平場の月のレビュー・感想・評価
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好きだから一緒にとは限らない!甘えられない自分を押し通す寂しさを感じた。
夜空の月や星を眺めながら物事を考えるなんて~
人生幾度在ることだろうか。
今日は そんな人生の終焉を悟る時、
誰と迎えたいのか、
そして 何を優先しどう生きたいのか。
「平場の月」の鑑賞です。
率直に言って、若い人向けの恋愛映画ではありません。
よって、そこには憧れも華やかさもありません。
真っ直ぐな想いと純粋な生き方だけが ただ在るのだと感じました。
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・青砥健将 (役:堺雅人さん): 50歳、地元の印刷会社で働く。母親の介護をしながら一人暮らしをしている。
・須藤葉子(役:井川遥さん): 青砥の中学時代の同級生(初恋)。病院の売店で働き、夫を亡くした後、一人で生きてきた。
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病院の精密検査を受けに行ったときに 偶然昔の思い出の彼女に出逢う青砥。
50代に成ってから 彼女との交際が始まるのだが
彼女もまた悩みを抱えた人生を送ってきた人だった。
そして彼女には癌が見つかる。お互いを支え合って生きて行く中で彼は彼女へこの先を一緒に生きようと告白するのだが・・・
彼女は 全てを断ち切って行く選択をしてしまう。どうしてそうするのか。
最後に迎える二人の心を 夜空に欠けた月だけが知っていたのだった。
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(感じた事)
・まぁまぁ50代過ぎの生活感などはリアルな描写であったと思います。
価値観なども上手く合わせてあって その辺り演出的には違和感は強いては感じませんでした。ただ、目立たない大腸ガンを表に出してきたのですが 女性なら乳ガンの方が共感得たかなとは思います。
あと、やっぱり幾度の抗がん剤治療で髪の毛は抜けるかと。転移後2度目治療ははそんな描写でしたが、最初の段階でも 綺麗な長い髪は抜けるだろうと思います。
・男性から視点で、昔告白した彼女が晩年 こんな感じで再会出来たら良いな~っていう 都合の良い表現に成ってると思います。
女性側を綺麗に見せようとしていて、最終 死の病気別れにも成るし。
ちょっと狙い過ぎかなと感じました。
よって 終盤展開は共感しませんが、違和感なくすべて読めてました。
・幾つに成っても男は常に馬鹿者で、装飾品的な物をあげようとしたり、何処かへ一緒に旅行に行こうと誘ったり。彼女の大病を気遣うなら 無理強いは出来ないだろうと思いますね。
彼の本気度が伝わった時、彼女は迷惑を掛けられない決心をしてしまうのです。
1年も全く気づかない青砥は大馬鹿者そのもの。
普通はこの状況なら相手の病の具合を悟りますね。
気付かないのは それだけ完全な相思相愛では無かった事が伺えます。
・表現が面白かったのは、母の葬儀場で 元妻(役:吉瀬さん)へ須藤がハンカチをワザと渡して、一瞬視線がバチバチする所ですね。
この女が次の人か~ な想いと、この人が捨てた前の女か~ な想いの所ですね。
ここは一番 面白かったです。
・須藤が亡くなった事を告げられた 青砥の表情がダサい。
もっと上手くなくて良いから、 心の奥底に残念でならない想いが届く様な表情にして欲しかった。演出が感動に至って無いのが惜しいと思います。
・青砥の中学生を演じた坂元 愛登さん、イイ感じでした。
そして須藤の妹役の中村ゆりさんですね。次回作も応援です!
中年代の恋の話ですが、人は幾つに成ってもドキドキはしたいもの。
人生後悔しない最良な想いに成るのなら、それならそれで良いかと思います。
ご興味ある方は
劇場へどうぞ!!
同世代じゃなくても心に刺さる
静かで優しい大人の恋…♡
10代の胸キュン映画ではなく、
中年期に焦点を当てた作品がずっと観たかったです。
あまりにも青春であまりにも切ない。
人はいくつになってもひかれ合うもの。
青砥の相手に寄り添う心と
須藤の芯の太さの中にある繊細さ。
堺雅人さんと井川遥さんの柔らかな雰囲気から
表現されるナチュラルな演技に魅了されました。
女同士で何かを察したときの場面と
後半の展開がものすごくリアル。
ふたりの運命をそっと見守りました。
劇中にことわざが出てきますが
まさにこの作品にもいえることであり、
夢中になって鑑賞しました。
ユニクロ、ニトリなどの名をはっきりと
発言しているところにも親近感。
私も小さな幸せを大事にしていきたいと思いました。
お店で流している曲のボリュームを上げた
焼鳥屋の大将good job🍺
心に残る作品になりました。
まだ若すぎた…
正直、世代的なものか泣くほどには刺さりませんでした。
ネタバレを避けたいのでストーリー全体としての評価は避けます。
冒頭にも書きましたが、おそらく世代で評価が大きく変わる作品だと思います。
私自身が30代と言うこともあり、映画の内容で経験した事がない事が多かったのです。だからと言って一般的ではないかと言えばそうでもないストーリーでした。
50代くらいの第二の人生を歩む先輩方にはブッ刺さると思います。
『花束みたいな恋をした』が10代〜20代なら
40代〜50代は『平場の月』です。
世代感のある懐かしい音楽といい雰囲気の焼鳥屋さんが物語の節目節目に登場し土井監督の作品らしさがあったのかなあと思います。
また、会話のテンポも良く、言葉で表現するのは難しいですが強いていうならば、いい意味で素っ気なく単調な会話と思わずクスッと来るワードセンスがあり、これもまた土井監督ならではかなと思いました。
ネタバレしない程度にストーリーの感想を述べますと、
私自身もいつまで経っても初恋の人は忘れることはできませんので、いつかこんな恋愛してみたいなあと思いました。という感じです。
恋愛をするのに年齢制限はないんだなって思いました。
あと、堺雅人さんも井川遥さん本当にいい演技でした。
堺雅人さんはリーガルハイや半沢直樹で個性派のイメージがありましたが、見事に払拭してくれました。
井川遥さんは本当にお綺麗でした。
とてもいい映画でした。
本質的な心の豊かさとは。幸せとは。
近い将来変わってしまう「池袋東口」の光景。
遡って彼等が中学時代の学校や教室の空気感。
貼られてた「宇宙の地図」などの掲示物。
視界の移り変わり。気持ちの移り変わり。
同じ時間を生きてきた人間として全てがリアル。
忘れかけていた記憶や感情を映画のスクリーンに、
いきなりバーンと大画面で映された印象をうけた。
星野源さんの「いきどまり」を聴いて
これは…一切の情報を入れず観たいと来たが、
素晴らしい作品だった。
井川遥さんが本当に素敵だし、
同僚と仲良くストレスなく働いている堺さんが、普遍的な幸せを何より気づかせてくれる。
個人的に全てのバランスが絶妙だった。
本質的な心の豊かさとは。幸せとは。
近年1番胸に刺さった作品。
キチンと「大人」で「平場」。だからこそ残る余韻
とてもよかった。
号泣タイプのドラマチックな作品とは一線を画し、予告編が伝えてくる世界観そのままに、登場する役者たちの滋味深い演技が、静かにしみ込んでくる一作。
堺雅人、井川遥2人のセリフまわしや振る舞いの一つ一つが、愛おしくなるくらい、登場人物そのものとして立ち上がってくる。
周囲の役者たちも実力者揃いで、特にでんでんと塩見三省の2人が、今作の味付けをより豊かにしていた。
この季節にピッタリの良作。
<ここから内容に触れます>
・予告編がとてもよく出来ていたと思う。「予告編を超えたか超えないか」がその作品の評価として語られることがある中、観終わってみると、予告編が本編そのもののエッセンスを、ぎゅっと絞ったという感じがして、度々見返して浸りたい出来だと思った。
・例えば、予告編にもでてくるが、居酒屋での井川遥の手の挙げ方が、もう大好き。あれだけで、彼女の「人には頼らないと覚悟して生きている凛とした感じ」や「素直に青砥と会って話せる喜びや緊張感」が伝わってきて愛おしい。
・「お前、あの時何考えてたの?」「夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね、ちょっと」というやり取りの切なさ。観終わると一層切ない。
・須藤と青砥が人として対等であるところ(あろうとしているところ)が肝。
例えば、青砥は須藤に「なんで青砥は、お前って呼ぶの?」と詰められる。青砥からすると「友達のところはみんなお前と呼ぶ」というだけの話なのだが、それ以降はちゃんと「須藤」と呼ぶようになる。そういう、気楽に相手に依存していかない、大人さ加減の積み重ねがいい。
・「それはもうファンタジーだよ」という言葉の納得感。その後の「恥ずかしい」「俺だって恥ずかしいよ」もよかったなぁ…。
・立教を出て、金融機関で長年勤めてというキャリアも都内の家も全てを清算し、地元に戻って病院の売店でパート勤務をしながら、アパートで清貧な一人暮らし。
「死んだ時に片付けやすいように」と、余計な荷物は増やさず、青砥と家飲みをするようになっても、一つずつのコップとマグカップを貫き通す須藤の頑なさ。
突然の決断の理由も、須藤は一応口では説明するものの、青砥のみならず、観ているこちらもやっぱり「どうして?」と思う。(成田凌演じる鎌田に貢いだのだって、「推し活」と考えれば、そんなに自分を責めることも無かろうに…)
・12月20日には、赤い○がついていた。そして、最後の一言も、やっぱり青砥を思ってのものだった。それなのに、須藤はなぜ1人で生きていくこと死んでいくことを選んだのだろう。
どんなに太陽のように照らし続けても、月の裏側は決して見えないように、残された青砥にとって(つまり観ていた自分にとって)の納得解は、当分見つかりそうにない。
若い2人のラストシーンの意味とあわせて、しばらく残しておくことにする。
・奇しくも、数日前に突然知人の訃報が届いた。今作でも病気や死を扱っているが、ドラマをつくるためというより、あくまでもその年齢だったらあり得るモチーフというところに意味がある。出てくる人々の造形も含めた「平場」な感じが今作の命なのだろう。ちゃんと自分に重なった。
原作は未読なので、原作の世界もじっくりと味わってみたい。
メイン・テーマで掴まれて、トイレの後がウンのつき(月)
薬師丸ひろ子さんが歌った数々の名曲の中でも、一番好きなのが「メイン・テーマ」(映画の方は決して一番ではないんですが主題歌に関しては「Woman」と双璧)なので、冒頭から心を掴まれてしまいます。
原作未読で映画鑑賞後に調べたら、原作の主役たちは2018年か少し前で50歳のようで、ほぼ同世代。原作にもこの曲が出てくるなら大納得なのです(出てくるのか、そこは調べてもわからずでした)
同級生たちとの会話が自然で、かつて恋心を抱いていた同級生女子との再会後の会話も、でき過ぎと思いながらも嘘くささは感じない。
中学生時代に好きだった子と50歳で再会した会話を想像したとき、あんな風に距離を測りながら、徐々にバリアが剥がれていったらなんていいだろうって思ってしまう。
そんな会話を重ねて、お互いが独り身になっていて、何年も一人で暮らしていることがわかったら、そりゃー期待しちゃいますわなー。恋心が戻ってきちゃいますわなー。若い男の影も登場して、この大人の恋がどっちに進んでいくのかわからずに楽しみが増します(なんせ原作未読なので)。
でも、須藤(井川遥さん)が健診を受けるって言ったときには、そっち方向かーって察してしまって、期待値下げちゃった。
とは言え、2回目の術後検診までは良かったのよ。あんなに2人の仲が深まっていたのに、あのタイミングであんな感じで別れを切り出されて、トイレに行ったら気持ちを抑えきって「お前は約束は破らないよな?」で、ずーーーっと会わずに済ませられるもの?
てか、大病した彼女のその後の様子を誰に訊くこともなく1年も未読のLINE見て過ごす?地元で、同級生もたくさんいて、妹さんとも顔を合わせていたのに? あんなに繊細に積み上げて、この一番大事なところで急に雑じゃない?
気になり始めると、気にしないようにしていた月のことも気になり始めます。「平場の月」というタイトルからか、作中何度も出てくるお月さん。その月の形と見上げる方向や高さから、凡その時間がわかるのに、その月の映像に続く話が時間的に相応しくない場面が何度も(下弦の月が上ってきているのに夕食準備してなかった? 満月がそれほど高くないのに商店街で中学生が見咎められる? など)
死を知ったあとの何も理解できないような様子、ラストのあの曲(居酒屋のおやじ、わざと有線リクエストでもしたかい?のタイミング!ではあるけど)を聴いての慟哭など、堺雅人さんのクライマックスの演技は大げさではなく、青砥の気持ちがよく表現された泣かせるものだったと拍手を送るけど、やっぱりあのトイレの後がどうしても納得できなくて、それまでのわくわくした気持ちもトイレに流れてしまったのです。残念です。
<以下、レビューに入れ込めなかった感想>
・50歳のベッドシーン良かったなー
・女の人のあり方を「太い」って形容する感じ好き
・同級生男子たち、楽ちんそうな役を楽しそうに演じてたねー
・がん検診啓蒙映画?
・え、中学時代に2人乗りするくらいのことはしてたんですか!
・「俺が高卒だからか?」は急すぎない?そんなコンプレックスどこかで匂ってた?
大人の恋愛にどうしてこんなにも心が揺さぶられるのか。
予告編を見た時から、「お前、あの時何考えてた?」「夢みたいな事だよ。夢みたいな事を。ちょっとね。」というやり取りと、星野源の主題歌「いきどまり」に妙に惹かれたので映画館に足を運んだ。結論から述べると、とても良い映画だった。
中学の同級生である、青砥と須藤が病院で再会し、「励まし会」という名目で定期的にふたりで飲むようになっていき、地元に戻ってくるまでのお互いの人生を打ち明けていく。
時々、中学時代の二人のシーンが挿し込まれ、徐々にどういった関係性だったのか明らかになっていく構成であった。50代という年齢は、離婚や子供の結婚、人生の大きな節目のようなイベントを終え、どこか疲れと安堵が見える年代なのかもしれない。そんな二人が心を通わし、距離が近くなっていく様に目が離せなかった。須藤は「芯がふとい」と中学生時代からの印象は大人になっても変わらず、手術の決断もスパスパ決めてしまう。死ぬかもしれないことを青砥に打ち明けなかったのも、最後までふとく生きたんだなと。また一度離婚を経験して、アルコール中毒になってしまった青砥を気遣ったからなのかも知れない。風のうわさで須藤の死を知り、須藤の妹と喋る時の、青砥は驚きが強く、挙動の落ち着きになさが目立ち涙は流さなかったが、会社の飲み会で、須藤と励まし会をしていた居酒屋で、いつもいるマスターの前で、須藤と聞いた薬師丸ひろ子の「メインテーマ」が流れ、今は横にいない須藤を思ったのか、泣き出してしまうシーンは本当に切なかった。その人がいた場所や、その人と一緒にやったことで、その人の死を実感する。
二人乗りのシーンがなにより良かったですね。最初は「あまりにも青春すぎる」と断った須藤が乗る意味。ラストシーンは中学生時代の彼らが。星野源さん主題歌の「いきどまり」、役者陣の素晴らしい演技、全てが素晴らしかったです。
50代はだんだん別れが多くなる年代
月夜みたいな恋をした
今年初旬の『ファーストキス 1ST KISS』と同じく。恋愛物はほとんど劇場で観ないが、キャスト(堺雅人&井川遥)×監督(『花束みたいな恋をした』土井裕泰)×脚本(『ある男』向井康介)に惹かれた。
また、大人の恋愛映画という点にも。邦画の恋愛物は少女漫画や泣ける小説の若者向けばかり。中には良作や創意工夫もあるが、似たり寄ったり。
そんなキャピキャピキュンキュンじゃない、しっとりした大人の恋愛模様に浸りたい…。
陽光のようなキラキラは無いが、月夜のようなしみじみと穏やかさと美しさ。
ドラマチックな展開も無いが、しっかり地に足付いた物語。
設定もあるあるだが、誰の身にも起こり得るし、置き換えられる。
離婚後地元に戻り、認知症で施設預けの母を見舞いながら印刷工場で働く青砥。
夫と死別後やはり地元に戻り、病院の売店でパートしながら暮らす須藤。
中学時代、青砥にとって須藤は初恋の相手だった。共に訳ありの独り身、50歳。そんな2人が再会し…。
今作で堺雅人は工場の不正を暴いたり、潰れかけの工場の為に奮闘したりしない。悪徳圧力から須藤を守ろうと闘ったりもしない。熱血イメージの堺雅人を期待すると物足りないかもしれない。
だからこそ、堺雅人の巧さが光る。外に出ればそんじょそこらに居るごくごくありふれた何の取り柄も無い平凡過ぎる中年男を、人柄の良さも含めてナチュラルに演じている。半沢や乃木は当然役のイメージ、バラエティーなんかで見る素の雰囲気に非常に近く、人懐っこい親近感も沸いてくる。
井川遥は2005年の『樹の海』から女優として飛躍したと感じた。同作では駅の売店でパートしていたが、本作では病院の売店で。そんは日常に溶け込む役柄が実はどんなに難しいか。それを井川遥もまたナチュラルに演じている。
徐々に分かってくるが、苦労の多い人生。化粧っ気も無く、何処となく疲れた雰囲気を滲ませる。それでいて、美しさやほんのり大人の女性の色気は隠せない。特筆すべきは性格の“太さ”。ぶっきらぼうながらもハンサムウーマンなカッコ良さすらある。
2人の織り成すやり取り、会話の抑圧や間、息遣いまで、それらがひしひしと伝わってくる。
再会して間もない時の絶妙な距離感。近況を伝え合う“互助会”と題した月一間隔の居酒屋飲み食いきっかけで次第に距離を縮める。自然と惹かれ合うようになって、大人同士なら…。ぎこちないキスにドキドキ。
中学時代と同じくお互いを「青砥」「須藤」と名字で呼ぶ。青砥は須藤を「お前」とも呼ぶ。女性は男性にお前呼ばわりされるのを嫌うと聞いたが、須藤も最初は嫌がっていたが、青砥のそれは気心知れた親しみ込めて。
それくらい、意気投合した。お互いにとっても“ちょうどいい”。
中年独り身。気が合えばこの先一緒にどうだ?…と思うのは自然で、青砥はその思いを強くする。
が、須藤は…。今更男に頼りたくない須藤の性格もあるだろうが、展開で何となく察した。
予定調和でもあるが、それがまた染み入る。
良作。始まって数分で確信した。見終わって心満たされた。
星野源によるED主題歌がその余韻を一際格別のものにしてくれる。
『花束みたいな恋をした』ではカルチャー含めた若者ラブストーリーを共感たっぷりに描いた土井監督。テイストが違う情感溢れる大人の恋愛を魅せてくれる。ヒューマン・ミステリー『罪の声』なども手掛ける巧い人なのだ。
ユーモアや中年のリアル滲む会話、丁寧なストーリー展開。向井康介の脚本も巧い。
THE旧友な大森南朋や宇野祥平、職場にそのまま居そうなでんでんや椿鬼奴、フレンドリーだがちとウザい安藤玉恵、姉思いな中村ゆり、クールビューティーな元嫁・吉瀬美智子…。実力派キャストが脇を固めるが、ほとんど2人芝居。
2人の恋路を盛り上げたのが、中学時代の2人を演じた坂元愛登と一色香澄。青砥少年の普通っぽさもさることながら、須藤少女の昔から変わらぬ“太さ”。告白されての「嫌です」には直球過ぎてぐうの音も出ない…。
初々しい頬合わせにドキドキ。このシーンがあったからこそ、大人になっての頬合わせに再びドキドキする。
似た境遇に思えるが、その実は違う。
青砥は言うなればごく平凡な人生だが、須藤は苦難の連続。
中学時代、家族を捨て男に走った母が戻ってきて、父は激怒。最悪な家族の関係を目の当たりにし、軽蔑。
30で子持ちの男性と結婚。時々相手はDVを振るってもそれでも好きで別れなかったが、死別。
若い年下青年に夢中になる。気付けば大金の浪費。夫と住んでいた家を売り払って帳消し。後腐れなく別れる。この年下相手の成田凌の人懐っこさも憎めない。
その後地元に戻り、青砥と出会い…。人生折り返しになってささやかな幸せを見つけたかに思えたが…。
大腸がんが発覚。手術で人工肛門に…。
もし自分やあなたがこんな人生を送ったら嘆くかもしれない。
若者だったらこれからの明るい未来に輝くが、中年ともなるとそうはいかない。
折り返し。これから先に思い悩む。
その道中に、重い病や死すら浮かぶ。
凛としていた須藤もさすがに術後は覇気が無くなり、抗がん剤で体調思わしくなく、やつれる。人工肛門で周囲を気にするようになる。
何事もネガティブに。
一人だったら、そのまま塞ぎ込んでいたかもしれない。
傍にいてくれたから。
どんなに支えられたか。
どんなに勇気付けられたか。
どんなに好きだったか。
性格柄顔には出さない須藤だが、内心は叫びたいくらいだったろう。
周りも自分自身も軽蔑してきた。こんな私でもまた人を好きになっていいんだ。
旅行の約束もする。待ち遠しい。
しかしある日突然、須藤は別れを告げる。
一時は幸せを夢見たが、人に甘えて優しくして貰ってばかりで、そんな自分をやはり軽蔑する。…と、須藤は言う。
納得出来ない青砥だが、その日から一年後の旅行だけは約束し、2人は暫く距離を置く。
突然別れを告げた須藤、一年という期間…。もう何があったか察した。
分かってから開幕すぐのカレンダーの丸印を思い出すと、切なく胸が痛くなってくる…。
青砥をそれを知ったのは約束日の直前。突然の事だった。
あまりにも突然過ぎて泣く事も忘れたかのように、ただただ呆然…。
職場の後輩の出世祝い。奇しくも2人でよく訪れた居酒屋。
祝いの席を離れ、カウンターのいつもの席に座った時、改めて気付く。いつも隣に座っていたお前が居ない。
そこに、あの時流れた曲が流れる。
胸か喉元で塞き止めていた思いが一気に溢れ出る。止めどなく。
青砥が涙を流したのはこのシーンだけ。堺雅人の泣きの名演にまた目頭が熱くなってくる。
初めて訪れた時からよくしてくれて、思い出せなかった曲名(薬師丸ひろ子『メイン・テーマ』)も教えてくれて、大腸がん発覚しても酒を飲もうとする須藤を案じてくれて…。厨房隅の席に座ったままだが、店内を見るのは怠らず的確に指示。
青砥が嗚咽した時も事情を察し、何も言わず音楽のボリュームを上げる…。
店主役の塩見三省氏は本作の陰のMVP。ご自身も死を覚悟するほどの大病を患ったからこそ、病を抱えた須藤への眼差しが暖かい。
この居酒屋“酔いしょ”に行きたい…。
須藤は青砥の初恋相手だったが、須藤にとっても青砥は実は初恋の相手だった。
あの頃から憧れの君。
そんな君と、穏やかで心を満たす、月夜みたいな恋をした。
だけど俺は、これから先、お前と2人乗りして生きて行きたかったよ。
同じ世代目線だから涙うるうるでした!
タイトルなし
結構、期待しただけにその点は外れた。セックスしているのに2人の間に性愛的な感情が流れない。そういう設定ならそれでもいいけど。作り方に問題がある気がする。堺は、とても作り込んでるし、自然な感じがちゃんと構築されてる。しかも壮大なトンチンカンなのだ。検診でまずかったなら普通は気づくのではないのか。
井川も壮大な意固地をうまく作っている。でも、セックスしてるのに、好きなのに、ここまで意固地なのだろうか? 月をみてどこかここにない感だとしても、もう少し解離的にもできるはず。男性的と言うことと、受動性は決して矛盾しない。井川はあまり演技がうまい人ではないのかもしれない。
居酒屋の男はとても良かった。
あとは、堺くんと前の妻の関係がさっぱりわからない。
太いと言うほど太くないというか。井川さんもいい俳優のはずなのに、うまく使えてないのか。
劇中で流れる薬師丸ひろ子の歌がめっちゃ沁みた。。
大人の恋愛映画、良い映画でしたね。
堺雅人と井川遥、二人ともめっちゃ良かったです。
見終わって、心にドンっと響いた映画。
やっぱり心に残る映画は良いですね。
中学時代にあんなやり取りがあって再会してお互いシングルだったら、そりゃあ、盛り上がっちゃうだろうな。
映画ではサラッとしか語られなかったけど、彼女の壮絶な過去。
本当は、これがこの話のキーなんだろうけど。。
このキーに関しては映画での描かれ方が薄く感じた分、二人の出会いから恋愛までがメインでラストはともかく楽しく見る事が出来た。
それと劇中で流れる薬師丸ひろ子の歌がめっちゃ沁みた。。
『メインテーマ』、久しぶりに聞いたと思う。
世代というか彼女のレコードは何枚か持ってた私。
ちなみに、よく思い出すのは『Wの悲劇』なんですけどね。
野村宏伸との『メインテーマ』は見返した記憶はなかった。
凄い今回の映画にマッチしてましたね。
50代の男性は皆、薬師丸ひろ子にはハマった時期があるんじゃないでしょうか。。
堺雅人は泣きの演技はダメですね。
そう思ってしまったかな。
井川遥の手を上げてのオイって言うシーンが良かった。
彼女の役柄の性格を太いって表現していたけど、劇中では『太い=男っぽい』と表現しているような気がして。。
律儀、責任感がある、頑固って言うのか表現が難しいけど、なんか違う気がした。
そこが少し気になりました。
ふと、昔みたアル・パチーノとミシェル・ファイファーの『恋のためらい/フランキーとジョニー』を思い出した。。
そして、塩見三省に助演男優賞をあげたい。
今年のベスト1映画です。
CМから逆算して構築したような映画
堺雅人が居酒屋の暖簾をくぐり、井川遥が酒をゴクリとくれば、もう完全に酒のCМの世界、もっと正確に言えばサントリーのコマーシャル。実際エンド・クレジットに協賛と提示されるわけで。まるでCМから逆算して構築したような映画に少し私はトーンダウン。外食では金が勿体ないからと、推奨するかのように、家飲みにスライド、もちろん飲むのは「金麦」。井川遥は昔はアサヒビールのキャンペーンガールでしたのにね。さらに言えば、吉瀬美智子はアサヒビールのCМに出てますから、別れた妻の役なのかも知れません。
すっかり超一流の役者となった堺雅人のラブストーリーなんて、もとより映画は少ない彼ですので、ある意味新鮮で、よくぞ取り組んだ。歳不相応に前髪たらし、男らしさとは対極にある彼の個性をどう活かすのかが本作の肝でしょう。そもそも前妻役が吉瀬美智子って、何をどうこじらせ離別したのかの説明はほぼなく、男性観客には苛つきの元でしかない。倉悠貴扮する頼りない息子が触媒役となるのかしらと期待しても、まるで主題に息子は入ってこない。そんな草食系男子に男前過ぎる美女が絡む設定からして定番を逸脱で、ちょっと理解が進まない。それを補完するためか、中学時代の様相に随分と尺を割く。そこではひたすら井川遥扮する須藤の少女時代の不幸を描き、同情を集約するかのように学校でも家庭でも虐げられた過去をこれでもかと描写。そこへ頼まれもしてない堺雅人扮する青砥の少年時代が白馬の王子様を演ずる。これって高校時代ならいざ知らず、埼玉県の朝霞市では青春のピークを中学で謳歌し、卒業後も密接に繋がっているってこと?なわけないですよね。
そんな過去を持つ二人が偶然再会しゆっくりとゆっくりと大人の恋を育むのが本作の主題。であるならば、中学時代から「私は誰とも付き合わない」宣言をしているのですから、35年後とて青砥の一人相撲を予見さているわけで。実際、青砥のペースに引きずられるようにして須藤は溶けているわけで。さらに共に結婚生活に破綻した二人に何ら障害はないどころか、青砥の同僚も須藤の妹も応援以上に望まれていた状態。障害のない恋なんて、目出度い目出度いで終わりでしょ。
と言うわけで本作での障害は「禁じ手」のようなもので決着をつけようってのが、私は気になるのです。確かに「余命いくばく」は数多の映画の殺し文句のような常套手段。折角芸達者な大人の二人を据えたのであれば、その苦い終焉も大人の結末にして欲しかった。不満はさらに、青砥の四人組も大森南朋までキャスティングしながら全く主題に入り込まない勿体なさ。さらに須藤の元カレ役として登場する成田凌はもっとチャラ男でいて欲しかった、なんですかあれでは好い人でしかないじゃないですか。
12月20日をキーポイントに、その二年前から描きだし、一年付き合って、「温泉へ行こう」が「やっと普通の生活に戻れたの、だから来年にね」と素直に納得。須藤が相手をおもんばかって唐突な拒絶に出られたら、優しき男は信じてしまいますよ、可哀そう過ぎますよ。鈍い野郎だなんて彼を責めることは出来ませんよね。逆に言えば須藤の方こそ配慮がないと私は思うのです。一緒にいる事の幸せを最後の最後まで二人で噛みしめてこそ、と私は思います。噂話づたいに初めて知るなんて衝撃でしかないじゃないですか! 原作もののようですので、プロットは脚本と言うより原作に所以しているわけで、原作者さんの感覚には違和感ありありでした。
最後に、平場って言葉の使い方まで気になります。確かに庶民もその通りで、ましてや女一人病院売店のパートでしたら、さぞや苦しい生活ですよ。でもそれを都会の一角だろうと、上から目線で平場と称する感覚が少々厭らしい。
いつだって青春
全387件中、261~280件目を表示
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