平場の月のレビュー・感想・評価
全384件中、21~40件目を表示
日常の中にある想い
人生を歩んできた者たちの淡い時代を呼び覚ますひととき。
歳を重ねるが如く思いやりと表裏となる強引さが影を潜め、相手への想いの言葉を重ねる。
そんな時の流れの中、訪れるすれ違い。
交わした約束という名の想いを互いに待ち望む未来に訪れる答えとは。
その答えは言葉ではないが、いつもそこにあるが届かない月の様に想いを馳せる。
そんな心に染み込んでくる気持ちにさせてくれた。
50代以上または、未満でも。きっと人生が順風満帆ではない人に響く話。
同世代の心にジンとくる作品です。
私の中学時代の同級生達は、今も元気でいるだろうか…
たまたま同じ時代に、たまたま同じ学区で産まれ育っただけの赤の他人共。
殆ど縁(えん)も縁(ゆかり)も無いけれど、
…それでも元気でいてくれると嬉しいな。
中には、病気や事故や災害で…先に逝ってしまった者もいるのかな?
正直…嫌だな。
大した付き合いも無いし、親友どころか、軽薄なおトモダチなんて間柄でさえないけれど、
普通に結婚して、子供もいて、
生活に子育てに、
直ぐに変わる時代の急流に四苦八苦しながらも、
死なんて微塵も考える暇もなく、平凡に生きていてほしいな。
不幸だったりしたら、悲しいって言うより、、何故か途方も無く寂しく感じてしまう。
かつて同級生だった二人、
今はお互いアラフィフのオッサン、オバハンで、
久しぶりに再会して、恋に落ちる…
多分…同性だったなら、きっと掛け替えの無い唯一無二の親友だっただろうに😢
異性同士だったが故に堕ちた恋…
不器用で優しくて、繊細で寂しがり屋なくせに、自己嫌悪で心がぐ~るぐるだから、
愛しい人に甘えきれない…
互いにそんなだから、惹かれ合っただろう皮肉😓
ヌコ様🐱は…死期が近付くと、親しい下僕👨👩👧👦共に弱い姿を見せまいと、知らぬ間にシレッと姿をくらますなんて謂いますが、
ヒトでソレをヤラれると、、かなりキツいモノが有りますよ😭
どんなに醜くても…見窄らしくても、、八つ当たりされて傷つけられても…
ちゃんと看取らせて、ちゃんと悲しみのドン底に、喪失感の果てに落してくれよ…と。
愛ほど深いノロイは無いって、五条センセイだって云ってたじゃん🤞
涙が出るは感情移入するはで心拍数が上がった。
何とも切なく苦しい物語。手に届く世界観が、より一層、映画の世界に自己投影することになりました。
とにかく胸を打つ、近年、最高の作品でした。
ガスヴァンサント監督の追憶の森以来、胸を揺さぶる、そして、言葉に出来ない人の一生という現実が抱える悲しみを強く感じた点では、それ以上の作品でした。
一見どうでもいいカットも日常を照らす上では不可欠だと、見終わってから再評価できます。
文句なしの満点です。
映画館で観れて良かった。たまたま、この作品に出会えたことに、本当に運が良かったと思います。
とても久しぶりにパンフレットも買いました。それほど私の心を鷲掴みにした作品でした。
映画は見終わったけれど、自分の中ではまだ終わりきれていないので、原作も読んでみます。
月はながめるものである。触れようとしてもそれはできない。それでも・・・
好感を持てる映画だが、私の心に突き刺さるものが無い。
何故、須藤(井川遥)は青砥(堺雅人)の結婚申し込みを拒絶したのか。会うことさえ拒んだのに、一緒に旅行することを約束したのか。癌の再発で死を避けられないと悟ったゆえなのか。相手の事を考えず、略奪婚をしたり年下の男に入れ込んだり、また中学時代相思相愛だった青砥の告白を無視したりとその独りよがりの太い(強い)性格がどうして形成されたのか、そこのところがよく分からない。男を追って家出した母を持つ家庭環境が原因だと推測は出来る。が、説得力ある描き方をしてくれれば、私の心に突き刺さるだろう。結局、須藤は誰にも心を開かず、あの世に旅立ってしまった。そんな女性に惹かれた青砥がかわいそうだが、それが人生だろうと思う。
離婚しても元嫁や子供と仲が良かったり、仕事や同級生との付き合いも問題がなかったりとやや楽観的だが、そのぶん須藤との恋愛が浮かぶ作りになっている。役者さん達の演技は良い。井川遥は難しい役どころを上手く演じている。
「一緒にいてくれる人がいるってのは、当たり前じゃねえぞ」
山本周五郎賞を受賞した朝倉かすみによる小説を原作としています。友人から泣ける映画と言うお薦めがあったので、観ました。
登場人物間でのやりとりが、演技しているとは思えないほど「普通」すぎて、また、主人公の青砥健将(堺雅人)と須藤葉子(井川遥)の間で交わされる会話では、大腸がんの本が「あの『科学と学習』の学研から出ている」だったり、須藤葉子がユニクロの服、コジマの家電、ニトリの家具に囲まれた生活をしていたり、普通の暮らしが至る所に出てきます。「平場」=ふつうということがよくわかります。
堺雅人が童顔なので、同級生感がないのですけど、実年齢は井川遥より上と知り、驚きました。でも、演技はいい。最後の演技は泣かせますね。また、井川遥は、小料理屋の品のいい若女将のイメージしかなかったけど、この映画で一皮むけた感じで、眼鏡をかけているときはやはり美人ですけど、普段は「平場」という感じがして、とてもよかったです。
一点、自転車に二人乗りしたときに、中学時代にも同じことをしたことへの言及がないのがなぜか、わからなかったです。
君の映画では泣けない
おいらは評論家ではないので、映画評はとてもシンプルだ。
おもしろかった・まーまーおもしろかった・フツー・おもしろくなかった・期待はずれ、の5段階だ。(前回より一つ増えた)
映画を観る前の人にはちょっと読ませたくないな。今回は、期待はずれであった。シナリオも演出力もおいらは足りないと思った。
原作小説未読。
ただただ平凡な50代の元男子と女子のラブストーリー。
一所懸命 平凡さを表現しようとしてるが、あのおふたり。平凡にならない。
どうせだったらもう少しだらしなく描いたほうが平凡に近づくのでは?
癌を表すにも人工肛門の用具などは写さずに癌を表現できただろうに。
演技力のあるおふたりに任せたほうがよかった。
ハコさんの退場があっけなく、退場の経緯を妹に任せるのではなく、ハコさん本人に任せるべきだったかな。
いいものを作ろうと役者も脚本家も監督も頑張って話し合いながらやっていると思うが、どうも功を奏したとどうしても思えなかった。
もちろんおいらのために作ったわけでもないので、これはこれで製作に携わる全員が満足してくれれば、おいらが泣けなくても関係ない。ただおいらが泣けなかっただけだ。
余談だが、おいらが通う全国のイオンシネマ、夫婦50歳割をやっています。
イオンシネマの回し者ではありませんが、夫婦2人で2400円は安い!1か月に3回観に行きました。
コマーシャルはカットされるかな?
ラストの表情がすごい
主人公とヒロイン、2人の関係性や距離感が本当に、若いカップルと遜色ないように感じた。妙にリアリティがあるなと思った。
主人公の周りの友人たちも、中学から50代のおっさんになるまで、ずっと良好な関係が続いていて、少し羨ましく思った。
ラストの堺雅人さんのあの表情、あれほどまでに気持ちが伝わってくる演技ができるのは、中々すごいなと思った。
結末を知った上で観ても良いと思う
親の死、子離れ、配偶者との離婚や死別…。歳を取るうちに家族という集団形成が薄れ、次第に「個」の自分が浮き出しはじめる五十代。振り返れば、もはや若さや野心も無く、残る財も功績も平均的な一般市民―――。主人公たち周辺の人々も同様であり、須藤(井川遥)の過去が唯一の特異でしょうが、仮に私がどこかのシーンで投げ込まれても数秒で馴染めそうなほど、庶民の日々を切り取った背景。故にこの「平場な物語」には、いくつもの「共感」が散りばめられています。
映画的にはトラブルや事件といった「非日常性」を加えてストーリーに抑揚をつけたいところですが、そういうこともなく、逆に須藤のラストの過程を見せない引き算の演出をするこの物語については、もはや結末を知った上で観に行く方が、井川遥さん、堺雅人さんの繊細な「揺れる演技」の所以をより味わえるのではと思いました。
中年のキスシーン、ベッドシーンは生臭くて苦手。たぶんあるだろうと少しためらっていましたが、お二人のシーンは自然に見ることができました。二人の中学時代の回想が所々で挟まれ、中学生青砥が須藤にした仕草と同じ入り方を大人でもしたことで「ピュアさ」を先に感じたからかもしれません。まあ、お二人の若さが残る容姿もあって…。という所はありますが(笑)。
エンドロールでの星野源さんの「いきどまり」もぴったりでした。
良い物語、ありがとうございます。
50年も生きてきたのにね
50代の人生。
50代の恋愛。
自分自身や周りの同世代が遭遇する様々な出来事、失敗、トラブル、そして喜び…
そんな「オーバー50あるある」な感じが2時間ずっと続くんだけど、結論、私の感想としては「なんだかきまりが悪い」。
50歳過ぎて、もちろんいろんなことがあって、それでもなんだかんだで乗り越えなきゃいけないし、それでいちいち大声上げてわめきちらしたりすることはない。
でも、生きてくって大変だ。
みんな分かってる。
それを、何でもないフリして生活してる。
50代すぎたって、いろんな出会いがある。
別れだってある。
特に「死」との向き合い方はこの年齢特有のものだろう。
この映画は、世の中を動かしている40代以下の人々を撮り続けてきたカメラの背後にいる、世の中の中心を外れ始めた人々、そんな、決して特別ではない存在としての50代にあらためてカメラを向けた作品。
当事者世代の私としても、その切なさや息苦しさには共感するし、涙する気持ちも分かる。
そんな当事者世代だからこそ…
予備知識を入れずに観た私の責任だと自覚した上で、
「私はこの映画は好みじゃない」
大人のラブ・ストーリー
共に歩むという意味
平場の月
初めての映画レビューを投稿します。
思った事をまとまりなく、書いていきます。
映画館を出た後、薬師丸ひろこの「メインテーマ」
をスマフォで聴きながら帰宅した。
直ぐに感化される私
主人公と同世代で、ほぼ同じ時代を生きてきた
このメインテーマと中学生の「ハコ」の友人の一人が聖子ちゃんカットで時代が被る
50代で事情を抱えて、新たに出会った青砥とハコ
お金が無いから自宅で飲もうと、ハコが青砥を誘った。すごくリアリティがある。
青砥が天気予報を見ながら、自分のお弁当を作っている場面も気に入った。唐揚げが入っていて色とりどり。おかゆや鍋をよそっていたり、料理上手な青砥。
息子が青砥に会いに来たとき、息子が冷蔵庫の作り置きを食べようとすると「俺の夕飯だから食べるな」と言う場面もリアルすぎる。
青砥が職場の印刷工場で丁寧に仕事をしている部分も上手く描いている。仕事仲間とお弁当を食べていて、人間関係も良好。青砥が離婚した理由はあまり
納得しなかったけど。古瀬美智子のような美しい妻だったから、価値観が合わなくなったのだろうか?
この主人公の二人を取り巻く同級生の登場が羨ましかった。特に青砥の仲間3人。友人の娘の結婚式、
青砥のお葬式に出席したり、関係が続いているのが
羨ましい。
ハコが働いているパート先にも、中学の同級生。
青砥とハコを後押ししてくれていた。
地元で暮らしていると、こんな人間関係があるのかな?
青砥の母の葬儀で、青砥の元嫁とハコが会話をし、
元嫁はパートナーの車に乗り、ハコは葬儀場にもどる。青砥が一人残されたのは、今後を暗示していたからなのか?
青砥がハコの全てを受け止めようとしたのに、ハコは別れを選択。??と思った。一緒になろうと青砥が言った言葉を、何故受け止めなかったのだろう?
その後の展開に期待していた。納得しないハコ別れの切り出し方だったから、またよりを戻すと思っていた。
同級生からハコの死を聞いた青砥
こんな展開あるかなー
ハコは、愛した人に別れも告げずスーッと旅立ってしまった!ハコの部屋は整然としていた。亡くなった後もハコがいるように。
そして焼き鳥屋で、青砥の職場の後輩の昇進祝いの中、薬師丸ひろこの「メインテーマ」が流れて
青砥が大将のいるカウンターに座って、溜めてた悲しみを吐き出すように泣き出す。この堺雅人は、いつも笑っているような顔だから、泣きじゃくっているのが余計にハコの別れの辛さが伝わってきた。
スマフォの操作を電車でしていたら、スマフォを床に落としてしまった、鈍臭い私
映画の余韻に浸れず、現実に戻った。
50代半ばの私が、加齢による聴力低下で青砥とハコの声量が小さい場面は聞き取れず。
これが50代。身体も老化しつつ、平場の月を求めて
数年ぶりに映画鑑賞しました。
優しさの機敏と温度差
50代は人生の折り返し地点。
結婚をして子育てが終わり今度は親の介護問題、そして自分の健康問題が襲ってくる。
私は独身だが、介護問題があった。
人生は幸と不幸がシーソーに乗って自分の意思とは関係なく動いている。
バランスなんかない。
幸せばかりの時もあれば、不幸の連続もある。
それでも今までの経験でなんとか乗り越えたり
してきた。
自暴自棄になったこともある。
50代になれば、殆どの人がそんな経験をしてきたであると思う。
この作品の主人公の堺雅人演じる青砥は、実に明朗である。
50を超えて離婚をして一人暮らし。
印刷工場に勤務。
職場の人間関係は良好である。
人生の失敗は多数あるも、前向きである。
中学生の時の同級生須藤との偶然の再会。
井川遥演じる須藤はどこか過去を引きずり、他人に本心を打ち明けない。相手との距離感を大事にするタイプだ。過去の経験がそうさせているのが、言うに及ばずである。
50代で中学時代の友人と語り合えるのは、幸せである。リアルな視点だとあまり無いと思う。
私にはない。
青砥とその友人達は中学時代の距離感は変わらない。変わったのは立ち位置と人生のライフステージである。
同級生達との会話。
時間の経過と自分の心境。
作品は時系列をクロスさせて演出されていた。
青砥との再会で、ぎこちなさを感じるものの、互助会的な飲み会で、徐々に惹かれていく須藤。
だけど晴れやかではない。
須藤の強がりの裏側にある哀しみは、作品のラストに、辛さを飲み込む優しさとして表現されていた。
ともすると、青砥の優しさは視界狭い優しさにも感じる。
違和感を感じた似合わない「お前」呼び。
一方通行的な思い。
須藤は全てを理解してたのではないか。
同じ時代を生きた「戦友」
共有が生んだ「友情」
少し感情が先走る青砥のくすぐったい「優しさ」
全てに応えられない事を。
須藤の心の深い場所にある優しさが、少しの時間だけ幸せの時を過ごせた。
ラストシーンで、焼き鳥屋の塩見三省演じる児玉が、何も言わずに、音楽のボリュームを上げる。唐突もなく終わった青砥と須藤へのさりげない優しさのレクイエムかもしれない。
この作品は男女で違う解釈に分かれると感じた。
心の機微と優しさを感じる作品であった。
全384件中、21~40件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。










