平場の月のレビュー・感想・評価
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気恥ずかしくなるくらい
落ち着いた語り口
薬師丸さん〉〉〉星野さん
わたしは星野さんのアンチでは決してありません。ただ、わたしを含めてこの作品を観ようと思い、そして観て良かったなぁと感じてしまった人は、「やっぱり薬師丸さん、良かったなぁ」と思うのではないでしょうか。
この作品に興味を持ったのは脚本が向井さんだったからです。内容も還暦野郎のわたしの遠い昔の記憶を蘇らせてくれそうだし、土井監督はまぁ普通で、堺雅人さんは「デスティニー」以降映画の主演ないんだとか、井川遥さんて映画は何があったっけとか、いろいろ考えながら観に行きましたが、大満足です。感動しました。土井監督、前作より数倍良かったです。
年代あるあるが凄かったですね。あの苗字の呼び捨て、そうですよ、あの頃は苗字で呼ぶの普通です。ニケツとかも、友達から始めて下さいとかも。
わたしは過去に好きだった人に会いたいと思ってしまった時、「あの頃のあの人」が好きだっただけだと思い直すようにしています。でも、この作品を観ていて、好きだったと言う気持ちはやはり純粋なものなんだと改めて感じました。
アオトの口あんぐり&目がテンは多分7時間くらいは続いたんじゃないですか。わたしも、口はあんぐりになりました。意地張って1年も待ってはいけません。後悔しないようにしたいです。スドウの文化住宅、何もない仮住まいみたい、寂しすぎます。アオトと一緒にいましょうよ。
塩見三省さん、あの演技と醸し出す空気感は素晴らしです。井川遥さんも初めて女優だなぁと感心しました。ちなみに、舞台は何気に武蔵野線の北朝霞駅周辺、もっと地方にしなかったのはなぜなんでしょうか。ビール、あんなにガブガブ飲んでいいんかい?
中学生時代の余韻に行かないで、焼き鳥屋から即エンドロール、薬師丸さんのままだったら、わたしは目が腫れて恥ずかしくて席を立てなかったと思います。
とても面白かったです。同年代の方々に是非観てもらいたいです。
二度と戻れない月が満ちていた日々
昔、中年の恋愛ものや不倫ものがどうにも受け入れられなかった。原理が理解できなかったのである。しかし、自分の年齢が中年を過ぎて、なんとなく理解が及ぶようになってきた。本作もそうで、抗えない病気や性愛や嫉妬や諦めなど、随所で共感してしまう。おそらくもうこれ以上ない幸せな日常から、死へ淡々と過ごす日々。月の満ち欠けが人生の終焉を意図していそうで、映るたびにちょっとずっしりくる。そしてエンディングの星野源に泣かされる。
ストーリー展開は想定内だったけども、現在と昔日とのコントラストが痛々しく、結末が分かった上で見せつけられるピュアな情景がなんとも美しかった。よくある手法でもあるが、少し違うのは現在のパートも、くたびれた中年が寄り添う姿も、それもまた、美しいとも思った。愛おしい、かもしれない。切なくも不思議と多幸感が溢れる。堺雅人と井川遥だからこその空気かもしれない。
ところで映像の作りがここ最近では好みの絵になっていた。夜でもぱきっとした描写で、コントラストもはっきりしている。色調も良い。東京の空気がよく表現できていたと思う。
平場、て
原作を読んでいないのですが
井川遥さんお美しくて
そりゃ世間のおばさんには程遠い。
なんかセレブ感は溢れている。
高級なものを身につけなくても庶民には思えない。
庶民感覚をアピールしたいようで
あえて『ユニクロ』さんとかの身近なブランド名を出して
一般市民?観客と共感を得られるようなあざとさを逆に感じる。
配役についてお二人が適役だったと感じでおられる方も多いのですが個人的には井川遥さんはどうだろうと思いました。お綺麗すぎる。
その年代が抱えてる、親の介護、親の認知、結婚生活の破綻、中高年の健康への不安、病気。
それはそうそうよくある悩みは実に日常でリアル。これが平場なのでしょうか。
ほんとに中高年の現実は日々の悩み、不安を抱えています。
看護士さん達の
売店での買い物時に
たくさん買い込む看護士さん達の
あるある会話。
噂話好きなもと同級生、悪気があるわけでなく
フツーに話題にするひといるよね。
あるある、いるいるをふんだんに
ぶっ込んでる。
平場
それが大人の日常なのです。
さて
内容は
淡い初恋のひととの想いは時空を超えて
歳を重ねても
変わらずキュンとするように甘酸っぱい。
大人になり
違う相手との恋愛や結婚生活も経てすっかりおじさんおばさんなのに
呼び名も名字で呼び合うまんま、あの時のままです。
ニケツして乗る自転車の2人は
中学生の時の2人だけれど
実はもう二人は
あの時の不慣れなもどかしい二人でなくて
いろんな体験から
大人としての包容力や相手への気遣いが備わっている。
膀胱癌になられた方にしかわからない、苦悩も生活のしづらさも今の相手なら言える関係性になっている。
大人な恋です。
素敵です。
最後のシーンで
主人公が泣く場面があるのですが
以前から他の作品の時から感じていたのですが泣き顔のアップ、この方はなぜか笑い顔になって見えるのです。
そこが気になります。
工場で働く姿などはとても自然に演じておられるのですが
泣き顔は。、、
少し残念。
何か、切実さが・・・感じられないんだよね
痴呆症の母親に、人工肛門(ストーマ)の彼女。
介護に医療とこの映画の客層に刺さるキャッチーな問題を扱っていながら、描写はあっさり。
淡々と諦念と。それでも終わらない日常は続く。
久々の恋心で日常が色付いたのなら、対称的に母親に暴言を吐かれる・ストーマでの失敗など厳しい現実を何かしら上手く描写してほしかった。
須藤がしばしばトイレで悩んだり、スーパーで匂いを気にするカットは悪くはないがもう少し現実的に腹部の着用カットを挟むなり「逃れられない現実」を示した方が、「それでも一緒にいたい」という青砥の覚悟が伝わったと思う。
正直、この映画を見るまでストーマの事など詳しく調べる事もなかった。
ラッパーの漢さんが装具を付けた動画を過去に見た記憶がある。
原作の描写がどうかは不明だが、映像化にあたってこういう問題の核心をぼやかしてエンタメの背景に安易に使用してしまうのはどうなのだろう。
それこそ須藤の言う「こんなのまるでファンタジーだよ!」って感じがした。
後になって最愛の人の死を知らされるという似たような経験がある身としては、このあっけないオチの展開は共感ができた。
自分は久々にメールした携帯に下手な入力間違いのようなものが返信されて。
後でそれが慣れない携帯を使用して返信した彼女の母からのものだと知った。
・・・と、不満な点はあるがこの地味ーな堺版「パーフェクトデイズ」もキャスティングが上手いので飽きずに見ていられた。
エンディング、脳出血の後遺症で麻痺が残る塩見さんがオーディオのボリュームを上げるアシストが印象的だ。
ふと・・・盲目役の夏帆さんが牛丼を口にして涙を流す「箱入り息子の恋」を思い出した。
*蛇足になるが、月が合成なのはやっぱり萎えるぜ。
人生の後半戦を迎えた大人たち
結婚や離婚、親の介護、病気、離職。多くの人生経験を経た50代の男女が、その再会を通じて、得た「平場」の日常を、淡々と描いているという印象。起伏があまりなくオフビートで、ドラマチックな演出はないのだけど、不思議と2時間退屈することはなく(日本映画らしい良さがあって)、最後まで観ていて心地良かった。
テレビではヒーロー然とした役の多い堺雅人が、少しガサツで飄々とした「普通のおじさん」を演じるのが新鮮で見応えがある。
終始感情を抑えた(個人的には別れのシーンでは少し物足りないかなとも感じた)井川遥の演技も、その生い立ちと「太い」心を持った役どころからすると、それも納得がいく(その伏線として、男のために子どもを捨てた母親の存在と自分もその業を引き継いでいるというトラウマがあると考えれば)。
「50代になってそれはない」と宅飲みの誘いを躊躇する台詞。
別れを告げられて、一旦トイレに入って気持ちを落ち着かせてから冷静に説得する妙なリアルさ。
死を知らされたときの驚きと、その事実を淡々と、まずは頭で理解しようとする表情。咳を切って流れる涙。
青春時代の思い出。流れてきたあまりにも多くの時間。それでも誰かと共に生きる時間の大切さ。そんなことを感じられる映画でした。
(エンドロールの星野源の書き下ろし曲が染みます。)
大人の恋の映画
もともとはあんまり観る気がなかったんだが、出演者の出てるテレビの番宣を観てるうちにちょっと興味がわきまして。思ったより面白かった。いい歳のオジサンになっても大人の恋愛映画より青春映画のほうが好きな僕ですが、主人公たちとほぼ同年代ということもあって共感というか感情移入しやすかったし、登場人物の生活や風俗の描写や感情表現がリアルで良かった。
主演の堺雅人と井川遥もとても良いが、その他の俳優陣も絶妙な配役で、安藤玉恵、椿鬼奴、大森南朋、宇野祥平、黒田大輔、中村ゆり、吉瀬美智子、前野朋哉、成田凌と必ずしも出番が多くないのに友情出演感、特別出演感が全く無いハマり役。特に、でんでんと塩見三省の存在感が絶妙でした。そして主人公2人の中学生時代を演じた坂元愛登と一色香澄って子たちも良かった。
ま、リアルに言っちゃったら、いくら初恋の相手とはいえ50歳過ぎて中学の同級生に再会してすぐわかるもんなのかとか、中学の同級生が50歳過ぎても友人としてつるんでるもんかとも思うんだが、そこはまあ映画や小説(原作)の夢というかファンタジーですね。
月だけが見ていた
“お前”と呼ぶその声に愛しさの意味を持たせた
お互い一通りの人生を1度歩み
今だから、このタイミングだからこそ交わることが出来た
初恋は報われないが
再燃するためのきっかけにもなる気持ち
もうファンタジーだよっていっても
男と女、気持ちさえあれば恋は生まれてくるのだ
気持ちが高ぶった時、無闇に唇を奪うのではなく
頬に頬を合わせ、お互いの鼻息が聞こえる距離で留まるその仕草に
私は不意打ちのキュンとした。
青砥の言葉の一つ一つに優しさや思いやりが込められていて、相手の気持ちを尊重し、かつ手放すことは無いと確信できる態度。
あなたの為だけを想って送った月のチャーム
忘れられぬ呪いを今
貰った青砥はこの先どう生きていくのだろうか
50代オッサンです
いい
本質的に違いすぎるふたり
偶々予告編をみて気になり、観に行きました。
舞台が埼玉県で河川敷や団地やスーパーなど「平場」を思わせるスポットが多く、出演者も一流で華がある方々なのに庶民的のような芝居や演出はお見事。
これはさまざまな角度からの見方ができる映画です。
自分は映画をみていて青砥と須藤は本質的に分かり合うのは難しいかもと思いました。
須藤はものごころついたころからおそらく頑なで平場になじめず生きる上で疎外感がベースにありる。気持ちは尖りきっていて決して「太い」わけではないのです。
青砥は逆に程よくぬけていて平場で上手くやっていける器用さがあり、周囲の人にも恵まれそんなに大きな挫折もなかったような雰囲気を併せ持つ。
「青砥は丁度良い」と須藤がいうのはこのあたりからきているようにも思います。
須藤にとっての青砥はおそらく「全身を武装したままでも呼吸できる相手」近すぎず遠すぎず、心が軋まない距離感まさに「スープの冷めない距離」の延長線上にある存在なのかもしれません。
須藤はほんとうは愛が欲しいけれど、愛を手に入れることにはまた苦しみがつきまとうと理解している。「夢みたいなこと」を見たあとでも、現実に戻れば自分が越えるべきものがまだ残っているとうすうす勘づいている。なので踏み込む勇気がないし、委ねられないのではないでしょうか。
須藤と青砥、平場において二人の微妙な距離感を月の満ちかけ具合で描かれている丁寧な作品でした。
人生の黄昏時、傷つくことさえ愛おしい「大人の遊び場」
愛って何だろう、と問いかけても明確な答えなんて見つからないけれど、この映画を観ていると「傷付く感じがいいね」と素直に思えてくるから不思議だ。それはあまりにも青春だし、けれど決して青臭くない、熟成された痛みがそこにある。
スクリーンに映し出されるのは、人生の折り返し地点を過ぎた男女の物語。かつて中学の同級生だった二人が、再会し、不器用に距離を縮めていく様は、まるで『花束みたいな恋をした』のシニア版のようでありながら、もっと切実で、もっと静かだ。
**晩年感と告白欲、そのちょうど良さ**
物語全体に漂うのは、心地よい「晩年感」だ。もう若くはない、けれど枯れ切ってもいない。「告白欲」とでも呼ぶべきか、誰かに自分の中身をさらけ出したいという渇望が、ふとした瞬間に漏れ出す。その温度感が、なんかちょうどいい。
主人公たちのやり取りを、まじろがずにみる。彼らの視線の強さ、言葉の端々に宿る「太い」感情の奔流。特にヒロインが見せる、あの「気の強い跳ねっ返り」のような態度は、人生の荒波を乗り越えてきたからこその強靭さと脆さが同居していて、胸を締め付ける。
**私の菜園、そして残された部屋**
劇中に出てくる「私の菜園」という言葉は、単なる物理的な場所ではなく、心の聖域のメタファーのようだ。誰も踏み込ませたくない、けれど誰かに見てほしい、そんな矛盾した場所。
「死ぬまではここで生きてくんだって思ったから、残された人が片付けやすい部屋にしておくの」。そんな台詞が、日常会話の中にふっと混ざる。病気、介護、子育て——それらすべてを経験し、あるいは横目に見ながら、彼らは「終い支度」を意識しつつ、今を生きている。「私も沈みそうになったことあるよ」と、観客自身の記憶さえも呼び覚ますようなリアリティがそこにはある。
**平場とは? タイトルの意味を噛み締める**
タイトルの『平場の月』。「平場(ひらば)」とは、博打用語で特別な席ではない一般の客席や、あるいは建設現場などの平らな場所、転じて「ごく普通の場所」「日常の地平」を指すことがある。
特別なステージではなく、泥臭い日常という「平場」から見上げる月。それは決して完璧な満月ではないかもしれないが、どこか優しく、そして残酷に美しい。彼らにとってのこの恋は、「昔できなかったことをしよう」という、人生最後のご褒美のような「大人の遊び場」なのかもしれない。
**たった一個の価値**
「夢みたいなことって何?」と問われれば、それは劇的なハッピーエンドではないだろう。ただ、隣に誰かがいて、その体温を感じられること。「たった一個がいいんだ、だから価値がある」。多くのものを失ってきた彼らが掴んだその「一個」は、あまりにも尊い。
物語の後半、ある場面で「それ言っちゃあかんやつ」と思うような決定的な言葉が放たれる。親を許せない自分を軽蔑し、そういう自分が大嫌いだと吐露するシーン。その痛々しいほどの人間臭さに、私たちはどうしようもなく共鳴してしまう。
この映画は、傷つき、傷つけ合いながらも、平場で生きるすべての人への賛歌だ。見終わった後、夜空を見上げれば、いつもより少しだけ月が美しく見えるかもしれない。
キラキラしていないところがこの映画のいいところ。
主人公たちと同年代です。
まず、大俳優と大女優なのになんでここまで普通のおじさん、おばさんを演じられるんだろうと、すごく感銘を受けました。
全くそこら辺にいる人を見ているような感覚でした。
全くキラキラしていない。
そこがこの映画の最もいいところなんじゃないかなぁ〜と感じました。
本当にそこら辺にいる人たちを、この大俳優の皆さんが普通の人になりきって演じている、そういうように見せている、ある意味すごい映画です。
主人公たちと私は同世代。
こんな純愛に落ちることなんてないかもしれないけど、自分もこういうシーンの時は同じような振る舞いになるよなぁ〜とか感情を出しすぎないところとか、セリフの一言一言とか、見ていてとても共感するところが多かった。
そしてこの映画は繰り返し見れば見るほど味わいみたいなのが増してくるかもと思いました。
時間があったらもう一回見てみたいです。
市井の人
全462件中、221~240件目を表示
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