砥は須藤との結婚を考えるようになり・・・さてどうなる、という話。
なんか悲しい話だった。
自分が病気で先が短いとわかったら、恋人と別れるものなのかな?それが優しさ、なのかな?
堺雅人が優しい青砥役を丁寧に演じてたのに感動した。
須藤役の井川遥は年齢を重ねたなぁ、と思ったけど、相変わらず綺麗でスタイルバツグン、役所は男前っていうか、メソメソせずカッコよかったし、熟女になっても魅力的だった。
空振りばかりでヒットがない
大人の恋愛映画と宣伝するより、闘病との葛藤を支える恋愛映画と有った方がしっくり来るなと思った。
花束みたいなもそうだが土井監督の恋愛映画は多幸感を押さえている作品が多いので例えるなら病院食のような映画だ、それだけに現実に生きることの厳しさをまざまざと感じることが出きる。
やはり恋愛映画は多幸感を存分に感じれる学生ものがいいなと浮かんだ。
あのあとは様々な憶測が飛び交いそうだ。
夢みたいなこと
50代以上の方には特に刺さるのかも…
大人のラブストーリー。
小説を読んでいるような気持ちになる映画でした。
予告で観て予想していたストーリーとほぼ同じでした。
50代以上の方には特に刺さる映画なのかなと思いました。
私もそのくらいになったらもう一度観てみようかな。
星野源の主題歌が雰囲気があって、映画にピッタリだった。いい曲だった。
初恋が息を吹き返す
大人のラブストーリー
青春ラブストーリーでは無いが、大人の切ない恋愛が描かれており、どこか大人の青春という感じがした。
お互い過去に色々抱えながら、再び出会ったことで距離を縮めていくが、昔のように簡単に一歩を踏み出せい、この切なさが凄く刺さった。
ラストに色々あるが、須藤と青砥は上手くいくとあまい考えで見てしまっていた自分がすごく恥ずかしい💦
ラストでの、居酒屋の店主が青砥の動きから悟り、音楽の音量を上げるところがすごく切なく、これまでにない体験だった。
確かに 大人には響く秀作 人生経験 の心の機微作品 テンポは良い。
【年度末 上司の圧 時短レビュー その②】
久々に 映画で 堺雅人さん観たけれど
やっぱり存在感が違う。
奇天烈な役ではないけど 存在感が違う コレほどテンポを作れる俳優は少ない。稀有の存在。
でも そんな 超名優 堺雅人さんでも 後半の 泣きの演技は 苦手みたい。
イヤ 泣くんだから 涙も鼻水🤧も必要。
本作の前に観た。『港のひかり の子役さん』同様 演技がイマイチ。
でも 中学生役と大人役
井川遥さんと堺雅人さんは最高でした。井川遥さん役は 芯が強いねぇ
個人的には 酒場の主人 塩見三省さんが いい人感 に ジンときた。😢
同僚 椿鬼奴さん が普通の事務員すぎて良かった😍😍😍かえって素敵←スケベジジイなのでよろしく
大森南朋さん 成田凌さん 埋もれてて気づきにくいわぁ
とにかく 大人の経験則があってこその 本作の味わい
井川遥さんの役の最後の気持ち痛いほどわかるわぁ リアル身につまされる
と言う テンポの良い 時に笑わせ 時に身につまされる 人生作品でした。
あっ 時短とか言ってて 有料パンフ【読んでないけど コレにて俳優さん配役確認】
に加えて グッズの コンパクトミラー🪞購入 誰にあげるかは ヒ・ミ・ツ🩷←どうでもイイですね❗️
王道のラブストーリー
王道のラブストーリー
焼け木杭に火がついた大人の男と女の物語
偶然の再会がなければこんなに傷つくこともなかったのに
でも、傷つくことを恐れることなく、いくつになっても恋をすべき
居酒屋の大将がさりげなくボリュームを上げるシーンなど結構ベタな演出
面白かったけどね
五十にして惑う
『孔子』によれば、齢五十は「知天命」。
この「命」は「いのち」の意ではないけれど、
自分くらいの世代になればどうしても
来し方行く先を考えしてしまう。
人生百年なら折り返し点。
その歳でのできごとは
以降の人生に強い影響を与えるメルクマール。
背負った子供は「名月を取ってくれろ」と泣くけれど、
手の届かない場所に在ることを我々は知っているし、
取ろうとする欲も無くなっている。
年上の人の姿に我が身を重ね、
先のことを半ば案じながら生きている。
朝霞の印刷工場で働く『青砥(堺雅人)』は、
検査に行った病院で中学校の同級生『須藤(井川遥)』と
三十数年ぶりに再会する。
『青砥』は妻と別れた後に地元に戻りつつましく暮らし、
『須藤』は夫と死別したのちパートで生計を立てている。
実際は互いに初恋の相手だったことは、
おいおい語られるところ。
会わなかった歳月を取り戻すように逢瀬を重ね、
言葉で過去を埋めて行く。
昔のような関係になるまでにさほどの時間は掛からず、
やがて将来を考え始めるのだが・・・・。
監督の『土井裕泰』は
感情に訴え掛ける作品に才気を示す。
直近の
〔花束みたいな恋をした(2021年)〕
〔片思い世界(2025年)〕、
とりわけ前者と本作の構造上の共通点に目が行く。
頻出する固有名詞が、
会話にリアリティを与え、
自分も同じような体験をしたかの如くに錯覚してしまうのだ。
イイ歳なのにその関係は
青春時代を再現しているようで微笑ましい。
まるで昔の自身を見ているように。
「アネゴ」と表現したいほどの
『井川遥』の演技にほれぼれする。
彼女も四十九歳は、役柄と同年代。
気風の良い、すぱっすぱっと切れる裏表のない口調が、
『葉子』の性格を現す好演。
焼鳥居酒屋「酔いしょ!」の大将を演じた『塩見三省』も
渋い巧味を出している。
調理場の奥に座り、
ほぼほぼ声を出すことも動くこともないけれど、
人間の機微を弁えた所作が心に沁み行って来る。
遭逢と喪失は、
誰の身にも繰り返し起こること。
軽重はありも、
何れも心の中にしまい込まれて、
なにかの折りに記憶は刺激され、
時々で切ない想いが甦る。
スクリーンに映る、
互いを思いやる二人の姿は、その象徴。
本作は、あなたの物語りであり、
私の物語りでもある。
セリフと空気感と音楽
心がズキズキとする
人の痛みを分かることのできる老い方をしたい
私は見てよかった。その一言につきます。今まで、父、母、兄と亡くしましたが、そのことに対し一時の感情はありましたが、本当に理解できていたのであろうか(兄は腎不全を患い、心臓のペースメーカーを最後入れました)。また、病気を抱えている家内に対し、本当にその病気の事を理解してきたのであろうか。大した病でないと思い、理解しようとしてこなかった。忙しいと言い訳にして目を向けてこなかった。映画館の後ろの席の方は(高齢の方とお見受けしました)、人生そんな生優しいドラマみたいなものではないよ。と言う感情からか、寝てしまったよと旦那さんは呟いておられました。人それぞれ考えの違いはありましょう。生きてきた環境も違うでしょう。しかしながらそうした状況の中で、その場面、その境遇にあった時どう接すれば良いか。難しい課題だと思いますが、せめてそうした状況の中でも個人として目を向けられる年の取り方をしたいものだと53という今更ながらの年にして、考えされられました。
胸が苦しくなる
原作未読です。
この手の恋愛ドラマは普段見ませんが、出身地が舞台ということで映画館へ。
舞台が地元、出演者が同世代、抱える問題が共感できまくるで見ていて胸が苦しくなりました。井川遥と吉瀬美智子の美貌がかろうじてこの映画が作り話であることを思い出させてくれました。
中学時代の甘酸っぱい思い出を背景にやけぼっくりに火が付いたという話ではありますが、中学時代の二人の関係性が明かされるのは映画の最終盤というあたりは上手い演出だと思いました。
人生の終わりがチラ見えしてからの大人の恋は、それはそれでアリだと思う。
今日は寝不足で、もしもつまらない内容だったら途中で寝るんじゃないかと半分不安で観に行きました。ところがどすこい、上映開始すぐに堺雅人と自分の置かれた環境があまりにも似ている事にビックリして一気に眠気が吹っ飛んで、スクリーンの中に気持ちが吸い込まれていきました。
バツイチだし、印刷会社で働いていたことがあるし、告って断られた女の子(当然今はオバチャン)と月一でデートしているし、自分に子供はいるけど相手には子供がいないし、彼女が元気なこと以外、なんか自分のミニ自叙伝を堺雅人と井川遥に演じてもらっているような気がして、普通の恋愛映画の何倍も感動する事が出来ました。
原作未読なので予告映像を見た勝手なイメージで、青砥と須藤は入籍はしないものの「事実婚」っぽい生活に落ち着いてハッピーエンド♡、という結末を予想していました。でも須藤が大腸がんになった時点で悲しい結末が見え隠れして涙腺が緩んでしまい、最後は堺雅人と一緒に泣いていました。自分の彼女も「心が太い」人なので、「一緒になろう」とか言うとヘソを曲げる危険性があるので、一緒になるのは諦めて月一デートを楽しむことにしました。
月はどんなときも静かに市井の人々の日々の営みを見下ろしている
かねてから日本のエンタメ業界に足りないものは大人のラブストーリーだとずっと感じている。TVドラマの『最後から二番目の恋』あたりが例外かもしれないが…
アイドルが演じる高校生のラブストーリーや、20代から30代にかけての結婚をゴールに設定したようなものは掃いて捨てるほどあるのたが、恐らく日本社会全体として30代後半を過ぎたらもうみんな家庭に収まっているものだというステレオタイプな既成概念に囚われ過ぎているのであろう。その結果、30〜40代以上の恋愛ものは不倫でドロドロみたいなものばかりになっていく。
しかし、現在の日本では4割近くが一人世帯であるという現実があり、配偶者や子どもと一緒に暮らしていること自体、決して当たり前ではなくなっている。
だとすれば、40代や50代あるいはそれ以上の世代の人間が普通に恋愛をしていてもおかしくないはず。とはいえ、そのくらいになれば、人生山あり谷ありで、酸いも甘いも経験しているだけではなく、頭の方もいろいろ思い出せなくなったり、身体的にもあちこちガタがきたりもする。
本作冒頭で自転所に乗りながら堺雅人演じる青砥が口ずさんでいた歌を聴きながら「あれっ、これ何の曲だっけ?」と思っていたら(しばらく考えて、タイトルは出なかったが歌手名までは自力で思い出せた 笑)、劇中でもほとんど同じような場面が出てきて苦笑。ついでに、40代で胃潰瘍、60代で大腸のポリープを内視鏡で取った自分の経験まで重なった。
1980年代にノスタルジーを感じられる世代にとっては間違いなくいろいろ重ね合わせて鑑賞できる作品だ。
本作については、50代の主人公の恋愛話と、彼らの中学時代の初恋物語が入れ子になって構成される。それは単に甘酸っぱさを演出するというだけではなく、彼らのバックグラウンドを描くことで、子ども時代のトラウマがその後の生き方に与える影響まで立体的に見せてくれる。
楽しいこと、幸せなことばかりではなく、辛いこと、大変なことが人生の中で待ち受けていようとも、月はどんなときも静かに市井の人々の日々の営みを見下ろしている。そして、逆に人々はさまざまな思いを馳せながら月を見上げて過ごすのだ。
そして、薬師丸ひろ子の歌声が切ない。『メイン・テーマ』の「20年も生きてきたのにね」という歌詞を久しぶりに耳にしながら、ABBAが "Dancing Queen" という曲をヒットさせていた頃に 「"only 17" とか言ってんじゃねぇよ」と憤っていた13歳の自分を思い出していた。
若さの幻想を捨てた先に残る“愛のかたち” ──邦画が迎えた成熟の時代
近年、ハリウッドでは中年以降の恋愛映画が当たり前のように成立している。2010年代後半から2020年代前半にかけて、“多様性”の概念が年齢領域にまで拡張したことで、50〜60代が生々しく恋をする映画が増えた。成熟した観客層がメイン視聴者であることが可視化され、俳優たち自身がその年齢にふさわしい役柄を自然に獲得した結果、欧米では“老いの恋愛”がジャンルとして成立した。
その潮流がようやく邦画にも到達した。その象徴が本作であり、これは日本映画の価値観において静かだが大きな地殻変動を意味する作品であると感じた。本作が描いたのは、若さの美しさでも奇跡的な運命でもなく、傷を抱えた人間同士が“受容”を通じて寄り添う恋愛だ。大腸がん、人工肛門(ストーマ)、離婚歴、生活の摩耗、孤独と後悔、親、介護、お金──普通の恋愛映画なら“乗り越える壁”としてドラマ化されそうなものが、この作品ではあくまで自然な背景として扱われる。
そして、須藤葉子の死を知った青砥健将――堺雅人が見せた“作り物の笑顔”と、その裏から静かに崩れるように溢れた涙。この一瞬に、本作が描こうとした成熟の核心が凝縮されている。本来なら絶叫してもいい場面で、彼は笑おうとして笑えず、泣きたくないのに涙が出る。人は本当に深い喪失を前にしたとき、感情のボタンが壊れる。その“誤作動”のような表情は、人生の後半戦を生きてきた男の、痛みと諦念と優しさの全部だった。
終盤の展開は誰が観ても予想できる。しかし、裏切る必要はない。むしろ“読める未来がそのまま訪れる痛さ”こそが、この映画の真実性であり、中年以降の恋愛の構造そのものだ。派手なドラマを積み上げなくても、俳優の呼吸と沈黙だけで物語が成立する。これは邦画が成熟した証拠である。
そして今後、邦画は確実にこの方向へ舵を切る。観客の中心が40〜60代へ移り、配信プラットフォームが中年の恋愛を積極的に支える時代において、“傷を抱えた大人の恋”は邦画の新しい主要ジャンルになる。若さを前提とした恋愛映画の時代は終わりつつあり、これからは“受容としての愛”が物語の中心になるだろう。
本作はその転換点に位置する作品と感じた。恋愛は若者の特権ではなく、人生の重荷を背負った後でなお続いていく営みであることを、美しく、そして痛切に示してみせた。成熟した邦画の時代は、いよいよこれから始まる。
「いきどまり」の歌詞が胸にくる
原作が賞を取った時に気になっていたが読めておらず、映画化されて予告編が良かったので鑑賞。
とても良かった。
全く派手さはなく、どちらかというとしょんぼりした50代の話(でも大体みんなこんなものです)だが、俳優さん達の静かな演技と自宅や職場のリアルな感じに自然に引き込まれた。
予告編を見て想像したあらすじ通りの展開だったが、それを細やかに表情と風景で見せてもらえ、映画で見てよかったなと思った。
堺雅人さんの涙でもらい泣きしている時にさらにエンドロールで「いきどまり」が流れて追い打ちで本格的に泣いた、、ものすごく映画の世界観に合っている歌詞だった。
全体としては本当に良い映画だったが、井川遥さんの口調だけがちょっと気になった、いくら「芯が太い」女性でもあの言葉遣いはありですかね?
劇中に出てくるBGMが1980年代で懐かしい、幼なじみたちと観に来たい映画だった。
忘れられぬ呪いを今君にあげる。嘘。
感想
複雑で崩壊している家庭環境の中で育ち思春期を迎えそれでも必死で平静を取り繕い生きている須藤葉子。そんな須藤の事を中学時代から陰日向より見つめ続け好意を感じていた青砥健将。自己肯定感が低いまま成長し家族の考え方も受け入れられず、自身が選択し経験した人生さえも否定してしまう悲しく歪な心根を持って生きてきた須藤。30数年の年月が過ぎ去った後、壮年期に青砥と偶然の再会を経て次第に付き合いを深めていく2人。人に心開く事の出来ない今の須藤を優しく見守る青砥の深い思いやりと、青砥の昔からの気持ちを受け入れながらも病という重荷をも受け留めていく須藤のその当事者にしかわからない心の葛藤と、人生の奥深さを感じる行動が、その事に関わっていく人々の人生の人間心理に影響を及ぼし、痛恨とも言える不治の病であるのにもかかわらず更に他の人生をも一段と昇華する事となり忘れられない思い出となっていく物語の展開に涙し感動する。
監督:土井裕泰 脚本:向井康介
原作:朝倉かすみ
脚本は映画用に程よい改変があり平均以上の出来映えで素晴らしい。演出は安定の纏め方で安心して観る事が出来る。
配役
青砥健将:堺雅人
須藤葉子:井川遥
他 でんでん 中村ゆり 安藤玉恵 成田凌
塩見三省
星野源氏の挿入歌「いきどまり」がとても素晴らしい楽曲で心に染みすぎて泣けた。本作と共に忘れられない。この曲を聴くと私自身病を受ける者だかこの病をきっかけに関係者を巻き込みながら不思議な事に人生の喜びという昇華とも言える経験することも出来た。病は死を伴う悲しいものだが、その死の影響は人の人生観を変える事もある。心にのこるのだと信じたくなる。
⭐️4.5
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