「キチンと「大人」で「平場」。だからこそ残る余韻」平場の月 sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
キチンと「大人」で「平場」。だからこそ残る余韻
とてもよかった。
号泣タイプのドラマチックな作品とは一線を画し、予告編が伝えてくる世界観そのままに、登場する役者たちの滋味深い演技が、静かにしみ込んでくる一作。
堺雅人、井川遥2人のセリフまわしや振る舞いの一つ一つが、愛おしくなるくらい、登場人物そのものとして立ち上がってくる。
周囲の役者たちも実力者揃いで、特にでんでんと塩見三省の2人が、今作の味付けをより豊かにしていた。
この季節にピッタリの良作。
<ここから内容に触れます>
・予告編がとてもよく出来ていたと思う。「予告編を超えたか超えないか」がその作品の評価として語られることがある中、観終わってみると、予告編が本編そのもののエッセンスを、ぎゅっと絞ったという感じがして、度々見返して浸りたい出来だと思った。
・例えば、予告編にもでてくるが、居酒屋での井川遥の手の挙げ方が、もう大好き。あれだけで、彼女の「人には頼らないと覚悟して生きている凛とした感じ」や「素直に青砥と会って話せる喜びや緊張感」が伝わってきて愛おしい。
・「お前、あの時何考えてたの?」「夢みたいなことだよ。夢みたいなことをね、ちょっと」というやり取りの切なさ。観終わると一層切ない。
・須藤と青砥が人として対等であるところ(あろうとしているところ)が肝。
例えば、青砥は須藤に「なんで青砥は、お前って呼ぶの?」と詰められる。青砥からすると「友達のところはみんなお前と呼ぶ」というだけの話なのだが、それ以降はちゃんと「須藤」と呼ぶようになる。そういう、気楽に相手に依存していかない、大人さ加減の積み重ねがいい。
・「それはもうファンタジーだよ」という言葉の納得感。その後の「恥ずかしい」「俺だって恥ずかしいよ」もよかったなぁ…。
・立教を出て、金融機関で長年勤めてというキャリアも都内の家も全てを清算し、地元に戻って病院の売店でパート勤務をしながら、アパートで清貧な一人暮らし。
「死んだ時に片付けやすいように」と、余計な荷物は増やさず、青砥と家飲みをするようになっても、一つずつのコップとマグカップを貫き通す須藤の頑なさ。
突然の決断の理由も、須藤は一応口では説明するものの、青砥のみならず、観ているこちらもやっぱり「どうして?」と思う。(成田凌演じる鎌田に貢いだのだって、「推し活」と考えれば、そんなに自分を責めることも無かろうに…)
・12月20日には、赤い○がついていた。そして、最後の一言も、やっぱり青砥を思ってのものだった。それなのに、須藤はなぜ1人で生きていくこと死んでいくことを選んだのだろう。
どんなに太陽のように照らし続けても、月の裏側は決して見えないように、残された青砥にとって(つまり観ていた自分にとって)の納得解は、当分見つかりそうにない。
若い2人のラストシーンの意味とあわせて、しばらく残しておくことにする。
・奇しくも、数日前に突然知人の訃報が届いた。今作でも病気や死を扱っているが、ドラマをつくるためというより、あくまでもその年齢だったらあり得るモチーフというところに意味がある。出てくる人々の造形も含めた「平場」な感じが今作の命なのだろう。ちゃんと自分に重なった。
原作は未読なので、原作の世界もじっくりと味わってみたい。
共感ありがとうございました。
「恥ずかしい」「俺だって恥ずかしいよ」のところ、本当によかったですよねー
あそこに至るまでのやりとりとキスもひっくるめてとってもよかったです
共感ありがとうございます。
家族に介護させたくない・・と通じるものがあると思いますね。愛してるからこそ迷惑かけたくない、いかに相手が気にしない、当然の事と言っても。
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